純プラチナは結構柔らかい

 いちいち記念日を祝うようなマメさはないが、それでも恋人として結ばれた日となると何かしようかな、くらいには思うわけで。
 それは記念日となるといつも兄弟と一緒である俺と一松にとっては尚更だった。誕生日だって入学式だって卒業式だって成人式だって、記念日といえばいつも六人一緒。それは当たり前だったから兄弟と一緒が嬉しいとかそうではないとか、そのように考えることではなく、記念日とはそういうものだと思っていた。
 だからこそ結ばれた日はふたりだけの記念日であり、記念日の中でも特別な記念日だった。

 しかしそこでロマンチックなデートプランを立てて泊まり掛けでいちゃこらしたのは最初の一、二年ほどで、そろそろ三十路を迎えようとしている今年ともなると、美味いと評判の居酒屋の個室を予約してだらだらとふたり酒を飲み交わすくらいの計画しか立てなかった。
 六月の梅雨入りの季節、俺と一松は恋人となった。それは何年前だったか、両の手で数えると指が余るが、片手の指では足りないくらいだったはずである。兄弟として過ごした時間と比べてしまうと短いかもしれないが、世間の恋人と呼ばれる関係としては長い付き合いに思える。

 午後五時を迎えるより前に、ほんの少しだけお洒落をした俺が向かうのは居酒屋…ではなく道中のケーキ屋さんだった。そこで俺はトド松イチオシのチーズケーキをふたつ買う。気合いのない記念日ながらそれらしいものを用意したかった結果、今年はチーズケーキを選んだ。ちなみに居酒屋にはケーキ持ち込みの許可はしっかり取っている。流石俺のようなスパダリと呼ばれる男子となると細やかな配慮に抜かりない。他の男からのアドバイスを参考にプレゼントを用意するとは、なんて兄弟に嫉妬してくれるなよ。ここのチーズケーキはとても美味だ、一松ならきっと気に入る。
 チーズケーキの入った紙袋を手に目的の居酒屋まで行けば、まだ予約時間前だというのに一松が待っていた。こういう律儀さは何年経っても変わらない、何度待ち合わせしようとも一松が俺を待たせることはなかったのではないだろうか。
 恋人という関係になって長いが、こうして改まって一松を意識すると顔が熱くなりそうだ。
「時間早いけど準備できてるから案内できるって」
「そ、そうか」
 しかし一松は平然とした様子で店内に入ってゆくので、俺は羞恥に口を結ぶ。一年に一度とはいえ何年も繰り返された記念日、それに間もなく三十路。そう浮かれるようなものではないのかもしれない。
 そんなことを思ったのは一時間ほど前の、いや、まだ一時間も経ってないくらい前の話だったような気がする。そう時間は経ってないはずだ。
 はずなんだが、
「ろうしたん……のんれれーしゃん」
 あの一松、出来れば日本語を話して……いや、出来ないのか。
 何故時間を気にしたのかというと、酒に強くないとはいえ短時間で一松が完全な泥酔状態になったからだ。
 いつも白い顔は真っ赤で呂律は全く回っていない。動く度に体がぐらぐら揺れて、普段から丸い背中が更に丸くなっていた。そのため頭も自然と下に向かい、隣の俺の腰に抱き付いては腹筋に頭をぐりぐり押し付けてきている。時折こちらを見上げる顔はふにゃふにゃ笑っていて、入店する時に見た平然さは全くない。
 飲み始め一時間なら普段だとお互い酒が弱いからとゆっくりじっくり、時折追い水を飲みながらほろ酔いくらいだ。それがこの様なのだから一体どうしたのだろう。
「今日はどうしたんだ?」
「あー?」
「……ひどく酔ってるじゃないか」
