求愛する ※承太郎鳥化

 なんだか可哀想だなって思っただけだった。ほんのちょっとのお情けだったんだ。
 それだけ、だったんだ。
 だったんだけどなあ……世の中、些細なことで何があるかわからない。

 いつも通る通学路。平日朝でも人が疎らで静かなこの通学路で僕は激しい羽ばたきを聴いた。
 騒音とは無縁な通学路にその羽ばたきは大きく響き、思わず好奇心に駆られて聴こえる方へ足を向ける。この先には住宅しかないのだけど、大型の鳥でも飼ってる人がいるのかな。
 歩みを進める毎に大きくなる羽音。そうしてその音の発信源を見つけて思わず「あ」と声を上げてしまった。
 よくあるゴミ捨て場のカラス除けのネットに、鳩程の体躯の小さなカラスが絡まっていた。どうやら先ほどからの羽音はこのカラスが発していたようだ。僕の声に羽ばたく音の主は驚いたのか、更にばたばたと暴れる。羽音に合わせて舞い上がる羽根と砂埃に反して、ネットはカラスにしっかり絡みついているようで小さな体を解放することはない。僕がここに訪れるまで今のように暴れてより複雑に絡まってしまったのだろう。
 ネットは脚や羽根にもキツく絡まっているから自力ではもう脱出できないように見える。ゴミを漁りに来た結果だろうから自業自得だけど、その姿は痛々しくてついつい脚がカラスへと向かう。するとカラスは「ア゛アー」とも「ギャー」とも聴こえるような、とにかく必死さを露わにした鳴き声を上げて暴れた。その小さな体のどこからそんな声が出るのだろうと思わず一瞬怯んでしまった。しかし僕は気を取り直してカラスへ近付く。見てしまったからには助けないと気分が悪い、それがカラスであろうともね。
 暴れて鳴き叫ぶカラスの体を捕まえて、絡まるネットを取り外しにかかる。
「こら、動くなって。変なことなんかしないからっ!」
 そう訴えるがカラスに人間の言葉なんて通じなくて、逆に更に激しく羽ばたき始めた。いけない、あんまり刺激しちゃあいけない。ばたつかせる羽と脚に手こずりながらも絡まっているネットを外しにかかる……思った以上に絡まってるかも、安易に引っ張ってはこのカラスの体を傷つける危険がある。
「……君、助かりたいならじっとしてろよ……」
 刺激しないよう極力体に触れないようにネットを摘む。ああ、ハサミがあれば絡まったネットを切れるんだけどなあ…そう都合良くハサミなんて持ってない。これは時間かかるかもしれない。そう思っていたが、カラスは僕が危害を加えるために自身に触れているわけではないとわかったようで、暫くするとクーと小さく鳴きながら大人しくなった。言葉は通じなくても気遣う行為は伝わっているようで良かった。大人しくなったことをいいことにネットを解く手を早める。
 くるりくるりと徐々に解けるネットをカラスは見上げる。その目は朝陽の眩さを受け止めて緑色に光る。
 珍しい色だ。それともよく見れば他のカラスもこんな鮮やかな緑の瞳なんだろうか?あまりの綺麗さに見とれていると手中のカラスは少し強めな声を上げる。まるで急かされたようで僕は慌てて手を動かす。
 ……よし、見た目より複雑に絡んでなくて解きやすい。あとちょっとでこのカラスをネットから解放できるぞ。時折ネットを摘む指先に触れる羽毛はやけに柔らかい。体もよく見かけるカラスより小さいし、まだ子供なんだろうか?
「君、いくつなんだい」
 ついついそんな言葉をかけてしまい、ふと辺りを見回す。幸いにも誰もいない。
 端から見たらカラス抱えて話しかけてる高校生なんて若干頭逝かれた奴だと思われかねない。
 ほっとしつつネットを解く作業を再開しネットでぐしゃぐしゃに乱れていたカラスの背中が解放される。その晒された背中の色に思わずあれ、と再び手が止まりそうになってしまった。
 ネットに絡まっていた時はよくわからなかったが背中の一部だけ白い。暴れている内に羽が剥げたのかと思い触れてみたが、ふわふわと肌触り良い羽毛がそこにはあった。突然変異、とかかな……ポケ●ンとかでも色違いが稀にいるし、こうして出会える可能性は皆無ではないだろう。それにしても変な模様だな、まるでヒトデが背中に貼り付いてるみたいだ。
 奇妙な模様に思わず笑って背中をなぞるとカラスは不満げに「アー」と声を上げた。
「ああ、ごめんね。あとちょっと辛抱してよ」
 もう暴れることはないカラスを宥めるように囁きながら僕はついに全てのネットを解いた。解放されたカラスは僕の手からふわりと降りる。カラスはぼさぼさに羽が逆立ってしまった体を震わせると僕の方を見上げた。
「アー」
「どうやら痛めたところはないようだね…これに懲りて次はゴミを漁るなんてバカなことはしない方がいいよ?」
 人がいないことをいいことにカラスにそう言ってやると、カラスはくりっと小さな顔を傾げた。わかってるのかわかってないのか、しかしその仕草はちょっと可愛いかった。

