世の中には不可思議なことがある。最近では妖怪のせい、だなんて言う子もいるけど、人間だって十分に不可思議な存在だと思う。
例えば、平々凡々に埋もれていた俺が世にも珍しい六つ子の四男坊だったとか。兄弟揃って呪われた運命を持っていただとか。
「あんた…もしかしてまったく百物語わかんないの?」
「新月の夜、複数人で百話もの怪談話をする肝試しだろう」
得意げに返したのは最近知り合いになった、生き別れの兄の一人である青戸さん。生き別れの兄ではあるがこれまで面識はまったくなかったので、最近知り合いになった、というなんとも説明するのに面倒な間柄であったりする。
「じゃあさ、二人で百話も話できると思ってんの」
そんな青戸さんとは他の兄弟と比べて住まいが近かったこともあり、指折り数える程ながら食事をしたりと交流があった。
そして、今日は初めて青戸さんが俺の住まいに訪れては、唐突に百物語がしたいと提案してきて今に至る。
「民俗学に詳しいはじめと、新聞記者である俺という情報通のふたりが揃っているんだ。問題ない」
「はあ」
百物語は古くは室町から続くと言われる息の長い娯楽、記録に残ってないだけで二人で行った事例もあるだろう。しかし何故この場面で百物語なのかまったく理解できない。
「あと……青戸さん、百物語したいというけど百物語は夏の季語だと知ってる?」
「季語? 俺は詩を詠みたいわけでは……夏の季語だって?」
少しの間を置いて青戸さんが聞き返す。まだ付き合いが浅いだけあって彼の趣味を知らないが、俳句でも詠むのだろうか。予想していたより早く望ましい反応をしてくれる。
「百物語は肝試しの一種、そして肝試しは納涼のために行われることもあるから夏の季語なんです。それで、今何月?」
「五月……だな」
「春に肝試ししてはいけないなんてことはないから、あんたがそういう細かなこと気にしないならやって構わないけど」
眠れぬ熱帯夜に悩むくらいなら夜通し不可思議な話を語り合って面白おかしくも肝を冷そうと流行ったのが百物語。どうしていきなりしたくなったのかわからないが、今より盆のある夏にやった方が盛り上がるだろう。
「それは……今夜は予行練習だから、大丈夫だ」
「予行練習?」
「ああ。実は百物語を思い立ったのは、以前大蔵と百物語の話をしたことを思い出してな……お盆休み、赤鹿に泊まりで遊びに行く予定だろう? その時に皆で百物語ができたら良いなと思ってな」
「それで、まずは俺と一度やってみて感覚を掴もうってわけ?」
「その通り」
ぱちん、と指を鳴らしてウインクをひとつ。
ご名答だブラザーってか。
最近、意識してなのか、はたまた出会う以前から言ってる常套句のひとつなのか、俺や赤鹿に住む四人を指すのに『ブラザー』を使うようになった。それは生い立ちによるものか生まれ持った感性なのか、俺ならいくら兄弟でも『ブラザー』呼びの発想にならない。
「……それじゃあ、今夜やるってことでいい?」
自分が浮かばない発想をしたからといって、話題として掘り下げるほどの感動はなかった俺は本題を変えずに確認をとる。
「ああ。よろしく頼む」
夕食後、家にあった蝋燭を掻き集めては僅かに百本に届かず、最寄りの酒屋へ非常用の蝋燭を買いに外に出れば月明かりが辺りを照らしていた。見上げると雲ひとつない空に満月があり、周囲の星が霞んでしまうくらい煌々と輝いている。
百物語は新月の夜にやるものと青戸さんも知っていたが、今夜はあまりに不適切な明るい夜だ。まあ、カーテンをしっかり閉めれば月明かりが室内に入り込むことはないだろうし、これは予行練習なのだから気にすることはないのかもしれない。しかしながらこんな夜なら、月見も良いかもな。青戸さんも酒は人並みにいけるクチだし、軒先に出て一杯やるのも悪くない気がする。
