「よいこなぼうや、迎えが来るまでここでお待ちよ」
その一言と共に頭を撫でられた俺は高架橋の下に置いていかれた。
「よいこ」と言われてご機嫌な俺は言われた通りにそこで待つべく、地に尻を落ち着けた。そうして高架橋を見上げては、その向こうに流れる雲を眺めた。雲は見る度に違う形をしているので面白い。そうしてその形を様々な物に置き換えては長い時間を潰した。
しかしそれも延々と続ければ飽きてしまい、長時間上を向いていた首を労るのもあわせて体を丸めた。
俺がいる橋下はそれなりに大きな道が通っており人通りもそれなりだ。通る人は様々で、その何人かはひとりきりの俺を心配して声をかけてくれた。更には家へ招いてくれるようなことまで言った人がいたが、俺は行く気はないとその場を動かなかった。だってここで待っていろと言われたのだ。よいこな俺は言いつけを守らなければ。
ちゃんと守っていれば迎えにきた時、またよいこだと、きっと褒めて貰えるから。待っている間、暇だし、なにより寂しいが、褒めて貰った時の喜びを思えば辛くはなかった。
「……クソ松?」
今はもう呼ばれなくなった、愛称とは明らかに違いながら懐かしさを覚える呼び名に顔を上げる。すると存外に近く人の顔があって思わず飛び退く。
「な、」
その人は俺が待つ人ではなかったが、反応せずにいられなかった。
「久しぶり」
気怠げな声と眼差し、毛先が跳ねて乱れ気味な髪に柔そうな丸い輪郭。
俺は彼を知っている。
「い、一松か」
「まさか、来世でもあんたに会うとはね」
溜め息混じりに吐き出された声は記憶するままのもので、しかし見下ろす視線の高さは新鮮そのものだった。以前は……六つ子であった時を前世とするなら、全くの同い歳だったが、今はぱっと見でも二十歳近く差があるように見える。それこそ、明らかに年端の行かない俺に対して、目の前の人物はスーツ姿が様になる大人だった。
前世について、これまで誰にも語ることはなかったが覚えている。六つ子として産まれ、六つ子として育ち、成人を過ぎても暫く六つ子揃って生活していた。
しかしそのぬるま湯のような心地よい生活は一松の死により一変した。特になにもない、そんな日に一松は車に轢かれそうになっている猫を助けようとして巻き込まれた。
ひとり欠けた六つ子、それがきっかけのように残った五人は家を出て、それぞれの人生を歩んだ。俺も例に漏れず家を出て、結婚し、子供を設けて人並みの人生を全うした。
生まれる前の記憶を持っている、という特殊な現象。それでもそれで何か支障があったかといえばそんなことはなく、とても長い夢のような、懐かしみしか感じないものだ。そこで若くして死んだ一松のことも、ほんのちょっとしんみりしてしまう思い出のひとつとなっていた。
それは肉親としてどうなのか、と言われたら薄情な気もしたが、一松らしき人物を前にして、それくらいで良かったとも思えた。変に重い気持ちで再会を果たすより、暫く疎遠になっていた兄弟に会えた感覚の方が一松にとっても良いのでは、そう思ったから。
しかし、それは俺が思うだけで結局のところ一松がどう思うかはわからず、こちらを見つめる彼を窺う。そんな一松といえば俺をじっくり眺めた後、思案するように指先で顎を撫でる。
「……あんた、捨てられたの?」
「え?」
唐突なことに目を丸くして、そして前世で一松は俺を嫌っていたことを思い出した。
そうだ。俺と一松は再会したところで両手を広げて抱きしめあうような、そんな仲の良い兄弟ではなかったではないか。
「え? ってわかってなかったの? 生まれ変わってもその鈍臭さどうなの、こんなとこで置いてかれて、捨てられたとしか思えないじゃん」
だから、こんな酷いことを言うんだ。
「ち、違う! 俺はここで待っているよう言われたから待っているだけで、捨てられたなんて、そんな、」
「そう言えば追いかけずにここで待ってるでしょ? ましてやあんたなら、尚更」
俺の言葉を遮るよう、一松が切り捨てる。久しく聞いた嫌味は懐かしさを噛み締めるには辛辣で、そろりと伸びてきた手から距離を置く。
すると一松は顔を歪め不機嫌を露にすると静かに俺の前から去っていった。
死に別れた兄弟の再会としては、とてもあっさりとした、呆気ないものだった。
あまりに呆気なくて、一松の一言もあって、俺は引き続きその場で迎えが来るのを待つ。
するとこれまで穏やかだった空があっという間にぐずついてきて、ざらざらと雨が降ってきた。まるで追い討ちをかける冷たさは待つ身としては辛く、待ち合わせ場所から離れない程度に極力雨が降り落ちない所へ避難する。そんな俺にまた人々が優しく声をかけてくれたが、肝心の待ち人は一向に来ることはない。
あんた、捨てられたの?
