寝る前の父さんはうるさい。
学者である父さんはなかなか家へ帰ってこない。仕事だし仕方ないとあたしは分かっていたし、帰宅した父さんはいない間の時間を埋めるようにあたしや母さんを気にかけてくれたから、それで納得することにした。欲を言えばもっともっと沢山のことをしてほしかったが、それでもいつもふたりきりの食卓を三人で囲むことを嬉しく思えたので余計なことは言わないことにした。
そして十歳のあたしに一緒に風呂へ入らないかと誘っては、流石に恥ずかしいからやめてくれと断っては無表情ながら落ち込み。でも一緒に寝るくらいならいいよ、と提案してはむずむずと口元を小さく動かして喜んだ。
それがきっかけで父さんが帰宅した時は一緒のベッドで寝るのが決まりとなった。
一緒は嬉しいけど、別に同じベッドで寝なくてもいいのに。どっちが家族サービスしてるんだか、やれやれ。
そうして、最初の「寝る前の父さん」の話である。
うるさいといっても普段からあまり話さない父さんがいきなりベラベラ話し出すわけではない。しかし、普段の様子から考えられないくらい饒舌になるのだ。
「なあ、JOJO」
父さんは決まってそう切り出す。普段、あたしのことは徐倫と名前で呼ぶのに寝る時は何故かJOJOと呼ぶのだ。一度だけ、どうしてなのかと問いかけたが父さんは「なんとなく」とだけしか答えてくれなかった。まあ、学校のクラスメイトもあたしのことをJOJOと呼ぶから、父さんもちょっと変わったことがしたかったのかしら。
寝る前だから話す時間はそんなに長くないし、話の内容も大したことない。仕事で行った先で見つけた珍しい生き物の話とか、食べ物の話とか。父さんには悪いけど結構どうでもいい話だ。
それでも最初はちゃんと相槌を返していた。しかし父さんはそれを強要していないのか、返したところで適当な返事ばかりだった。
父さんは饒舌に、そして一方的に喋る。でも嫌なわけじゃあなかった。一緒に寝るなんてどうなんだって思ったけど、やっぱり嬉しさが勝ったから。低い声は心地良くて、たまにちゃんと話を聞けばちょっと話も楽しく思えて。つい笑うと父さんも少し笑ってくれたりする。それは嬉しいけど、恥ずかしくなってしまうから、そんな時は布団を被って寝た振りをする。すると父さんの声が途切れて、寝息に変わることもあった。
父さんも疲れてるんだろうな。子供のあたしより先に寝ちゃうなんて。そんな時はあたしが眠くなるまで父さんの寝顔を眺めたりする。
でもあたしと父さんふたりの体温は心地良くて、すぐあたしも寝てしまうのだけど。
寝る前だけ父さんがお喋りになることをあたしはあまり気にしてなかった。多分、家族サービスでがんばって話してるんだと思ったから。
今夜もまた、ひとつのベッドに枕を並べ、父さんが一方的に話し、あたしはそれをぼんやりと聞いて、
「……え?」
「どうだ、JOJO」
「……ええと、」
「どうした、何か変なことでも言っただろうか」
「そういうわけじゃあ、ないけど、」
話をする最中、父さんは一方的に話す。今夜もそうだと思って話を耳に入れる程度だった。眠くても一応聞いていた。確か、最近家の近くにできたカフェの話をしていて、私は学生の時、友人をカフェへ誘いたかったのだが、どうにも上手い誘い文句が思いつかなくて。
「JOJO、もし君が友人を誘うならどうする」
そう、あたしに質問してきた。
いつも一方的に話すだけの父さんが、あたしに聞いてきたのだ。
「あたしに聞いてるの?」
「ああ、駄目だったか」
「駄目じゃあないけど、珍しいって思って」
だって、いっつも父さんばかりが話すだけで、あたしに問いかけることなかったじゃあない。
そう言ってやれば、父さんは心外だとばかりに目を見開いた。この反応も珍しい……というより初めてだ。
「ああ……まあ、癖、なんだ」
「癖?」
「私は学生の時、ある目的のために旅をしていた」
「……それは、父さんのグランパが話していたエジプトの話?」
「ああ」
グランパがまだぼけてなかった時、よく話してくれたエジプトの話。何のためにエジプトまで行ったのか、それは教えてくれなかったけど、その旅で楽しかったことを数多く話してくれた。確か一緒に旅したのは父さんとグランパ、グランパの友達の占い師に、父さんの後輩の日本人に、陽気なフランス人、そして生意気なボストンテリア。そのメンバーは今でも奇妙な組み合わせだと思う。一体どんな経緯で出会って、旅をするようになったのだろう。
「その旅の仲間に、同じ日本人の奴がいてな。彼は私と同室になると一方的に日本語で話した」
それはもう、他愛ない話ばかりなのによく話した。それは特に意味もなさない内容ばかりで、それでも話を聞いていて楽しかった。それは他愛ない話だったからかもしれないし、母国語だったからかもしれない。理由はよく分からなかった。しかし、楽しいことには変わりなく、いつしか私も話すようになった。
「それで、父さんも話すようになったんだ」
「ああ。そうは言っても、食事や風呂を終えて、もう寝る時になってから話すから、十分ほど話している内に二人とも寝てしまうんだがな」
話しながら父さんが笑う。しかしいつもの笑顔とはちょっと違っていて、あたしに向ける笑みではないのがわかった。きっとその日本人に向けたものなのだろう。
グランパはエジプトの旅についてよく話してくれたけど、父さんはほとんど話してくれなかった。それはもしかしたらこの笑みが関わってるんだろうか。
「だから父さん、寝る前だけ喋るんだ」
「だろうな。黙って横になるのは落ち着かない」
父さんにもそんなことがあるんだ。てっきりあたしと一緒だから気にかけてるのかと思った。
「じゃあさ、旅が終わってからどうしたの? まさかホリィママとこうやってお話したの?」
ホリィママはとってもお喋りだから苦手だなんて父さんが言っていた記憶があるけど、サダオパパは滅多に家にいなかったというから相手はホリィママしか……ああいや、さっきの日本人って父さんの後輩だっていうから、その人とかな。
「いや、星に向かって話してた」
「ええ? ホリィママとお話したくないからってお星様と話してたわけぇ?」
「いいもんだぞ」
星、ねえ。星は空が晴れている限り毎晩会えるから絶好の相手かもしれないけど、あたしなら星となんて話しようなんて考えもしない。
「しかし、今はJOJO、お前がいるから」
あたしがいるから。話する人なんて、ホリィママやあたしの母さんだっているのにあたしなんだ。それはつまり、話し相手は誰でもいいわけじゃあないってこと。どうしてあたしならいいと思ったのか。それはよくわからないけど、父さんはあたしには話すという。
それはかつて、父さんを話相手として選んだ仲間と同じような理由なのだろうか。もしかしたら、些細な理由なのかもしれない。あたしも、父さんと同じように、あんまりお喋りじゃあないから。
それでも。
父さんはこれからもきっとあたしに話をする。他愛ない話を、意味を成さない話を。
それならこれからもどんどん話してほしい。その、父さんと話した日本人のように。どんどん話せば、きっとあたしも自然と話したくなる。
何を知りたいでも、何を聞いてほしいでもない。話を聞いて、話をして、たまに笑えればいいはず。