時折忘れてしまいそうになるが、六つ子と昔馴染みのデカパン博士は大層優秀な人物だったりする。過去には発明により流行りを作り、時の人となったこともしばしば。そしてそれは過去に限った話ではない。
その事実を踏まえて、只今赤塚はデカパン博士が発明した、その名も『おかしなきもち』という薬が流行っている。
まず『おかしなきもち』という薬はそのような『変な気持ち』にさせてしまういかがわしい薬ではないことを説明しよう。これは名前が平仮名だからこそ勘繰られてしまいがちだが、漢字にすると『お菓子な気持ち』という薬である。その薬を服用すると抱いた好意がお菓子として具現化するという。見た目によらず非常にファンタジーな……いや、変わり種と捉えれば非常に彼らしい発明であった。
薬の効果は約二週間。副作用はなく、好きの気持ちがお菓子になるだなんてロマンチックで素敵とすぐに人気が出た。欠点といえば、服用すると体に耐性ができてしまい、効果は初回服用時しか得られないこと。しかしそれがかえって効果の特別感を高め、人気に拍車をかけた。そんな世間を騒がせる薬に当然ながら六子も惹かれ、興味本意で服用して四日が経った。意外にも、この薬の効力を活用しているのは六子の四男、一松であった。
人への好意を口にできない代わりに、思いを形にしたお菓子を渡す。そんな、人付き合いの苦手な彼らしい活用法だった。
最初は両親へ感謝の気持ちを込めて、ドーナツを作り上げ。次にトト子へ幼き頃からの憧れと愛情を込めた魚型のサブレを作り上げて、よく一緒に散歩したりと付き合いの良い十四松には、ボールのような大きな丸いチョコを作っては、ふとしたおそ松の兄貴面に真っ赤な柘榴ゼリーを溢した。
そんな風にして、今日もまた一松は皆にお菓子を作り上げる。
「言葉に出さないだけで、結構感受性高いのな」
チョロ松の優しさにマスカットの飴玉を溢した僕に、どこか呆れたようにおそ松はそう言った。
「何個も何個もよくもまぁ出せるもんだ。俺なんて一日二個以上お菓子作れたらいいもんよ?」
「薬との相性が良かっただけでしょ」
「それにしたってすげーじゃん? 他のやつらだってそんな出さねえよ。疲れない?」
「別にお菓子を作り出すのは薬の効果であって、僕はなんの労力も使ってない」
「そりゃあそうだけど……あのイタくて臭い台詞言っちゃうようなカラ松だって滅多に出さないからな?」
「いや、クソ松は薬と相性悪かっただけじゃないの」
僕が六つ子の中で一番多くお菓子を生成しているなら、反してカラ松は滅多にお菓子を出さなかった。それはもう一日一個あれば良いくらいで、実物を見た者も少ない。
カラ松兄さんのお菓子はすごいよ。艶々に照った白桃のタルトで、味もそこらの店よりもずっと美味しかったんだから。と僕に教えてくれたのは末っ子のトド松だった。
『しかも満足感があるのに全然くどくないの。あんまり美味しくてさ、こんなの食べられるなんて僕って特別なんだって思っちゃうくらいだから』
特別ねえ、頭の片隅でそう思うだけだった。兄弟という間柄だが、これまで僕はカラ松の作り出すお菓子を貰ったことがなかった。そのため、薬の効果がある内にもらうことはないと、最早他人事だったりする。
「一松兄さんも食べるといいよ。美味しいもの食べるってこんな幸せな気持ちになるんだって実感するから」
「別にいいよ。最近じゃお菓子のお返しにって色々貰うし」
「まあ、一松兄さんはそうだろうねー」
そうだ。昨日手土産にでもしていいよってくれた桃のグミ、好評だったからお返しあげるね。
そういえば友達に会うトド松にもて余していたお菓子をあげたんだっけ。それが言い分だったが、実のところそれは二日前に猫用煮干を立て替えてくれたお礼のために作り出したグミだったりする。
お菓子を作り出すのは他人への好意。その殆どは無意識に作り出されるが、条件が揃えば意識してお菓子を作り出すことが可能だ。トド松の時はこれまでのトド松の良いところを思い出し、あれ、僕の弟ちょっとかわいいかもな。なんて思ってしまえば、僕の手中にピンクの可愛らしいグミがあったものだ。意識しないと作れなかったのは内緒だけど、喜んでもらえたなら結果オーライである。
そんなグミが似合うトド松が僕に渡したのは猫の顔の形をしたストロベリーチョコで、研磨したように艶やかに輝いていた。
カラ松について。薬との相性だけではなく、意識してお菓子を作ろうとしないのをなんとなく気付いていた。
