一歩先の悩みごと

 日本号と話す時、長谷部は以下のことを実践している。
 まず、日本号へ声を掛ける。内容はなんでもいい、思いつかないなら名前を呼ぶだけでも良い。
 その次に、声掛けに反応した日本号へ視線を合わせる。
 日本号もしっかり自分を見つめたのを確認すると一気に距離を詰める。
 この流れが出来れば日本号は逃げない。日本号に限らず、大概の奴はこの方法が通じる。新入りが来た時もよく使うものだった。
 長谷部はいつも、日本号に話しかける時にこの手法を使っている。話しかける前に脳内で繰り返し繰り返し流れを確認しては、確実に日本号からの反応をもらえる頃合いを伺う。日本号がこちらを認識すれば、最悪今日の天気や朝餉の話をすればいい。会話が始まれば日本号からも話題を振り始める。
 本丸で様々な刀剣男士と話し、交流していくなかで編み出したこの方法で長谷部と日本号は仲を深めていった。
 初めはぶつかり合うばかりだった二振りが、今では合戦場でお互いの背中を任せて戦えるほど信頼を置く存在になっているのだ。良好な関係を築いていると長谷部は確信している。
 しかし、そう思っていても長谷部は更なる一歩を踏み出せないでいる。

 朝餉を済ませ、遠征に向けて戦闘服に着替える。
 遠征内容は物資運搬。合戦場には出ないので比較的安全だが、ほぼ一日かけての長時間任務なので嫌がる男士もいるやつだ。
 身なりを整えた長谷部は鏡に映る自分の姿を見る。少々険しい顔つきなのは遠征に対しての緊張ではなく、同じ部隊に日本号がいるからだ。最近の長谷部は日本号に会うと、どうにも緊張して顔が強張るのが悩みだった。
 日本号以上に気難しい男士とも関わることがあっただろう? 何を恐れる必要がある。顕現されて間もないわけでもないのに。
 そんなことを思いながら気合を入れるように己の頬を叩いた長谷部は遠征部隊が集まる二の丸へ駆けていく。
 しかし長谷部の気合いも、先に二の丸にいた日本号の姿を見つけるだけで薄れてしまう。
「……早いな」
「まあな」
 二の丸にいるのは長谷部と日本号のみ。他の部隊員はまだ来ていない。
 声を掛けたというのに長谷部は日本号の方へ向くことは出来ず、本丸へ続く道を見つめて黙ってしまう。こうなってしまうと他の男士が来ないと話せなくなってしまう。
 顔が強張ることと一緒に、長谷部の最近の悩みである。前は視線を合わせてさっと近付くことが出来ていたのに、この数日全く駄目なのだ。
 他の男士が来ることを期待しながら、自分から切り出さなければ「更なる一歩」が踏み出せないのだと緊張が募ってゆく。
 日本号とは良好な関係ではあるが、長谷部はその先を望んでいる。日本号にとっての信頼を置く仲間は長谷部だけではない。日本号同様に長谷部にも信頼する者が多くいるだけに、それ以上の関係を望んでしまっていた。
 そのためには今のままでは駄目だとわかっているのに、長谷部は本丸の方を見つめ続けている。
 今日はもう出来ないのか。口を開いたが、そこからは声は出ない。
 何を躊躇う。これまでやってきたように話しかければ、あとは勢いのまま言ってしまえばいい。言いたいことは決まっているのだ、難しいことはない。
 言ってしまえばいい。
 決意を固めてしまおうと拳を握り、大きく息を吸う。
「なあ長谷部、」
 声を出そうとした時、日本号が名前を呼んだ。自分のことばかりでまさか日本号から話しかけてくると想定していなかった長谷部は、口を半開きのまま振り返る。すると日本号は視線を合わせると、長谷部の隣へ移動しては顔を寄せてきた。
「な、なんだ、」
「別に」
 別に。と言いながら近距離で見つめてくる日本号の顔は真面目だ。少なくとも世間話をする時に見られるものではなく、長谷部は普段と違う雰囲気を感じて固まってしまう。
「……帰ったら、話したいことがある。着替えたらあんたの部屋に行っていいか」
「話したい、こと」
 それは自分の部屋に日本号と二振りになるということ。その様子を思い浮かべると、長谷部はじんわりと首筋が汗ばむのを覚えた。
 一振り用の狭い自室に日本号と並んで座り、話をして……どうなるのだろう。話の内容すら想像出来ないだけに、話をしてからの展開が全くわからない。
「都合悪いんなら、日を改めるが」
「都合! 悪くない、いつ来てもいい!」
 話しかけられなかったところに、この要望。この機会を逃してはならないと慌てて答えると日本号は「それは良かった」とほっとしたように笑う。その笑顔を直視出来なくて、長谷部はつま先へ視線を落とした。
 なんだ。なんでそんな顔をするんだ。そんな聞いてほしい、大事な話なのだろうか。大事な話とは……それが深刻な話だった場合、俺の話はしない方が良いのではないか?
 一体どんな話をするつもりなんだ。悶々とする長谷部は八つ当たりだと知りながらも、視線を上げて日本号を睨みつける。だが、日本号は睨みにまったく怯む様子なく、むしろ心配するように見つめてくる。その無遠慮な眼差しに長谷部の胃がきゅうと痛むような気がした。
「お前さん、顔が赤いが大丈夫か」
「……大丈夫だ。多分」
「多分って、これから遠征だぞ」
 心配する眼差しに訝しむものが混じる。
 即座に「なんでもない!」と叫んだ長谷部だったが、他の部隊員が来ても心中穏やかになることはなかった。