一松には前世でも色々言われたというのに、その一言ばかりが脳内にこびり付いたようにリフレインする。
そうしてやっと俺が彼の言うとおり捨てられたのだと自覚したのは、雨と風の冷たさですっかり体が冷え切ってしまった真夜中だった。
かといって待つだけしかできない、行く宛のない俺はこれ以上体が冷えないように体を丸めるしかできない。その体も少し動いただけで酷く痛み、かたかたと歯が鳴った。寒さを訴える小さな音は雨音に消されてしまい、自分が果たして動けているのかさえ曖昧になってくる。そうしてとうとう俺はその場に蹲ってしまった。
耳には雨音ばかり。時折、車が水を弾く音も混じったが、人が近くにいる気配はない。まるでこの場にひとりきりのような錯覚を覚えて……いや、俺はひとりだった。
「まだいたの」
ぐちゃり、とぬかるんだ音が耳に届いて、人の声が続く。それに少し顔を上げると草臥れた黒いサンダルが見えた。
人の声はよく覚えている、一松の声で不覚にも泣き出してしまいそうになる。
なんだ。こんな雨の中、俺の無様な姿を笑いにきたのか。嫌味もここまでくると感心に値する。しかしそれに反応できる程の気力は今の俺にはなく、視線だけを一松に向けた。
「あんた、そのクソさどうにかしなよ」
一松の顔は随分高い位置にあるのか、表情まで確認できない。それでも不機嫌を顕にした声に馬鹿にされているのがよくわかった。
また、彼の手がこちらへ伸びてくる。だが、俺はそれを避ける力がない。
追い討ちをかけるように殴るだろうか。今は体格差があるし、ちょっと拳を食らっただけでもとても痛いだろうな。
そう、覚悟していたのに、その手は俺の体を掬うように触れると軽々と持ち上げて胸元へ引き寄せた。そんなことをすれば一松の服が濡れるというのに、彼は気にする素振りなく俺の体を抱きかかえる。
泣き出してしまいそうだった気持ちがどっと溢れ、雨水ではないもので目元が濡れてきた。
「あんた、前のこと覚えてるんなら中身はいい歳でしょ」
「今は見たとおり、子供なんだ」
「都合いいこと言いやがって」
口ではそう言うのに抱きしめる腕が力強くて、俺は抵抗することなく体を預けてしまった。
ただ、ここでめでたしめでたし。となるようなことはなく。相手はあの一松なのだ。
「拾ってやったんだから僕の言うこと聞いてもらうよ」
当然でしょ? そう言わんばかりににやりと笑った顔の憎らしいこと、こいつは生まれ変わっても見た目どころか中身もまったく変わってないのだとよくわかった。
そして、そんな何も変わらない一松と、また俺は一緒に暮らすこととなったのだ。
前世と同じくらいか、それよりも少し大人らしい一松はなんと小説家になったそうだ。しかもなかなかの売れっ子のようで、俺と初めて再会した日は握手会があったという。だからスーツだったのか……と考えて、前世で見ることの叶わなかった自立した姿に感動した。
ああ、本当はこれでもかってくらい褒めてやりたかったが、売れっ子小説家になったあいつはあろうことか俺を部屋の一室に鍵をかけて閉じ込めたのだ。
こいつには驚いた。「言うことを聞いてもらう」発言があったから身構えてはいたものの、直接的に自由を奪われるとは考えもしなかった。当然ながらこんな仕打ちをした一松を褒める気なんて失せてしまうものだ。
「でもあんた、ここ出ても行く宛なんてないんだから」
「それは、そうだが……」
「じゃあここにずっといたって問題ないでしょ。出ようなんて思わないで」
一緒に暮らし始めて暫く、外へ出られないことに不満を口にしたが、その度に一松はさらさらと正論を並べて論破した。行く宛もないし、そもそも子供の俺が外に出たところで何もできないのはよくわかるだけに、少しして無理に外に出ることは諦めた。