第一に普段から好意的な物言いが多い割に、お菓子を貰ったことがある者があまりに少ないのが証拠である。それこそ、意識すればお菓子を作り出すことができるのを実証しているから、彼がお菓子を作り出したいなら作れる筈なのだ。それをしないということはお菓子をあげるつもりはない、ということ。
いつだったか。自宅で、夕食後だったかもしれない。たまたまカラ松が母にお菓子を渡すシーンを目撃した。
とても大切なものをあげるよう、照れ臭そうにはにかみながらカラ松は母に小さなショートケーキを渡していたので印象に残っている。現状に甘んじてクズニートを続けているが、クズなりに親への愛情はあるのだろう。どんな言葉を交わしていたかまでは分からずとも、感謝の気持ちを伝えているのだと端から見てもわかった。カラ松は自分の気持ちをとても大事にしている、と思う。だからお菓子をあげるのは限られた時と人間だけなのだろう。そして、ケーキといった凝ったものを作り出すのは暗に好意を安売りするつもりはないという、意識の現れ、だとも思っている。
それはまるで僕とは対照的で、それを秘かに好ましく思っていた。
それだけで、薬の効果が切れる日が来れば良かったのに。唐突なことは予想しないことばかり。
「おはよう一松、朝食なら冷蔵庫にあるぞ」
そんなことを言いながらクソ松が横切ると、ぽとり。と何かが床に落ちた。その落ちたものはとても小さなものだったが、僕の視線をひどく惹き付ける。
「……ねえ、」
「ンン~? マミーのブレックファーストが見つけられないか?」
「これ、あんた落としたんじゃないの」
床に転がるそれを拾い上げて見せたのは砂粒のように小さな金平糖だった。
金平糖なんて、どこでも買えるとは言わずともメジャーなお菓子。僕も何度も食べたことのあるものだが、拾い上げたのは今まで見たことのないものだった。
それは星のように煌めき、それでいてアイオライトのように菓子らしからぬ鮮やかな青紫色をしていた。星や宝石と 見間違えるようなお菓子らしからぬお菓子。人の手で作るのは難しそうだが、デカパン博士の薬に掛かれば容易く作り出せるだろう。そうなると金平糖を作り出したのは、きっとすぐそこにいるクソ松だ。
金平糖を見せられた彼は何故か気まずそうに小さく唸ると「申し訳ない」と一言、それを受け取って口に放り込んだ。小さなそれは咀嚼されることなく飲み込まれ、気まずそうな振る舞いをそのままクソ松は去って行く。それはあっという間の出来事で、僕は黙って見送ってしまった。
「……」
無言で見下ろした僕の手にはもう何もない。しかし先程見てしまった金平糖は既に記憶に焼き付いてしまった。見て触れたのは一分にも満たないのに、それほどにあの金平糖は魅力的だったのだ。
どうしたらあんな綺麗なものを作り出せるんだろう? どうしたら……いや、誰への好意があんな綺麗なものを作り出したんだ? あれだけ綺麗な金平糖を作り出す好意を抱く相手は相当な人物に違いない。
何故かもやもやしたものが胸に立ち込め、その事実に少し驚く。どちらかというと少しのことでも惚れっぽい気質の僕ら。それはあのクソ松も例外ではなく、片想いに留まりながらも誰かを好きになることは珍しいことではない。
そうは思っても、あんな素敵なものを作り出すほど想う人物がいるという事実に、僕は動揺している。
ずっと近くで見てきたのに全く気付かなかったなんて、僕はあいつの何を見てきたのだろう? そんな疑問を抱く僕の胸のもやもやは広がるばかりで、足元に何かが落ちたのに気付かないほどに余裕がなかった。
それから数日は特にこれといって変わりない毎日だった。ニートよろしくゆっくり一日が始まり、気ままに昼を過ごして、夜は布団でうとうととして終わる。もやもやとした謎の歯がゆさは残るものの、それ以外は何もなかった。
なかったのだが、こういう時に予想しないことを仕掛けてくるのがクソ松だ。
「なにそれ」
傍を横切ったクソ松の手にビンが握られている。それは両の手にギリギリ収まるほどの大きさで、中にはあの星のような金平糖がからから鳴りながら転がっている。
「それ。」と言われてすぐに何のことかわかったのか、彼はビンを緩く撫でながら何故か照れ臭そうに笑う。
「薬の効果がうまくコントロールできなくてな。何度も出てくるからビンに詰めることにしたんだ」
「コントロール、できない?」
それって、やっぱりこれまで意識して作らないようにしていたということで…でもそれができない、ということは?