そんなことを考えながら自宅に帰った俺の手には、蝋燭だけでなくビール数本抱えられていた。
「はじめ、蝋燭を買いに行ったんじゃないのか」
「その……百物語しながら飲もうかと。青戸さん、明日勤務は?」
「休みだが…それよりも、飲食しながらやって良いのか?」
「暗がりでやるから飲み食いしながらやる人は少ないけど、駄目って決まりはないから良いんじゃない」
「真面目なようで、意外とアバウトだな君は」
「ふたりだけの予行練習だから良いでしょ」
飲むのは百物語の後と考えていたが、改めてふたりだけでいつ終わるかわからない後の予定にしたらビールが無駄になりそうだしね。それに酒が話題を引き出す潤滑油になるかもしれないし。
「まあ、予行練習だしな……」
「じゃあさっさと始めよ。あまり遅くなると終わる前に夜が明けそうだから」
青戸さんが百本もの蝋燭に火をつけている間に、俺はカーテンを閉め、紫坂の父の部屋にあった座布団を二枚持ってくる。そして汗ばんだように水滴が浮き始めたビールとコップを盆に乗せて部屋の隅へ用意すると、座布団へ腰を下ろした。
いつの間にか殆どの蝋燭に火が灯っている。ひとつは僅かな灯りだが無数あるとなかなか明るいもので、電灯がついていない室内に色濃く影を浮かばせる。
「行燈あったらもっと雰囲気出たんだろうけどね」
「今時行燈がある家なんて滅多にないだろう、仕方ない」
「緑土や黄神の家にはあるかな。あそこはどちらもかなりでかい旧家だったし」
「十四雄の家は祭りを取り仕切っていたりしたから、実際にありそうだな。近い内に聞いてみよう」
話している内に全ての蝋燭に火がつけられ、俺は端に寄せていた盆を引っ張ってくる。
「素敵な一夜になるよう乾杯しようじゃないか」
「百物語する流れとしては、あまり素敵になっても興がないんじゃない」
「まあそう言うな。乾杯の文句がなくなるじゃないか」
「おっさんみたいなこと言うね」
「おっさんとは、同い歳だろう?」
笑いながらコップにビールを注いで乾杯する。練習とはいえ肝試しとは程遠い始まり。ふたりだけの百物語なのだし、それくらい気楽なもので良いだろうと常温に近くなりかけているビールを呷った。
転がる空き缶に、蓋の開いたウイスキーボトルを僅かな灯りが照らしている。いつの間にか残る蝋燭は一本となり、どちらともなく息を吐いた。
「伊達に、記者なだけあるね」
「そっちこそ。得意分野にあたるとはいえ、まさか本当に百話も話せると思わなかった」
「やっぱ提案者であるあんたも思ったんだ」
「まあな」
肌寒くなったと、湯呑でお湯割りを飲み始めたのはいつだったか。ほんのりぬくもりある湯呑で手を温めながら、最後の話し手である俺は口を開く。
「〆だし、最後は百物語に関連あることについて話そうか」
「百物語は九十九話でやめるものじゃないか?」
「そっちもあるけど、今日は百話までやってみない?」
「そっち……?」
蝋燭の灯りに照らされた青戸さんの眼鏡がきらりと光り、それがまるで彼の興味の触手が反応したような錯覚を覚える。
「よく知られる百物語は、百話まで話すと妖怪が現れて災いを起こすからあくまで『肝試しという娯楽』にするために九十九話で終わらせたと言われてる」
「まあ、災いは起きてほしくないからな」
「でも俺としては百話まで話してもいいかなと思って、今夜は最後まで話そうと」
百話もの話をして、実際に災いが起こるとは限らない。それに災いが来るかもしれない、という状況に対して肝試しするのも良いと思うのだ。
「百話目を話して災いと共に青行燈辺りが来たらどうする?」
「青行燈ねえ……むしろ会えるもんなら会ってみたいかな」
