吾輩は花京院さんである(承→花)

 祖父の死後暫く経ち不仲だった娘との関係が修復してきた頃、久しく交流がなかったある青年から結婚式の招待状が届いた。
「康一君か」
 相手は高校から交際していた山岸由花子さん。婚約自体は一昨年したと仗助経由で知ったが……昨年はプッチ神父の一件で彼らの住まう杜王町も大変だったのだろう。
 特に忙しい時期でもないし、出席がてら以前世話になった人達に会うとしようか。最後に杜王町を訪れたのは祖父の遺産相続について仗助のもとへ用があって以来となるから10年ほど前になるのか。それならば出会った当時は高校生だった少年も結婚するわけである。
 日本に来ること自体久しいから帰りがてら実家に寄って母親の顔を見てくるか。運が良ければ父親もいるかもしれないしな。結婚式は盛り上がり冷めぬまま終わり、それなりの人数が二次会に流れる中、私は仗助の運転する車でホテルへ送ってもらっていた。
「二次会があったのにホテルまで送ってもらってすまないな」
「いいっスよいいっスよ。あの二次会のメンバーなら四次会くらいありそうっスから、後で合流してから一杯やりますよ」
 久方ぶりに再会した仗助は変わらない無邪気さに大人らしい精悍さを滲ませた笑顔を見せる。彼は未だ結婚してないが、今では町の皆に顔を知られた気さくな警官として有名だと露伴先生や億康君から聞いて時代の流れを感じた。
 かつての高校生が結婚すれば、この間まで小さいと思っていた娘も成人する。
「道理で老いるものだ」
「老いって承太郎に言われたらかなわないっスよ、まだまだ若いじゃあないっスか」
「もしかすれば数年後、孫ができてもか」
「それマジっスか!?」
「マジかもな」
 あくまでも、可能性だが。
 かつて自分を孫だ子供だと可愛がってくれたり、エジプトの旅路を精神面で支えてくれた祖父と同じ立場になると考えると感慨深い。お茶らけた場面も多かった祖父だが、なんだかんだで頼りになった存在だった。
 私は旅路で支えてくれた祖父のようになれるのだろうか。
 こうして20年以上前の旅を懐古している辺り、自分は少なくとも若くはないなと実感してしまう。20年なんて当時の自分が生きた年数より長い。
 20年か。旅の仲間であった、私のひとつ歳下の青年が命を落として20年以上経ったのか。20年は長い。長い筈なのに記憶の中の青年はずっと17歳のままだ。たった50日間の旅路の仲間であった青年は20年過ぎても忘れられなかった。
「花京院、」
 久しい名前。口にしたのはいつ振りか。彼を知っているのはもう仲間であったポルナレフと私の母親しかいないから、話題に上がることもなかったその名前。口にするだけで彼は存在を主張し、しかしその彼はやはり17歳の姿しか私は思い出せない。
 ……懐古も拗らせると厄介だ。ほんの少し憂鬱を覚えていると、車が急に減速した。
「今日はどうかな……ちょっとすいません」
 減速した車が路肩に停まると、仗助は傍のアパートに向かって声をかける。
「花京院さんチイッス!」
 何を言っているんだ仗助は……いや、私が幻聴を聞いているのか?すると眺めているとアパートからするりと一匹の猫が現れた。飼い猫なのか、仗助を警戒する様子はない。全身薄い灰色の体毛に紅茶色の瞳を持った美形で、スマートなシルエットも合わせてとても利口そうな猫である。
「うなあん」
「明日康一が好物持ってくるっスから楽しみに待っててくださいっスよ!」
「なああ」
 猫は理解したように一鳴きすると、出てきたアパートの出入口にちょこんと座った。それを見届けると仗助は猫に手を振りながら車を再発進させる。
「すいません、ホテル帰る途中なのに」
「いや、構わないが……あの猫はなんだ」
「花京院さんっス」
「花京院さん…?」
 やはり仗助は「花京院さん」と言ってるようで、どうやら私の幻聴や聞き間違いではないようだ。しかし猫なのに花京院さんとは、おかしくはないか。花京院とは姓や地名にこそ使用されるだろうが、猫の名前としてはいかがなものか。