少しは収まったかと思ったもやもやしたものが膨らんだ気がした。
「ああ。どうすることもできないが、自分で食べるのも追いつかなくて、捨てるより良いかと思って」
そう話している内にもぱらぱらとクソ松から金平糖が落ちてきて、どちらともなく声を上げる。本当にコントロールできないのか。まるで僕みたいじゃないか。
拾い上げた金平糖は記憶する通りにお菓子らしからぬ煌きがあったが、仄かに甘い香りがしてこれがお菓子であると主張してくる。これは一体どんな味がするのだろう?色や香りからは想像できないけど……金平糖だからただの砂糖の味かもしれない。それでもこんな綺麗なものが食べられるってだけで特別な気分になれそう。
「すまない」
金平糖に見入っている僕の手からクソ松はそれを取り上げて、さっとビンに詰めてしまう。まるで僕には触らせまいとするような素早い行動にもやもやがドス黒いものに変わる気配がした。
その後、クソ松とどんなやり取りをしたか覚えていない。特に何もなかったのだから変なことは言ってないだろう、それくらいしかわからないけどそれならそれでいい。気まずくなるのは面倒臭い。
「うんこ我慢してんなら早くトイレ行けよ一松」
そう結論付けた僕に突然そんなふざけたことを言ったのは、いつの間にか傍に座っていたおそ松だった。いつの間にっていうか僕が気付かなかっただけか…それだけ心ここにあらずだった? それは言い過ぎか。そうであってほしい。
「あんたがうんこ行けよ」
「んまぁ~? 俺は今んとこトイレとお友達ならなくて大丈夫なんだけどお前、すげー顔してる自覚ある?」
「すげー顔?」
「心底我慢ならねえって顔?」
おそ松は笑っているが、それは冗談を言う時に見せるものではないのは長年兄弟をやっていればわかる。つまり僕はこいつが口出しするくらい険しい顔をしているのか。
「なに? カラ松となんかあった?」
「………なんであいつの名前出すの」
何もなかったが、限りなく原因はクソ松であるのを何故この長男はわかるのか。勘が鋭いにしても気味が悪い。
「いやあ、さっきカラ松と話してたんだけどあいつもなんかおかしくてさ。おどおどしながら手一杯に金平糖抱えてたのよ」
金平糖とは、あれか。砂粒のようなあれを手一杯ということは相当の量であるが、まだ出していたのか。
「あの金平糖……何考えたらあんな綺麗なもん作れるんだろ」
それは初めてあの星のような金平糖を見た時に思ったこと。
作り出されるお菓子は好意を向けた相手をイメージしたものである。それは数多くお菓子を作り出した僕は知っている。野球の好きな十四松に野球ボールのようなチョコを出したのだって、アイドルを志しながらも魚屋である実家を愛すトト子ちゃんを思って作った魚型のサブレだって、その相手だからこそのお菓子であった。
あれは誰にどのような好意を寄せて作り出したのか。しかも意識せずあんなに綺麗なものを……。
「あれ、食べ物の色って感じじゃねーし俺は普段カラ松が出すケーキの方が美味そうでいいけどなあ」
食べるのなら多分ケーキの方が美味しいだろうし、お菓子らしからぬ色合いなのもわかる。でも僕はあの金平糖が気になるのだ。
「……」
ふと、手の中にぐにゃりと柔らかい感触がした。それはデカパン博士の薬を飲んでからよく体験する、お菓子が作り出される瞬間。今では慣れてしまった現象に僕は反射的に自分の手の中を見て、慣れた筈なのに驚きに息を呑んだ。
「なに、これ」
手の中に青みを帯びた硝子片がある。それは砕いたように歪で、でも僕が作り出せるのはお菓子だけの筈だ。
「なんだこれ、飴?」
僕の手を覗き込んできたおそ松の視線に促されるように、指先で硝子片に触れると硝子や飴にしては柔らかく弾力があって奇妙な感触がした。硝子片でも飴でもない?
