清く不純に援助交際 ※ドンヒラ

 こういう感情を、名称を持ったものとして認識する術を俺は知らない。

 金曜日の夜、帰宅ラッシュの時間は過ぎているというのに街は賑やかだ。すれ違う人たちの殆どは赤ら顔で、定時のベルと共に会社を出て一杯引っかけてきたのだろう。休日を控えた週末となると俺の会社なんて残業推奨だというのに。
 溜め息をひとつ、空を仰ぎ見る。梅雨入り間近の空は灰色の雲で占められており、月や星は全く見えない。こうなると明日の誕生日は雨かもしれない。
 社会人になって五年目。フレッシュさはとうになくなった俺は誕生日だからと浮かれるようなことはない。ただ、遠方の実家から誕生日プレゼントという名の仕送りがあったので、少し高い菓子類を購入し、DVDを借りてだらだらしようと計画していた。親しい友達もそういるわけじゃないし、恋人なんかもっての外だ。誰かに祝ってもらおうなんて考えはない。
 繁華街の入口で腕時計を確認し、針が指す時間に無意識に小走りになった。誕生日と休日を明日に控える俺だが、今日の用事はまだ終わってない。その用事とはある人との食事なのだが、待ち合わせ時間は20時だったのに現時刻は19時58分だった。ちなみに待ち合わせ場所までここまで徒歩5分ほど。走ってギリギリ間に合うか間に合わないくらい。これから会う人物は少しの遅刻くらい気に留めない性分であると知っていても、右手はスマホを取り出して、ある番号へ電話をかける。
「……―一松さんか? 松野だが5分ほど遅れそうだ……うん、申し訳ない、うん……はあ……ありがとう……」
 電話の相手はやはり遅刻を咎めることはなかったが、目的地に向かう脚は緩むことはない。
「……はあ、」
 そうして繁華街の中でも比較的地味な外装の店…ジャズバーに到着して早速入店する。
出迎えるのは軽やかなピアノとバスのセッション、そして仄かなアルコールの臭い。店内の客はそれなりの人数だが、演奏を邪魔しない程度の細やかな会話しかないこの空間は好ましい。
「遅れてすまない、一松さん」
 カウンターの端にいたのは俺と待ち合わせていた一松さんだ。薄暗い店内に映えるような真っ白なジャケットだけでも目立つのに、その人相の悪さといったら更に人の目を惹く。そんな人物が俺に気付くと、隣の席の椅子を引いた。エスコートのようなそれに素直に座れるようになったのは最近で、着席すると目の前にメニューを差し出された。
「遅れたといっても一、二分だ。待ったうちに入らないからいいよ……まつのさん、何たのむ?」
「ホットコーヒーとバケットセットを」
「いつも最初はビールじゃなかった?」
「今日は仕事帰りだから、少し腹を満たしてからビールにしようかと」
「ふーん」
 店員が注文を取って裏へ去ってゆく。白ジャケットの強面と草臥れたリーマンという、絵に描いたような凸凹コンビを店員は気にする様子はない。しかし俺たちふたりは第三者から友人と見えているのやら。
 俺と一松さんは友人ではない。人様に一松さんを紹介するなら「友人」だろうが、馬鹿正直に明かしてしまえば一松さんは俺の援助交際相手であった。草臥れたリーマンに援助交際なんて信じられないだろう。言っておくがニュースで取り上げられているような、金を貰って体を開くような援助交際ではない。
 毎週土曜日の午後17時、このジャズバーで一松さんの食事兼話し相手になるのが援助交際の内容である。それだけ聞けばただの飲み仲間だろうが、これは援助交際、指定された時間に一松さんと食事をしつつ会話の相手をし、代償に俺はその時に発生する食事代を一松さんに払ってもらっている。
 こんなことになったきっかけはよく覚えている。それこそ一年前の誕生日、たまには贅沢を。と仕送りを手にこのジャズバーに来たのが始まりだったのだ。
 洒落たバーでひとり、酒を飲む。というシチュエーションに内心盛り上がった俺は調子に乗って酔っ払ってしまい、うつらうつらしていたところを一松さんに声を掛けられた。
「席、ごいっしょしても?」
「んん~……ろうぞぉ」
 盛り上がりにアルコールが加わると当然ながら陽気になってしまい、同席を求めた一松さんを快く受け入れた。同席になるくらいは良かったんだ。別に一松さんに限らず他人と同席になることは繁盛時の飲食店ならよくあるだろうから。
