『1週間、わしに代わって承太郎の世話を頼まれてくれないかのう』
「はあ……ええ、まあ僕で良ければ構いませんが」
『おお、悪いのう花京院』
電話の向こうのジョースターさんの声に幾分か申し訳なさが滲むのに疑問を抱きながら、僕は了解の言葉を述べた。
DIOとの戦いの後、腹部に大怪我を負いながらも僕は2年の治療期間を経て生還した。お陰様で高校も入り直して22歳にして卒業したが、その後ワシントンにある大学にはストレートで入れたので学力的な遅れはあまりない。大学生時代は学業に精を出しながら、エジプトでの功績やジョースターさんの希望もあってSPW財団の手伝いをしていた。内容は主に新たなスタンド使いの捜査、そして調査。スタンドが見えるのはスタンド使いだけ、そして信頼できるスタンド使いともなると捜査できる者は限られてくる。その結果、僕に白羽の矢が立ったのだろう。幸いなことにジョースターさんの口添えでもあったのか、学業に大きな支障が出ない範囲の依頼しかなく、大学も無事に卒業できた。そしてその流れでSPW財団に就職し、現在は日本を拠点にアジア界隈のスタンド使いを捜査していた。
「でも、僕に出来る事は限られますよ」
DIOに食らわされた一撃で負ったダメージはなかなかに大きかった。僕を診てくれた医師も奇跡の生還だと繰り返し言っていたくらいだ。そんな一撃を食らって、お腹が塞がれば五体満足に大手を振って人生を謳歌できる……なんて、どこまでも都合のいい展開が続くことはなかった。腹部と一緒に脊髄も損傷したのか僕の下半身が動かなくなってしまったのだ。リハビリをして少しは回復したが微かに動く程度であり今も移動は車椅子を利用しないといけない状態である。まあ、こうして生きているに越したことはないし、僕にはハイエロファントがいるから多少不便を覚える場面はあっても問題ないのだけど、僕以外の誰かの世話をするとなると勝手が違うのではないだろうか。
『そこは大丈夫じゃろ。わしにでもできるんじゃから花京院なら簡単じゃ』
そろそろ80歳を迎え、足腰の弱ったジョースターさんができることは限られている。それを踏まえると車椅子の僕にでも出来そうな気がした。
しかしジョースターさんや僕の手が必要なほど今の承太郎は忙しいのだろうか?実は承太郎とはしばらく会ってない故、学者となった彼は話の中でしか知らない。最後に会ったのは彼の娘である徐倫ちゃんが産まれた時にお祝いに伺って以来だ。最近と括るにはあまりに月日が空いている。
「では明日から杜王町に伺えばいいですか?」
『すまんのう……ああそうだ、肝心なことを忘れておったわい』
「何かあるんですか?」
『大した内容じゃあないんじゃが承太郎の世話についてでの。メモを用意してくれないか?』
「……はい」
メモを取るとは。簡単ではあるが重要なのだろう。
急いで鞄からメモ帳を取り出すと僕は再度電話に向かった。
1.『朝は必ず朝食を持って部屋に挨拶へ行く。一緒に朝食を摂ってくれるとモアベター』
メモの一番初めの項目はそれだった。
ジョースターさんから連絡を受けた翌日、拠点としている東京から朝一で新幹線に乗ったお陰で8時には仙台駅に到着した。駅構内で売られていた牛タン弁当とペットボトルのお茶を二つずつ買うと僕は杜王町行きのバスへ乗り込む。電車も杜王町行きがあるが駅はホームから改札まで階段しかない場合もある分不便なのでバスを選択した。
ただいま月曜午前8時過ぎ、車内は通勤者通学者でたくさんだ。お陰で車椅子である僕は頭をぺこぺこ下げながら奥まで乗り込んだが目的地である杜王町は終点に近い場所にある。途中で車椅子が邪魔にならないくらいには車内も空いてくるだろうと弁当が潰されないよう胸に抱えつつ揺られる。窓から見える高いビルが減るのに比例して車内の人も徐々に減ってゆく。僕が人混みの圧迫感から解放されてほっとする頃には前方に疎らに空席が目に付くほどになっていた。今から向かう杜王町は海に面したベッドタウン、そこを目的地として向かう者は朝だけあって少ないのだろう。僕はそんな数少ないひとりというわけか。
流れる窓の景色にはもうビルはなく、住宅が多くなってきた。間もなく杜王町かな。
