「わ」から始まる句

 青い魅惑の果実により追放の一途を辿った俺は、底知れない闇の上で磔刑を受けた。そして同胞たちから酷い仕打ちを受け……

 いつの間にか俺は病院の一室にいた。

 何故俺は病室にいるのか。考え巡らせても見当がつかず、ゆっくり辺りを見回しているとどこからともなくアラーム音が鳴り始め、ぱたぱたと騒がしくナースが駆け込んできた。そしてナースに続いて医者が現れ、俺は石臼で頭を強打し、生死の境を六年も彷徨っていたのだと説明を受けた。
 やあやあブラザー、容赦しないのは小さい頃から承知だがちょっとやりすぎだぜ?

 意識が戻ってからは大変だった。なにせ六年も寝たきりだったのだから筋力は落ちているし、少し起き上がっただけで体がぐらぐら揺れて節々痛くなった。当然ながら歩くなんてほぼできなくて、暫く移動はベルト付き車椅子が必要だと診断された。
 また六年も経てば社会情勢も変わっていて苦労……は全くしなかったが、身近な話題として購読していた雑誌が休刊になっていたりと、体以外にも変化があった。
 しかしこうして生きているのなら、体も、知らない空白の期間もこれからどうにかなると、大変だと思いながらも気分が沈むようなことはなかった。

