ラブホに入った理由を挙げるならば「早いところ休みたかった」それくらいしかなかったように思う。
家からひと駅離れた料理店。チョロ松がライブ仲間に紹介してもらったその店はコストパフォーマンスと酒がうまいと評判の店で、ひと駅先なら歩けるよねと六人のニートは交通費をけちった。歩いて20分、近くはないけど歩ける距離に文句を口にすれど歩ききっては料理店で「長距離お疲れ様」と杯を交わした。
仕事なんてない俺を含めた六人が次の日の心配なんてするはずもなく、珍しい焼酎を空けて、飛来しそうな地酒を飲んで。それなりの量を飲んでしまえば兄弟の中でもアルコールに弱い俺と一松は酔ってしまい、盛り上がり止まない中を先にふたり帰宅しようとした。そんなことは珍しくないので兄弟は気を付けるんだぞ、と一言返す程度で、適当な金を幹事役のチョロ松に渡してふらふらしながら店を出た。
その内歩くのが怠くなってきて一松とふたりしてぐだぐだタクシーを探せど見つからず、代わりのように見つけた派手なネオンを指差した。そのネオン……ラブホを見た一松は目を見開いては俺を見つめてばちばちと瞬きした。なんだその顔、ラブホに戸惑っているのかかわいい奴め。
部屋の写真が一面に並ぶ出入口、外観に見合う派手な部屋の多さに値段が気になった。しかし、ショート(5時間)3,000円の表示に安堵する。この値段ならなんとかなる範囲である。
「ひとりで出すには高いから割勘にしてくれないか」
「……マジで言ってんの?」
「ひとり1,500円、駄目だろうか」
「だめじゃないけど、」
それならいいだろう。なんだか乗り気ではない一松の腕を引こうとすれば、俺の横を通ってさっさとラブホに入ってしまった。乗り気ではないように見えたのは眠いせいなのか。わかるぞ、俺もいい感じで眠い。
「そんで……部屋はどれがいい?」
「特別高くならないのであればなんでもいいぞ。少し寝るだけだ」
「そりゃ、うん、……思ってたよりムード気にしねえのかこいつ……」
ムードとは。
ムードはとても大事だぞ。例えばデートでムードが悪ければ白けるし、逆に最高のムードを演出すれば好感度アップ間違いなしだろう。
ムードについて考える俺の手に何かが触れて意識がそちらへ向かう。手元へ視線を落とせば一松の手が俺の手を緩く握るところであった。どうした、早く休みたいのか。猫背で俺より少し下にある彼に目線を合わせると、握ってきた手が小さく震えた。
「……初夜なのに」
そんなことを呟いた一松が選んだのは他より随分シンプルな内装の部屋だった。あまりにシンプルで、どうして一松が…いや待て。今一松は初夜と言ったか?初夜とは初夜か?それとも庶野?
今の俺はとても眠くて早いところ寛ぎたくて。しかし家は遠いしタクシーも拾えず見つけたのはラブホだっただけ。それだけだったんだが初夜とは?
どこをどうしたら一松が初夜と口にする流れになるのか。もしかしてまともに話してるがこいつはまだ酔っているのだろうか。それなら俺とラブホで休憩する流れを初夜と呼ぶかもしれない……しれないのだろうか。
そんな考えを巡らす俺を尻目に一松は部屋の選択ボタンを押して3,000円を料金口へ投下する。入れ替わるよう出てきた鍵を一松は空いた方の手で拾うと、部屋に繋がる通路へ歩き始めた。割勘と言ったのにひとりで払ってしまうなんて……いや、後で帰宅した時にでも1,500円渡せばいいのか。
「おまえらいい加減くっつけってんだよお」
数時間前、ご機嫌に笑って酔ったおそ松にそんなことは言われたさ。勿論そんな台詞は冗談で、おそ松に釣られて兄弟の爆笑が起こった。暗にもう少しふたりは兄弟らしく仲良くしろという皮肉はあったかもしれないが、あの冗談はあそこで終わったはずなのだ。
終わったはずだから「初夜」も深く考えなくてもいいよな?
