天神南にて

 遠征終わり。賑わう街角を颯爽と歩き、俺たちは一軒の居酒屋を目指す。
 繁華街の隅にあるその店は日本号のお気に入りで、現代遠征で飲みに行くと言ったら大抵はこの店だと決まっていた。そうして任務を終えた俺たちは「どこに行こうか」の一言もなく、慣れた道を歩いてその店に向かった。店主は無口だし、客は互いに無関心だし、酒もうまいし、俺たちのような刀剣男士が人間に紛れて飲むにはいい店だ。 
 煤けて年季の入ったサーバーから注がれるビールを眺めながら、居心地の悪さを感じてもぞもぞと座りを直した。
 この店のカウンターは広いのに、備え付けの椅子は二脚で一組のようなおかしな並び方をしている。他の客が来ても全く気にならないのは良いのだが、それと引き換えのように隣席との距離は随分と近い。この距離感だけは、何度来店しても慣れないものだ。
 日本号との距離が近すぎることを除けば、ここは本当にいい店だった。
 俺が落ち着かずもぞもぞしてる間も隣では日本号が何とも人懐こい顔で笑いながらお猪口を傾けている。酒が入ると彼のパーソナルスペースはより縮まるのか、飲んでいる内に日本号は他愛もない話をわざわざ耳元で囁いたり、俺の膝に手を添えながら冗談を言ったり、前触れもなく俺の肩を撫でたり、兎に角やたらと俺を構いたがった。そうなると俺はもう生娘のような気になってきて、ここで酔いつぶれたらどうにかされてしまうのではないかと身構えてしまうのだ。
 まあ、当の俺は生娘なんて微塵も感じられないようなかわいげのない刀剣なのだけれど。
「なあお前さん」
「なんだ」
「ここでそういう顔するのはやめてくれないかね」
 見つめてくる眼差しに店内の照明が煌めく。暖色のそれは炎にも見えて、戦場で槍を振るう姿を連想させる。
「どういう顔だ」
「まあ……口説かれるのを待ってる顔」
「はあ?」
 思わず間抜けな返事をすれば、日本号が声を抑えながら笑う。それは店内を配慮してのことだっただろうが、潜めた低い声は獣が唸っているように聴こえてくる。そんな様子に「送り狼」という単語がちらついては酒を呷った。
「やあ良い飲みっぷりだな」
 こいつとの飲みは絶えなく飲まなければやってられないと再びもぞもぞと座る位置を直す。この呑み取り槍の戯言を流すような言葉を返したいのに、俺の口は開いては閉じてを繰り返すばかり。なかなか次の言葉が出てこない。
 頭が上手く回らないのは、良い感じに酔っぱらっているからだろうか。
「酔ってきたか」
「そうかもな。貴様と飲むといつも知らない間に酔っぱらってしまう」
「いいじゃねえか、この遠征から帰ったら非番だ」
「緊急任務があったらどうする……これ以上飲んだら起きられる自信がない」
「そうなりゃあ俺が責任持って起こすぜ」
 そう言いながら日本号がお猪口をこちらへ傾けてくる。それは次の盃を促すようにも思えて、俺はだんまりと徳利を手にする。
 べろべろに酔っぱらっても、主の一声を聞けば不思議と体がしっかりすることを俺も日本号も良く知っている。だから、こんな風に油断するのだ。
「俺を酔わせてどうするつもりだ」
「どうしようか……お前さまはどうされたい?」
 ゆっくり唇を舐めて笑う槍にどう反応すれば良いやら。
 顔のいい奴はずるい。こいつにとって大して意識した表情ではないだろうに、俺の下半身はすっかり感覚がなくなってしまったような心地でいた。
 今日は飲みすぎたっていいか。現状を許すよう、心の中でそう繰り返す。
 お猪口に注いだばかりの酒をひと息で飲み干すと、喉の奥がきゅうと引き攣るようだった。

