僕がこの世界で最初に見たのは凛々しい眉が印象的な男だった。白髪混じりの頭髪に老いを感じたが、丸い輪郭と大きめの目が男を若く見せた。
「剪定はこんなものだろうか」
男は満足そうに笑い、優しい手つきで僕を撫でた。そんな僕の体はとても細くて黒ずんでいて、その先には緑のちくちくした葉が生えていた。
そうして僕は自分がなんなのか本能的に把握した。
僕は落葉松という種の樹だった。ごくありふれた種であり、僕はどこかの原木からの接ぎ木だったらしい。男を見て、そいつは人間というものだと疑問を抱くことなく認識していたのも、原木から受け継いだ記憶があったせいだろう。
人間の男は唐松と言った。僕と同じ名前なんて奇妙な縁だと思ったが、この名前のお陰で友人から僕を貰うことになったという話を一方的に明かされてから奇妙が運命的なものに感じられた。
その内唐松は僕のことを「一松」と呼ぶようになった。なんでも「庭にある一本松だから一松」らしい。なんて捻りのない名前なんだ。でも僕は唐松に「一松」と呼ばれることは嫌じゃなかった。
だって、名前は名前だから。固有名詞を授かるのは悪い気はしない。
唐松はよく家にいた。しかし無職なわけではなく、所謂在宅業だったらしい。僕は「一松」という名を持ったただの針葉樹でしかないので、唐松がどのような仕事をしているのか知ったのは僕が唐松の背丈の倍くらい大きくなってからだった。
唐松は歌うたいだった。知ってからそういえば僕の下に座って三味線を弾きながら歌っていることがあったな、と思い当たることがあった。
彼の紡ぐ歌はそれは大層大袈裟な表現を使っていて、僕はただの針葉樹だというのに身体中が痒くなるような気分になった。しかしそれが唐松の個性であり、その個性は世間にそれなりに受け入れられているという事実を知る頃には僕は唐松の歌を気に入るようになっていた。
「なあ一松、そんなに背が高くなったら山の下まで見えるのか」
唐松はよく僕に話しかけた。
唐松の住まいは山の上にあった。元は賑やかな城下町に住んでいたそうだが、肺病にかかった兄のために空気の澄んだここに移住したという。唐松はそんな兄と二人暮らしで結婚はしておらず、子供もいなかった。
唐松の兄は病に臥しているというのに口を開けば調子のよいことばかり話す奴だった。時折そんな調子で僕にちょっかいを出してきては唐松を笑わせた。鮮やかな赤の召し物が似合う兄は唐松と揃って僕を「一松」と呼んでは世話してくれた。
そんな日々に唐松は嘆くことは一切なかった。でも、いつかは山の下におりて、かつての賑やかな生活に戻りたいと思っているのは僕にはわかった。ただの針葉樹に人間の何がわかるのか。なんて言われるかもしれないが、毎日のように唐松によって手入れされたら感覚的にわかることもあるのだ。
僕を貰ったのだって名前が同じだったからだけではなく、「この山の外」から来た僕だったから貰ったのだ。それくらい唐松の山の外へ対しての憧れは強かった。
そんな唐松が山を下りないのは兄の存在だった。妻子のない唐松の拠り所は唯一の兄であったから、彼をひとり残していく考えはないのだろう。そんな唐松にまるで地面に根付く樹木のようだと、密かに親近感を覚えたのは僕の中だけの話だ。
そんな樹木のような、樹木の名前を持つ唐松を他人が見たらもしかしたら憐れむかもしれない。でも、そんな彼の家の庭に根付いたことを僕は不幸とは一切思わなかった。
夏になると僕が作る日影に兄弟が揃って昼寝に来ることが多くなった。そうして他愛ない会話をしたり、唐松が三味線を弾きながら即興で歌を歌った。やっぱり僕は唐松の歌が好きらしくて、彼の歌声を聴くと微かに葉がざわついた。
