戦友といえば聞こえは良いが ※生存院

 メイド・イン・ヘブンが発動し、世界が加速した。
 しかしそんな状況下でも天国より地を踏みしめる者の意志が勝ったのか、徐倫率いる仲間たちはプッチ神父を倒し、世界の加速は治まった。それでも時の加速による被害は大きく、加速の要因を知るSPW財団はそれに対する措置に追われていた。

「……ああ、なんとか全員撤収したようだね。急用ではあるけど、うまいこと職員で回しながら睡眠は確保するように………うん、どうか気をつけて」
 SPW財団の職員である花京院は同僚からの連絡を受け、最低限の確認と労いの言葉を述べて通話を切った。時間はそろそろ日を跨ぐ頃、財団のオフィスは真っ暗で花京院ひとりしかいない。そんな暗がりにぽつり、と灯るデスクランプは数時間前まで世界が新しく巡ろうとしていたことなんてなかったかのように穏やかだ。そんな灯りに花京院が小さく息をつくと切ったばかりの電話が再び鳴った。
「はい。SPW財団…これはどうも教授……空条承太郎ですか?まだ詳細はこちらには届いておりません………どうもありがとうございます。教授こそお忙しい中、空条の安否を気にしてくださり…」
 水族館とは名ばかりの愉快さしかない刑務所でのプッチ神父との一戦。なんとか終結を迎えたが世界に与えた影響は大きかった。今通話している教授にも騒動の流れで承太郎の話を耳にしたそうだ。
「……どうか教授もお気をつけて」
 いつもの自身の声を意識して、そう一言述べると花京院は通話を切った。その瞬間、背中から汗が吹き出て、襟首が冷えるようだった。
 違和感なく応対できていたろうか。
 話している最中、なんだか自分の声がやけに強張っているように思えてしまい、口元を覆う。まあ、聴いているのは電話の向こうの察し良く口数多くない老人だけで真っ暗なオフィスで聞き耳立てるような者はいない。
 承太郎はどうなっただろうか。娘の徐倫も大怪我を負ってはいたが意識がはっきりしているようだけど、彼は未だ意識が戻ってないらしい。まだ医療施設へ搬送されている最中なのか、それ以上の詳細はまだ来ていない。
 折角娘との関係が修復しようとしていたのに。
 感傷に似た心情を抱いているとまた電話が鳴り始める。表示された番号は時折連絡してくるある新聞社のものだった。全く……世界の加速により死傷者が出たほどの非常時に…いや、そんな前代未聞の事態だから超常現象の一種に位置付けられるスタンドを専門に調べる財団へ連絡を寄越したに違いない。やれやれ、今日くらい家へ帰って家族の安否を確認して大人しくしていればいいのに。仕事熱心とは厄介だ。
 そう思う自分も仕事中なんだよな、と少しばかり感じた滑稽さに苦笑しているとまた違う番号が表示された。これは……知らない番号だが近場だな。
「はい。SPW財団特命部」
『フロリダ中央病院の救急医療室です』
 救急医療、というワードに背筋がひやりと冷える錯覚があって、思わず唇を舐めてそいつを誤魔化した。
「どうも。SPW財団特命部に所属してます花京院典明です」
『空条承太郎さんと娘の徐倫さんがこちらへ搬送されることになりました。あと数分もすれば到着する予定なのですが、空条さんのメディカルデータはありますか』
 名前からして刑務所から程近い病院とは判断できたが、こちらに空条父娘のメディカルデータを要望するとは財団をそれなりに知っている者だろうか。
『ああ、すみません……私、SPW財団メキシコ支部に所属してるレギンスです。私を存じないのであればメキシコ支部へ身元確認してください』
 なるほど、財団の職員か。電話は切らないままノートパソコンを引き寄せて財団のネットワークに繋げる。メキシコ支部の名簿を読み込めば厳つい顔つきの男性の写真。
「……医療部のレギンスさん、ですね」
『メキシコ支部が現場から一番近いので私が出動しました』
「そうですか。空条父娘のメディカルデータならあります。紙媒体でなければメールやメッセンジャーが機能しているのですぐに送れますが」
『それなら手持ちのタブレットがあるのでそちらへ……』