 そこからぽつぽつと一松さんと話をして、一松さんがとても聞き上手で盛り上がりに拍車が掛かって…上記の援助交際の約束をしてしまったのだ。
 素面になった俺はすぐに約束を断った。しかし、
「ひとり酒はつまんない」
 そう一言、一松さんが憂いを表すよう目を伏せるものだからやめるにやめられなくて、いい断り文句はないかと考えたものだ。
 そこで見目俺とそう変わらない年頃の一松さんに金銭方向から攻めていった。週一とはいえ全額支払うのは生活に支障が出るのでは、と探りを入れながら伺った。すると一松さんから自分は海外の御曹司のような存在だと明かされ、これくらいは端た金だから気にしないでと返された。試しにプレミアのついた年代物のウィスキーを注文してみても一松さんは特に反応することはなかった。お陰であまり得意ではないロックを飲んで苦い思いをしたものだった。
 そんなこんなで諦め気味にずるずるとこんな援助交際を続けている。
「仕事おわりならいつもよりおなか空いてんじゃないの? もっとたのめばいいのに」
「俺が少食なの知ってるだろう。頼んで食べきれなかったら勿体無い。もう少し食べて大丈夫なら頼む」
「日本人のもったいないはよくわかんない」
 流石御曹司を自称するだけあるのか、彼の感覚は時折腹立たしくなる。お金を払うからといって提供してもらった食事を残すのは良くないことだ。だから端た金だからと言われても節制できるところは節制したい。
「そのぱん、ひとつくれ」
「好きに食べたって、一松さんのお金で頼んだものだから構わないぞ」
「でもえらんだのはまつのさんだ……ん、グラッツェ」
 援助交際、という響きは不穏だが、このひとときに文句はない。時間と場所は決まっているが、ただでおいしいご飯と酒がいただける。週一の趣味の習い事のような娯楽にも思えてくる。
「まつのさん、おれとえんじょこうさいして何年?」
「間もなく一年、かな」
「まだいちねん?」
「もう一年、だ」
 この一年、どれくらいの額を一松さんに支払ってもらったやら。飯も酒も大した量は頼まないが俺が見たら卒倒する金額に違いない。
 俺相手にどれだけ使うのか、金があるにしても少しは無駄遣いが過ぎると思わないのか。
「ずっと前からこうしてるかと」
 その感覚は正しい。一松さんはまだ一年とは言ったが、一年はとても長い。一年経ったらひとつ歳を取るのだ、長いだろう。
「一年も俺と一緒に飯食べるなんて飽きないのか」
「あきない。まつのさんのはなし聴くのはたのしい」
 そんなこと言われると少しだけ嬉しくて、誤魔化すよう温くなったコーヒーを一気飲みする。
「店員さん。黒ビール、中ジョッキで」
 酔ってもいないのに店員を呼び止める声が大きくなる。
 ……どうせならば、女性と援助交際しないのだろうか。清潔感と高級感ある白ジャケット、強面に潜む精悍さある顔立ち。それだけでもポイントが高いのに御曹司ときたら女性から言い寄られそうなくらいなのに。なんで俺なのだろう。
 ……格好良いよな、一松さん。
 見た目もだが、振る舞いもどこか紳士的だ。御曹司だけあってしっかり教育を受けているのかもしれない。かといってお堅いところはあまりなく、話す様は結構砕けていて接しやすい。女性どころか友人だって選び放題だろうになんだって俺とご飯食べてるんだろうこの人。
「そう言えば、明日用事あるから今日にへんこうしてほしいって……デートとか?」
「何でデートと決めつける」
 どこからそんな発想が出てくるのか、意味が分からず首を傾げる。恋人はいない話はしたはずなんだが。
「どようび、まつのさんおやすみだから。時間たくさん使うことはデートかとおもった」
「ああ、そうか」
 そう考えたか。しかしながらそんなデートする相手がいないのくらい、一松さんも知ってるのではないか? そんな人がいるなら援助交際なんてなにがなんでもやめてる。
「明日誕生日だし、家でごろごろしようかと」
「誕生日?だったら、あしたもいっしょにごはんしない? お祝いするし、おごる」
「気持ちだけいただく」