バスが止まり人の乗り降りに微かに車体が揺れる。そして僕の斜め向かいの席にどっかりと大きな人物が座った。後ろ姿だし座っているからわかりにくいがもしかしたら僕よりも大きな人物かもしれない。滅多に見ないくらい広い背中を眺めながらぼんやりと思う。承太郎に限らず実は案外僕より大きい人はいるのかもなあと思っているとアナウンスが承太郎が在住しているホテルの最寄りのバス停を告げる。ボタンを押して間もなく止まったバスから降ろしてもらった。降りる際にあの広い背中の人物の顔でも確認しようとしたが、寝ていたのか俯いていてその顔を確かめることはできなかった。代わりに派手な装飾が施された学ランが確認できた。承太郎とは方向性はちょっと違うデザインだったが改造制服とは懐かしいな。微かな思い出に浸りつつ登りかけの日の強さに思わず顔を覆う。ビルのない海沿いの町は遮るものがないせいかなかなかに暑い。その暑さを与える日差しの中にホテルが見えたので車椅子を運転した。住宅街に囲まれる中に佇むホテルは想像していたより規模が小さい。多分に利用者が少ない故だろうが近付くにつれ見えてくる設備の良さに小さいながら高級感を覚えた。
「SPW財団日本支部の花京院典明と申します」
「お話を伺っております。ただいまお部屋へご案内致します」
ジョースターさんからホテルへ前もって連絡していると聞いていたのでロビーにて名乗ると、スムーズにひとりのボーイが承太郎が宿泊しているという一室まで案内してくれた。
「ジョセフ・ジョースター様から合い鍵を渡すように申し付けられてますのでお渡しします」
「ありがとうございます。後はひとりで大丈夫です」
ちゃりん、とホテルの鍵にしては重量感あるそれを手渡され、しっかりした作りなのが知れる。
車椅子である僕を配慮してかなかなか離れないボーイに繰り返し伝え、いざとなれば中にいる承太郎にも助けを求めるといえば引っ込んでくれた。配慮してついてきてくれるのは助かるけど久々の承太郎との再会の場に第三者がいる状況が少しだけ恥ずかしかったんだ。申し訳ありません、と心の中で謝罪しつつ承太郎がいる部屋のベルを鳴らす。しかし誰も出てこないどころか扉の向こうで人が動くような気配もない。気付いてない?もう一度ベルを鳴らす。それでも微かな反応すらない。留守か?
腕時計で時間を確認すれば針は8時52分を示していた。時間的に外を出ていてもおかしくはない時間だ。
いないならば仕方ない、早速合い鍵の出番か。鍵を開け、周りをくるりと見回して人がいないのを確認するとハイエロファントに扉を開けてもらいながら室内に入った。
「あれ、」
室内は特別広くはなく、少し車椅子を進めれば備え付けのテーブルが見え。
そこには黒い背中が見えた。その黒の周りには本や書類が積まれている。それは初めて見る光景なのに背中の広さには覚えがあった。
「……承太郎?」
するりと口から出た名前と共に、ほんの少し猫背気味だった黒い背中が伸びる。そして振り返ったその顔は予想に違わず承太郎その人だった。
2.『朝食前、朝食直後でも構わないので身嗜みを確認するように。たまに寝間着のまま仕事していたりするからのう』
久々ながら簡単な再会の挨拶を交わしつつ、二つ目の項目を思い出す。
「駅でお弁当買ったんだけど朝まだだったら食べるかい?」
「ああ」
論文をまとめていたという承太郎の格好は体にフィットした黒のハイネックと白の厚手のパンツだった。ジョースターさんはああ言っていたけど流石に寝間着では仕事はしないよなと思いつつ、カラーリングがパンダみたいだなとのそりと動く承太郎を見ながらこっそり笑ってしまった。
久々に会った承太郎はより一層静かになっていた。以前が五月蠅かったわけではないけど、高校生の時はもっと威圧感があったというか、滲み出るオーラというものがあった。しかしながら今は今でオーラがなくなったというわけでもなく、その滲み出ていたオーラをうまくコントロールできるようになった故の静けさに思えた。彼も28歳なのだ、それだけ大人になったということなのだろう。承太郎は僕から弁当とお茶を受け取ると先ほどまで座っていた椅子へどっかりと座る。卓上はごちゃっと本や書類が広がったままだ。
3.『文献や書類が散らかっていたなら遠慮なく片付けるように』
そういえばそんな項目もあったな。でもまとめている最中なら勝手にいじっては良くないのでは?
どうするか伸ばしかけた手を握っていると承太郎は卓上の空いてるスペースに弁当を置くと書類を片手にご飯を箸でつつき始めた。正確にはあれだ。ながら食べというものを始めたのだ。
ああ、君って奴は子供じゃあないんだし。
口には出さずそう思いながらハイエロファントの触手で承太郎が持っていた書類をするりと奪って積まれた本の上へ置く。承太郎の眉間に少しだけ皺が刻まれた気がしたが何も言わないので問題ないだろう。文句があるなら口に出してはっきり言わない方が良くない。ハイエロファントで床に落ちる文献を、僕は卓上にある書類を集める。集めたものはテーブルから少し離れた鏡台に置くと承太郎が「すまないな」と一言、今度は弁当を持って食べ始めた。もしかして放っておけばこういうことが日常茶飯事なんだろうか?