秋から冬にかけては唐松に世話になりっぱなしだった。赤くなった葉は北風に靡く度に落ちて、それを毎日唐松が掃いてくれた。そうして雪の予感があった日には太い縄でえっちらおっちら僕を雪吊してくれた。
そのお陰で僕は庭全体を見渡せそうなくらい大きくなって、気がつけば唐松に出会ってから十年以上経っていた。樹木の十年はそこまで長い期間ではなく、この調子で唐松が僕の世話をしてくれたらまだまだ伸びるだろう。だが、人間の十年とは僕が意識するよりずっと長かったのだ。
草木が青くなってきた初夏の季節、唐松の兄が倒れたのだ。
唐松は兄と一緒に山を下り、数日後暗い顔をしてひとりで家に戻ってきた。それから唐松は家に戻ってきても、すぐに慌ただしく立ち去る日々を続けた。これまでずっと唐松に世話してもらっていた僕はひどく不満だった。でも唐松は暫くこの生活を続けるに違いない。だって倒れた兄はきっと先は長くない。それに唐松はそんな兄を放っておけないから。
そうはわかっていても、それなら僕を放っておいていい理由にならないと、不満は募らせた。
そんな日々を続けていたある日、唐松は兄を背負って家に帰ってきた。久々に対面する彼の兄は見る限りでも衰えており、羽織っていた赤の着物がかえって痛々しく映るくらいだった。そんな兄を唐松は僕の下に降ろすと家から三味線を出してきた。
それから兄弟は三味線の音色に合わせて歌った。まるで詩を読むような小さな声。そうして兄は僕を見上げて、春のいろだ、と呟いた。
「こいつ、一松、海沿いの町から来たんだっけ。行ってみてえなあ」
「ああ」
「十年で随分大きくなったもんなあ……そこにはもっと大きい落葉松あるんじゃないか、なあ」
そこに彼が行くことはないと、流石の僕もわかってしまったが、唐松は首を縦に振った。近い内に行こう、と笑う。
もう行けない。なんて口にも顔にも出さない唐松に兄は笑う。
これから兄には死が待ち受けるというのに、僕はたまらなく羨ましくなった。
青々した葉が硬くなってくる頃、唐松の兄は亡くなった。すると唐松は黙々と兄の亡骸を火葬してもらうと、お骨を手に山を下りる準備を始めた。
「折角だから、海沿いの町行こうと思うんだ。俺も一松の生まれた地に興味があるしな」
そう言って笑う顔には老いとはまた違うもので刻まれた皺を深くしていて、それでも満面の笑みに相応しいものだった。
名残惜しさはあったものの僕は話すこともできない針葉樹、唐松を見送ることしか出来ずに本格的な夏を迎えた。
夏は好きだった筈なのに、今は害虫がうじゃうじゃいて憂鬱でしかない。そうして、今までの夏は唐松がしっかり手入れしていたのと仲睦まじい兄弟の歌があったから好きだったのだと実感した。
虚しさと害虫からの迫害に耐えていると黄色い小鳥がちちち、と激しく鳴きながら虫を追い払ってくれた。その鳥は十姉妹と名乗り、虫を追い払う代わりに僕の枝の上に住まいを作らせてほしいと交渉してきた。自由の利かない僕に断る理由はなく、すぐに了承すれば、小さな体から想像できないような甲高い声をあげて喜んだ。うるせえと思ったけど、唐松がいないのなら多少過ぎた方が良いと放置しておけば、いつの間にか栗鼠も住み着くようになっていた。まあ、僕に害を与えないなら塒にするくらいはいいけどこんな一本松になんの魅力を感じるのやら。
そんなこともあってか唐松が不在でも、そこそこ良い日常を送っていたある日、唐松の家に不審な輩が入ろうとした。僕は意識する限り葉を揺らし威嚇すれば、十姉妹が不審者に突っ込み、何故か栗鼠までもが突っ込んでは脚の脛に噛み付いて撃退してくれた。
「お礼はおいしい実でいいから」
