あんたに知ってほしい、お前に知られたくないこと

 こぽこぽと、僕の口から出るのは青い色をした魚。

 口から青い魚が出るようになった。別に、出すことによる苦しみはない。だから吐いているわけではないのだが、見た目がよろしくない。
 出るようになったのはここ数日の話で、僕以外には見えないらしい。一昨日、魚に触れる動作をしたらトド松に変な顔されたし、さっきなんて口から出た魚を見ていたら十四松どころか長男に心配された。
 口から出た魚は宙を泳ぎながら辺りを漂う。しかしいつの間にか消えている。まあ、自分以外に見えないなら、気にしなければ良いだけの話ではある。今のところ実害はないんだし、変にあれこれするより自然消滅を待つのも良いかもしれない。
「おい、一松……」
 口からするりと魚が泳ぎ出す。その魚が泳いで行った先にいたのはクソ松で、珍しくも神妙な顔をしている。
「……なに」
「何って……どうしたんだ、その……口から出る魚は……」
 魚は僕以外には見えない。筈だった。
 だが、例外というものがあるらしい。
「あのね、だからさ、」
 喋る度に口から青々した魚が溢れ出す。こんなに出るのは初めてだが、あまりに沢山出るものだから困惑の気持ちは既に失せている。しかしながら傍で僕の様子を窺うクソ松はそうもいかないようで、辺りを泳ぐ魚にちらちらと視線を向ける。
「魚が出てくる原因はわかんないけど、害はないからいいでしょ」
「害はないとは……だが、まるっきり放っておいて良いものにも思えないぞ。口から無限に魚が出るだなんて後々何かありそうじゃないか」
「大丈夫だって」
「そうは言うが、今もどんどん吐いてるぞ」
「吐くって言わないで。汚いもん出してるみたいだから」
 魚は青く煌いて、今まで見たどんな魚よりも綺麗だ。僕から出たっていうのに嘔吐物のように言ってはいけないくらい綺麗なそれは、空のようで、海のようで、どちらでもないような、でも目を惹く青い魚はクソ松の周囲をくるりと回って泳ぐ。

 魚が出るようになった原因はわからない。でも、どのような場面で出るのかはこの数日でわかった。
「ちょっとした魚群ができてるじゃないか」
 ええ、まあ。それだけ「多い」ってわけなのかもね。
 あんたが僕を見つめると、声をかけると、名前を呼ぶと、開いた口から魚が飛び出す。僕の名前を呼んで、僕に関心を向けていると思うと、僕のことを考えていると思うと、青い魚は群れを成してゆく。
「……」
 無言の口から魚が出てくる。そう、この魚は言葉にできないクソ松への想いなのだ。
 しかし正体がわかったところで魚を止める術はない。口は開いても閉じてても、クソ松のことを考えるだけで魚が溢れ出てくる。それだけ僕が意識せずにクソ松を想ってるんだって、知らしめられた気分だ。
 ああ、その事実は受け止めよう。止められないもんは仕方ない。でもよりによってクソ松にだけは見えるなんてどうかしている。まるでこんなにも僕はあんたのことを想ってるんだって、訴えているようで、居たたまれなくなってくる。
「苦しくないのは幸いだが……何かあれば相談しろよ?」
 そうして笑ったクソ松の顔に、また僕の口から魚が二匹出てくる。この魚は言葉になればどのようになるのだろう。僕の言葉が、どうすればこんなに綺麗な魚になるのかわからないけど……わからないから気になるのかな。言葉にできたのなら、魚は出なくなるのかな。
 試してみたい。そう思うが、それを実行に移すほどの度胸は今の僕にはない。
 代わりに、一等大きな魚が口から出てきてはクソ松を驚かせ、その様子がまた愛らしくて僕は口から魚群を出したのだった。