閉じ込めるのはどうかと思うが、俺を助けてくれたのは一松なのだし、頼れるのも一松だけなのだから。
そう納得して、大人しく部屋にいることにしたが……四六時中同じ部屋にいるのは暇だった。それはもう今の俺は子供なせいか尚のこと暇を感じた。
かといって一松が遊び相手をしてくれるとは思ってないので、俺は部屋にあるありとあらゆる物を引っ張り出してきては暇を潰した。
小説家だけあって一松の住まいには色んなものがある。なかにはこれは何に使うのか、と思う奇妙なものや、子供の俺が見てはいけないような際どいものも出てきたが、それも含めて楽しいひとときを過ごした。
しかしその楽しい時間も有限であり、別室で執筆作業をしていた一松にこれでもかというほど怒られて一日限りの楽しみに終わってしまった。
「片付ける僕の身にもなれ」
「すまん……しかしずっとここにいるのは、あまりに暇だ」
そう言い返すと一松は暫し思案するよう目を伏せては「考えとく」と一言、黙って部屋を片付け始めた。
それから数日、俺は大人しく部屋で過ごした。暇なのはいやだが、怒られるのも嫌だったので極力部屋のものに触れず、窓から見える空を眺めて時間を潰す。
何か良い遊びはないだろうか、清々しい青空を眺めて思うのはそればかり。一松の怒りに触れることなく……と思っても、この部屋にいる限りそれは非常に難しい。
「はあ、」
子供とはこんなに溜息をつくものだろうか。そんな皮肉のようなことを思うが、暇を感じる度に口から溜息が出る。この暇が一松の嫌がらせの賜物だとしたら上等なものだ。痛感を与えることなく俺を苦しめるのだから。
果たしてこれは感心して良いものか、と思いつつも感心に似た心境を感じていると、いつもは日が暮れてから開く扉が開いた。
「クソ松、外出るよ」
「外? ……出ちゃいけないんじゃないのか」
「僕と一緒に出るから大丈夫じゃない。少なくともあんたが勝手な行動しなきゃいいだけだし」
まさか外に出してもらえるとは。一松とともに行動する、という制限付きではあるが、ここ暫く部屋と窓から見える景色が世界の全てだった俺にとっては素晴らしい誘いだった。
そうしてうきうきしながら出掛けた俺が訪れたのは、住まいからほど近い公園だった。ただし、公園とは名ばかりであり、遊具は一切なく、だだっ広い広間だったのだが、それでも狭い部屋にいた俺にとっては魅力的な遊び場だった。部屋では決してできない駆けっこをしたり、木登りをしたり。何より久々に一松以外の人があちこちにいる様子は見ているだけで楽しかった。
そんな俺の様を、一松は何も言うでもなくベンチに座って眺めている。見つめる顔は何を思っているのかよくわからなかったが、俺が暇を持て余していたのを見兼ねてここに連れてきたのだろうか。多分に気紛れだろうが、それでも俺のことを考えてくれたのが嬉しくて、その気持ちに任せて暫く公園内を駆け回って遊んだ。
だが、そこで終わる一松ではなく、家に帰ってから酷い仕打ちを受けた。
あろうことか一松は嫌がる俺を無理矢理風呂へ入れたのだ。それも俺が「自分で綺麗にできる」と言っても無視してもみくちゃに体を洗ったのだ。子供と大人、力の差もあって逃げようとしても呆気なく捕まってしまい、容赦なくごしごし洗われた。
「子供なんだから大人しく洗われなって」
その言葉だけ聞けば親切心溢れるのだが、にやにやしながら言うものだから言い様のない羞恥心を感じてしまう。
「こんなとき、ばかり子供扱い……するなっ!」