黒目のつぶらな瞳を瞬かせて一言栗鼠は僕の体を駆け上がる。見た目は可愛らしいがちゃっかりしてやがる。僕がどう努めればおいしい実を実らせられるのかわからないが、これでは約束を果たさなければならないじゃないか。ああ、僕がもう少し動けたなら良かったのに。
別に針葉樹として生まれたこの生を嘆きたいわけじゃない。そもそも僕が落葉松だったからこそ得たものはそれなりにあるのだ。
ただ、それとは別にこうも動けないのは不便だと思ってならない。それなら僕だけであの不審者に立ち向かえたかもしれないし、未だ帰らない唐松を迎えに行けるのに。
気がつけば僕の葉は赤くなり、あのあざとい栗鼠のために松の実を落とした。栗鼠は十姉妹と一緒になって松の実を始めとした木の実を一生懸命貯めており、近付く冬を感じた。
唐松は兄との約束を果たしたのだろうか。僕が来たのは山をふたつ越えた海沿いの町、馬を使っても結構遠い。それに彼も随分歳老いているから、想像するよりも苦悩は多いかもしれない。無二の存在だった兄とはいえ、もうこの世にいない者のために危険を冒すなんて、なんて人間は愚かなのだろう。
ただ、それが愛を持つ人間であるのだから針葉樹の僕がどう思ったって仕方ないのかもしれない。
雪がしんしんと降る季節、頭髪を雪色にさせた唐松が兄を抱えて帰ってきた。彼は最後に見たときより随分と小さくなったように思えた。
「思っていたより体がいうことを利かなくてな、大分時間が掛かってしまった」
唐松は積もる雪を気にすることなく、僕の下に座って道中での出来事を話し始めた。
どうやら行きは三月かけて自身の足で歩き抜いたという。人間の身体能力は理解しようもないが、唐松の老体は町に着いた時点でほぼ限界を迎えていたそうだ。だから彼は僕のことを気にかけたが、その地に身を落とそうとしたらしい。僕はあんたのこと待っていたのに自分勝手な奴だ。言葉が紡げたらそう言ってやりたかった。僕は兄との約束を果たすために出て行ったのを待っていたのに。
いや、しかしそれならどうして唐松はここにいるんだ? という疑問が生まれると同時に唐松の掠れ気味の声が言葉を続けた。こうしてここに戻ってこれたのは町で仲良くなった幼い丁稚のお陰なのだと話してくれた。丁稚とは知らない言葉だったが、そいつが主人に交渉してここの近場を通る荷車に乗せてもらったそうだ。
「彼には礼の言い様がないほど色々と良くしてもらってしまった」
ああ、僕がやりたかったことを人間の餓鬼がやってしまったのか。笑う唐松はきっとその丁稚を思い出しているのだろうと思うと面白くなくて僕は枝に積もる雪を彼の頭に落としてやる。
「ぶわっ!? なんだ一松……ああ、お前の故郷の話をしてなかったから不満なのか?」
鋭いのか鈍いのか僕の不満を汲み取ったのにその理由はわからないのか。ああでもこいつはそういう奴だ。爪が甘くて考えが甘くて人に甘くて、僕にも甘くて。唐松は話が途中だったというのに町で見た松の並木の話をしてくれた。海風で仄かに赤い松は僕よりずっと逞しくて、海の青も相まって浮世絵のような光景だったと目を輝かせた。
その後も唐松はぽつぽつと、途切れることなく話を続けていった。僕の記憶に彼の言葉が蓄積する度に、唐松の体に雪が積もり。僕はできる限り枝を伸ばしては彼の頭に雪を落としてしまったことを後悔した。
ねえ唐松、冷たいよ。話は明日でもいいから早く家に入りなよ。家は僕と、僕の体に住まう小さいのがちゃんと守っていたから大丈夫なんだから。
どうしたものか針葉樹というものは不便でならない。唐松を急かすことも、無理やり家に押し込むこともできない。
