松野さんと松野くんと、少女の話 ※パラレル

 びゅうびゅうごうごう。ばたばたざらざら。

 耳に入るのは激しい吹雪の音ばかり。被ったフードの下から見た景色は朝だというのに薄暗くて、私は目的地を示すだろう灯りを探すために顔を上げた。途端に顔を打ち付ける雪に目を伏せれば、あっという間に睫毛が凍てついてしまう。鼻の下を濡らすのは雪なのか鼻水なのか、ほんの少しだけ気になったけど、目的地にいるのはあの人くらいだから人目を気にすることもないと灯りを探す。
 私が住むのは北国の中心に近い場所にある山の中の町。祖父たちが若い頃は炭鉱でとても栄えたのだけど、今はもう炭鉱は閉山されて過疎化ばかり進む、ある意味としてよくある町だった。
 北国の冬は長い。私の住まうところとなると11月半ばから雨雪がちらつき、寒い年になれば4月始めまで雪が舞うこともある。ちなみに一番降雪量が多い時期は年末、一番寒くて風が強い時期は2月の始め。冬休み明けも2月始めで、今日は私が通う中学の冬休み明けの日。
 今日は始業式のみだからゆっくりでいいからなんて喜んだのは昨日の話で、普段より2時間ゆっくりできたにはできた。しかしゆっくりできただけで、外を出れば朝にしてはあまりに空は暗くて、そんな空をじっくり眺める余裕がないくらい吹雪いていてため息が出たものだ。
 暗いのは嫌だから明るい内に通学できると期待したのに、天候には敵わない。
ばたばたと顔に打ち付ける雪に耐えながら歩みを進めていると、うっすらと灯りが見えて。凍てつく睫毛に覆われた瞼を擦って瞬けば、建物のシルエットを確認した。
 私が通う中学は住まいから大分離れており、通学となると列車が必須だった。 歩みが早まるにつれてシルエットは鮮明になり、それは小さな駅舎だと確認できるくらいになると、私の手は駅舎の引き戸に触れていた。
 吹雪にびくともしない重い戸を開けると微かな熱気が迎えてくれ、どこからともなくにゃあ、と猫の鳴き声がした。戸を閉めると眼鏡を掛けたような奇妙な模様をした猫が現れ、そして、
「おはよう」
 もったりと重そうなロングコートを着た駅員さんが迎えてくれた。
「おはようございます松野さん」
 帽子の下に見える眼差しは駅員にしてはあまりよろしいものではなく、出会って間もない頃は私も怖い人と思ったものだ。しかし実際の松野さんはそこまで怖くはなかった(声低いし、やっぱ人相あんまり良くないから全く怖くないとは言い切れないのだけど)。
「出入り口につっ立ってても寒いだけだよ。ストーブつけてるからそっち行っといで」
 そんな松野さんの言葉に、鼻下の湿り気を思い出して鼻をすする。そうして手袋の中の手はすっかり冷えているのに気づいた途端、急に寒気が来たようにふるりと体が震えた。
足早にストーブのある待合場に行けば、まだ午前の早い時間のせいかそこには人ひとりいない。すかさずストーブ傍の特等席を陣取れば、ストーブを跨いで向かいの席に猫を抱えた松野さんが座る。
 ストーブの上には鍋が乗っており、温かそうに湯気を燻らせる。確かストーブの火でじっくりお湯を沸かすとより室内が温かくなるんだったっけ? 冬になるとお婆ちゃんがよくやってるのは見たことがある。
「切符買わないのかい」
「この間お母さんと定期買いに来たじゃないですか」
「そうだったかな」
 視線は胸元の猫に落とされ、口振りもとても軽い。
 利用者が少ないのに忘れてたのかな。どれだけやる気ないのか、とこっそり思うが、それが松野さんであるから仕方ない。それに利用者は基本的に地元の人しかいないし、たまに外部から来たところで炭鉱跡を見に来る観光客だろう。その観光客も山が緑で綺麗になる夏場だけだし、朝の利用者なんて私くらいしかいないかもしれない。
「そうだ。缶コーヒー飲める?」
「ブラックじゃなければ」
「じゃあ、持ってきなよ」
 松野さんは猫を席に下ろすと窓口から火ばさみを持ってくる。そしてそれをあろうことかストーブの上にある鍋の中へ突っ込んでしまうと、火ばさみは缶コーヒーを鋏んで出てきた。
「これ、綺麗なやつだから気にしないでやって」
「はあ」