 そこから確認事項に受け答えしつつ、パソコンから必要な情報を呼び出す。皮肉なことにいざという時のためにと父娘のメディカルデータは最新型だ。まさか、役立つ日が来てしまうとは。
「お送りしました……それで二人の容態はどうですか」
『それは……到着しないと何とも言えません。しかし救急車の要請によりひとつ、ICUを開けて待っている状態です』
 徐倫より承太郎の方が重症だと知っている花京院は、短いやり取りで状況を把握してしまった。
『大変な騒動の中ですが、ご家族への連絡は、』
「それはこちらから。家族の付き添いは必要ですか?」
『万一に備えて、ご家族が立ち会っていただければ』
 付き添いではなく、立ち会いが必要な状態に余計なことを聞き返しそうになるのを抑える。
「存じているとは思いますが彼は離婚して独り身です。徐倫を除けば血縁者は日本に住んでるので……とりあえず、今は私が伺います」
『お待ちしています』
 通話を終えると花京院はくたびれたメモ帳を取り出してすぐに受話器を取り上げ直す。できることなら、こんな場面で連絡を取りたくはなかった。
『……もしもし』
 電話の向こうの女性の声がやけに懐かしく、そして電話に出てくれたことにほっと息をつく。
「夜分に失礼します。SPW財団の花京院典明ですが、」
『花京院さん、ご無沙汰してます』
 電話の女性は徐倫の母親であり、かつて承太郎の妻であった人だった。承太郎と離婚する前……それこそ徐倫がまだ幼児の域を出ないほど小さかった時に会って以来だったが、彼女も花京院を覚えているようだ。
 余計な心配をかけないために刑務所での出来事をどうにかぼやかし、徐倫と承太郎が面会中に加速による被害に巻き込まれたとだけ説明した。
「徐倫さんは今、病院へ搬送中です」
『あの人も一緒、でしょうか』
 震え声で放つように問われた。あの人とはつまり……花京院は一瞬、息を呑んだ。
「承太郎も、です……容態については詳しいことは、まだ。しかし彼ら父娘はとても強い、無事であると信じています」
『……』
 娘の徐倫と、そして別れたとはいえ、夫婦として人生を共に歩んだことのある承太郎の安否は気になるところだろう。安全を断言しない花京院の言葉に電話の向こうは沈黙する。そんな気まずさを払拭しようと花京院は明るい声を出す。
「これから私が病院へ向かいます。容態がわかり次第またご連絡します」
『よろしくお願いします。少し遠いので時間がかかると思いますが、私も伺いますので』
「無理はなさらないで下さい。今回の騒動で交通網がなければこちらへご連絡をくださればヘリを手配しましょう」
 娘の徐倫は彼女を泣き虫と称したが、震え声ながら応対してくれる気丈な人で助かった。流石は空条承太郎と一緒になった女性だけあるのかもしれない。それでも今にも泣きそうなのを堪えている様子にもう一度大丈夫ですよと声を掛け、通話を切った。
 ……さて、徐倫の方はこれで良いとして今度は承太郎だ。かつての家族が来るとはいえ、書類上ではもう過去の繋がりでしかない。そうなると連絡する先は歳を召した彼の両親しかいない。
 今は遅い時間帯だが、承太郎の母親であるホリィが住まう日本なら問題ないだろう。彼の実家の番号なら携帯電話に登録しているので早速連絡しようとすれば、置いた電話が鳴る。
 なんだ。何故こんなに連絡を寄越してくるんだ。こんな時くらい大人しくしていろ。
「……はい。SPW財団特命部」
『花京院くん?』
 声が遠い。しかし、花京院の名を呼んだ女性の声は誰にも聞き間違いしないほど、馴染みある人だった。
「そうですけど、貴女は……ホリィさん、ですか?」
『ええそうよ! まあまあお久しぶりねぇ花京院くん!』
 最後に顔を見たのは花京院が日本の実家に帰省した時になるので、六年程前になるだろう。それでも電話の声は記憶するものと同じで老いなど全く感じさせない。
「お久しぶりです……また急に連絡なんて、どうしました?」
『それはなんだか胸騒ぎがして……それと今回世界規模であった騒ぎは、スタンドが関係してるんじゃあないかしら、と思って…こんな夜分に迷惑は承知だったけど、気になって……』