力で及ばないなら出来る範囲で仕返しすればいい。俺は泡まみれの頭を振るって反撃に出た。濡らさないよう腕まくりされた一松のトレーナーにぽつぽつと水玉模様が浮かび、怯んだように俺を押えつけていた手が離れる。不意打ちもあって効果絶大だったようだ。この隙に逃げてしまおうとして…脚を掴まれてそれはできなかった。
「てめぇ……この、クソ松が……っ!」
「ひ、」
そこからは今まで以上に容赦なかった。やめろと鳴き喚く俺に勢いよくシャワーを浴びせるとタオルでぐるぐる巻きにして拘束するとストーブの前へ放り投げたのだ。帰宅して早々に火をつけたのか、ストーブ近くはとても熱くて体を濡らす水分が蒸発してしまいそうだ。
「いち、いちまつ! 火炙りだけは勘弁してくれ!」
「ならもうあんなことすんじゃねえぞクソが」
凄味ある声と共に体を覆っていたタオルが解かれる。そして見上げた一松の顔は声色の通り恐ろしくて縮み上がっていると、彼は俺の隣にどかりと腰を下ろした。
「乾くまでここにいろよ。そのままうろついたら部屋が濡れる」
「………わかった」
一松は売れっ子小説家でお金もあるのか、歳の割にマンションで暮らしていた。それでも一人暮らしを前提として購入したらしく部屋数は少なく、俺が閉じ込められているのは俺だけが使用できる部屋ではなく一松の寝室にあたる部屋だった。そしてその一人暮らしの寝室もそう広いものではなく、あるのはクローゼットの他にはベッドひとつと一人掛けのソファーだけ。そうなると俺はどこで寝るかと考えて……ソファーに直行した。
兄弟であった時は隣り合って寝たものだが、俺を嫌う一松が兄弟でなくなった俺と一緒に寝るなんて嫌だろうと考えてのソファーだ。都合の良いことに俺はまだ体の小さな子供だし、座り心地がいいだけに寝心地もそれなりだった。
それについて、一松は何も言うことはなかった。暗に一緒に寝たくない、と言われているようにも思えて、少しだけしんみりもしたが、ここにいる限り一松が絶対なので何も言わずに寝ていた。
それは彼の住まいに来てからずっと続いていたのに、ある夜、何か大きいものが圧し掛かってきた。突然のことに寝ていた俺は飛び起きたが、そんな俺の体を白い手が押えつけた。
加減なく押えつける手はすっかりお馴染みの一松のもので、ソファーに寄りかかるように伏せっていた。
「どうした?」
窺いながら彼の手から抜け出そうとすると、押えつけてくるだけだったそれが全身をがっちりと拘束するように抱きしめてきた。
「さむい」
「そりゃあ、そうじゃないか……ストーブも消したろう?」
「ゆたんぽ」
「湯たんぽ?」
「あんた、湯たんぽなってよ」
子供だけあってぬくいな。そう言うと一松はのそりと立ち上がっては、俺を抱えたままベッドに潜り込む。寝具の中はほんのり温かくて、俺なんて居なくても良さそうなのに一松の腕は解かれることはない。
この日から俺の寝床は一松のベッドとなり、それは暖かな春を迎え、蒸し暑さある夏を迎えても変わることはなかった。
まるで前世の続きのような、それでいて、前世よりどこか優しい一松と一緒に俺は何年も何年も過ごした。
数年前は何度駆けても疲れ知らずだったのに、最近では公園を眺めても駆けたい気分にならない。一松に寄り添って公園内を歩く人々を眺めるだけで十分なくらいで、今日もまた一松に離れることなく周囲の様子を眺める。降り注ぐ日光は暖かくて、落ち着くように目を閉じると一松の大きな手が俺の頭を撫でた。
その心地良さに仄かな倦怠感を覚えて、記憶の彼方に埋もれていた事実を思い出す。
一松が撫でる自身の毛がやけにぱさついており、明らかな衰えを感じる。そうだ、この倦怠感も毛並みの悪さも老いからくる衰えだ。前世で体験したというのに。どうして俺は忘れていたのだろうか。