4.『出掛ける際は同行するか、同行できない場合はどこに出掛け、何時に戻るのか確認すること』
それこそ子供じゃああるまいしと思いつつ、あのエジプトまでの旅路でも深夜のホテルをふらっと出て行ってみんなで探しに出たことが一度あることを思い出した。あの時は酔いを冷ましにスタープラチナでホテルの屋上に登っていたんだったかな。あれから10年は経っているのにそんなところは変わらないのだろうか。黙々とペンを走らせる承太郎を眺めながら、10年前より落ち着いた色を落とす瞳を眺める。ふと、静かな室内にピピピと大きな電子音が響いた。なんだこの音はと背筋を伸ばすと、その音は承太郎から発せられているようで彼が手首を弄ると音は消えた。腕時計のアラームだったのだろうか。
すると承太郎は立ち上がりクローゼットへ向かってゆく。それを見送るとクローゼット中からパンツと同じ白地のロングコートが出てきて、彼はそれを羽織って帽子も取り出した。
「どこか出掛けるのかい?」
「ああ」
「どこだい?」
メモ帳に書いた項目を思い出しながら問う。
「ぶどうヶ丘高校」
「高校?」
「ああ」
なんで君が高校? そう聞き返す前に承太郎が鏡台の引き出しから財布を取り出して部屋から出ようとしていた。
「ちょっと待ってくれよ!僕も行く!」
かたん、と前輪が小さく跳ねて車椅子が前進する。
「車椅子くらい自分で運転できるよ」
「手ぶらだから気にするな」
あまり舗装がされてない道のりをかたかたと小さく揺れながら車椅子は進む。道は良くないが砂利道ではないから問題ないのだが、承太郎は大変だろうと車椅子を押してくれた。好意からくるものを断るわけにも行かず今の状況に至る。心なしか歩みがゆっくりなのは僕に配慮してるのだろうか。聞いたところで彼のことだから適当に返されるだけな気がするので言いはしないのだけど。
まあ、そういう目に見えにくい配慮をするのは高校生の時からあったし甘えておこう。
「そういえばさ、高校に何の用で行くんだい?」
28歳の海洋学者と高校はなかなかに結びつかない。教鞭は取ってないから何かを教えに伺うのも考えにくい。
「スタンド能力者がいるという情報があってな。仗助に調査を頼んでいて結果を窺う日なんだ」
「仗、助?」
「ああ、東方仗助。名前くらいは知っているだろう」
「あ、」
東方仗助。ジョセフ・ジョースターという人物と親しい間柄でSPW財団と関わりある者なら一度は聞いたことはある名前だろう。そして日本にいた僕に関してはアメリカに在住していた承太郎に代わり東方仗助にコンタクトを取る話も出たくらいなので彼がどのような人物なのかも知っていた。
ジョースターさんの息子であり、承太郎の年下の叔父である高校一年生。そして彼はクレイジー・ダイヤモンドというスタンドを持つスタンド使いだった。
それにしても調査を手伝ってくれているとは。東方仗助の件は結局身内である承太郎が引き受けることになってから一切情報が入ってこなかったのだが、承太郎とは良好な間柄のようだ。外見はどうなのだろう? 190を超えるイギリス系アメリカ人の血を引いたハーフとなると大きそうだな。
「承太郎さん?」
まだ見ぬ東方仗助の姿を想像していると、少し高い少年の声が耳に入ってきた。そしてあろうことか僕の背後にいる承太郎の名前を呼ぶものだから思考が引き戻されてしまった。
「やあ、康一君。」
棘を感じさせない柔らかな承太郎の声が降ってくる。そんな聞き馴染みのない声に内心驚きつつ辺りを見回すと中学生くらいの小柄な少年が駆け寄ってきた。先ほどの声の主は彼のようだ。
「こんにちは。仗助君に用事ですか?」
「ああ。あいつはまだ学校にいるだろうか?」
「今週は掃除当番なんでいると思いますよ」
「そうか、ありがとう。」
声音が柔らかいのは大人としてこの少年に気遣っているためか。面識があるせいもあるだろうが195cmの男を前に小柄な少年が怯んでいる様子はない。
「あの、そちらの方は……」
言いながら僕と目が合った少年はぺこりと頭を下げた。ああそうだ。初対面だというのに挨拶をしていない。
「ご挨拶が遅れて申し訳ない。僕はSPW財団の職員で空条先生の知り合いでもある花京院典明と申します」
「あっ、あの、僕は広瀬康一といいます……ええと、仗助君の同級生ですっ」
少年……広瀬康一君は慌てて自己紹介すると深々と頭を下げた。小柄なので中学生かと思えば高校生だったのか。しかし東方仗助の同級生なら承太郎とも面識があってもそうおかしくはないか、なるほど。
「…空条先生とはなんだ」
「君は海洋学者だろ。まだ博士じゃあないが先生には変わりない」
この広瀬康一君と承太郎がどんな関係かわからなかったので無難に空条先生と言ったのだが、承太郎はお気に召さなかったのか少しだけ不快の表情を見せた。財団やその手の学会に行けば先生くらい言われるだろうに。それに承太郎君の学友でしたとでも言おうか?