「ちょっと自販機寄る」
「そうだな、飲み過ぎたせいかやけに喉が乾いて……って一松、それは飲み物を売る自販機じゃないぞ!」
一松が立っているのは飲み物より随分小さい、コンドームを売っている自販機の前で、俺が叫ぶのを気に留めないとばかりに一松はワンコインを投下した。無駄にお洒落なパッケージの小箱がごとんと落ちてきて、それを鍵を持った方の手で器用に取り出すと部屋に向かって再度歩き出す。
「それ、飲めないぞ?」
「飲めないに決まってんじゃん。ゴム飲むわけ?」
「飲めないこともないかもしれないが絶対に体に悪いと思うぞ」
「だよね」
鍵とコンドームを眺めながら一松がふんわりと笑う。素面では絶対見せない笑みにやはりこいつは酔っているのだと確信を持ち、これからの展開を想像して背中が冷えてきた。そんな俺になんて気付かないのか、彼は笑顔を更に深めると握るだけだった手に指を絡ませた。触れ合う掌の感触に冷えた背中が震える。
「カラ松」
うお、珍しい「カラ松」呼び……酔いは相当ひどいらしい。しかも今はかわいい笑顔つきだ、欲を言えばその「カラ松」の後に「兄さん」をつけてもらいたかったが、それは流石に高望みか。
「なんだ」
「今夜はがんばるから」
何を頑張るんだ? そんな疑問に首を傾げる間に部屋へ到着し、入室すれば一松が急に服を脱ぎ出した。
「い、いちまつ? ……あ、ああ暑いのか! それなら脱ぐよりエアコン弄った方がいいぞ!!」
突然のことに仰天しながらも、目の前に現れたニートらしい色白の裸体がセクシーだ…と見惚れてしまうと、ふとロビーで一松が呟いた「初夜」の二文字を思い出した。
まさか、うん…やっぱり暑いから脱いでるんだよな!初夜とやらにやる行為をしようと脱いでるんじゃないよな……?
「脱がないの? ……それとも、脱がせた方が、いい?」
白い腕が伸びてきて、容赦なくパーカーを引っ張ってきた。なんで脱がせた方がいいとなるんだ一松、俺は一度だって全裸で寝るようなことはしたことはないだろ??
「なに……もしかして先にシャワー入りたい?」
「は!! ああ!歩いて汗もかいてるしなっ!!」
ファインプレーだ一松!
シャワーなんて念頭に全くなかったが、風呂場らしいドアを見つけると一松の掴む手を解いて逃げ込む。ドアの向こうにあったのは眩しいくらい真っ白なバスルームでほっと一息、その場に座り込んだ。
いや、一息ついてる場合ではない。こうして逃げ込んだが、ここも一時避難所でしかない。どうやら一松は俺とそういう「初夜」をしようとしているらしい。確かにラブホとはそういう場所だ。しかし俺たちは兄弟の上に男同士、そのような行為を連想させるより休憩に使うと考えるのが普通なのではないか?実際俺は休憩を目的としてここに入室したのだ。
そうだ、怠くなって眠くなってきたから、ベッドのあるラブホに余計惹かれたのだ…ほっとしたせいか、忘れかけていた眠気が一気に押し寄せる。いっそこのまま寝てしまうのはどうだ、と名案が浮かぶが、一松にかかれば全裸で朝を迎えることになるかもしれない。いや、俺も一松も童貞だ。一松がその気でも実際は何も起こらないのではないか。何せ20年以上新品だ、ここで酔った勢いでやらかしてしまうのならとっくのとうに誰かのお古くらいにはなってる。
そうだ、そう簡単に俺たちは変わらない。
そう思うと急に気分は晴れやかになって、体に染み付いた酒や煙草の臭いが気になった。当初の目的は休憩、ベッドに横になるなら綺麗な体がいい。そして今いるのは都合の良いことにバスルーム。
そうなれば早速風呂に入ろうと手早く服を脱いでは、外に一松がいるのをすっかり忘れて綺麗でお洒落なラブホのバスルームを満喫したのだ。
それから備え付けのガウンを纏いバスルームから出てきた俺の目に飛び込んできたのは、上半身裸でベッドで寝転ける一松だった。
素敵なバスタイムに忘れていたが、つい先ほどまで怪しい言動をしていた彼を思い出して、思わず神に感謝した。アルコール耐性について、俺と一松はいい勝負なのだから俺が眠かったら一松だって眠かったに違いない。ふわふわのベッドを前に睡魔には勝てなかったのだろう。見た目からしても柔らかそうなベッドに頬を寄せて眠る一松はとても気持ち良さそうで、それ以上にふにゃふにゃと緩んだ顔が可愛くてこれまでの流れを払拭させんばかりに胸がきゅんとした。
俺の弟かわいい、すごいかわいいじゃないか一松! 弟だからこんなにかわいいのか……?
