呪いとは。精神的な力によって災いを取り除いたり、逆に災いを起こしたりする行為と言われている。近年では災いや不幸を起こす行為ばかりを指すことで用いられることが多く、へし切長谷部を悩ませるのはそんな「呪い」だった。
西日が空を赤く染める頃、本丸は少しばかり賑やかになる。それは任務から戻ってくる部隊を労うため、本丸の留守を守る男士たちが湯浴みや夕餉の準備に勤しむからだ。
そんな男士の一振りである日本号が瓶麦酒を両手に厨へ向かっていると、背後から自分の名を呼ぶ声が聞こえた。
「貴様またこんな明るい時間に酒など、」
こんなことをわざわざ言う者は限られているもので、日本号は苦い顔を隠すでもなく声のした方へ振り返る。すると胸元に何かが勢いよくぶつかってきた。かちゃん、と音を立てて擦れる瓶を気にする視界の下で煤色が靡く。それはへし切長谷部の髪と知る日本号は小さく息を吐くと、煤色の間から気まずそうに見上げる藤の虹彩と目が合った。
へし切長谷部を悩ませる呪い。それは高確率で日本号とぶつかってしまうことだった。
偶然が重なったのではないのか。長谷部が気にしすぎなのではないか。長谷部の相談を受けた男士たちは口を揃えてそう言ったが、長谷部は今日も大真面目に「呪い」について頭を悩ます。
「そう気にするけど、うちの秋田なんて毎日いち兄にぶつかってるぞ」
「僕はあれだね。今剣が岩融へ突っ込んでいるのをよく見るよ」
本日の相談相手は厚とにっかりの二振りであり、深刻そうに眉間を歪ませる長谷部を前に首を傾げる。
「……ぶつかるのも突っ込んでいるのも表現は違えど、自分の意志で抱きついているだけだろう。俺はそういうつもりは一切ないのにぶつかるんだ」
「まあ、それもそっか。でも戦闘時は大丈夫なんだろ? そんなに気にしなくても良いんじゃないか」
「だが、ほぼ毎日ぶつかるんだ。日本号から特に何を言われているわけではないが、俺が気を遣うからどうにかしたいんだ」
「僕も厚も重く受け止めるようなものとは思えないけど、君が悩んでいる以上対処はしたいところだね。ううん……「呪い」というならまじないに詳しい石切丸、鬼切りの逸話を持つ髭切や鬼丸国綱辺りに話を持っていっても良いかもしれないね」
「成る程。助言感謝する」
「それで、お前さんの言う「呪い」はわかった。だが、行き着いた先がオレというのはどういうことかね」
目の前にいるのはにっかりが挙げた三振りではなく……長谷部が悩む「呪い」に関わる日本号、その槍だった。
その本身に倶利迦羅龍を刻むだけあり、呪いへの耐性は多少にあるだろう。だが、自分よりもその手のことに適正がある男士がいると思ってならない日本号は、どことなく居心地の悪いような不思議な心地を覚える。
「別に考えなしにここへ来たわけではない。石切丸に相談したら『日本号がいることで発動するものならば、一緒に解決すべき』と言われたんだ」
「そいつは一理あるが、呪いに心当たりはないぞ」
「承知している」
長谷部の口が窄まり、視線が下へ向く。
何も、日本号の返しが想定外で困惑しているわけではない。長谷部始め、相談を受けた男士たちが解決出来なかったことだ。日本号が易々と呪いを解いてくれるなんて思ってはいない。
その筈なのに長谷部の顔は不満げに歪んでしまっていると、日本号は長谷部の肩を力強く叩く。
「まじないにそれなりに詳しい石切丸がオレと一緒に解決した方が良いと助言してくれたのなら、取り敢えず思いついたことから片っ端にやってこうぜ」
まずは石切丸に祈祷してもらおう。そう言いながら何度も肩を叩く日本号に、長谷部の視線が控えめに瞬いた。
石切丸の祈祷を皮切りに、長谷部と日本号は様々な方法を試していった。