「流石に程々で止めれば良かったな」
 冷たい夜風が火照った頬を撫でる感覚が心地良い。靴の裏にコンクリートの硬い感触を覚えた時、頭の少し上の方で日本号の声が響いた。
「どうしたんだ今夜は。本当の酔っぱらいじゃねえか」
 火照る俺の頬を彼の大きな手がぺちぺちと叩く。何だ本当の酔っ払いとは。酔っ払いに本物も偽物もあるか。
 俺の頬に触れる日本号の指は冷たくて、とても気持ちがいい。その心地良さに悪態をつきたい気持ちが霧散し、その手に頬を擦り寄せると日本号は突然何も言わなくなってしまった。
 彼が話してくれないと、それまで纏っていた暖かな空気が冷えていくような感じがする。さっきまであんなに楽しそうにしていたのに。
 大虎が苦手というらしいから、酒を飲むのは好きでも酔っ払いは苦手なのだろうか。
しっかり立ったつもりでも足は縺れて、よたよたと俺は目の前の日本号にしがみ付いた。びくともしない肢体に思わず溜息をついてしまったが、やはり彼は何も言うことはなかった。
 そんな様子がまた居心地悪くて何か言ってほしくて、頭を彼の肩に擦り付ける。
「……長谷部、歩けるか」
「え?……ああ」
「じゃあ帰ろう」

 もう?

 喉まで出た言葉を慌てて飲み込んで俺は頷いた。だって今は遠征終わり、本来ならば寄り道を控えて帰る方が良いのだ。それなのに頭はなんだかふわふわしているし、足元は覚束ないし。引力に従おうとする俺の体を叱咤するように、日本号は腰へと腕を回してきた。
「しゃんとしろ、転ぶぞ」
「そんなヘマはしない」
「それならまずは真っ直ぐ立て」
「日本号、俺はあの店にはもう行かんぞ。緊張して腰が凝る」
 腰をさすりながら言うと日本号は困ったように笑う。
「……どうして。お前さんを誘うならあそこって決めているんだがなあ……好いている女を口説くにゃあいいとこなんだって有名なんだぞ」
「俺は女じゃないぞ」
「知ってるよ……まあ、俺の言い方が悪かったな。俺はどこかの女を口説きたいんじゃなくてあんたを口説きたいから懲りずに連れてくんだよ」
「……やっぱり、口説いてたのか」
「気付いてなかったってか……冗談だろ?」
 なんだその物言いは……気付かない俺が悪いのか?冗談みたいに戯れていたのは貴様の方だろう。
「お前、俺に好きだと一度でも言ったか?」
「言っただろ。あんたのことが好きだって、」
「言ってない!」
 記憶する限りではそのようなことを言われた覚えがない俺は即答すると、日本号はうっと唸った。感情が乗っかってしまった自分の声に段々と頬が熱くなる。そろりと視線を上げると変な表情の日本号と真正面から目が合った。
 気持ちはわかるし、申し訳なさすら感じる。あんな言い方したら俺が何か期待しているようではないか。
「また、」
「?」
「またそんな顔をしたら、次は俺のいいようにするからな」
 いい加減、期待して良いよな。
 独り言のように小さな声で呟いた彼の頬が少し赤くなっている気がする。こいつは酔って肌を赤らめる質ではなかったというのに、期待させるのはお前の方ではないのか。
「いいようにして良いんじゃないか」
「……出来上がっているな。まあ、お前さんは危機感がないからな……今夜はここらの宿で泊まって裸で寝るか」
「何故」
「それくらいしないと、今の発言の危うさがわからないだろう?」
 にい、と意地の悪そうに笑う日本号の瞳が赤いような気がする。そんな変化にむず痒い気持ちがふつふつと沸き起こってきて、彼方へ飛んで行った幻覚の花びらを追うように目を反らした。

 どうしてこいつはいいようにして良い事を素直に受け取れないのだろう。