「クソ松、寝るならもっとこっち寄って」
最近ではすっかり穏やかになった一松の声に顔を上げる。
「一松が優しい……槍でも降るのか?」
「あんたは……僕だって老いぼれを労わるくらいの気持ちはあるから」
顔の皺が僅かに深くなりながらも初老と呼ぶにはまだ若い彼の顔が見えた。出会った時は俺の方がずっと若かったというのに、いつの間に俺は彼より老いてしまったのだろう。
彼とは、一松とは、生まれて間もなく共に生活し始めたが、実に様々なことがあった。前世のように意地の悪いことも結構されたが、とても良い日々を過ごしたと、思える。
ただ、それだけに心残りもあったりする。それは隣にいる一松のことだ。俺に比べたらまだ若いとはいえ、彼は40を越えているというのに結婚どころか恋人がいないのだ。今は俺がいるから孤独はないかもしれないが、俺がいなくなったら彼はどうなってしまうのだろうか? 前世と同じようにそこまで人付き合いが広くない一松、本当のひとりきりになってしまう。
「わあ、かわいい猫ちゃん!」
知らない声が降ってきて、そちらに視線を向けるとそこにはみつあみの似合う愛らしい少女がいた。
「触っていいですか?」
「そっとなら。こいつじいさんだから」
「ありがとうございます!」
一松の手とは明らかに違う、柔らかく細い手が俺の頭を撫でる。その手つきは俺を気遣ってとても優しいものなのに、一松に撫でられた時の方が心地が良いのはどうしてだろう。
そんな気持ちは俺の歪な尾の先を動かして、一松の背中に触れる。そんなささやかな触れ合いなのに一松は気づいたのか、小さく息を吐く。
「こいつ、ちょっと疲れてるみたい。申し訳ないけどそろそろ帰るね」
「そうですか……猫ちゃん、またね。ありがとうございました」
あまり俺に触れなかったというのに少女は苦い顔せず、笑顔でこちらへ手を振る。それに瞬きで応えていると大きな手で抱き上げられる。
「もう少し居たいならいてもいいけど」
「もう、帰る」
最近では乾き気味の鼻先を彼の手に擦り付けると一松が緩く笑う。
「何故、俺は猫として生まれてしまったのだろう」
「今更だな」
「今だから、思うんだ」
人間だったらもっと一緒に一松といられるのに。猫が長生きしたところでせいぜい20年だ、人間の一生にしたらあまりに短い。
そう思って、前世の彼もそれくらいしか生きていなかったのだと、思い出す。
前世は人生の楽しみを十分に体験しないまま終えてしまったというのに、どうして一松は俺ばかり構うのだろう。嫌がらせしたかったにしてもどうかしてる。
「僕は、あんたが猫で良かったと思ってるよ」
「なんだ、猫が好きだからか?」
「それもあるけど……猫なら絶対あんたの方が先に死ぬでしょ」
「なんだそりゃ」
「僕はあんたに嫌がらせしたくて仕方ないんだよ。前世からそうだっただろ……死にたくないってぐずるあんたを見て笑ってやるんだ」
「ひどいやつだな、お前」
「それも今更でしょ」
一松は未だ笑っている。しかしこれまで意地悪する時に見せた笑顔とはまったく違う穏やかな色を乗せて俺を見つめていて、俺は続ける言葉を無くしてしまう。
代わりのように口からは欠伸が出てしまい、頭がとろりと蕩けてゆく。
「眠いなら寝ていいよクソじじい」
「お前はいつまで経っても、俺をクソって呼ぶな」
「あんたがあんたである限り、そう呼ぶさ」
「ひどいな、ほんと……おまえは……」
口ではそう言ったが、俺を抱える腕も、見つめる眼差しも、俺をずっと「クソ松」と呼ぶ声も心地良くて目を閉じる。そうして、その心地良さをあとどれだけ与えてもらえるのだろうと考えながら、俺は眠りに就いた。