 くるる、と居間に鳩の鳴き声が飛ぶ。それと同時に無数の鳩が四方へ飛んでゆく。白と紫のグラデーションという、今まで見たこともない不思議な模様の鳩は壁にぶつかるとシャボン玉のように弾け消え、どこからともなく溜息が聴こえた。
 多分、溜息の主は居間にいる兄弟の内の誰か……でもカラ松兄さんと一松兄さんは除く。
 ある日突然、我が家に鳩が出現するようになった。他の地域に比べたら変な出来事が多いっていう赤塚だけど、家に鳩は予想してなくて驚いたのは覚えている。でもその鳩がすぐ消える害のないものとわかってからは日常の一部となってしまった。
 ただ、日常になったとしても気になることもあるわけで、僕は消えずに残っている鳩を両手で捕まえるとカラ松兄さんの目の前に持ってゆく。
 鳩は全ての人に見えるわけじゃなかった。見える人と見えない人の違いはまだよくわかっていないけど、二つ目の兄は鳩ではなく、鳩を抱える僕の手を見てはにこりと笑った。
「カラ松兄さん、これ、何に見える?」
「ンン~? ……トッティの手だな、ハンドクリームでもつけているのか」
「うんまあ、つけてるけどねえ……うん、新しいの買ったんだー」
 鳩は放せとばかり羽ばたくものだから、つい肩が跳ねてしまうほど驚く僕に対し、カラ松兄さんは平然と手を眺めている。やっぱり鳩ではなく、僕の手を見ている。
「なにしてんの」
 僕の斜め後ろから顔を覗かせたのは一松兄さんで、不思議そうに手の中を見つめてくる。手の中には未だ鳩がいるのに、一松兄さんは僕の掌を見ていると、言わずとも察する。
 家族の中で、何故かカラ松兄さんと一松兄さんだけ鳩が見えなかった。どんなに鳩が騒がしく羽ばたいても、紫を煌かせ羽を散らして空気を揺らしても気付かない。二人以外は見えているのに……チョロ松兄さんなんて鳩が騒がしくしたら容赦なく蹴散らしたりするくらい存在感があるのに。

「そりゃあトド松、カラ松が一松に知られたくないからじゃね?」
 二人にだけ鳩が見えないようであることをおそ松兄さんに話したらそんなこと言ってたけど、どういうことなんだろう。あの二人だから鳩が見えないような風に言ってるみたいだけど、具体性がなくて僕には理解できない。
 鳩が近くを飛んで一松兄さんの髪を揺らす。でも、一松兄さんも、カラ松兄さんも何が髪の毛を揺らすのか関心がないように反応しない。いくら日常になったとしても、僕はこっちにぶつかるんじゃないかって身構えたのに。
 不意に、飛んでいた一羽が一松兄さんの肩に留まる。脚の爪が微かにパーカーに食い込むのに、兄さんは鳩の方へ向くことはない。
「難儀だなあ、カラ松」
 肩に留まる鳩に向かって手が伸び、逃げ遅れた鳩が呆気なく捕まる。その手の主はおそ松兄さんで、カラ松兄さんに呼び掛けたというのに、視線は手の中の鳩へ向けられている。
「なんだ急に。気持ち悪いな」
「相変わらず塩対応でやんの。儚さは情緒を生む、なんて美徳はあんのかもしれないけど、見てるこっちは微妙なんだよなあ」
 儚さとはきっと鳩のこと。今は僕たちの手の中にいるけど、長く存在せず消えてしまうもの。どういう意味を持って出てきたかもわからないのに消えるのは一瞬、情緒と無縁そうな長男でさえも流石に思うところがあったのか。
 すると今まで黙っていた一松兄さんが僕の手とおそ松兄さんの手を交互に見ては、思案するように目を細めた。まるで手の中に何かあるのか確認するような動きに、僕は思わず一松兄さんへ詰め寄る。
 謎の多い鳩なのだ、途中から見えるようになることもあるかもしれない。
「なんか、あんの」
「……なんか?」
「いや、二人して、手に何か持ってるような動きしてるから」
「お。それは俺も気になっていたところだ。何かあるのか?」
 何かを見せられているのは察していたのか、一松兄さんに倣うように手の中を確認してくる。それでもやっぱり視線は鳩を通り越して手を見つめている。
「それ……その手に?持っているのって、魚だったりとか……」
「……さかな?」
 唐突な魚の登場に思わず首を傾げてしまう。鳩をどう見れば魚になるのか、暴れる様は少しは似ているかもしれないけど見間違えるようなほど似てはいない。
 疑問を示す僕の反応に一松兄さんは僅かに眉間に皺を寄せる。それはまるで失言してしまったとばかりの反応で、すかさず僕と一松兄さんの間におそ松兄さんが入ってくる。その顔に浮かぶ笑みの意地悪そうなこと、自分が彼の標的ではないことに安堵するくらいだ。
「へェ~、一松には魚が見えてんの?」
「ぼく、には……、…いや、別に。なんも見えてないけど、うん。なんか、そう思って、」
 嘘だな。僕とおそ松兄さんの思いはシンクロしただろう。唇をきゅっと結んで目を逸らす一松兄さんの様を見たら嫌でも分かってしまう。察するな、というのがムリだからどんだけウソが下手なの。それともワザと? でも、魚が見えているウソをつくメリットなんて微塵も浮かばないので、本当なのだろう。
 どうやら、僕たちが見える鳩は見えないけど、僕たちには見えない魚が見えるらしい。
 鳩と魚が行き交うってここは海と空の交差点かな。これどっちも見えてたら流石にちょっとしんどいだろうなあ、鳩だけでマシだったかも。
「ふーん……カラ松より一松の方がちょいとばかし上手なのかぁ」
 そんな長男の言葉に、名前を呼ばれた二人が僅かに肩を揺らす。
「なんでクソ松の名前なんか出すの」
「いやね、魚だって鳩だっていいんだけど、こーゆーのはそこらじゅうに放さないで自分の中に収めておくもんだから」
 そう言うとおそ松兄さんは鳩を放して一松兄さんの肩を抱く。そして髪の毛を掻き回すように撫でた。
一松兄さんは不機嫌そうに顔を歪めるけど逃げる様子はない。突然のことだったせいかな、それとも意味の分からないおそ松兄さんの言葉に思うところがあったのかな。いくら顔が似ていても何を考えているのかなんてわかるわけもなく、されるがままの様子を見ていると、大きなざわめきと共に家が揺れた。
「……!」
 室内に大きな影が落ち、何かが頭上を掠める。それが鳩だと分かった時にはチョロ松兄さんの悲鳴が聞こえた。
「ちょ、」
 悲鳴まで行かなかったが、髪を乱す突風に声が出てしまう。 どんどん視界を占めてゆく鳩に、突如発生した風はあの小さな存在が起こしているものだと気付く。塵も積もれば、三本の矢、なんて言ったもので、数え切れないほど飛び交う鳩は家の中に嵐を巻き起こす。
「からまつーあのなあ! お前が何考えててもいいけど、少しは自分んなかで面倒みろよ!」
 おそ松兄さんがそう叫ぶと、逃げるように部屋から飛び出した。それに続けとばかりにチョロ松兄さんと十四松兄さんが続いてゆく。兄たちが出てゆくということはここにいては危険なようだ。すぐ消えるといっても嵐と呼ぶに相応しい鳩の風が全身を揺らすのだ、これから怪我に繋がる可能性は十分にある。
「待ってよ兄さんたち!」
 本格的に巻き込まれない内に避難しないと。飛び交う鳩にぶつかりながら部屋を飛び出せば、視界の端に呆けた様子のカラ松兄さんの顔が見えて舌打ちしたくなった。
 こっちは焦りを覚えているというのにその顔はなんだ。見えないっていってもなにかあるんじゃない?