「あの猫、ノラなんですけどさっき出てきたアパートに住みついてるんスよ。それであそこのアパートの名前が『メゾン花京院』だから『花京院さん』って愛称で呼ばれてるっス」
 疑問は露骨に顔に出ていたようで、わざわざ仗助が説明してくれた。名前がないから愛称として花京院と呼んでいるのか。
「それにしても猫に「さん」付けとは何かの遊びか」
「いやいや、あの花京院さん知ってる人なら大体「さん」づけっス。綺麗な猫っスけど俺が中学生の時にはあそこに住んでいた高齢なんで、敬意を込めての「さん」づけなんです」
 こいつが中学の頃ならば徐倫が生まれた頃か。そう考えると猫にしてはかなりの高齢だ。なるほどな、しかし仗助が言っていた通りにそんな年老いた印象を受けないほど綺麗な見目の猫だった。灰色の体毛が日光を反射してきらきらと輝く様を思い出しても高齢の猫と思えず、それでも上品そうな立ち姿に皆が花京院さんと呼ぶのがわかるような気がした。

「あれ、承太郎さん?」
「……やあ、康一君」

 二日酔いの重い頭を抱えつつ通りを歩いていると、昨日わざわざ海外から結婚式に来てくれた承太郎さんに会った。確か杜王町には一泊だけして今日には東京の実家に行くと話していたけど、ここは駅からも遠い住宅地だ。もしかして誰かに会ってから東京に行くのかな?
「出会い頭に申し訳ないが、ここの近くにあるメゾン花京院というアパートを知らないだろうか」
「メゾン花京院ですか? 奇遇ですね、僕も今そこに行くんですよ」
「もしかして『花京院さん』か?」
「よく知ってますね!」
「昨日、仗助に教えてもらったばかりだ」
「なるほど…僕はお母さんに頼まれて花京院さんにチェリー缶持っていくところなんです」
「チェリー缶?」
「はい。花京院さんちょっと変わった猫で、アメリカンチェリー好きなんですよ」
 食べる姿がかわいいから今日こそ写メ撮って来いってお母さんと姉さんがうるさかったんだ。そう話すと承太郎さんは口元だけの笑みを浮かべた。結婚式の時も思ったけど、最後に会った時に比べて承太郎さんも物腰が柔らかくなった気がする。
 まあ、こうして面と向かって会うのは実に8年振りだから変化があってもおかしくはないか。
「目的地は同じですから一緒に行きましょう」
「それは助かる。すまないな」
「ついでですから。承太郎さんはメゾン花京院に誰か知り合いがいるんですか?」
「いるような、いないような」
「はあ」
 それでも、時折理解に苦しむ物言いは変わりないようで思わず苦笑してしまう。こういうのは付き合いの短い長いに関わらず露伴先生のようなタイプの方がうまいこと解釈してくれるのかな。なんて思っている内にメゾン花京院が見えてきた。
「花京院さあーん」
「なあお」
 近付いてきたので花京院さんを呼んでみると何故か猫の鳴き声が空から聞こえてきた。
「え?」
 思わず天を仰ぐと最寄の街路樹から何かが落ちてきた。驚いて後退りしつつ落ちてきたものを確認すると、そこにはどうしたとばかりに目を細めてこちらを窺う花京院さんんがいた。
 なんだ、街路樹の上に花京院さんがいたのか。
 ほっとしながら持参していたチェリー缶を開けると花京院さんは鼻先を上に伸ばす。これなら今日は食べてくれるかな。たまにだけど好物なのに食べない時があるんだよなあ。
チェリー缶まるまる一個は流石に多いのでひとつ取り出して地面に転がす。すると花京院さんは鼻先をすんすんとチェリーに近付けて確認すると舌で舐め始めた。よかったよかった! この光景を写真に撮ってきてと言われてたんだよ。飼い猫ならまだしも野良猫である花京院さんが都合よく食べてくれるとは限らないだけに助かる。
 花京院さんを驚かせないよう、少し離れて携帯のカメラのシャッターを落とす。ボケてないし、アングルもいいと思うけど念のために数枚撮っておくか。