 顔色を窺うよう前髪をかき上げるよう頭を撫でてやると「ぐるる」とまるで虎や狼のように低く喉を鳴らした。二人きりでもこんなに露骨に甘えられることは滅多になく、内心どきりと胸を高鳴らせてしまう。
 それを誤魔化そうとボトルで頼んでいた赤円のラベルのワインを飲もうとして……手に持ったボトルの軽さに驚愕した。試しにボトルを振って揺するが、中で何かが移動する感覚もないし、どんなに目を凝らしてもボトルの中に波打つ液体を確認できない。傍にあったふたつのグラスのひとつは口もつけてない綺麗なもので、もうひとつは底に僅かに赤い液体を残したもの。ちなみに俺はデザート代わりのチーズケーキと一緒にワインをいただこうとしていたので、まだ一滴もその麗しの赤に口付けてない。
 ……これは吐かずに酔うだけでも奇跡である。
「ワイン、全部飲んじゃったのか?」
「んー……つい、」
 つい、なんだろう。甘い味わいに反してワインとはとても恐ろしいアルコールだと一松も知っているだろうに。
「おあひかった、うあ」
「うむ……」
 どうしよう。わからないぞ。頑張れ一松、頑張れ日本語。どうにか俺に理解できる範囲で喋ってくれ。
「あー……ぼく、ひと、のんれして。ごめぬ」
 「僕」に………最後のは「ごめん」だろうか。どうしていきなり謝って……いや、途中に「飲んで」とも聞き取れるようなことを言っていたからワインを一人で飲み切ってしまったことを謝罪しているのだろうか。
「今日は二人きりなんだから特に無礼講だろう? それに飲みたければ新たに頼めばいいだけだ、気にするな」
「ふへ、」
 体を揺らして一松が笑う。その顔は屈託ないほどに弛み、心底嬉しそうに歪む。つられて笑いながら頭を撫でれば跳ね気味の柔らかな毛先が心地良い。
「やっぱ、すきぁ…おれ、からまつ、すきなんだ……」
 なんで。さっきまで理解するのがやっとだったのに……しかも普段そんなことを素直に言ったりしないのに、突然そんな甘えを見せるなんて反則だろう。
 更に高鳴った胸と緩みそうになる顔に、思わず目の前のテーブルに突っ伏す。
「……おれに……ぼくなんかに、もったいないなあ」
 少しだけ下がった声のトーンに視線を降ろすと一松は相変わらず俺の腰に抱き付いている。そんな密着した体制のせいか、顔はよく見えない。
「……それは俺の台詞だ」
「おん?」
「お前はよく、自分をゴミだとかクズだとかいうが、俺からすると誠実で、たまにすごい格好よくて、優しくて、可愛くて、少し思い返すだけでも良いところも悪いところもたくさんだ。でもそのすべてが愛しくて、愛しすぎて、俺なんかがお前の恋人でいいのかなって……」
 そのまま言葉を続けようとしていたが、それは出来なかった。腰に回っていた一松の腕が上に伸びてきて俺の胸ぐらを掴んでは、ゆったりした動きながら強い力で引っ張ってきたからだ。不意のことにぐらりと傾く体に追い討ちかけるように一松が上体を起こして俺に乗り掛かってくる。
 近付く顔に半ば反射的に目を閉じれば、柔らかいものが頬に触れた。それは一松の唇であるのは幾度となくキスを交わしてきた俺にはすぐわかり、それでも居酒屋なんて公共の場でされたことがなくて緊張してくる。触れるだけのキスは頬に始まって鼻先、顎、口の横と移動してゆく。
 それでも肝心の口にはしてくれなくて目を開ければ、まるで俺が目を開けるのを予測していたかのようにこちらを見つめる一松と目が合った。
「……あのさあ、あらら、あんたね。むかっしからぼくがさ、自分のことひていするたひ、そのひていを、ひていしたけろさあ…きにいらなかったけろ、わかる」
「……?」
「おれなんてって、そんなこと言ったらちがうって、いいたくなる……おれなんか、とかいって……からまつらから、ぼくはいいのに、」