「ほう?」
百話目を語り終わると災いと共に現れる妖怪として知られる青行燈。しかしその妖怪の記録は知名度に反してあまりに少なかったりする。九十九話で終わらせる百物語がメジャーなのだ、百話の終わりに出る妖怪の記録が少なくなるのは当たり前といえば当たり前だ。一説では青い着物を着た参加者を妖怪と見間違えたり、雰囲気作りとして青い紙を貼った行燈があまりに気味が悪くて見せた幻とも言われているけど、居ると考えるのもロマンがあって良いだろう。
男二人してお湯割りを飲んで駄弁っているせいか、らしくない『ロマン』という単語が浮かんで思わず笑いそうになる。一杯やりたくなるような素敵な月夜を、カーテンで遮ってまで行った百物語に無意識に思うことがあったのかな。
「会って、どうするつもりだ?」
「別に。何かしたいから会いたいわけじゃないし、会えるんなら会ってみたい。好奇心みたいなもん」
「そうか」
ふ、と突然室内が暗くなる。それはつまり最後の蝋燭が消えたということで、窓でも開いていて風で消されてしまったかとカーテンを閉め切った方を向く。しかしカーテンどころか窓までしっかり閉まっている様子で、暗闇とはいえ波打つ気配がまったく感じられなかった。
「なあ一松、青行燈は百話が終わってから現れると言っていたが、百物語をしている最中にも現れるという話は知っているか」
存外に近く青戸さんの声が聴こえて、それはまるで耳元で囁かれているような感覚すらあって身を固めてしまう。
「……そういう話もあるね。参加者の格好を真似て、青の羽織を肩に掛けて紛れ込んでくるんだっけ。」
「ほう…よく知っていたな。」
「青行燈の記録は少ないから、却って覚えていたってとこだけど」
「紛れ込んでどうするつもりだろうな」
「さあ? 案外、皆の話に参加したいから来てるだけかもね」
妖怪というと現代では悪い印象が多いが、本来は害にも益にもならない者が大半だ。途中参加する青行燈も意外とそのような存在かもしれない。
「そんな妖怪がいるとでも?」
「皆で集まっていたら、参加したくなる妖怪もいてもいいでしょ」
青行燈の記録が少ないだけあって、どのような理由で百物語の終わりにやってくるのかは解明されていない。だからそういった理由でやってくると考えても良いではないか。
「乾杯して、願ったものだな」
いつの間にか随分遠くから青戸さんの声がして、緊張に強張っていた体が自由になるようだった。
「……乾杯がどうかしたの」
「素敵な一夜になったと、思って」
前触れなく、カーテンが勢いよく開放される。
暗闇に慣れた目に突然の月光はあまりに眩くて、思わず手で前を覆うと誰かが窓の前に立った。
「眩しかったか、すまん」
「……大丈夫。すぐ慣れるでしょ」
どうやら青戸さんがカーテンを開けたようで、申し訳なさそうに目を伏せると元いた場所へ座る。
「まさかこんなに明るい月夜と思わなくてな」
「だろうね。普通、こんな夜に百物語はしないから」
伏せがちだった目が夜空に向かい、先程の俺と同様に手を前に出す。
「こんなことなら月見でも良かったな」
「今からでも月見、する?」
視線を床に落とせば俺と彼の間には空き缶と蝋燭が転がっていて、散々飲んだのがありありと分かる様だ。これ以上飲むのか、と自分も思うところだが、青戸さんは休みだというのだから遅くなっても構わないだろう。
「それとも、家に待ってる人がいるから帰りたい、とか?」
「はじめ……そいつは独り身に対する嫌味か」
「嫌味じゃないから、誰もいないなら泊まれば」
素敵な一夜になったんでしょ? そう言われて俺も良い気分だからまた一杯あんたと飲み交わしたいんだ。
そう言う代わりに湯呑を差し出せば、青戸さんは可笑しげに喉の奥で笑った。