 花京院さんのチェリーの食べ方は少し変わっていて、まず正味5分ほどかけてチェリーを舐め、そしてそれを終えてからやっと食べるのだ。5分も舐めていれば表面の味もなくなりそうだけど、それでも花京院さんはいつもこの食べ方だった。
 猫も猫なりにこだわりがあるのだろう。そんなことを思いながら数枚撮った写真の中で、一番良さそうなものを母親に送る。これで文句があるなら今度こそ自分に撮りに行ってもらおう。送信を確認して携帯を仕舞っているとやっと花京院さんはチェリーに歯を立てるところだった。
「いつもこの食べ方なのか」
「ええ。こうして食べるとおいしいんですかね?」
 黙って見ていた承太郎さんはそう質問してきたけど、やっぱり誰が見ても変わった食べ方に見えるんだな。
 すると承太郎さんは僕が持っていたチェリー缶から、ひょいとひとつチェリーを抓み上げた。そしてチェリーを食べ終えたばかりの花京院さんの傍にしゃがむとそのまま鼻先にチェリーを近付けた。
 ああ、そこらの猫と違って人の手からは絶対に食べないのに。最悪引っかかれないと良いけど……。
「いるか」
「なあん」
「がっつくなよ」
「なう」
 そんな心配もしていたのに、花京院さんは承太郎さんと会話のようなやり取りをするとちろりと舌先を伸ばして承太郎さんの指先にぶら下がるチェリーを舐め始めた。
「ウッソー!」
「どうかしたろうか」
「えええ、あのですねっ 花京院さん、人の手からは決して食べ物を貰わないんですよ! それが今、こうして承太郎さんの手から食べてるなんて」
「好物だからじゃあないか」
「好物でもですよ。だから僕もさっきのチェリーは地面に置いたんです」
「私が磯臭いからでは」
「いや……着替えもしてるのに磯臭くはないのでは……」
 承太郎さんのどこかずれた返答にたじろぎつつ、抵抗なくチェリーを舐めている花京院さんを眺める。その姿は警戒心は感じられず、思わず仕舞っていた携帯を再度取り出して一枚写真を撮った。
 これ、みんなに見せたら驚くだろうなあ。花京院さんは人馴れしてるけど人懐っこいのとは違うからなおさら。
「私だけなのか」
「僕が知る限りですけど、まずいないですから承太郎さんだけです」
「そうなのか」
 あ、笑った。
 ……まあ、自分だけに幾分か気を許した反応を見せてくれたら流石の承太郎さんも嬉しくなるだろう。いいなあ承太郎さん。
 でもどうして初対面に近い承太郎さんなんだろう? ようやく舐めるのをやめてはむはむとチェリーを食べ始めた花京院さんは相変わらず、警戒している様子も不機嫌な様子もない。
 それとも承太郎さんが格好いいから花京院さんも素直に……、…いや、それはないよな。
「うまかったか」
「うあん」
 そうして承太郎さんは食べ終わった花京院さんの頭をわしわしと撫でた。
まさかそんな。これまで人の手から直接食べ物を口にしなかったどころか、触ろうとするとどんな場面であろうとも逃げてしまう花京院さんが……承太郎さんに大人しく撫でられてる。ついついまた携帯のカメラのシャッターを押してしまう。パシャ、という撮影音に不思議そうにこちらを見上げる承太郎さんと、そんな承太郎さんに撫でられている花京院さんは気持ちよさげに大きな手に擦り寄る。
「そんなに珍しいのか」
「はい……ここまで来るとちょっとした事件ですよ!」
 長い間、この杜王町に住まう花京院さんがここまで人の介入を許したなんて話は聞いたことがなかった。寧ろ執拗に構うあまりに引っ掻かれたり噛まれた人はよく聞いたくらいだ。
 ころころと喉まで鳴らしながら頭を擦りつける花京院さんを撫でながら、承太郎さんは短く溜め息をつく。
「こうなると、名残惜しくなるな」
「え?」
「そろそろ空港に向かわないといけない時間だ」
 ああ、そういえば承太郎さん実家に帰る予定なのか。S駅周辺まで出たら交通手段も多いけど、ここら辺はバスもあまり通らないだけに早く移動を始めないと間に合わないかもしれない。