「……、…それはそうと康一君、この花京院もスタンド使いなんだ。一週間の滞在だが今回の学校での捜査の力になれるだろう」
さらりと承太郎が言った言葉に僕と康一君は目を丸くする。世間話の延長のように言ってくれたが、スタンド使いというワードが通じる人間は限られている。僕の周りなら承太郎やジョースターさんのようなスタンド使い自身、そして財団の幹部くらいだろう。普通の人間ならばまず知っているどころか聞くこともないだろう。しかし承太郎の物言いとそれに対しての康一君の反応からするに、この高校生にしては小さくあどけなささえある彼はスタンド使いの可能性が高い。
百聞は一見にしかず、とは少しニュアンスは違うが何か尋ねる前にスタンドを見せた方が早い。見えたなら康一君はスタンド使いであるのが確実である。僕の横に並ぶようにハイエロファントを出現させる。すると彼の丸まっていた目が更に驚いたように揺らいだかと思うと鋭いそれに変わり、前方に康一君と同じくらいかそれよりも若干背丈の低い人型スタンドが現れた。やはり康一君はスタンド使いだ。しかも少しは戦いの場数を踏んでいるのか、小さなスタンドとその本体が後ずさることはない。
「なにしてんだ」
そんなやり取りを見ていた承太郎がハイエロファントの後頭部を小突く。小突くくらいなら止めるなりして説明すればいいのに。
そんな承太郎の行動が意外だったのか康一君のつり上がった目は再び丸くなった。
「驚かせてごめんね。改めまして僕はSPW財団でスタンド使いを捜査しているスタンド使いなんだ。僕のスタンドはハイエロファントグリーン」
「いえっ……ちょっとびっくりしましたけど、まさかスタンド使いだって思わなくて……僕のスタンドはエコーズといいます」
「よろしくね」
驚かせてしまった手前、意識する限りの笑顔を作りながら手を差し出すと康一君も照れ笑いを浮かべながら握手してくれた。スタンド使いだということを除けば年相応の素直な反応をしてくれる康一君に好感を覚えた。流れでぽつぽつと康一君と談話をしながら、それでも後ろの承太郎が車椅子を押すので自然と歩きながら話す形になる。おいおい、この道はさっき康一君が歩いてきた道じゃあないか?そう承太郎に言おうか考えたが、康一君はそれよりもハイエロファントの能力の話題に食いついてきたのでついついそちらに気を取られてしまう。あまり高校まで距離はなかったのだろう、少しだけなら会話しても、なんて思っている内にぶどうヶ丘高校へ到着してしまった。
帰宅途中だったのに申し訳ないと思いつつ、下校時間を迎えたにしてはやけに人が多いのが目に付いた。それに校門横にパラソルを開いて飲み物を売るなんて普通の学校じゃ見ない。
「今、体育館で杜王町内のママさんバレー大会やってるんですよ」
凝視する僕の疑問を察したのか康一君が説明してくれた。なるほど、それなら人が多いのも頷ける。
「あ、仗助君!億泰君!」
康一君が校門へ手を振る。
仗助君、東方仗助か? 康一君が手を振っただろう方を見るとそこには大柄な二人組が立っていて、一人が応えるように大きく手を振って駆け寄ってきた。
「康一うち帰ったんじゃあなかったかー?」
「そこで承太郎さんと花京院さんに会ったから一緒に来ちゃった」
「そーいやぁ仗助が承太郎さんと会うとか、」
ふと、康一君と話していた青年が僕と承太郎を見てぺこりと小さく頭を下げた。青年は康一君と比べなくとも高校生にしては大柄な体型で短ランを着用しているせいか、真っ先に「不良」の字が浮かんだが背後の承太郎が「やあ、億泰君」と返すとへらりと破顔した。なんだか見た目よりも高校生っぽい笑みである。彼は「億泰君」なのか。なら、東方仗助はもう一人の人物か。すると億泰君に続き、もう一人……億泰君と一緒にいた一人が後ろからのそりと近寄ってきた。
彼が東方仗助だ。
一目見ただけで、僕はそう確信した。
180cmは越えてそうな長身に、日本人らしからぬ彫りの深い顔立ち。特徴的な髪型に、そしてジョースターさんや承太郎と同じ瞳を持つ青年がそこにいた。これで東方仗助じゃないなんて有り得ない。
「あんた……」
そして何故か東方仗助は顔見知りの康一君や承太郎の前に初対面である僕に視線を向けた。
「今朝、海岸線のバスに乗ってなかったっスか?」
「え……そうだけど、なんでそれを」
確かに朝に乗ったバスは駅から海へ出る海岸線だった。大したことではないがなんでそれを知ってるんだ?