そんな僕の思いに気づくことはないのか唐松は僕にもたれてこちらを見上げている。その姿はやはりどう見ても老け込んでしまっているのに、輝き続ける目は出会った時と変わってなかった。
静かになった唐松の体は雪と同じ体温になっていた。それがどういうことなのか長く山を眺め続けた僕はよく知っていて、彼は彼の兄と同じになったのだとわかった。
予感が全くなかったわけではなかった。でも僕にとってその事実はとても大きくて冷え上がるようだった。
その冷えは感覚的なものではなかったのか、これまで静かにしていた十姉妹と栗鼠が出てきて僕の体を駆け回った。それはとても囂しかったが、僕はそれに枝を震わせることはなかった。
やがて大人しく塒に戻ったので、僕は気の遠くなるようなゆっくりした動きで唐松を覆い始めた。今は雪深いからいいけど、春になれば人がくるかもしれないから。もう誰も尋ね人なんていないのだけど、人が来たらきっと唐松をここから連れ出してしまう。それはいけない。僕はずっと待っていたのだし、ここには彼の兄だっているのだ。
覆う彼の体はかつての僕のように細かった。成長すると太くなるはずなのに人間は違うらしい。根を絡めると折れそうな体を抱きしめるよう、地へと沈めてゆく。細い体は唐松だったけど、もう唐松ではないのだと思うと僕の行動は意味があるのかわからなくなったが、それでも僕はそれをやめることはなかった。
主人の遣いで訪れた町の奥に聳える山を見上げてはちょろ松は思わず息をついた。
「もしじかんがあるなら、あの山にある大落葉松見に行けばいいよ! あそこの松すっごいんだから!」
そう勧めたのは遣いで行った先にいた拾四松という少年であった。話をよく聞けばその大落葉松は拾四松の祖父が小さかった頃からあった樹であり、今ではこの町の密かな名物になっているという。
「すっごいってね!あの、ただおっきいだけじゃないんだから。あの、根っこがざざーっとなってて枝がすごい横に伸びてて、それでね、ええと、」
十に満たない彼の言葉はとても抽象的で、ちょろ松には大落葉松の魅力がわからなかったが、それでもあんまり拾四松が必死で勧めてくるので足を向けることにした。
「これは確かに……」
初老を迎えていたちょろ松には山道は少々きつく、目的地に着いた頃には息が切れていた。
だが、その疲労は目の前に広がる光景に意識から消えてしまった。そしてあの抽象的な説明が実はとても的確なものであったと認識した。
荒れた地に負けじと根は力強く伸びて岩のように盛り上がっており、その岩に続く幹は壁のような威圧感をちょろ松に与えた。そしてその先にはまるで雲のように広がる枝があり、昼間だというのに辺りを仄暗くさせた。その様はとても異質で、「密かな」名物と言われる理由を感じた。
「やっと来たんだ」
威圧感に呆然としていれば、ちょろ松の傍に見知らぬ男が立っていた。普通なら突然の登場に驚いただろうが、この大落葉松を前にしたせいかちょろ松は動揺を忘れていた。
男は松煙染の着物をきっちりと着込んでいるのにひどく猫背でちょろ松よりも小さく見えた。年の頃は同じくらいか、ぼさぼさの髪には白髪が混ざっている。
「やっとって? 僕はここに来たの初めてなんですが」
「まあ、初めましてだね。でも僕はあんたを待ってたんだ、丁稚さん」
「丁稚? 僕は番頭だし、ちょろ松という名前があるんだけど」
「へえ、ちょろまつねえ」
丁稚なんて何十年前の話だ。それともわざとか? ちょろ松は内心気にしたが、間違えたことに悪びれた様子のない男にちょろ松は代わりの言葉を口にする。
「そんなあなたの名前は?」
「一松。一本松の一松」
ひひ、と笑う一松と名乗った男は大落葉松を指差した。