「おう、おそ松か」
「近く通ったから寄ったんだけど今リハビリ時間じゃねえよな」
「ああ」
 六年前、俺を放置した兄弟たちだったが、俺が意識を戻した当日に面会にきてくれた。それだけでも嬉しい驚きだったのに、泣きながら頭を下げて謝罪してくれたのだ。記憶するより少しだけ大人びた兄弟が謝る様に、覚束ない口と手を必死で動かして頭を上げさせた。
 勿論、六年前のことはすぐに許した。そんな簡単に許して!なんてトド松が泣いて怒ったが、悔いて謝ってくれたならそれでいい。それに六年も前のことをずっと引き摺って兄弟と不仲になるより、これからの人生を謳歌することに専念した方が断然楽しいだろう?
「あのさ、カラ松……一松のことなんだけど……」
「一松?」
 兄弟たちは六年前のことを謝罪し、それから一月経つ今でもまめに面会に来てくれる。
ただし、それは一松を除いて。だったりする。意識が戻って暫く経ったが、一度たりとも一松がここに訪れることはなかった。
 まあ、一松は俺を嫌っていたしなあ……嫌いな奴には会いたくないだろう。そのことについて全く気にならないと言えば嘘になるし、寂しい気持ちもあった。でも、一松の気持ちを無視してまで会おうとは思わなかった。
 それこそ、会えるならば一松の気が向いたタイミングで構わない。
 俺はそう思っているのだが、おそ松は気まずそうに唇を鳴らした。
「……実は、一松には「カラ松は死んだ」って言っちゃってんだ」
「はあ?」
「これには事情があって……一松さ、カラ松が目覚めないことに誰よりも後悔して悲しんでたのよ。そんで精神的にもかなりきててさ、お前はお前で入院しろって言いたくなるくらいだったわけ」
「なんだって……」
 俺を嫌っていても仲の良い兄弟であり続けてくれた一松。言葉は辛辣であっても性根は優しいのだと思っていたがそれほどとは……悔やみ悲しんだ一松には非常に申し訳ないがかなり嬉しいぞ。
「カラ松が入院して三ヶ月経った頃かな。主治医の先生がカラ松の体の傷は治ったけど、いつ意識が戻るかはわからないって父さんと母さんに説明した。運が良かったら明日戻るかもしれない、でももしかしたら何十年も先かもしんないから長期治療を覚悟するようにって」
「なかなか大変だったんだな、俺も」
「ほんっと大変、でも一松も大変なわけ。近い内に意識も回復する、なんて説明されたら悩むこともなかったんだけど、何年も目覚めなかったら先に一松がくたばると家族全員が思った」
「そんなに一松は大変だったのか」
「そんなによ。だから父さん母さん、弟たちと話し合って「カラ松は死んだ」と一松に嘘を伝えてカラ松を違う病院に移した。カラ松には悪いけど、いっそ死んだとなれば一松も踏ん切りがつくと考えたんだ」
「俺の存在で一松の気を病ませてしまうくらいならば嘘をついてくれた方が有り難い。」
「俺の方こそありがとなあカラ松……言い訳がましくなるけど、俺たちはいつかカラ松が目を覚ますって信じてたからな」
「こうして俺が生きているのはおそ松たちが信じてくれて治療を続けていたからだろう?」
「そう言ってくれると救われるわ……まあ、万歳して喜べない問題もあるんだけど…」
 話している最中は口元に笑みを浮かべるなど、穏やかな様子だったおそ松の顔が微かに青ざめた気がした。
「問題?」
「一松に今のお前について話すべきかどうか、悩んでて……話したいのは山々なんだけど、そうなるとどう伝えようかなって」
「……別に、有りのままに伝えればいいんじゃないか」
 嘘をついたことについて、一松は怒るかもしれない。しかし、おそ松の話を聞く限り、俺の意識が戻らないことを気にしていたらしいのだから伝えた方が良いのではないか?
「いや、そんなことしたらあいつ、いよいよ発狂しそうだし……」
「発狂!? なんだってそんな、」
「「カラ松が死んだ」という嘘を伝えた後、一松はどうなったと思う?」
「どうって、徐々にだがいつもの調子に戻っていったんじゃないのか?」
「それは俺たち家族の願望な。「カラ松が死んだ」と伝えた時、一松はショックを受けてたけど納得していたようだったわけ」
「ようだった」
「死んだと伝えられてから、カラ松のことで悲観することがなくなったから、納得したんだなってみんな勘違いしていた」
「どうして勘違いだと思ったんだ」
「暫くして、一松が就活を始めたんだ」
 一松が就職活動。正直その様を想像ができないがニートとして前向きな行動ではないか。そして何故そんな前向きな行動が勘違い云々へと繋がるのだろう。
「心機一転しようと就活を始めたのか、と思いつつ一松になんでいきなり就活始めたのか、動機を聞いたのよ」
「うん」
「そうしたら「カラ松を養う為に就職するんだ」とか言うじゃん?」
「うん? 俺は死んでるってことになってたんじゃないのか?」
「なってるなってる。あの十四松でさえ口裏合わせてお前を死人に仕立て上げたもの。それがさ、さもカラ松が生きてる風に言うから更に話を聞けば、カラ松は近々家を出なきゃならないけど、まともに生活できないだろうから僕が一緒についていってやるんだって言うじゃん?」
「俺は家を出なければならない事態になってたのか!?」
「いやいや。死んでる設定なんだから家を出るも何もないだろ? それがさ、カラ松が俺は養われるばかりは嫌だと怒られたとか言うじゃん? あれ、なんかカラ松が死んだって嘘つく前よりヤバいよな?って納得したというのは勘違いだって気付いた」
 というと? どういうことなのだろう。
 おそ松が何をヤバいと感じたのかよく分からなかった俺は言葉を探していると、やれやれとばかりにおそ松が溜め息をついた。
「どうやらお前が死んじまったことで、一松がとうとう本格的に病んじゃったみたい。死んでる筈のカラ松との会話をよくするようになった」
「意識がない間、俺が幽体離脱して一松に会っていた線は?」
「昨日の昼間、カラ松と猫の餌やりに行ったんだって一松」
「なんと」
「嘘をついた俺たちが悪いのは承知してる。でも馬鹿正直に「実はカラ松は生きていた」なんてあいつに言ったら何しでかすか……」
「俺がふたりになるな」
「カラ松がふたりになるだけなら六つ子が七つ子になるだけだしいいけど、幻のカラ松を見続けている一松が現状をまともに受け止めてくれるか」
「幻の俺がいては駄目なのか? 何か問題あるのか?」
「ええ[D:12316]? そこ疑問持たれると兄ちゃん持ち合わせる返事がないわあ」