 そんな出来事があったのは去年の初冬だった。
 あの時は有害だって言われるカラスも可愛いものだな、くらいしか思わなかった。

 そして今年の春、新学期が始まって間もなく、あることが起こった。
「……なんだ、これ?」
 朝学校に行こうと家を出ると玄関前に茶色い塊が転がっていた。よく見るとその塊は毛むくじゃらで生き物のようにも見えたけど…動く様子はない。ちょっと気味悪いな、女子が鞄につけてる動物の尻尾の飾りにも似てるけど、似てるだけで違う気がする。
 少し距離を置いて観察していると僕に続いて仕事へ向かう母が出てきた。
「あらやだ、モグラじゃあない……猫にでもやられたのかしら」
「モグラ?あれ、モグラなの?」
「ええ、典明は土いじらないから見たことないでしょうけど、畑の作物を荒らしにここら辺も来たりするのよ」
 じゃあなんだ、あれはそのモグラの死骸?うわっ…モグラには申し訳ないけど死んでると思うとより一層近寄りたくなくなる。
「私急いでるからモグラよろしくね!」
「ええっ、僕が!?」
 そんな僕の気持ちは無視して母は足早に道路へと駆けていった。残されたのは僕と動かないモグラ。
「……まさかだろ」
 できるなら触りたくないけど、このままあのモグラを放置するのは色々と良くない。僕は渋々モグラを埋葬しようと物置小屋へ脚を向けた。なんだって朝からこんなことしないと行けないんだ……今日はツいてない。そう思いながら通学前の僕はモグラのために穴を掘った。
 しかし、これだけでは終わらなかった。このモグラを皮切りに三日に一度のペースで朝、玄関前に小動物の死骸が置かれるようになった。それはネズミだったり虫だったり、トカゲだったりカエルだったりと様々だった。
 うちにどんな恨みがあるか知らないけど悪趣味な嫌がらせである。置かれる度に庭の隅っこに動物を埋める僕の気持ちにもなれ、愛護心が特別強いわけじゃあなくても憤慨ものだぞ。
「よし」
 小動物の死骸が置かれるようになって三週間が経とうとした辺りで僕の我慢も限界であった。
 犯行現場を押さえてやろう。訪れる日時はこれまでの流れでそれなりに絞り込めるから、そこを重点的に玄関を見張ればいい。こんな悪趣味な奴、警察に突き出したっていいくらいだ。最後に動物の死骸が置かれていたのは一昨日だからそろそろ来てもいい頃だ。平日で学校があるなんて犯人が捕まるならなんの問題でもない、なんて思いで僕は朝4時から玄関の扉を薄く開けて見張りを始めた。
 まだ暗い外には小動物も人影もない。明け方にくるのかな。未だ眠気を覚えて落ちそうになる瞼を擦りながら扉の向こうを眺める。
 暫くするとうっすらと見える外が白く明るくなってきた。どうやら日が昇ったようだ。
まだ誰も来ない。もしかして今日は来ない日?いやいや、夜は明けたばかりだし、僕がいつも家を出るのは7時過ぎだからこれから来る可能性は十分にある。早急に退散するのは良くない。
 そんな思いで欠伸をしながら、うとうとしながら暫く待機しているとポケットに入っていた携帯端末が鳴った。音は目覚ましに使っている着信音だ……もう普段起きる時間か。一向に何もない。今日はやはり来ない日だったのかもしれない。
 そろそろ寝起きの乱れたままだった髪を直さなければ時間ギリギリになってしまう。扉を閉めて準備を始めようとドアノブに手をかけると大きな影が玄関前に落ちてきた。
「っ!」
 横から現れたのではなくまさに上から落ちてきた影に硬直する。もしかして犯人か?未だ薄く開く扉を少しずつ開けてゆくとばさりと黒い羽が広がった。
 そのあまりの大きさにまた僕は体を固まらせた。
「……なに?」
「ア゛ー……」
 鳴き声返ってくる。ちょっと低いけど、この鳴き声はカラスだ。先ほど落ちてきた影の正体はカラスか。身近な生き物に少し安心して開きかけの扉を開けると、声の主の全貌が現れる。
「……カラス?」
 疑問に尻上がりになる僕の言葉に、そうだとばかりに目の前のカラス、らしい鳥は背筋を伸ばした。その伸ばした背の高いこと、きっと僕の膝の高さを越えてるぞ。
 あまりの大きさに猛禽類かと疑問を抱いてしまう。でも全身真っ黒だし、先ほどの鳴き声も低めだったけどカラスの鳴き声だった。規定外にでかいだけで、カラスなんだよな…? カラスにしては少し鳩胸だし、後頭部は毛が逆立ったようにトゲトゲしていてシルエットはカラスのそれとは違うけど。
 珍しい生き物をついじっと眺めているとカラスはいきなり羽を広げた。大きな体が更に大きくなり、思わず声を上げてしまう。しかしカラスは羽を広げながらこちらを見つめてくるりと回るだけで襲ってくる気配はない。また、ばさりと羽をはためかせて一回り。まるで踊っているかのような動きに声を上げた時の口のまま固まってしまう。見せつけるように広がる羽が陽を反射して輝く。カラスって黒いけど結構綺麗なんだな、羽根の流れに沿ってきらきら光っている。宝石のような主張の強い輝きではなかったけど、それでも僕の目を惹くのには十分だった。
「アー」
 舞っているカラスが声を上げる。
「な、なんだい?」
「クー」
 ちょっとだけカラスの声が高くなり、柔らかな響きに変わる。穏やかな感じだけど僕に何か伝えたいのかな。
「あ、」
 羽根の輝きで気付かなかったけれどこのカラス、瞳が緑色だ。その瞳は僕をじっと捉えて離さない。
 瞳は羽根とは違い強烈な光を放っていて、何故僕は今の今までその光に気付かなかったんだと思うくらいだった。
「典明ー? 早くご飯食べないと遅刻するわよ!」
 緑と黒の目映さに目を細めていると突然母の呼ぶ声が放たれた。
 その大声に思わず屋内に振り向くと背後から大きな羽ばたき。もしかして、とカラスが舞っていた場所へ視線を戻すと、そこにはカラスの姿はなかった。
 母の声に驚いて逃げてしまったかな…暴れる様子はなかったし、もう少し見ていたかったのに。ついため息をつくと、カラスがいた場所に何かが落ちていた…細長い紐?紐にみえるが何か違うようにも見えて近付いて確認する。
「うわ……犯人、逃した……」