 ホリィは決して財団の事業に関わる人間ではない。しかし、この察しの良さは流石ジョースターの人間ということなのか。
「その件について、お電話しようとしていたところです。今回の騒動はスタンド攻撃によるもので、承太郎とお孫さんの徐倫ちゃんが巻き込まれました」
『そんな……それで、ふたりは?』
「詳しい容態は分かっていませんが、立会人が必要だと言われました」
 電話の向こうのホリィが無言で息を呑む気配があった。察しは良くてもここまでは想定してなかったのかもしれない。
『……あの……それなら財団にある、承太郎のデスクを探ってみてくれないかしら』
「デスク?」
『前にね、自分に何かあればそうしてほしいと、承太郎に言われたの……ええと、デスクに、鞄が入ってるから、それを確認してほしいって』
「そう、ですか……わかりました」
 それから短いやり取りをして、花京院はホリィとの通話を切った。
「……デスクねえ……大事な文献でもあるのかな」
 花京院が所属する特命部は承太郎のデスクと近い。しばらく人が触れた様子のない彼のデスクの引き出しを開ければ、無数の書類が乱雑に出てきた。
 ……承太郎は几帳面なイメージがあったが、人目がないスペースは案外に適当なのか。これは探すのが面倒な予感を覚えながら鞄が入っていそうな大きな引き出しを漁る。
 何年も前に名称だけ承太郎から聞いた学会のパンフレットや、もう利用する機会のなさそうなくしゃくしゃになったメモ用紙、今は使われていないメールアドレスが印刷された名刺に、幼少期の徐倫が所有していたものらしい小さな魚のぬいぐるみ……捨てるタイミングを逃したものかもしれないが、よくもこれだけ溜め込んだものだ。
「……これじゃあ物探しより大掃除だな……」
 誰もいないことをいいことにそんな独り言を呟きながら、花京院はひとつひとつ確認してはデスク横の床へ置いてゆく。できれば早いところ空条父娘が搬送される病院へ行きたいところだが、それらを邪見に扱いたくはなかった。それはどんなにくたびれたものが、不要だとしか思えないってのものが出てこようとも、だ。
 花京院にはこの見た目だけ整った、中身の乱雑なデスクはまるで承太郎のように思えてしまっていた。手にしたものを全て抱え込み、それを何一つ捨てずに大事にしようとして、それでも両手から溢れそうになっている様がそっくりだ。離婚してからも結婚指輪を寝室の棚に大事に仕舞っている、なんて話をいつかの酒の席で明かされて驚いたものだった。
 そんな承太郎を花京院は未練がましい奴とは思わなかった。花京院は承太郎がこれまで抱えきたものが何なのかわかっているから、そんなことなんて考えもしなかったのだ。
捨ててしまった方が楽なものまでたくさん抱えて、そのために自分の身を削いで懐を広げるものだから彼は家族の絆を失いかけたりするのだ。器用なくせに自己犠牲があまりに多いから承太郎は駄目なのだと、引き出しを漁りながら思ってならない。
「そこが承太郎の良いところではあるんだけどねえ……」
 だから彼の妻も影で徐倫を抱えて泣いたのかもしれない。自分を省みない分、それは身近な存在である家族に影響すると、きっと気付いていたに違いない。
 そう、花京院は考えている。そう思わなければこのデスクの乱雑さがやるせなくなりそうだから。
 ……とりあえず、今は頼まれた鞄を探すのが一番だ。
 はみ出たファイルを引っ張り出せば、一緒にばさばさと書類が飛び出してきた。なんだこれ、未来から来た猫型ロボットが出てくるデスクなのかと言いたいくらい物が絶えなく出てくる。まめに横へ積み上げていたが、こう沢山出てくると邪魔になってくる。一先ず出てきた物を近くにあったソファーへ移動する。目につく場所に置いておけば戻ってきた承太郎が勝手に片付けるだろう…それも戻ってきたら、の話だが。
 そこは深く考えるのをやめた花京院はデスクの発掘を再開する。奥になるにつれ年期ある書類が出てきては、日本語表記の文庫本数冊を出し……然程大きくはない布地の鞄が出てきた。
 探し物はこれか?