 言いながら松野さんはポケットから白いハンカチを取り出すと、それで缶コーヒーを包んでこちらへ渡してきた。その一連の動作はあっという間で、私は差し出されるままにそれを受け取ってしまう。
「ハンカチなら持ってたのに」
「手袋はめてなら鞄から出すの面倒でしょ。僕が勝手にやったことだし、帰りに返してくれたらそれでいいから」
「……ありがとうございます」
 性分なのか松野さんは結構お節介焼きだ。缶コーヒーだってハンカチだって、似たようなことはこれまで何度もあったので今に始まったことではない。最近の話を出せば冬休みに入る時に「来年もご贔屓に」なんてコートにカイロを突っ込まれたものだ。
 ここは素直に受け取った方が良いと知ったのはとうに昔の話である。
「……ああ。あの、あの子は」
「あの子?」
「あの、無人駅のあの子……今日は一緒に学校行くのかい」
「あー……多分」
 無人駅のあの子、とは。ここの次の無人駅で列車に乗る同級生。決して仲がいいわけではないけど、同じ列車に乗るから登下校が一緒になるだけ。同じ学校の生徒で列車乗るの、あの子しかいないから自然と話すようになっただけで仲良しではない。
 しかし松野さんはなにやら勘違いしてるのか、何かあると無人駅のあの子を気にかける。
「じゃあもう一本持ってって。あそこで待ってたら冷え上がってるだろうから」
「……どうも」
 別に仲良しではないのに、車内で会うからいいけど。
 かちん、とハンカチの中で二本の缶が転がり、それは布越しだというのにとても温かい。直に触れば火傷しそうな缶は無人駅に着く頃くらいが飲み頃だろう。
「松野さん、あの子に優しいですよね」
「まあ、あそこで待つ寒さを知ってるからね」
 松野さんは学生時代、私と同じようにこの列車で登下校していたと聞いたのはいつの話か。学校での話をすると時折松野さんは自分の学生時代の話をしてくれて、当時松野さんが隣の無人駅から列車に乗っていたことも教えてもらった。
「それで、松野くんが凍えて待ってる松野さんに缶コーヒーでもくれたんですか」
 そうして、かつてこの駅から列車に乗って登下校していた同級生の『松野くん』についても、少しだけ話してくれた。
「あいつにそんな気遣いできないよ」
「へえ」
「でも、よく首に巻いてたマフラーを僕に巻き付けてくれたかな。僕も自分のマフラーしてんのにその上から巻いて、よく切符切りにきた車掌さんに笑われてほんとクソとか思ったよ」
 ああクソとか言っちゃって。松野さんは『松野くん』の話になるとよく言葉が砕ける。そしていつも人相のよろしくない顔に、笑顔を破顔と呼ぶ理由がわかるくらい柔らかな笑みを浮かべる。松野さんの話だと『松野くん』は同じ列車を利用した同級生という、それだけの関係らしいけど私にはそう思えない。きっと私には話せないようなこともあったのかもしれないし、『松野くん』なんて呼んでなかっただろう。もしかしたら心を砕いたこともあるかも、なんて下世話なことさえ思ってしまう。
 砕けて破れて、松野さんは外を見る。まるで松野くんが乗る列車を待つように。ように、ではなく、待っているのかもしれないけど。そんなこと思っても言うつもりはない。言ったところで私が気まずい思いをするだけだから。
「―――ランプついたから列車来るよ」
 小さな駅、客が私しかいないのだからアナウンスなんてものはない。直接伝えられた案内に席を立って耳を澄ませば、吹雪の合間を縫うよう列車が減速する音が聴こえた。もう間もなくホームに来るだろう列車に足早に改札を通れば、その後ろにゆっくりと松野さんが着いてきた。
 そうだ、定期見せるの忘れてた。
「早くしないと列車来ちゃうよ」
「定期、」
「持ってるならいいよ。ほら、来たから早く入んな」
 そう言いながら松野さんは私の背中を軽く押す。確かに定期は持ってるけど駅員さんなんだから確認くらいすればいいのに。
 ボタン式の扉を開けて車内に入れば、松野さんが列車の車掌さんと目配せしては片手を挙げた。
「いってらっしゃい、気を付けて」
 それは私が列車に乗る時いつも言われる言葉で、見送る松野さんが目を細めるものだから私は「いってきます」と「ただいま」を言いたくなるのだ。