 胸ぐらが解放され、もたれ掛かるように抱きつかれる。布越しに密着する体はアルコールの影響もあってかひどく熱い。その熱さにあてられたよう、俺の体も熱くなってゆくような感覚に胸の高鳴りも体中に回るようだった。
 これだけ密着していれば高鳴りも聴こえてるに違いない。そんな事実に羞恥心は勿論あったが、同時に舌足らずな一松の言葉を理解してしまった俺は彼の熱い体を抱き締め返そうとした。
 しかし何故か一松は俺から体を離してしまった。改めて彼の気持ちを明かされて、その気持ちに応えたかったのに……それは許されないのか?
 高鳴りにつきり、と痛みが加わって、思わず胸を押さえる。だがすぐにその手を一松に引っ張られてしまった。
「ぼく、からまふほしいので。ねえ。くらさい」
 一松はふにゃ、と崩れんばかりに首を傾げると、引っ張った俺の指に何かをはめる。それは居酒屋特有の淡い照明にもつるりと輝いては、その存在を主張した。
「これ……指輪?」
 一松がはめたのは白く輝く指輪で、特に装飾が施されてないのに俺にはとても眩しく見えた。
「そ! ずんぷらちな!! らからさあ、からまつ、いっしょ。いてほひい」
 そう言うと彼は指輪にキスをひとつ落とし、その指輪がはめられた手をテーブルの上に置く。そして俺が何を思う間もなく置かれた手の上にワインボトルを勢いよく振り下ろした。
 がしゃーん、と派手に割れた音が響き、硝子片が飛び散る。その音には流石に店員が個室に飛び込んできた。
「お客様、大丈夫ですか!?」
「は、はい……ちょっと手を滑らせてしまって……」
 痛みより驚きが勝ったのか、ボトルを叩きつけられた手はさして痛くない。そして幸いにも飛び散った破片は俺たちを傷付けることはなかった。
 店員の迅速な対応によりすぐにボトルは片付けられたが、その間一松はずっと俺の左手を握っていた。その左手はつい先ほどワインボトルで叩かれた、指輪をはめている方の手。
「あの、」
 いきなりの展開にも驚いているが、握られっぱなしでは流石に恥ずかしい。一松に触れてもらうのは嬉しいが、普段あまりべたべた触れてこないだけにこういうときどうすればいいか未だわからない。
「ふひ、」
 しかしそんな俺の悩みは一松には通じてないのか、笑いながら握った左手を眺めて指輪をくるりと回した。
「あれ、」
 指の違和感に俺は一松に倣うよう指輪を回わし、そして外そうとした。だが、どこか引っ掛かってしまうのか、どれだけ引っ張っても指輪は指から離れない。もしかしてワインボトルで叩かれた際に歪んでしまったのか?
 今更だが、この指輪は恋人から贈られたものだ。しかも指輪をはめられたのは左手の……薬指である。左手の薬指にはめられた指輪が持つ意味を俺だって知っているし、これまでの一松の発言を汲み取ってしまうと、この指輪が値段以上の価値があるものだとわかってしまった。
 そんな指輪を貰った瞬間に歪ませてしまうなんて!
「……すまん、折角一松がくれた指輪、」
「ん?」
「歪んでしまった……ごめん」
 何年も繰り返す記念日。それでも一松は特別な日と思って、この指輪を用意してくれただろうに。
 やるせなさや不甲斐なさに目頭が熱くなって俯こうとすると、一松の手が俺の顎を掬うように上向けたのでそれを阻止されてしまい。
 唇に触れるだけのキスをされた。

「これじゃ、離れられないでしょ」

 一松が笑う。
 しかしその顔は酔いの気配を鎮め、見つめる視線はアルコールのものではない熱を帯びていた。
 そうして離れない指輪の存在を意識しては、あまりの歓喜に「俺はチーズケーキだけで申し訳ない」などと現実逃避をしてしまった。