 この鞄もまたそれなりに古いものなのか、手に取ると埃が舞って思わず花京院は顔をしかめる。元はそれなりに良い品のようだったが、持ち手に若干の綻びがあってひどくくたびれている。大部物がなくなったデスクの引き出しにはそれ以外の鞄は見受けられないので、目的のものはこれのようだ。
 思わず花京院はほっと息をつく。
 ふと、持ち手にタグがくくりつけられてるのに気付いては、鞄に比べて真新しい綺麗さにおや、と目を見張った。そのタグには“不慮の事故、またはスタンド使いの襲撃において病院へ搬送された場合、こちらを用意してほしい”と英語と日本語、ふたつの言語で書かれていた。
「入院セットか何かかな?」
 フィールドワークやスタンド調査で承太郎が入院することはそう珍しくはなく、入院セットがあってもおかしくはない。用意周到だと思いつつ、それならデスクを整頓すればもっと良いのでは、と花京院は思ってならない。用意したって、この存在に気付かなければ誰も持ってこないだろうに。
 さっそく中身を確認しようと鞄を持ち上げれば、それは見た目よりもずっしり重い。デスク上に置いて鞄の留め具を開けると、その中身に花京院は再度目を見張った。
 鞄の中身はデスクの中に反してとても整頓されていた。中身には小さめのメモ帳、それより少し大きめの“星の王子さま”の文庫本、いつか承太郎が好きだといっていたJ-POPミュージシャンのCD。そして万年筆に大粒の砂が入った小瓶が入っていた。出会ったばかりの、高校生時の承太郎を連想させる品の多さと入院セットとは明らかに違う中身に花京院は首を傾げた。
 これは入院セットというより空条承太郎のタイムカプセルではないか。どれも承太郎の私物なのは確実だが、この非常時に場違いなものばかり……何かあった時、と言ってもこれは今持っていくべきなのか?
 疑問を抱きながら、まだ何かないかと探れば、奥から両の手に乗る程のダイヤル式の手提げ金庫が出てきた。
 先ほど持った時の重さはこれか。開けようとしたが、当然ながら金庫には鍵がかかっていた。
 目的のものは鞄、ではなく、“鞄の中にある金庫“か? 金庫イコール貴重品と安着な方式が浮かび、それなら非常時に必要になるかもしれないと納得しては、蓋に何か書いてあるのに気づいた。
「“鍵”は“愛しの星が生まれた日”?」
 暗証番号の類いとは本来、自分以外に開けられないよう、メモに残したりしてはいけないのだが…これは承太郎以外の者が開けることを前提に書かれているのだろうか。持ち主以外の者が開ける事態はつまり、良くない考えばかり浮かんでしまいそうで花京院は“愛しの星”について考えることにした。しかし、承太郎が愛しいと明記するものなんて花京院はひとりしか知らず、今でもよく覚えている数字にダイヤルを回す。
 その数字は彼の娘である徐倫が生まれた日であり、ダイヤルを合わせながら当時のことを思い出す。母子無事に出産を終えたとジョセフから連絡を受けたポルナレフとアヴドゥルの喜びようはすごいものだった。かつての旅の仲間であり、無愛想だと言いながらも可愛がっていた弟分の子どもが誕生したのだから家族のようにめでたいに違いない。そう分かってはいても、当時のことを思い出しては、花京院はふ、と声を出して笑ってしまう。
皆に歓迎された承太郎の子は左肩に星の痣を宿して生まれてきた。それは承太郎との繋がりを実感する証であり、これまでジョースター家が歩んだ道から徐倫も逃れられないという事実だった。そのことに承太郎が恐怖していたのを花京院は知っていた。そう、相談されたわけではない。それでも、何も言わずともまだ自我も芽生えない赤子に自身が背負った運命を重ねて悩んでいるのは、端から見てもわかった。苦悩した結果、家族の関係を拗らせはしたが、そいつは愛する故だと、それも花京院はわかっていた。
 伊達に二十年以上承太郎の友人ではないのだ。必要に思いを言わない分、回りが気づいてやらなければ。承太郎はカリスマ性の高い人間ではあるが、万能ではない。