 こうして支払ってもらってるのは援助交際だから。誕生日というプライベートまで世話になりたくない。
「ここと違うおいしいおさけあるとこ、連れてくから」
「結構だ」
 きっぱり断れば一松さんは口を尖らせて頬杖をついた。この援助交際だってかなり好条件なのだ、これ以上のことをされたらこちらも何かお返ししなければならなくなる。
この話は終わりにすると言う代わりに、運ばれてきた黒ビールに口づける。程よく冷えたそれは清々しく喉を潤すようだ。
「だったら、なに欲しい?」
「特には」
「まったくないことはないんじゃない?」
「すぐに思い付かないならないのと同じだろう」
 もしも一松さんに猫耳がついていたら、きっとぺしゃんこに潰れていたに違いない。それほどに彼はしょんぼりと項垂れてしまう。
 ……大の大人がそんな反応ずるいだろ。なんだかこちらが悪いことしている気分になってくる。
「祝ってくれる、その気持ちだけで嬉しいから」
 それは本当だ。歳を取るだけの誕生日であっても、やはり祝ってくれる人がいるというのは悪い気はしない。
「特にないなら、おれがかってに考えてプレゼントするから」
「はあ」
 そうきたか。どうやら一松さんはなにがなんでも祝うのに何かしたいらしい。
 すぐに復活した彼に呆れる素振りをしてみたが、一松さんは気にしないとばかりに楽しげに笑う。それがなんだか居心地悪くてまた黒ビールを飲んでは次のオーダーをしようとメニューに目を落とした。
 時間が経ち、店内の客層が変わってゆく。入店した際は軽食やジャズ演奏を目的とした客が大半であったのに、今ではほろ酔い気味の客が殆どだ。どことなく、漂うアルコール臭も濃くなったように思う。
 そんな空気を感じながら、一松さんに視線を送りながら酔いではない盛り上がりを見せる女性たちの姿を発見する。
「一松さん、結構人生無駄にしてるよな」
「なにきゅうに」
「なんとなく、急にそう思って」
「きゅうにそんなことおもうことあるの?」
 一松さんは恋人もいなければ独り身らしい。こんなに恵まれているのに、ちょいと傍で盛り上がる女性たちに声を掛けたらひとりくらいお持ち帰りできるだろうに。いや、恵まれてるからの余裕の独り身なのだろうか……その気になればすごそうだからな。
「まつのさん、ガトーショコラはんぶんたべる? おれ食べたいけどいっこだと多いかも」
「食べる」
 即決する俺に一松さんが笑う。
「最初はわけるなんてえんりょしたのに」
 笑い続ける一松さんはどこか嬉しそうだ。
「断ったら一松さん、機嫌悪くなるだろう」
 かつて、それは一松さんが頼んだものだからと頑固に断ったことがあった。その時の一松さんときたら顔を不機嫌に歪ませて黙ってしまったから堪ったものではなかった。何かされたわけではなかったが、強面の彼が黙り込むとそれはそれは怖かったので今は素直に従っている。
「だって、まつのさんとおなじもの食べるとうれしい気持ちになるから」
 そう一言、彼の笑顔がいよいよとろけそうなくらい柔らかくなる。
 いつもはもっと人を馬鹿にしたような、そんな嘲笑が多いくせに。ひどく愛らしくて俺は堪らず俯くしかできなかった。

「今夜もごちそうさまでした」
「こちらこそ」
 二人揃って店を出る。繁華街は訪れた時より落ち着いたようで、華やかながら静けさを感じる。
「それで、つぎどこいきたい?」
「え、」
「誕生日、あしただめなら、今日いいんじゃないの? ついか料金だすし」
 まさか。誕生日の話はまだ続いていたのか。驚きに黙っていると一松さんがスーツの裾を引っ張ってくる。そして機嫌を伺うように上目遣いでこちらを見つめてきた。
「だめ?」
「駄目って……」
 一松さんとは一年ものの付き合いがある。それは週一の食事だけとはいえ、互いのことがある程度把握できるくらいの期間といえる。だから俺がこういうのに弱いというのも一松さんは知っていたりするだろう。
 絶対わざとだ……これでわざとじゃないって言うなら恐ろしいからわかっていてやってると思いたい。
 渋々「美味しいワインが飲めるとこ」と答えれば、何故か一松さんの自宅へと連行された。ジャズバーからほど近い場所にあるマンションで、見るからに高級感ある場所であった。