なんだか気味が悪くなって僕はそれが何なのか詳しく確認することなくゴミ箱へ捨ててしまった。
「あ」
数日経ってもクソ松は金平糖をコントロールできないのか、唐突に声を上げた彼の方を見れば金平糖をビンに詰めるところであった。そのビンも何個目なんだ? 少なくとも既に六個は金平糖で一杯にしてるよな。
「ちょっと油断するとすぐにこれだ」
きらきらと光を湛えた金平糖を見てため息を落とす。相変わらず星のようなそれはビンの中で燦然と輝いていた。
そんな溜め込むくらいなら僕にくれたらいいのに。
喉まで出かかった言葉をぐっと飲み込む。自分はどうしてしまったのか。あれは誰かを想って作り出したものだというのになんだって僕が欲しがるのだろう。
「それさ、相手にあげないの?」
これだけ多く作り出しているのだ。無意識に作っているのも多いとはいえ、誰に向けての好意の塊なのかはわかっているだろう。それなのになにをもったいぶって渡さないのだろう。
「好みはあるかもしんないけど、貰って悪い気はしないでしょ」
「これはあげるつもりはないんだ」
「女子とかそういう綺麗なもん好きでしょ」
僕でさえ星や宝石みたいで綺麗だと気になっているのだ。女子なら尚更気になるに違いないだろう。
「相手はレディじゃないんだ」
レディってなに格好つけてんの、と思って、聞き流せない何かが引っ掛かって動きを止めた。
「それって、」
「男なんだ、相手は」
男相手に、そんな綺麗なものを? 確かに好意というものは様々だから男が相手でもおかしくはない。しかし渡さないとなると、その好意はよくある友情や親愛ではなく?
「やはり気持ちが悪いか?」
僕の考え巡らせたことを察したのかそう一言、不自然な笑みを浮かべる。
「……いや、驚いただけ」
そう言うと、ほっとしたようにため息をついた。
「俺も何かの間違いかと思ったけどな。でも恋愛のそれだと気付いたんだ。まあ、相手は俺のことをそういう対象としてまったく見てないし、気長にこの気持ちが消えるのを待つさ」
そう言うクソ松は相変わらず変な顔で笑っていて、僕は抱えられたビンを叩き割りたい衝動に駆られた。
ベランダに出て窓に凭れて座り込み、腕を組んで考える。
内容はクソ松に関してだ。
恋愛のそれの予感はしていたが、その相手が男だなんて考えもしなかった。野郎とどうこうなんて想像しただけで吐き気がする。選ぶなら可愛い女子がいい。
しかしあいつはそうじゃないらしい。それでも前から同性が好きだったわけではないと思う。AVだって男女のものを持っているし、兄弟と一緒になってレンタル彼女に熱を上げたのは最近の話だ。きっとクソ松にとっても降ってわいた突然の恋なのだろう。
男ねえ……それほど偏見はないが、理解できるかどうかと聞かれたら疑問だ。だって考えたこともなかったんだから。もし男と付き合うとなると綺麗事だけじゃない。世にはプラトニックラブなんてあるが“そういうこと”もやるかもしれない。
例えば僕があいつを抱く? いや、なんだって同じ顔の野郎抱かなきゃなんないの。じゃあ逆にクソ松に抱かれるのは……絶対ない。女みたいにあんあん啼かされる自分とかパワーワード過ぎて想像する前に吐きそう。
やっぱりあり得ない、とまで考えて、自然とクソ松を対象に想像していたことに気付いて愕然とした。
「……男ってあいつ以外にもいんじゃん」
それこそ、うちには兄弟だけでも男四人いるんだし。どうやら思った以上に自分は動揺しているらしい。