 おそ松とそんなやり取りをしたのは数週間前のことで、主治医から外出の許可を得た俺はあるアパートの前にいた。
 なんと一松はこの六年の間に定職についたばかりか家を出て一人暮らしをしていたのだ。チョロ松の話では、一松曰く無職の俺と二人暮らしらしいのだが本当に養ってくれているとは嬉しい限りだ。
 頼もしく成長した弟に感動しながら「松野」の表札がある一室のインターフォンを押した。
「……はい」
 小さくだが、懐かしい声が扉越しに応える。そうして開かれた扉の向こうから現れたのは、見慣れない作業着姿の一松だった。
「ようリトルブラザー一松。久しぶりだな」
 死んでいる。と言われた俺がいきなり現れて驚くだろうが自然体でいかせてもらう。
「……」
「職に就いたばかりか実家を出て暮らしているとはすごいじゃないか」
「……」
 目を丸くして固まっている。やはり驚いてしまうよな。驚きはなかなか治まらないと思うが、今から事情を説明するから聞いておくれ。
「六年振りとなると積もる話もあるだろうが、実はな……」
「…、あ、……からまつ…?からまつなの?」
 見開かれた目からぽろりと水滴が落ちる。そして一気に目尻に涙が溢れ出した。
「ああ。誰だと思う? カラ松さあ[D:12316]」
「……あうっ、っ、からま、……い、いきてた、の……」
「ばっちりな。その話なんだが、実は……」
「ぼく、ずっとからまつ、あ、ぐず……あいたかった、ああああ」
「俺も一松に会いたかった。同じ気持ちで嬉しいぞ。それで、実は「でもからまつ……、いまだいどころ、いた……?」
「お、幻の俺か! 二人暮らし、うまくやっていけてるか?」
「うまく……?」
「俺は養われてる身で我儘は言ってないか? 家事はちゃんとやってくれてるか?」
「……我儘は別に……家事だって毎日、夕飯作って僕の帰りを待ってて…いや、僕が作って……?」
 アポなしは流石に良くなかったか。死んだと思っていた兄が突然現れたら尚更か……しかし一松は幻の俺との日々を兄弟に語っていたというし、俺は生きていると思っていたのではないのか?
 ……生きる幻の俺と生活しながらも、俺は死んだのだと認識していた?
 まさか。と思ったが、目の前の一松は俺の生還に驚き、そして涙している。俺が死んでしまったと、そう思っていた者らしい反応。
「ずっと、からまつ、あいたかった、のに……ぼく、ずっといっしょにくらしてた、はずじゃ、」
「そいつはな一松、俺がちゃんと回復するまで場繋ぎしてくれたナイスガイさ」
「からまつじゃ、なかった?」
「いいや、そいつはカラ松さ。なにせ俺はナイスガイだからな」
「からま、カラ松だったんだ、良かった……」

 幻の俺は一体どういうことなのかよくわからない。しかしながら俺を養おうと奮闘する弟を悲しませるようなことは、俺は絶対にしない。つまりはそういうことである。

「カラ松、ずっと僕と一緒にいてくれる?」
「ああ勿論さ!」

 さて。
 六年もの間、寝たきりだったカラ松。若いとはいえ1ヶ月そこらのリハビリで、一人で外出するのはまだ困難だ。そして病みまっしぐらな一松のもとへカラ松ひとりで行かせる程、兄弟は薄情ではなかった。
 つまりは感動の再会を果たしたふたりの傍にはカラ松の付き添いであるおそ松、チョロ松、十四松、トド松がいたのだが、四人は「割れ鍋に綴じ蓋」という諺を思い出しながら空を見上げるばかりだった。