 昼間はどうかわからないけど、朝に列車に乗る人は滅多にいない。
 単行列車に乗るお客は私ひとりで、休み明けで久しぶりに乗るせいかとても広い。前方と後方の運転席にひとりずつ車掌さんがいるから全くのひとりきりではないけど、話をするわけでもないから実質ひとりと同じだ。
 別にひとりが嫌ではないし、鞄を漁れば読みかけの小説本だって入っているし参考書だって入っているから時間は容易に潰せる。でも視線は外に向かい、白んできた景色を眺めていた。

『―――次は…―駅、降り口は左側です――お降りの際は…――』

 隣の無人駅まで20分弱、その頃には外は大分明るくなっていた。冬場だから仕方ないとはいえ、もう少し早く明るくなってくれないだろうか。そんな無理を承知な願いに小さく息を吐いていると扉が開いて、冷たい空気と共に人が入ってくる。
「おはよいちこ!」
「おはよ」
「そしてあけましておめでとうだ!」
 乗る人なんてひとりしかいない、無人駅のあの子である。うるさい。挨拶ひとつでもうるさいのに新年の挨拶もあってよりうるさい。でも彼女がうるさくても他のお客は私だけ、車掌さんは特に注意することなく列車は動き出す。
 彼女がうるさいのは今更なので黙っていれば、彼女はどかりと私の隣に座った。こんな広いのにどうして隣座るの、纏う空気がひんやり冷たいんだけど。
「寒いからくっつかないで」
「寒いからくっつかせて!」
 私にくっついたところでそこまで温かくならないのに、なんで近寄ってくるの。言う代わりにハンカチに包まれている缶コーヒーを彼女の膝の上に乗せてやると、わあわあ言いながら目を輝かせた。
「どうしたんだこれ?」
「松野さんからもらった。1個余計にあるからあげる」
「ありがとう! 松野さんにもお礼言っといて」
 缶コーヒーを両手で握り締めて彼女が笑う。別に私が用意したわけじゃないのにお礼なんて松野さんだけでいいじゃん。
 気まずさに視線を逸らそうとして、ふと彼女の首もとが晒されているのが目についた。
「……マフラー、」
「ん?」
「こんな寒いのに、マフラー忘れたの」
「ああ! 違う違う、ちょっと貸しただけで、」
「貸した?」
「うん、松野って人に」
「松野?」
 松野って、あんた松野さんに会ってないでしょ。そんな疑問を彼女は汲み取ったのか「駅員の松野さんじゃなくて」と言葉を返す。
「列車待ってる間に松野って人と一緒になったんだけど、その人こんな天気なのに革ジャンにジーパンだったから。マフラーだけでも貸したんだ」
「へえ……」
 その松野という人は死ぬつもりなのか。吹雪いてなくてもこの時期にそんな格好は自殺行為でしかない……他人にマフラー貸すなんてなんだ、とは思ったけど、それは貸したくなる気持ちがわかる。
「でも、貸したマフラーどうするつもり?」
「いちこの駅で降りるっていうから、帰りに松野さんに預けてもらって、後でいちこに持ってきて「私がいて成立する話なの?」
 貸したくなる気持ちはわかるけど、なんで私がさりげなく組み込まれてるの。
「だめ?」
「……別に、」
 そんなに手間じゃないからいいけど。どうしてこの彼女といい松野さんといい私に託すん、

「……あ、」

 ああ。あの、松野さんにとって『松野くん』は特別なようだけど、私に『松野くん』について話し過ぎてると思う。登下校一緒になる同級生なだけ、なんてやっぱり有り得ないから。松野さんのせいで私も『松野くん』について知ってしまったくらいなんだから相当だ。
「その松野さん、隣駅に実家あるんじゃないかな」
「知り合い?」
「ううん、私が一方的に知ってるだけ」

 ねえ松野さん。
 缶コーヒー、もう一本あるかな。