「……どうしたんだ、あいつら」
「さあ」
 やけにおそ松が絡んできたかと思えばチョロ松が素っ頓狂な声を上げ、一松を除く兄弟たちが一斉に退室した。それは時間にすれば数分の出来事で、最後に出て行ったトド松さえも呼び止める暇がなかった。
「なんか焦ってる感じはあったけど」
「それは俺もわかったが、何をそんなに慌てる必要がある?」
「新台入ったとか」
「新台入ったのはニ日前だろう。おそ松に誘われて並んでいたじゃないか」
「そういやそうだね」
 ではあの四人が揃って焦って出てゆく理由とは? 隣の幼馴染の存在がちらついたが、それならば俺たちも何か察することがあるはずだ。首を傾げて考えてみるがまるで見当がつかなくて、思わず唸っていると、傍を青いものが通り過ぎる。
 それは最近では見慣れてきた一松の魚で、こちらの様子を窺うようにくるりと近くを周回する。泳ぐ 青は自然には存在しないような鮮やかさがあるのに、人工的なものより快晴の空を連想させる。
 不思議なものはどこまでも不思議なのか、そう思ってしまう魚は頭上へと泳いでゆく。それを目で追っていたはずだったが、気がつけば魚は空気に溶けるようにいなくなる。
「お前の魚は、いつもどこに行くんだろうな」
「さあ?」
「自分から出てきたというのにつれないんだな」
「行き場のないものだってあるでしょ。あれはそういうのだからいいんだよ」
 言葉と共に小魚の魚群が彼の口から出てくる。その数の多いこと、流石の一松も驚いたように一瞬固まる。
 煌めきながら泳ぐ魚群はやはりいつの間にか見失ってしまう。行き場がないのに現れる魚は何なのだろう。こんなに綺麗なのに行き場がなくて居なくなってしまうのであれば、それはあまりに惜しいと思う。
 絶えなく口から出てくる魚を一松が見つめている。その視線は先程、自身が彼に言った「つれない」なんて言葉を微塵も感じさせない想いが乗っているのが知れた。

 行き場なく消える魚を受け入れながら、彼は想いを傾けているのだろうか。
 そう思うとどうにも堪らなくなって、激情が飛び立ちそうな緊張を覚えてしまった。