「……え? 初対面で冗談過ぎてんだけど」
流石にちょろ松に動揺が生まれ、意識せず口調が崩れる。
「針葉樹に冗談を言う引き出しがあるとでも?」
「僕は樹と話した経験はないし、君はどう見ても人間じゃないか」
「ああこれね。松の僕は話せないから、僕の下にいる人の姿を借りただけ」
「ひと? 地面の下にいるってことは……っ!?」
あの盛り上がった大きな根の下なら人ひとりいたっておかしくない。一松という男が大落葉松であることは信じられないが、人が埋まっているのだけはあり得そうでちょろ松は後ずさる。
「まあ信じなくたっていいんだけど。本題は別にあるし」
「本題?」
「やっと来たって言ったし、待ってたとも言った」
一松は懐を漁ると一枚の紙をちょろ松に差し出した。それは知識として知っている代物だったが、番頭として手にすることはないものだった。
「これ、ここの土地の権利書? なんだって初対面の僕になんて、」
「あんたには唐松が世話になったから。その礼」
「からまつ……?」
「小さい頃……僕と顔が同じの、じいさんに会わなかったか?」
「小さい頃って、」
ふと一松が「丁稚さん」と呼んでいたことを思い出して、そういえばそのように呼ばれていた時期はまだまだ小さかった。それこそ、ここを勧めた拾四松くらいの歳で、その時に会ったじいさん……駄目だ、あの頃のことなんてみっちり教え込まれた仕事しか覚えてない。
「ごめん、記憶にない……それに子供がやったことの対価に権利書なんて大袈裟な。冗談は終わってなかったんですか」
「そういうことなら受け取るだけでいいから。お願い」
僕にはもうこれくらいしかできないから、どうか。くしゃくしゃの頭が下げられてしまいちょろ松はいよいよ居心地が悪くなる。ついさっきまで冗談紛いのことを言われていたのは自分だというのに、これではこちらがとても悪いことをしてしまったような気がする。
「次はいつくるかわかんないし、人間みたいに動けるわけじゃない僕に次なんてないに等しいから」
「権利書もだけど大袈裟じゃないですか」
「僕にとっては大袈裟にしないといけないことなもんでね。それより、この「権利書」ってそんなにすごいもんなの?」
栗鼠に勧められて頑張って家から出したんだけど。顔を上げてそう呟いた一松はどこか呆けたような顔で、ちょろ松はもう深く考えることはやめようと大きく息を吐いた。
権利書を貰った別れ際、やはりこんなものを自分が受け取って良いものか悩んだちょろ松は一松に最後の確認をした。
「この紙にどれくらいの価値があるか知らないけど、あんたは信用できる人だから渡して大丈夫だと思ってる」
「その自信はどこから来てるんですか」
「唐松が信用した奴だから」
「はあ」
その唐松とは結局のところちょろ松は思い出せないのだが、一松にとって重きを置く人物だというのはよくわかった。そんな人物を、幼いとはいえ自分は何故忘れてしまったのだろうと思いながら、今度こそ山を下りようと踵を返す。
下って行くちょろ松に一松は何も見送りの言葉は述べず、じっと眺めるだけだった。最後まで胡散臭さが拭えない奴だったな。なんて、ちらりと見た一松は人間ではないような真っ白い肌に日光を照らして淡く輝いていて、その姿にやっと彼が大落葉松なのだとちょろ松は理解できたような気がした。
何年も変わらない大落葉松の下、拾四松は我が子ふたりを連れて訪れていた。
この大落葉松は樹齢はやっと百年に差し掛かるくらいだというのに、もう数百年前からいるかのよう巨大な松のため町の皆は気味悪がっているが拾四松とその子供たちは好きだった。どこが好きなのか、と聞かれたら、すぐに挙げられないのだが、どことなく居心地が良いから好きだとでもいおう。