 すると今まで気持ち良さそうに撫でられていた花京院さんが、いきなり承太郎さんの手を無視するように離れてゆく。そうしてアパートの出入口まで歩いていくとこちらを向いて座った。
「みゃあ」
 そして今まで聞いたことないくらい高い鳴き声で花京院さんが鳴く。それは子猫のものに似ていて、なんとなく甘さを含ませた響きを覚えた。
「元気で、花京院」
「みゃあう」
「……時間が迫ってきているので私は失礼する。康一君、改めましてご夫人とお幸せに」
「ありがとうございます。承太郎さんも娘さんと仲良くしてくださいね?」
「……努めよう」
 父娘なんだから努めなくたっていいだろうに。今は大きな驚異もなく、時間もあるはずだしきっと大丈夫。それにプッチ神父という人の一件で絆が深まったんだから。
 僕はそう思うのに、承太郎さんはさぞや難しい問題に取りかかるが如くむっとしてしまっている。そんな様子についつい笑ってしまうと、こちらを見つめていた花京院さんも笑うように目を細めているようだった。

 それから数日後、僕は再びチェリー缶を抱えてメゾン花京院へ向かっていた。
「全く……もっと近くで撮ってきてくれなんて無茶な……」
承太郎さんと別れて早速帰宅し母親に写真を見せると、全体的に花京院さんが小さい!!と文句を言われた。仕方ないじゃあないか、花京院さんは野良猫なんだから近付きすぎたら逃げる可能性がある。そうなると写真なんて一枚も撮れないじゃあないか。
 そう言い返して今度は母親に直接行かせようとしたが、呆気なくも言い負かされてしまった。広瀬家の男子はどうにも立場が弱いなあ。
 不満を覚えるも、口で勝てたことのない僕はメゾン花京院の前に到着した。
「花京院さあーん、チェリー持ってきましたよー」
 呼んでみたがアパートから花京院さんは出てこない。この間みたいに近くにいるのかと辺りを見回してみたが、猫は一匹もいない。
「花京院さん?」
 確認のために再度呼んでみたが何かが出てくるような気配はない。
 留守かな。たまにアパートから離れていることがあるし、どこかに行っているのだろう。
 待つかな……いや、いつ帰るか分からないし日を改めるか。あまり花京院さんばかりにかまけていると由花子さんに反か……心配をかけてしまう。お母さんはうるさいけれど、由花子さんに比べたら一時の我慢で済む。幸いにもチェリー缶はまだ未開封だ。
「おや、康一君じゃあないか」
「……ん?」
 名前を呼ばれて振り返るとそこにはスケッチブックを脇に抱えた露伴先生がいた。
「こんなところで奇遇だね」
「先生こそ。これから担当者さんと打ち合わせですか」
「まあね。康一君はメゾン花京院の野良猫に用かい?」
 露伴先生は花京院さんを決して名前では呼ばない。多分単純に猫嫌い故だろうけど、毎度「メゾン花京院の野良猫」とわざわざ回りくどい名称を使う。
「はい。まあ、そう都合良くいかなくていなかったんですけどね」
「昨日一昨日も居なかったと仗助の奴がうるさかったけど、今日もいないのか」
「そうなんですか?」
 珍しいな。花京院さんの行動範囲はあまり広くないので、仗助君がこの周辺をパトロールする際は必ず見かけると聞くのに。
「とうとうくたばったか」
「先生、猫嫌いだからってそんな物騒な……」
「だって猫は自分が寿命だと察すると人知れず死んでゆくなんて言うじゃあないか。君は寿命で死んだ野良猫をこの目で見たことはあるかい?」
「それは、ないですけど……」
 人知れず死んでゆく、という話は聞いたことなかったけど、確かに寿命を迎えて亡くなった野良猫を見たことはなかった。
 でも、数日前には変わらずチェリーを食べていたから死んだってことはないと思うし、思いたい。
「まあ、いくら『さん』付けされても所詮は猫だってことさ。康一君がいくら心配してもなに食わぬ顔でひょっこり戻るんじゃあないか」
「……そうですね」

 何せ花京院さんだから。
 そう思いつつ、いつもの気丈な立ち姿を思い出すと少し不安の念が払拭したような気がした。