 そこにあったのは紐ではなく蛇の死骸で、折角の早起きが水の泡になってしまった。

「グー」
「……また来たのかい、君」
 数日前、僕の前に現れた緑の瞳を持つ猛禽類のように大きなカラスは、今朝は僕の通学時間を狙ったように玄関前に鎮座していた。そのカラスの口には無数のミミズが銜えられていて、どうやら今日はそれを置きに来たようだ。どういう意図があるのか分からないけど、僕はどうすることもできないんだけどな……。
 困惑する僕を余所にカラスはミミズを地面に置くと、こちらを見つめながら羽ばたき始めた。僕を見つめる瞳と羽ばたく羽根の輝きは先日見た時と同様に綺麗だ。
 でも、何度考えても何のためにこんなことをしてるのかわからない。今までの小動物はカラスにとっての食物だから、僕に対して食物を分け与えてくれているのは分かった。でも、なんで僕に?
 全くわからないけど、とりあえず置かれたミミズを拾えばカラスは少し高めの声で「クー」と鳴いた。甘えたような響きに聴こえるのはきっと僕の気のせいだけど、悪い反応ではないようでほっとする。ミミズは本当は食べるものなんだろうけど人間である僕は食べられないので今日も庭の隅っこへ行くんだろうな。
「君が食べたらミミズも浮かばれるんじゃあないかな」
 動かないミミズの端を掴んでカラスの前に差し出す。カラスはぷらんと揺れるミミズを見つめた後、大きな嘴が僕の手へ向かってきた。
 しかしそのままミミズを食べてくれると思った嘴はミミズを避け、僕の手首に逆立った後頭部が擦りつけられた。つんつんした見た目に反して触れる羽毛は柔らかくてくすぐったい。
「わ、」
 カラスって人慣れしてるけどこんな人懐っこいのか。くすぐったさに小さく笑うとカラスはまた「クー」と鳴きながら首を傾げた。この大きなカラスの行動はよくわからないけど、やけに懐かれている事実に僕は内心浮かれてしまった。