「なんだ知り合いか」
僕の疑問を代わりに承太郎が口にする。
「いや……この人が乗ってたバスに今朝、俺も乗ってたんスよ。一区間だけだったからほんの数分だったんスけどね」
へへ、と笑った顔は億泰君同様にあどけない。愛嬌さえ覚える笑みは同じハーフである承太郎よりもジョースターさんに似ていて、この子はやはりあの人の息子なのだと実感した。
「まさか承太郎さんの知り合いだったとは驚きっスけどね。俺は東方仗助、そしてこっちがダチの億泰です」
「あ、ども億泰っていいます」
二人は見た目に反して揃ってぺこりと頭を下げるのが面白い。素直な子たちなんだろうな、思わず顔には笑みが浮かぶ。
「仗助君に億泰君だね。僕は花京院典明、SPW財団の職員でちょっと用あってこの杜王町に来てるんだ」
SPW財団の言葉に仗助君の眉がぴくりと跳ねる。流石に財団の存在は知っているようだ。何か言いたげにも見えたが友人がいる手前、あまり財団に関する話題を口にするのは良くないだろうか。
僕は仗助君の反応に応える代わりに校門横にあるパラソルを指差した。
「まあ、暑い中手ぶらで話すのもアレだし日陰行こうよ」
校舎の日陰の下、億泰君は瓶ラムネを飲みながら日差しに負けないくらいの笑みを向ける。
「ウひょ~!やっぱ夏のラムネってェのはカクベツってやつだよなぁありがとうございます花京院さんッ!」
「すみません、着いてきただけなのに僕らまでラムネ買ってもらっちゃって」
「いいよいいよ。僕も喉渇いてたしさ」
5.『こまめに水分を摂らせるように、熱中すると飲み食いしなくなってな。特に夏場は脱水が心配だからのう』
そんなことも書いていたなあと思い出しつつ、からりと瓶の中で転がるビー玉を眺める。その向こうでは瓶片手に何やら話す承太郎と仗助君が見える。多分出掛け間際に言っていた用件について話しているのだろう。
「それにしてもよォ、承太郎さんの友達ってすげーよな。あの承太郎さんの友達だろー」
「また億泰君は……」
「そんな意外かい?」
「まあ……承太郎さん、あんまり自分のこと話さないんで友達と一緒のイメージがないのはあります」
苦笑しながら康一君は頭を掻く。
確かに自分の話は滅多にしなかったなあ。詮索されるのを好まないわけではないが高校生の時から自分のことや自分の身内の話は自発的にしなかった。かといって家族と不仲であったわけでもないんだけど。もとから口数が少ないのもあって今も必要以上に話さないのだろう。
「なあ康一、3年のあの先輩どうだった?」
いつの間にか僕らの近くに来ていた仗助君が康一君の肩口から顔を出す。今どき珍しいリーゼントに引けを取らない横顔が近い。表情だけではなく、顔つきも承太郎に比べると年相応だな。
まあ、仗助君が変わっているのではなく承太郎が色々と年不相応だったんだ。28歳である今だからこそ歳と釣り合ってきたけど、出会った当時の彼を思い出しても高校生とは思えない風貌だったからな。当時の僕も子供らしからぬ可愛げのないやつだと言われたけど、彼とは次元が違う範囲だったし。
「なぁなぁ花京院さん。高校生の時の承太郎さんってどんなんだった?」
「承太郎かい?」
「おいおい億泰ゥ、何楽しい話題振りやがってんだよ」
「だってヒマだからよォ」
「僕も知りたいです。承太郎さんってどんな高校生だったんですか?」
仗助君と康一君と億泰君の三人が少し前のめり気味に窺ってくる。これはまた随分懐かれたものだな承太郎。
「学年が違ったし、大した話は知らないけど……」
「ちょっとした話でいいんスよ。高校生だった承太郎さんなんて想像できないんで気になるんスよ」
そんな仗助君の言葉に声を上げて笑いそうになる。想像できないのも無理はない、今とあまり容姿も変わらず高校生らしからぬ高校生だったんだから。
ちらりと話題の人物である承太郎を確認すると、話を伺いにきた仗助君を待っているのかじっとこちらを見つめていた。彼にしては穏やかな表情な辺り、話の内容までは聞こえてないのだろう。
「まあ、今とそう変わらないけど、」
そういえば、変わらないと思いつつ、今の承太郎の佇まいは高校生の時にはなかった。ホテルでも感じたが高校生の時にはない落ち着きがある。その落ち着きは彼が変わらない面を持ちながらも大人になったのだと思った。
「……でもやんちゃだったかな」
「やんちゃ!?承太郎さんがっ?」
三人の目が輝く。当時から寡黙だったが喧嘩は買うし売るし、好きな相撲の話をしながらポルナレフを投げたり煙草を使った一発芸を見せる場面もあったくらいだ。あながち嘘でもない。
相変わらず承太郎は黙って待っている。こちらでは承太郎の話で目を輝かせる高校生がいるのにその反応の落差が面白くて、僕は思い出を掘り起こしながら口を開いた。からんからんと空の瓶ラムネを振りながら僕は承太郎に車椅子を押されながらホテルまでの道のりを行く。