兄の緒祚(おそ)松が大落葉松の下に駆け寄ると、そこにどっかり座るのは恒例だった。どうやら彼のお気に入りらしい。そこで緒祚松が何かするのかといえば、特に何かしてるでもなく、寝転がったり、即興の歌を歌くらいだった。
一方弟の百々松は大落葉松の周りを駆けては、季節が季節なら松ぼっくりを拾うのが好きだった。百々松といえば小学校に入学して妙にませたような気がしたが、そんな姿に過去の自身を思い出して拾四松は笑う。
「あ。一松のじーちゃん!」
緒祚松の声に振り向けば、そこには松煙染の着物と紫の羽織を纏った老人がいた。細い樹の枝のような手が振られ、拾四松の顔が更に明るくなる。
「おひさっすあにさん!」
「久しぶり。あにさんって僕、拾四松んとこの親より多分上なんだけど」
「親しみを込めてあにさん呼ばせてもらいやすおすおっす!」
拾四松は変わり者だとよく言われたものだったが、この一松という老人もとても浮世離れした人物だと緒祚松と百々松は思っている。しかしそれは言うだけ無駄なのは知っているし、実害は今のところないから気にしない。
「それに一松じーちゃん、ぼくに松の実いっぱいくれるもん」
「木の実もらって喜ぶとかりすじゃないんだから」
「でもおそまつにーさん、実はぼくばっかりもらってるのうらやましいんでしょ?」
「え、緒祚松も松の実集めてんの」
「いや、おれがきじゃねーし! そんなの実いらないから!」
「じゃあ拾四松とーさんがいただきマッスル!」
「ええ?!」
そんな三人のやり取りを眺めながら一松は目尻の皺を深くする。
それはまるで愛しいものを見つめるそれのようだと、この針葉樹は気付かない。そして限りなく人間のようなそれだともきっと思ってないだろう。
「そんな松の実貰って嬉しいの?」
「松の実っていうか、人から自分にってもらえるのうれしいかなあ」
「俺は松の実嬉しいよ!」
「まあ、くれるっていうなら悪く思わないんじゃない?」
照れたように鼻の下を掻く緒祚松の様子にいつか見た赤い羽織を思い出し、その隣に座る青い召し物を纏う男を一松は知っていた。随分とその名前を思い浮かべることはなかったけど、ずっと知っていて、ずっと覚えていた。
別に針葉樹として生まれたこの生を嘆きたいわけじゃないけど、何年経っても不便だと思ってならない。
だって人間よりずっと長く生きてるせいか、余計なことばかり覚えてしまうのだ。そうしてそんな思い出を蓄積してしまってる僕は感化されてしまっている。
それこそが、人間らしいと一松は気付かない。
頭と瞼が重い。だるい体を起こせばそこはいつもの布団の上で僕は頭を掻いた。
夢を見ていたような、気がする。僕は結構睡眠時間が長いからよく夢を見る方だけど、なんだか今日の夢は何か違うような気がして記憶を辿る。しかし夢特有の曖昧さがそれを邪魔をしてよく思い出せない。
辺りを見渡すとまだ僕以外の兄弟は眠っており、隣のクソ松も呑気に寝息を立てて寝ていた。
いつもの光景だった。大人になってもニートの僕ら六つ子は毎日並んで就寝する。そんな毎日ある光景。
眠るカラ松を見ていると眠気が誘われたように欠伸が出た。こういう時は二度寝一択、みんな寝ているなら起こす奴もいない。
潜った布団の中は僕の体温だけではない温もりがあって少し熱い。それは毎晩お馴染みのカラ松の体温であり、よく知った体温だった。
でも何故だか今日はその暑さに惹かれて、触れるか触れないかまでカラ松に近付くと僕は目を閉じる。静かな室内には兄弟の寝息ばかりが響く。
それも日常のことで、ここには確かに六つ子としてのみんながいて、そして松野一松がいるのだと実感したのだった。