 三日に一度はあのカラスなりの決まりなんだろうか。ミミズを置いていった三日後の朝、玄関前に大きな影があった。
「おや」
 その影はあのカラスで、今日は何の動物を銜えてきたかと思えば、嘴に黄色く小さな果実を銜えていた。見たことのない果実だけど初めて生き物以外のものを持ってきたことに思わず目を丸くした。
 カラスだから木の実だって食べるかと眺めていると、不意にカラスは果実を置いて飛び立ってしまった。
「あ……」
「何やってるの、典明」
「……母さん」
 玄関から母が出てきて、どうやらカラスは母が出てきたために逃げてしまったようだ。
「ちょっとね」
「ふうん……あら、かじいちごが落ちてるじゃあない」
「かじいちご?」
「これよ、これ」
 言いながら母が拾い上げたのは先ほどカラスが銜えてきた果実だった。野いちごみたいだとは思ったけどいちごの仲間なのか。
 母からかじいちごを受け取ると、小さな黄色い果実が手のひらに転がった。今まで僕があのカラスが持ってきたらしい小動物を食べなかったからかな。
「母さん、このかじいちごは食べられる?」
「ええ、ちょっと酸っぱいけど問題なく食べられるわよ」
 じゃあ行ってくるわね。間もなく出掛けた母を見送り、手中の黄色に視線を落とした。……食べられるのか。
 カラスが持ってきたものとなると不衛生かと一瞬考えたけど、じっと僕を見つめる緑色の瞳を思い出してしまい。
 僕は果実に口をつけた。ちょっと固めの果実に歯を立てれば、ぷちっと皮が破れて酸味の強い液が口内に広がった。
「酸っぱ……」
 食べられるけど人間の口にはあまりに酸っぱくてついつい渋い顔になるのがわかる。正直口に合わない。
 でも僕の口は止まらなくて、僕はまた果実を一口食べてしまった。

 そんな僕をあのカラスはどこかで見ていたのか。それ以来、彼は果実しか僕に渡さなくなった。僕は果実についてよくわからないから母に聴きながら食べられるものなら食べてみた。果実は先日みたいな酸っぱいものから、美味しいと感じられる甘い果実まで様々だったけれど全て人間が食べられるものだった。考えた上で選んでいるのかな。それならすごいな、カラスって頭がいいというけどそこまでいいのだろうか。
 そんなこともあって初夏を迎える頃にはあのカラスは玄関前だけではなく通学路にも時折現れるようになった。
「おはよう、JOJO」
「ア゛ー」
 カラスにJOJOという名前は僕がつけた。
 見る度に一羽で、大きな体のために鳥も人も誰も近寄ろうとしない。そんな姿に鳥だけど一匹狼という言葉がしっくりきて、友を一匹狼と歌い出す曲から『JOJO』の愛称をもらった。その名前をJOJOは自分の名前だとよく理解しており、最近では僕が名前を呼べば反応するようになっていた。
 通学路沿いの塀にJOJOが降り立つとふるりと体を震わせて毛を整えた。相変わらず黒い体は艶やかで、動く度にきらきら光を反射する。最近気づいたけどそんな黒いJOJOの背中には一カ所だけ白くなっている部分があって、それはまるで星型のような模様をしていた。
「それが似合うくらい格好良いから君は憎らしいね」
 僕の言葉はきっとJOJOには分からないだろうけど、そう言ってやりたくなって言ってみた。するとJOJOは首をくりっと傾げて「ア゛ー」と低く一鳴きした。絶対わかってないんだろうなあ。
 そんな様子に笑っているとJOJOはこちらを見つめながら羽根を広げる。そして塀の上を器用に跳ね、舞うようにくるりと回った。大きな影を落とすJOJOの羽根は輝きを増して風を起こす。出会った頃から見ているその姿は飽きることを知らず、今日も僕は見とれてしまう。

 その舞いはどのような意味を持っているのか今もわからないけれど、笑いかけるとJOJOが甘えたように鳴くので毎度のように僕は深く考えるのをやめてしまうのだった。