「まじないといえば山は外せない」と祢々切丸が言えば揃いの装備で登山に挑み、山を登る二振りを見て「山へ行くなら水垢離はどうだ」と山姥切国広が提案すれば滝に打たれに行った。そんなところ堀川国広が「気軽にするなら筋トレが良いよ」とバーベルを抱えてやってきたので朝夕の空いた時間に筋トレに励めば、「写経はいかがですか」と蜻蛉切が提案してきた。
「目的を見失っている気がする」
自室で日本号と文机を並べて黙々と写経をしていた長谷部が、ぽつりとそんなことを呟いた。
呪いを解く方法がわからないからと、提案されたものを片っ端にやってきた。しかし最近、何か違う気がすると考える瞬間があった。
長谷部が筆を置くと、日本号も倣うように筆を寄せる。
「呪いを解くというよりは『修行』みたいだよな」
「修行か。修行みたいだと言う割に、日々修行に励む山伏が何も提案しないのはあれか……呪いに対して効か「やあ。皆まで言うな」
蜻蛉切から借りた経典を纏めていた日本号が肩を小突いてくる。
皆まで言うな。と止めるということはこいつも少なからず同様のことを思っているのだろう。この場には俺とお前と二振りしかいないから誰も聞いてやしないのに。こういうのが人柄が良い性分なのだろうか。などと考えている内に、長谷部は頬杖をつきながら溜め息を洩らした。
「……全く効果がなかったわけじゃないだろう。何もしてなかった時は毎日のようにぶつかっていたところが、最近じゃあ二、三日に一度まで減ったじゃねえか」
「それは、そうだが、」
実はまったく成果がなかったわけではなかった。何が効いたのかわからないが、日本号が話すようにぶつかる頻度が減ってきたのだ。それについては長谷部も実感していたのだが、ぶつかる頻度が減っただけでは解決したとは思えず唸ってしまう。
やるなら完璧に、中途半端なのは嫌だ。鬱々とした気分に文机へ視線を落とすと、日本号は再び長谷部の肩を小突いた。
「なあ長谷部、この後時間あるか。ちょっと付き合っちゃあくれないか」
「この後は……お前と筋トレだろう。付き合うも何も一緒ではないか」
「まあそうなんだが、その筋トレを予定している時間に出掛けないか?」
「それは、」
予定が入っているのに出掛けるなんて。と思ったのは一瞬で、目的を見失っている、効果が云々と愚痴のようなことを言ったばかりだと長谷部は閉口する。突然の日本号の申し出だが、そんな話をした手前で断る口実が見つからない。きっと、日本号もそれをわかった上で言ったに違いない。
長谷部の視線が右往左往して、そうしてゆっくりと日本号を見上げると小さく咳払いをした。
「帰りが遅くならないなら、行こう」
同じ事を言うにしても、もっと良い返し文句があっただろう。長谷部はほんの少しだけ後悔を覚えたが、日本号は気にする様子なくひとつ頷いた。
出掛けて何をするんだと日本号に確認すると、万屋の少し先にある酒屋で酒を買うだけだという。それなら変にめかし込む必要もないということで、内番着のまま外へ繰り出した。
本丸を出て二の丸を下り、門を通ると微かに人の賑わいを感じる。そうしてぽつぽつと会話をしながら万屋近くまで訪れる頃には、すっかり人混みに囲まれている状態になってしまった。
「混んでいるな。今日は催しでもあるのか?」
「そういったもんは聞かないが……今日は土曜日だから単純に出掛けている人間が多いだけかもしれないな」
本丸での生活にあまり曜日は影響しない。あったとしても時折火曜日に本丸のシステムメンテナンスが入るくらいで、人間達の多くが休日となる土曜日曜は特に変わりない二日間となっている。