スタンド能力者の話もそっちのけで話した承太郎の話に高校生三人があまりにいい反応をしてくれたので盛り上がってしまった結果、また承太郎に小突かれたのはつい先ほどの話だ。高校生の時の承太郎しか知らない僕の話を今の承太郎しか知らない彼らが嬉々として聴いてくれてたんだから僕が調子乗るのも仕方ないじゃあないか。
そんな承太郎の話で盛り上がった仗助君たちと別れた後、「早いところ論文をまとめたい」と真っ直ぐ帰ろうとする承太郎と共にこうして戻る最中、ふとオープンカフェが目についた。そうして腕時計を確認するとそろそろ昼の2時を迎える頃だった。今朝は遅い朝食だったが腹も空いてきたように感じた。
「ねえ承太郎、お腹空いたからあそこのカフェでちょっと食べてこうよ」
「纏めてしまいたいところがあるから、できたら早く帰りたいんだが」
「ああ、そっか」
頭に浮かんだ案が新しい内にまとめたい気持ちは僕にも覚えがある。絵を描く際、良い構図が浮かんだ時は忘れない内にスケッチに書き込んだものだ。忘れない内に、変に交わりがない内に脳内にあるものを形にしようとした。あの時の心情と似ているのだろうと思うと引き止めるのは良くない気がした。
「じゃあ先に戻るかい?ここからホテルは近いし、僕一人でも大丈夫だからさ」
ちょっと食べて帰るだけだし。大丈夫だよと笑いかけるとほんの少し渋い顔をした後、こくりとひとつ頷いた。案外に心配性だな。もう10年近く車椅子生活してるからちょっとした外出くらい平気なのに。のそのそとホテルへ歩いてゆくのを見送る。ちょっと背中が丸くなった気がするけど白いコートのせいかな。
きゅっと車椅子を方向転換させてカフェへ向かう。まだ昼を少し過ぎた頃のせいか店内は人が多く、仕方なく僕はオープン席へ向かう。日差しが強いが風通しは良いし、そう暑くはならないだろう。邪魔な椅子を片手とハイエロファントの触手で除けて席につく。やはり暑い、せめて野外でも屋根さえあれば良かったのに。まあ、食べるだけだからいいか。
僕はアイスコーヒーとサンドイッチセットを頼んでほっと息をつく。
6.『昼食はできるだけ一緒に摂るように。できない場合は用意して昼時に手渡すように』
「あ」
そういえばそんなこともメモしたのを思い出す。ポケットに入れていたメモ帳をぱらりと捲って確認すると、ジョースターさんに言われた一覧にしっかり書かれていた。どうやら承太郎は論文や調査に熱中すると食事摂取を放棄するようだ。先ほどのラムネにしたってそうだろう。一食抜くくらいなら大丈夫だろうし、僕も忙しい時にはたまにある。しかしこのメモの最初の項目である朝食のくだりからするに放っておけば朝食も食べずに作業に専念するのだろう。
そして、
7.『19時に夕食のルームサービスを受け取る。夕食は一緒に摂ってくれるとベスト』
1番最初に書いた項目と酷似した内容に思わず口の中で唸る。これは放置すれば一日も飲まず食わずで作業するのか?
まさかそんな……流石にないよな。と思いつつ、エジプトまでの旅路で見せた集中力の高さと忍耐力の強さから全くあり得なくもないように思えてしまった。高校時から酒も煙草もやっていたけど海外の道中で煙草が手に入りにくいという理由ですんなりと禁煙に成功してたっけ。嗜好品を嗜んでいた割に執着もなく、野宿が続いた日も苦い顔をする場面はあれど不満を口にしたことは一切なかったのを思い出す。これは帰りに何か買って帰るべきだろうか。
「お待たせしました。ご注文のアイスコーヒーとサンドイッチセットになります」
「ありがとうございます」
「ただいまオープン席ご利用の方にサービスでずんだアイスを提供しております。良かったらどうぞ」
注文品を運んできた店員はアイスコーヒーとサンドイッチをテーブルに置いた後、その端に手の中に収まりそうなくらい小さなカップが置いた。ずんだってあのずんだ餅のずんだかな。
ごゆっくりどうぞ、と店員はこちらが質問する前にさっさと去ってしまい、とりあえずサービスだというカップの中を覗く。そこにはこちら薄い黄緑色のアイスがあった。見事にずんだ色だ…涼しげな色だがおいしいのだろうか。スプーンで一掬い、口へ入れる。おいしいけど……枝豆だな。
そんな複雑な第一感想を抱きながら二口目を食べるがおいしいとは思いつつやっぱり枝豆で逆に食べる手が早まった。おいしいより癖になる味かな。
黙々とアイスを食べていると不意に向かいのテーブルに座っていたお客と目が合った。なんだとアイスを食べる時に神妙な顔でもしたろうか。偶然目が合ったというよりあちらがじっと見つめていたようで、僕と目が合っても視線は外れない。それどころか愛想良くにんまりと笑いかけてきたので僕も笑みを作りながら小さく頭を下げた。
あんまりじろじろ見られるのは好かない。そんな気まずさからこちらから視線を外すとあろうことかそのお客は僕のテーブルまで移動してきた。
ちょっと、なんなんだこの人?