そういえば、あり得ないとは思ったが、気持ち悪いとは思わなかった。最初に同性を思い浮かべた時は嫌悪さえ感じたのに。動揺してるし、結構混乱してるみたい。
少し落ち着けば考えもまとまるかな。それこそ何かあればすぐクソ松になる今は何を考えてもまともなことを導いてくれそうにない。それなら今日は早いとこ寝るに限る。なんて思いながら、結局は面倒事を後回ししたかっただけの僕は誰よりも先に布団に入っては。
翌日、後悔することになる。
窓の外は暗く、夜明けにはまだ遠い。狭い部屋の中で兄弟の寝息だけが微かに聞こえる中、僕はひっそりと起きては額を撫でた。そこは暑くもないのにじっとりと汗を掻いていてベタベタしている。
とても卑猥な夢。そんな夢の中の自分はあろうことか隣で眠る兄を組み敷いていた。嫌がる身体を押さえつけ、両脚を割って間にすべり込む。ぐずぐずになってろくに抵抗出来ないのを良いことに、僕より筋肉がついて綺麗な凹凸を浮かべる肢体を堪能した。涙で濡れた顔を舐め、息苦しくなるほどに唇を合わせ、下腹部を相手のそれに擦り付けた。男らしく低いのに誰よりも卑猥な鳴き声が甘く耳を犯し、腰を揺する度に揺れる身体を逃がすまいと引き寄せた。
掠れたクソ松の声が舌足らずに僕の名前を呼んだ瞬間、一気に意識が浮上した。
寝る前の考え事があったとはいえ最悪だ。しかもよりにもよって相手はクソ松で、夢の中で自分は焦がれるように彼を求めていた。堪えよう無く孕んだ情欲をぶつけていた。
「同じ顔がなんだって、」
まだ腹に熱があるような嫌な感覚に恐る恐る布団をめくってみれば、下半身がしっかりと主張していた。誤魔化しようがない。確定だ。
僕はそういう、性愛を含んだ意味でクソ松が好き、らしい。多分にもやもやしたものだって、これのせいだ。あの時はわからなかったが今に思えばそうだったと確信する。
でもクソ松は叶わぬ恋を抱えている。気付いた時にはもう失恋してるなんてクズな僕らしい。
兄弟を起こさないようそっとトイレに立って自身を手早く処理しては便座に座って項垂れる。好きな奴のエロい夢見て興奮とかガキじゃあるまいし…落胆に大きく息を吐いていると視線の先にあったものを目にして息を呑んだ。
見覚えのある、砕けた硝子片のようなもの。
そうか、これはカラ松を想った時に出てくるものなのか。そういえばあの時もクソ松のことを考えていたな。理解すると自然と顔が自嘲的な笑みに歪んだのがわかる。
あいつはあんなに綺麗なものを作り出したのに、僕ときたらこんな変なお菓子にもならないものを作り出すだなんて。
恋を自覚して意識してみると、驚いたことにクソ松が魅力的に見え、今まで彼を見て感じた苛立ちは恋焦がれる気持ちを持て余す故のものだと気付いた。自覚なしに恋してたってことか、どこまで僕は至らないガキだよ。
至らないといえばあの日から、クソ松を想って作り上げるお菓子はいつも薄く青みがかった硝子片のようなものしか出来あがらなかった。出来損ないの不格好な形をしたお菓子が作られる度、もやもやした気持ちが募ってゆく。もしかしたら、飴やグミといった安そうなお菓子ばかりを作ったせいで上手くお菓子ができないのかな。そう思いついて、暫く意識してお菓子を作らないよう専念した。
しかし現状は何も変わりはしない。
「カラ松にーさんちわっす!」
「うぐ……やあやあ十四まぁ~つ? あんまり勢いよくぶつかってきたら危ないぞ?」