見下ろす一松の柔らかそうな丸い頬もまた可愛く見えてきて、何かを考える前に俺はそこに唇を触れていた。風呂上がりなのに体の先が冷えているようで、しかし顔はやけに熱くなってきて、自分がとても緊張しているのを知る。それはそうか、相手は可愛く見えても一松、緊張しないわけがない。
触れるだけの唇をゆっくり離すと、寝ていた筈の一松と目があった。どうやら起こしてしまったらしい。
だが、もうやってしまったこと。誤魔化すつもりはなかった。
「……すまない、お前を見ていたら、つい…」
可愛くて可愛くてきゅんとして、もしかして俺も自分が思っているより酔っているのか……?
「つい、なに?」
「……きすしたくなった」
誤魔化すつもりはなくても言ってしまうと恥ずかしい。思わず俯くと、何故か腰元に白い腕が回された。これは、なんだ?
「いちま、」
そうだ風呂に入る前一松は俺と「初夜」をしようとしていたではないか。だから俺がキスをしたら一松だって期待して先を促すのではないか?そうなるとこれは男として応えなくては…先ほどとは違って一松にときめいてる今の俺ならできる。
意気込むよう顔を上げると、存外に近くにあった一松の顔が視界を埋め。彼の唇が俺のそれに触れた。
「ッ、」
ぬるりとした熱い舌が唇をこじ開け、奥歯の間に触れてくる。予想してなかった侵入者に咄嗟に押し返そうと肩にあてた手はびくともしなくて、更に深く噛み付かれる。そんな一松は先ほどのふわふわした可愛らしさはなく、まるで肉を放り渡されたライオンのように目をぎらぎらと輝かせていた。
さて、そんなライオンが食べようとしている肉は……俺か?
押すはずが押されて体が傾き、背中を柔らかいものが受け止める。その柔らかいものがベッドだと把握する間もなく一松が俺の頭を抱き込んだ。その体勢のまま続く濃厚なキスがまるで頭から食べられているようで背中がぞわぞわしてくる。しかしそれに嫌悪は全くなく、ぞわぞわが徐々に腰へ移動していった。
こんなの知らない。
未知の体験とはとても怖いもので、そんな恐怖に体を強ばらせてしまうとやっと唇を離された。
いつの間にか俺を見下ろしている一松の顔は真っ赤で愛らしさを誘ったが、見つめる瞳は先ほどのライオンを彷彿させるように未だぎらついている。
「あの……いちまつ?」
「……最初は優しくしたいから……あんまり可愛いこと言うんじゃねえぞクソ松……ちゃんとあんたの体、愛したいんだ」
耳に至近距離で囁かれた、どう聞いても可愛いより格好良いやセクシーがずっと似合う声色に俺は衝撃の事実を知る。
どうやらかわいいと思っていた一松は俺を可愛がるつもりでいるらしい。