「驚かせて申し訳ない。アナタ、ここへは観光で?」
「……いえ。仕事ですけど」
目を爛々と輝かせたお客はどこからかスケッチブックを出してきた。思わず眉間に皺が寄るのがわかる。
「失礼、僕は岸部露伴。漫画家なんだ」
「は、はあ……僕は花京院典明です」
いきなり話しかけてきたかと思えば漫画家ねえ……これまで漫画家は見たことないけど、漫画家というよりデザイナーのような外見だな。不躾な視線は相手もなので遠慮なく岸部露伴と名乗る漫画家を観察する。
特徴的なヘアバンドに一方向にさらりと流れる髪はしっかりセットされていて清潔感を覚える。そしてその髪型とバランスの取れたかっちりとした、それでいて奇抜さを含んだ服装。加えてぱっと見でもわかる体の細さに中性的な印象を抱いたが、僕に向ける眼差しは漫画家と自称する人にしては精悍さがあり、そのちぐはぐさにミステリアスな印象も湧いた。
「突然だが漫画の参考にしたくキミを取材しようと思ったんだ。そう時間は取らせない」
「はあ、大した話はないと思いますけど」
よくわからない流れのせいか拒否する言葉も出ない。漫画家って出会い頭に取材するのか?
「それは僕が判断する」
相手の右手が動いたかと思うと、ふと視界が揺らいだような気がした。しかしそれも一瞬の出来事で、すぐに視界が鮮明になってカップの中でどろどろに溶けきったずんだアイスだったものが見えた。あの岸部という漫画家とは1、2分くらいしか話してないというのに溶けてしまうとは勿体無い。
「過去の傷を背負う……大企業の若き幹部か、斬新さはないが悪くない……」
そしていつの間にかスケッチブックを開いていた漫画家はぶつぶつと呟きながら何かを紙面に書き込んでいた。僕は何か言っただろうか?
すると岸部露伴は満足そうに息を吐くと、ぱたんとスケッチブックを閉じた。
「なかなか有意義な取材となりました。昼食時にありがとうございます、花京院さん」
あれ、さっきまでタメ口だったのに敬語?それに取材は?
僕の頭に疑問が飛び交う中、岸部露伴は帰り支度を済ませて立ち上がる。ろくに取材という取材もしないで帰るつもりなのか。
「ああ、そうだ。何か買いに行くならそこの角に和食メインの惣菜屋さんがありますよ」
「? はあ、どうも……」
唐突な情報提供に呆気に取られていると岸部露伴は颯爽とカフェをあとにしてしまった。
「なんだったんだ」
脈絡のない出来事に疑問ばかりが浮かぶ。あの数分のやりとりで漫画に活かせるようなものを収穫できたんだろうか。それとも漫画家故の異常な観察眼でもあるのか?それを踏まえてもまったくわからない。
……それにしても和食がある惣菜屋か、それなら承太郎が好みそうなお惣菜もあるかも。経緯などもあったもんじゃあない情報提供だったが食べ終わり次第寄っていこう。
果たして承太郎がお気に召すものはあるだろうか。考えながら口をつけたアイスコーヒーのグラスは数十分も放置されていたかのようにびしょびしょに濡れていて、僕の太ももを濡らしてしまった。
8.『21時にアメリカの嫁さんとジョリーンにモーニングコールするよう声掛けする。確かあっちは7時くらいだったかのう。』
「、…good morning,Jolene.」
その顔に笑みはないものの、慈愛に溢れる声音に耳を傾ける。
奥さんとの短いやりとりの後すぐに娘の徐倫ちゃんに変わったのか、離れているのに電話越しの声が微かに届く。今年で何歳になったか覚えてないがまだまだ小さい筈で元気な盛りなのだろう。
かつて不良なんて言われた承太郎が人の親とは。徐倫ちゃんが誕生して数年経った今でも話の肴としては上等な話題である。子供が産まれたんじゃ。とジョースターさんから報告をもらってからのポルナレフの食いつきっぷりを思い出しては自然と笑みが浮かんでしまうのがわかる。新しい遊び道具を得た子供のように、それでいてまるで自分が子供を授けたかのように、これ以上ないほど喜んだポルナレフが深夜にもかかわらず国際電話を寄越したんだったかな。日本とフランスの時差に比べたら当時住んでいたアメリカは時差は短かったが深夜3時近くにテンションの高いポルナレフの電話は強烈だったな。でも当時のポルナレフの盛り上がりもわからなくはなく、祖父譲りの流暢なイギリス英語で承太郎は何を話すのか。ほんの少しだけ気になって、失礼ながら本を読むフリをして電話の会話に集中した。
長くはない電話の後、承太郎は再びテーブルに向かいながら黙々とペンを走らせていた。少しは一休みする気はないのかな、何時間も変わらず執筆作業をする彼に感心しつつ僕はそばにあるベッドに横になった。
9.『午前2時近くになっても寝ないようなら声掛けしてベッドへ寝かせるように』
まるで遊びに夜更かしする子供への対応だな。時計は1時を少し回った頃だが僕は2時近くまで起きてられない確信があった。眠気を覚えた僕はメモの項目を思い出して、ベッドへ横になってしまったことを後悔した。これでは承太郎の傍に行くのも時間がかかる。横着だがハイエロファントを出現させると彼の肩を叩いた。
「承太郎、そろそろ寝るよ」
ハイエロファント越しに声を掛けると承太郎は顔を上げ、ハイエロファントを確認して、そしてきょろきょろと辺りを見回した。どうやらハイエロファント経由で声をかけてきたのが疑問だったのだろう。しかしベッドに横になっていた僕を確認すると彼はのそのそと隣のベッドへ移動してきた。書類はそのままだけど、眠いし、朝一でいいよね。
大人しくベッドへ潜り込んだ承太郎を確認すると僕は目を閉じた。
「おやすみなさい、承太郎」
不眠症ではないがエジプトまでのあの旅以来、眠りが浅くなってしまった僕は何かの気配を感じて意識を浮上させた。
うっすら目を開けてまず入ってきたのは淡く光に照らされた天井、そしてかちりという小さな音と共に布擦れの音が聞こえた。寝起きのだるさに視線だけで辺りを見回すと隣のベッドは空で、何故か承太郎がクローゼットの前にいた。ベッドランプに搭載されている時計を見ればまだ午前4時を過ぎたばかりの時間、何かあっただろうか?