居間で繰り広げられているのは仲睦まじい兄弟の触れ合い。肩を組み、ゲラゲラと笑い合う。密着する体。それだけで無性に苛々した。気安くべたべた触られせてんじゃねぇよ。まさかあんたの言う好きな奴って十四松なんてオチじゃないよな。
仲の良い兄弟にひどい嫉妬心を向けているのは承知で、晴れない気分がじわりと胸に集まってくる。そこからまたあの歪な硝子片が出かかっている、そんな予感がしていると床に何かが落ちる音が聞こえて僕はひっそりと項垂れた。
これで何個目だろう。クソ松が誰かを愛する気持ちをビンに詰める陰で、僕は醜い想いが作り出す歪な硝子片をゴミ箱へと捨てるのだ。
作り出してしまったそれを素早く拾い上げてると、僕は二階へ上がった。そして部屋の隅にゴミ箱を見つけると硝子片を投げ捨てた。ぽふ、と間抜けな音を立てゴミ箱の縁に弾かれて床に転がり落ちてしまったが、今更拾い直すのも面倒くさい。小うるさい母さんが帰宅する前にはちゃんと拾うから、と誰ともなしに言い訳をしてソファーへと寝そべって顔を埋めた。
あの硝子片が本物なら溶かして型に流し込んで形を整えることができるのに。でも僕が作り出すのはぶよぶよした硝子ではない歪な塊。
あいつの好意はあんなに鮮やかで綺麗なのに、僕が作り出すものは同じように輝かないのだろう。
「お、」
不意に上がった声に毛が逆立つ。声の主は顔を見なくたってわかる、つい先程まで十四松と一緒にいたクソ松だ。なんだってこのタイミングだよ、今はひとりにさせてくれ。
そう言うつもりはなかったが、場所を移してひとりになろうと顔を上げるとクソ松ときたらあの硝子片を拾い上げていた。
「これ、一松が作ったのか?」
「あ、」
「わあ……綺麗な琥珀糖だな」
本当の硝子片なら怪我をしてしまいそうなほどしきりに触れながら、クソ松は僕が作り出した歪なお菓子を手に感嘆の声をあげる。
「綺麗? それに琥珀糖って……」
「琥珀糖知らないのか?砂糖と寒天で作れるらしいが、どうやったらこんな綺麗なのができるんだ?」
何を言っているんだこいつは。
綺麗というのは、あんたが作る金平糖のようなことを言うんだ。間違ってもこんなゴミ屑のようなものじゃない。それなのに、クソ松は歪な塊を明りに照らして楽しそうに見ている。こいつの目には、一体あれはどんな風に見えているのだろう。
「やっぱり器用なお前が作る菓子だな。こんな綺麗な琥珀糖、誰を想えばできるんだろうな……」
「………あんただけど」
「ん? 何、」
「だから、」
あんたなんだって、クソ松。
からかわれていると思ったのか、「ナンセンスだぜ一松~」と笑い飛ばしていたが、意識する限り鋭く睨み付ければクソ松は笑顔のまま固まってしまった。
「……おれ?俺のこと想って出来たやつなのか?」
そうとしか言ってねーだろ。
そう思うのだがクソ松は未だ信じられないのか目を大きく見開いたまま、ぱしぱしと瞬きする。
俺の……と言葉を反芻し、何度かパーカーのポケットを見つめると、みるみる頬を赤らめた。
「一松! この琥珀糖くれないかっ?」
驚くほど大きな声が狭い室内に響いた。頬の赤さが移ったよう目を爛々と輝かせる彼に唖然とする。なんだっていきなりこんなものをくれ、だなんて……。
「……こんなのがいいの? もっと綺麗なものなら他に、」
「こんなのなんてそんな、これがいい!だってこれ、一松が俺のこと考えて出来たんだろ? なら俺が貰ってもいいんじゃないか? いいだろ?」
何処か必死な様子で強請ってくる。まるで欲しかったものを見つけたよう、その手に硝子片を握り締めながら。