そうか。今日は休みの者が多いのか。元々あまり町中へ出掛けることがない長谷部は物珍しそうに周囲を見渡す。若い女子の集団や家族連れ、夫婦らしき男女、酒でも呑んだのかほんのり赤い顔をした男性の集まり……様々な人間とすれ違う度、こちらが把握していないだけで何か催しているのではないかと思ってならない。それほどの混みようにたじろぎながら日本号が歩いていただろう方を見れば、そこには誰とも知らぬ人間がいて長谷部は自分が日本号とはぐれてしまっていることに気付く。
しかし幸いかな。本丸内でも長身の部類である日本号は人混みの中でも頭ひとつ飛び抜けており、長谷部はすぐに日本号を見つけた。人を掻き分けながら前進していくと、徐々に日本号の広い背中が見えてくる。
だが、日本号は長谷部と距離が離れていることに気付いていないのか、なかなか距離が縮まらない。
「日本号!」
堪らず長谷部が名前を叫ぶ。この人混みの中では余程大きな声でなければ届かないだろう。長谷部もそれをわかっていたが、反射的に出てしまったのだ。
人混みで紛れてしまった叫びでも近くにいる者にはそれなりに大きく聞こえたらしい。すれ違った集団が一瞥してきたことに気を取られていると、どん、と何かにぶつかってしまった。
ぶつかった反動でふらつくことはなかったが、記憶する衝撃と酷似していたことに長谷部は即座にぶつかったものを確認すれば、そこには見慣れてしまった日本号の胸元が広がっていた。そのことに、今日もまた日本号にぶつかってしまったことを知る。
「……ぶつかっちまったな」
「わかりきったことを言うな」
顔がむっと歪むのを抑えられず、長谷部はそれを隠すように俯く。
ぶつかる頻度が減ったとはいえ油断するとすぐにこうだ。先程まで距離もあってぶつかる要素はいつもより少なかった筈なのに、どうしてこうなってしまうのか。こんな間抜けな呪いをかける輩にまったく心当たりないが、呪いにしないとやってられない。
文机に目を落とした時の気分を思い出し沈みそうになっていると、大きな手が長谷部の腕を掴んできた。
標準よりも逞しい長谷部が大きいと思う手の持ち主はこの場にひと振りしかいない。すぐに日本号が掴んできたことに気付いて顔を上げれば、軽く腕を引いてきた。
「何度ぶつかってくるんだと文句でも言いたいのか」
「まさか。人混みの中だから腕でも組んだら良いと思ったんだ。そうすればはぐれないし、ぶつかる心配もないだろう?」
そもそも、最初から体が密着していればぶつかる方が難しい。たまたま思いついたことだが、これは現実的な対応策ではないか? そんな思いで日本号は長谷部の腕を解放すれば、すぐに察した長谷部が腕を組んできた。
隙間なく密着した体に長谷部が声を上げる。
「こいつは良いな」
「妙案だろう?」
先程とは一変して長谷部の顔が輝かんばかりに明るくなる。それほどまでに悩んでいたのかと気付かされる一方、これほどまで喜んでもらえて良かったと日本号も釣られて笑う。
日本号は息抜きのために長谷部を誘っただけだったのだが、思わぬところで解決策が出たものだとついつい得意げな気分になってくる。そのためか、短い道中にも関わらず二振りはご機嫌で買い物を済ませたのだった。
数日後、日本号にぶつかってしまう呪いに悩んでいた長谷部は新たな呪いに頭を悩ませていた。
この日の相談相手はいつかと同じ厚とにっかりで、真剣な面持ちの長谷部の話を聞いていた。
「ええと……最近、日本号と一緒だと動悸がすることがあるって?」
「ああ。日本号にも同様の症状が出ていてな。健康状態は問題なしと診断をもらったので、新たな呪いでないかと踏んでいるんだが」
厚とにっかりが顔を見合わせては何か言いたげに口を動かす。しかしそこから何も言葉は出てこず、代わりに気の抜けた笑いが漏れる。
どうしても長谷部は己の変化を呪いにしたいらしい。
そんな長谷部の相談を聞きながら、厚とにっかりは長谷部と日本号がぶつかる呪いも、今回の動悸の呪いも同じ原因だろうと思ってならなかった。