 ダイヤルを合わせれば、金庫の蓋はぱちんと音を立てて開いた。すぐに予想できる数字で助かった。
 金庫の中には年季を感じさせる古びた鍵と封書が二通出てきた。鍵は古いながら決して安物ではない精密な作りをしており、何の鍵かはわからなくともそれなりの代物であるようだ。もしかしたら一緒に入っている封書にこの鍵は何なのか書いているかもしれない。しかし、封書を開けて良いものか……そう悩んだが、よく見れば封筒の一通は口が糊付けされておらず、中に便箋のような紙が入っているのがわかった。
 開いているのなら確認しても構わないだろう。封筒から取り出した紙を広げれば、達筆な承太郎の字が連なっていた。

 ――こちらの封書をお読みになった方へ
 これを見ている方がいる状況となると私、空条承太郎が非常下にいるかと思います。それに伴い、何かとお手を煩わせる事態になっていると思われます。この文書での簡素な詫びをお許しください。
 この封書と共にあった鍵はXXX銀行の貸金庫の鍵です。そして封書には貸金庫を開けるのに必要な書類が入っております。私に万一のことがあればこちらを開けてほしいのです。金庫には遺言書と生命保険証をはじめとした必要書類が保管されています。こちらは最新のものです。
 すべての受取人は空条徐倫でお願いします。しかし彼女はまだ若いので、遺言書の事項はSPW財団に所属する花京院典明を介するよう徐倫へ口添えしていただければ助かります。またその際にこの封書だけは徐倫ではなく、必ず花京院典明にお渡しください。

 二〇一〇年 三月十日 空条承太郎

 花京院へ
 もし、財団にある私のパソコンの壁紙が家族写真のままであれば、どうか適当な画像に変更してほしい。あれを徐倫に見られたくはないので、どうかよろしく頼む。

 花京院は文書の最後まで読むと、それをぐしゃぐしゃに丸め込んで、思いっきり床へ投げた。
「なんだこれは……!」
 その声は震えており、その自身の余裕のなさに花京院はがりがりと頭を掻いた。
 ……いや、こんなことをしている場合ではない。花京院はすぐに床に転がる紙を拾い上げると承太郎のデスクから離れた。そして自分のデスクから財布と車の鍵を取り出すとポケットに突っ込んで、下階の駐車場へと向かう。しかし途中で階段を駆け下りることさえもどかしくなり、ハイエロファントを出現させて窓から下へ飛び降りた。
 駐車場へ飛び込み、自分の車にたどり着くと助手席に財布を投げ、エンジンを掛けた。ぎゅん、とエンジン音が唸り、慌ててブレーキを踏み込んでいた足を浮かす。
 勢いよく発進する車のハンドルを切りながら花京院は滅多にしない舌打ちをした。
 幸いにも今回の騒動で多少の乱暴な運転では捕まりはしないだろう。とにかく早く病院へ行かなければ。
「……」
 このように、徐倫の相談相手になるのはまったく構わない。しかし、これはまるで僕に宛てた遺言書ではないか。こんなものに名前を出しやがって。しかもこんなものをひとりで勝手に用意していたなんて。
 花京院は承太郎の心境を汲み取る努力をしていた。それだけ彼は不器用だと、花京院に限らず家族やかつての仲間は把握していた。
 しかし、これはどうなんだ? 娘の相談役に抜擢するくらいなら前もって相談してくれたらいいのに。友人なのだから、まずはそこからではないのか? そんなに僕は頼りないのか? ひとりでこんなものを用意するなんて、もっともっと頼れば良かったのに。
「承太郎……死んだら許さないからな……っ!」
 考えれば考えるほど色んなことが頭の中を渦巻き、しかし明らかな怒りがその渦の中にあるのを花京院は感じた。これは意地でも承太郎に生きてもらってたんまり文句を言わなければ気が済まない。

 乱暴な運転に傾きそうになる車に構わず、花京院は怒りに任せて更にアクセルを強く踏んだ。