そんなものが欲しがるなんて、本当にこいつはクソ松だ。
「それなら……やってもいいけど、条件がある」
あんな出来損ないのお菓子ばかり無意識に作り、それでも作り出すことをやめられなかったのはクソ松が気になって仕方ないからだ。
「あの、ビン詰めしてる金平糖。あれと交換してくれるんならやってもいい」
彼が誰かを想って出来た、星のような金平糖と引き換えならあげてもいい。暗に「あんたの恋心が欲しい」と、言っているも同然の言葉に、クソ松がきょとんと目を丸くする。悪い予感のする表情はそれでも間抜けに可愛く見える僕は重症かもしれない。
さて、どんな拒否の言葉が返ってくるか、いくつもの可能性を即座に考える。いっそのこと立ち直れないくらい拒絶してくれれば、もうこんな気持ちにもならないだろうと、どこか開き直ったようなところもある。
当たって砕けろの言葉通り、硝子片の想いを粉々に砕いてもらえたら。
茫然と僕の視線を受け止めていたクソ松は一瞬にして頬の赤さを顔中に広げた。今度は僕がぽかんとする側だ。そんな反応が返ってくるのは想定外だ。
その後、あわあわとこちらが引いてしまう程動揺して、顔を手で覆ったり、かと思いきや後ろにのけ反ったりと落ち着きなく動き回っている。
気でも触れてしまう程に僕の条件は嫌だったかよ。拒否されるのは覚悟していた筈なのに、足の底から冷え上がりそうな程の落胆を覚える。僕だってクソ松以外の男なんてごめんだ、あいつも本命以外の男なんて嫌なんだろうか。
「……え?」
落ち着かないクソ松の足元にいきなりざらり、とまるで砂利が流れ落ちるよう大量の金平糖が一気に溢れてくる。それはもう今までビンに詰めた金平糖に匹敵する程たくさんで、放っておけばまだ出てきそうだ。
その大量の金平糖に足を取られたのか、勢いよくクソ松が転ぶ。宙を掻く足に蹴られたのか、金平糖が飛び散る。それはまさに星のようで、僕は無様に転ぶクソ松をそっちのけで見とれてしまう。
「あの……良かったら、好きなだけ」
うっかり聞き逃してしまいそうなほど小さな声。それに反するようにどんどん金平糖が溢れてくる。しかしこれまでのものと違って、紫の度合いが強い青紫色に変わっていた。
ちょっと待って。溢れ出るそれは確かに僕が欲しかったものだが、なんで今出てくるんだ。
「ねえ、」
「………何だ」
「これ、僕が貰っていいの?」
「お前が欲しいと言ったんじゃないか」
「確かにそうだけど、」
「あの……今更要らないなんて、言うなよ……流石にそれは、俺も立ち直れないぞ」
立ち直れないのはこちらの方だ。自分は「そうなってほしい」という願望を見ているだけではないだろうか。
確信が持てない。このままだと僕は都合のいい勘違いをしてしまう。
「……本当にもらっていいの?」
「いいぞ」
「これ、僕に、だったんだ」
「……まあな」
「こんなの作るくらい、僕のこと、すきなんだ」
「改めて言ってくれるな……っ」
顔の赤さはいよいよ首まで回っていて、身体中が真っ赤に染まっているのではないかと思えてくる。
そんな反応されるとまた勘違いする。
勘違いは僕の体を動かして、ソファーから降りると金平糖の山の中心に寝転ぶクソ松を抱き締める。すると彼の手がそろそろと背中に回ってくるものだから、僕は勘違いを募らせる。
「金平糖、欲しかったんじゃ、ないのか?」
「金平糖だけじゃやだ」
僕は金平糖ではなく、あんたが欲しいんだ。
そう耳元で囁けばお互いの足元にざらりと何かが落ちる音がした。