 いつか話した会話では独り暮らしと聞いたのに、通されたリビングは今や懐かしの実家の居間より随分広い。そして二人掛けの薄紫色のソファーと脚の短いガラステーブル、壁には大型オーディオ機器と大型テレビなんて見掛けてしまうと暫し入口で立ち尽してしまう。
 家具が少ないせいか、室内は整頓されており、モデルルームのような印象を受けた。
「……俺は美味しいワインが飲みたいと言ったんだが…」
「うちにたくさんおいしいワインあるし、おつまみも少しある」
「はあ」
 気のない返事をする俺を尻目に一松さんは上機嫌でグラスとワインを出してくる。そうして差し出されたグラスを素直に受け取れば、彼は目を細めて笑った。
 一松さんのテリトリーである自宅まで来てしまったからには彼に従うのが吉だ。本気で誕生日の祝いを断るつもりなら、一松さんがなんと言おうと無視して帰らなければいけなかったのだ。それに彼なら無視して帰るよりも、自宅に来たというのに杯を渋る方が気分を損ねるだろう。
 ここは素直にごちそうになろう。それに一松さんの舌は大変肥えているから、彼が美味しいというワインは絶対に美味しいと断言できる。もう二度と口にできない美味で高級なものかもしれない。
 一松さんが所有するワインとなれば、コンビニで売っているものより0がふたつばかり多い値段かもなあ。
 それはあくまでも俺が予想する値段であり、実際の値段など知りもしない。しかし一松さんに奢ってもらう時は値段を確認しないのがマナーなので、このワインの値段なんて知ろうとしなくていいのだ。知ってしまったらこんな草臥れたリーマンに、と申し訳なさに気持ちが潰れてしまう。
 がちり、とグラスが割れそうなくらいの勢いで乾杯する。まずは味見程度に少し口にすれば思ったよりもさっぱりした飲み口で、一松さんを窺う。これ、美味しいが彼の好みはもっと重いような、くどくて少しずつ飲むようなワインだったはずだ。
「こういうの、すきでしょ?」
 すいっ、とまるで水を飲むようにワインを飲む一松さんに倣うようグラスを大きく煽る。
 確かに軽めの飲み口は俺の好みだ。一松さんの前でも何度かワインは飲んだことはあったけど、よく覚えているものだなあ。そんなことを思いながら、グラスを一気に空にする。頬が熱くなって、身体がふわふわして気持ちよくなってくる。バーでそれなりに食べた筈なのに、おかしいものだ。
 心地好い酩酊に、ワインを飲む手は緩まない。
 最初はソファーで一松さんと肩を並べて飲んでいたというのに、いつの間にか俺は床にべったりと座ってしまっていた。ソファーも座り心地良かったが床は好きな体勢で座れるから楽だ。
「だいじょうぶ?」
 頭上から降ってきた声に見上げると、ソファーからこちらを見下ろす一松さんと目が合った。
「なんで、」
「ん?」
「なんで、いちまつさんはおれとえんじょこうさい、するんだ?」
「あまりだいじょうぶじゃないか」
 しぱしぱする目を瞬かせると一松さんが俺の前髪を指先で掻き上げ、晒された額にキスしてきた。触れたのは一瞬だったのに彼の唇の柔らかいこと、顔が弛んでしまう。
「……あまり甘やかすな」
「どうして」
「あまやかされると、わかれたくなくなる」
 一松さんと過ごすのはとても心満たされて、それはもう別れの時が寂しくなるくらいだったりする。勿論、そんなことは一松さんに言えなかったが、次週の援助交際が待ち遠しくなるくらいには俺は彼に毒されている。
「……まつのさん、おれのこと、すきなの?」
「えんじょこうさいしてる、くらいだからな」
 なかなかNOと言えない、典型的な日本人の俺だが、一年も援助交際続けるような人間でもない。口で断れないなら約束を無視して着拒否して会わなければやめられるとわかっていながらしなかった。それはつまり、俺は一松さんのことが好きなのだ。
ああ、俺は一松さんのこと、好きなのか。今更気づいてしまった。
 自身の鈍感さに可笑しくなってグラスの中のワインを揺らしていると、一松さんにグラスを取り上げられてしまった。まだ飲んでいたというのにどうして。
「……まつのさん、あしたおれ、たんじょうびなんだ」
「ええ?」
 突然の話題に間抜けな声を出してしまったが……明日誕生日?