「承太郎?」
「花京院か、起こしてすまん」
「別にいいけど……何かあった?」
承太郎はこの杜王町のスタンド使いについても調査している。それならばこんな早朝から駆けつけなければならない場面もあるかもしれない。
コートに袖を通す承太郎に僕は体を起こす。
「なにもない。ただ、海を眺めたくなってな」
10.『よく海を眺めたいと外へ出るが、どうかひとりではいかせないように』
メモの最後の項目はこれまでとなんだか含むニュアンスが違うように思いつつ、僕は慌てて出掛ける用意をした。このホテルは小さいながらもプライベートビーチがあるくらいだ。ラフな格好でも大丈夫だろうとジーパンとワイシャツを引っ掛けた姿で出掛けてみれば、ホテルから20分近く歩いた場所にあった砂浜へ連れて行かれた。海を眺めるだけならば近くでも…なんて向かう途中は思っていたが、目的地へ到着すると一面に広がる海に息を呑んだ。ホテルのビーチとは違い、手付かずの砂浜は海面と共に朝日を受けてきらきらと輝いていた。
これは20分歩いて見る価値はある。
それに承太郎は海洋学者になったくらいだからちょくちょく訪れたくなるのかな。最後の項目を思い出しながら僕は輝く波を眺める。
どの項目に対しても僕はジョースターさんに疑問を投げかけた。どうしてこれをする必要があるのか聞いた。それに対してジョースターさんは根気良く答えてくれた。
ただ、この最後の項目だけは曖昧に返されてしまった。「なんとなく。ひとりにしたら海に落ちそうに思えたんじゃ」と。内心承太郎も子供ではないんだからと思いつつ書き込んだ最後の項目。しかしこうして承太郎と海へ来て、じっと海を眺める彼の姿を見て、曖昧な返しだったのがぼんやりとわかってきた。承太郎は朝日で輝く海面を見つめている。はずだ。僕と同じものを見ているはずなのに彼は時が止まったかのように微動だにせず海を眺めている。それはまるで何か違うものを見ようとするようにも見えて、着地点が定まらない不安がせり上がってくる。
ちゃぷ、と不意に水が跳ねる音が間近に聴こえて視線を落とすと、いつの間にか波が届くところまで車椅子が押されていた。
「承太郎」
「なんだ」
「海、綺麗だね」
「ああ」
視線は海から外されず、見上げた彼の瞳は波音に合わせてゆらゆらと揺れる。
これは、落ちそうだ。このまま海を眺めながらいつか彼ならふらりと落ちていきそうな瞳の揺らめき。しかしそれも僕の勝手な想像の域でしかなく、それでも電話越しのジョースターさんも同じ心境になったことがあるのだと確信した。その白いコートを靡かせて、海へ落ちる様は安易に想像できて、そして絵になるくらい綺麗で。想像の中だというのに恐ろしく綺麗だった。
「あのさ。僕がいる間に仗助君たちと一緒に海へ行きたいんだけど」
「仗助たちなら来てくれるだろうがてめえはどうする。車椅子押させる気か?」
「うん。もちろん承太郎が押してくれるよね?」
きっと仗助君や億泰君に押させるのかと言っていたんだろうけど、わざとそう返すと苦い顔をしながら僕を見下ろした。
「やれやれ」
「何だい。仕事忙しいのかい?」
「いや、そこは大丈夫だ」
もう海を見つめることはない承太郎にほっとしつつ、僕は苦い顔を浮かべ続ける彼に笑いかけた。
一日中目を離せない君を放っておいておけるわけないじゃあないか。海だって僕が着いていくんだから。