「俺といっしょじゃないか」
「おれもごはんのとききいて驚いた。だからいっしょにごはん食べたいなと、思った」
「もうしわけない……」
 明日誕生日と知っていれば断らなかったのに。日頃奢ってもらってばかりだから、そのお返しができるチャンスだったというのに、ひとりで過ごそう等と宣ってしまった。
「いいよ。すてきな誕生日になりそうだから」
「?」
「うでどけい、見て」
 そっと手を取られて腕時計を見れば、いつの間にか時刻は0時間近だった。楽しい時間は過ぎるのが早いといわれるが、まさかこんな時間だったとは。
「来週でよかったら、プレゼントを用意しよう」
「プレゼント?」
「ああ。おれも一松さん、いわいたい」
 一松さんの誕生日なら素敵な人たちが祝ってくれるに違いない。それでも一松さんが俺の誕生日を祝おうとしてくれた気持ちが嬉しかったから、ささやかながらお返しがしたかったのだ。
「プレゼント、何がいい?」
 高級なものは用意できないから、そこを配慮してもらえると助かる……いや、少しくらいなら奮発してもいいだろうか。
 一松さんの返答を待っていれば、そっと肩を引き寄せられる。酔った体は呆気なく彼の方へ傾き、元から近い顔が更に近づいた。
「あ、」
 先程額に触れた柔らかい唇が俺の口にあたる。それはすぐに離れると一松さんが床へ降りてきて抱き締めてきた。彼の首元へ顔を落ち着ければ、とくとくと少し早めの鼓動が聴こえてくる。
「おれね、かわいい子猫ほしいんだ……いいかな、ガッティーノミア」
 子猫か……そういえば一松さんは猫好きだとよく話していたな。しかし一松さんになら血統書付きがいいよな、貯金を崩せばなんとかなるか。それなら土日の内にペットショップ巡りをしていい子を探さないと……一松さんならどんな子でも可愛がってくれそうだが、折角なら俺自身も気に入るような子がいい。
 そんなことを考えていたせいか、酔ってしまっていた俺は眠くなってきて。加えて一松さんから聴こえる鼓動が心地好いから俺は抗うことなく目を閉じた。

「………う、」
 お酒は好きだが強いわけではない。そんな俺は目を覚ますと共に酷い頭痛に襲われた。
できるだけ刺激しないよう、ゆっくり顔を上げて辺りを見回す。テレビで紹介されるホテルのような広い寝室。当然ながら俺の寝室ではないし、まったく見覚えもない。
 クインサイズのベッドに、肌触りの良い寝具が俺の体を包んでいる。
 頭を押さえながらベッドから抜け出すとゆっくりと部屋を出ると、昨晩訪れたリビングへと出た。そうだ、昨晩は一松さんのマンションに来たんだった。
 リビングの真ん中にあるソファーに誰かが横たわっている。
「……一松さん」
 声を掛けて肩を軽く叩く。しかしぐっすり寝入っているのか一松さんは「うにゃ」と一言、器用にソファーで丸まってしまった。これは易々と起きてはくれなさそうだな。
「昨晩はごちそうさま……そしてベッド貸してくれてありがとう」
 起こさないよう囁くと俺は身形を整えて持ち物を確認する。家主の知らぬ内に出てゆくのも失礼かと思ったが、これ以上ご厄介になるのも失礼だ。それなら長居は無用だ。

 歩く度にずきずき頭が痛む。折角今日は誕生日だというのに。それにしても昨日何かすごいことがあったような気がして、痛みを誤魔化すよう米神を押さえる。
 酔っても記憶を無くすようなことはないのに、記憶が曖昧になるくらい飲んでしまったのか。だからこんなに二日酔いが酷いのか。
「何があっただろうか……」
 沈む記憶を掘り返すように天を仰ぐ。
 俺は酔ってもなかなか記憶は無くならない。寝起き間もなく、頭痛もあってなかなか思い出せないだけ、で、

「……ん?」

 ワインを飲んだ先の記憶が一気に甦る。やはり記憶は無かったわけではなかったが、その記憶に俺の脚は止まる。俺好みのワインに、笑う一松さん。一松さんの柔らかな唇。抱き締める腕の温もり、早い鼓動。誕生日。
 顔がどんどん熱くなって、その場にしゃがみこむ。するとタイミングを見計らったようにポケットの中のスマホが鳴った。
 情けない事実だが、俺の交友関係は結構乏しい。だから休日であってもスマホが鳴ることは稀だというのに一体誰が。画面を確認すればそこには「一松さん」と表示されていて、ついスマホを落としそうになる。
「……松野です」
『まつのさん? かえるなら起こしてくれたらよかったのに…きのうワインたくさんのんだけどだいじょうぶ?』
「あんまりぐっすり寝ていたから、つい……まあ、二日酔いだが美味なワインを飲めたんだ。ごちそうさま」
『そう、よかった。二日酔いはおだいじにして』
「ああ、ありがとう」
 一松さんの様子はいつもと変わりない。もしかしたら昨晩の出来事と思っているのは俺が見た夢なのかもしれない……いや、夢であったなら、あれは俺の願望? それは違うような…だが、そうなると何故一松さんはあんなことを?
「あの、一松さん」
『んー?』
「ガッティーノミアって、どういう意味だ?」
 ガッティーノミア、はきっと外国語だ。そしてそれは俺が昨晩聞いた、最後の言葉。
それを覚えているということは、俺の記憶がしっかり残っているということだ。そしてそれがどういうことかわからないほど、一松さんが間抜けではない。
『わたしの子猫ちゃん』
「私の……子猫?」
『イタリア語でガッティーノは子猫ちゃん、ミアはおれの、とかわたしのっていうんだ』
「そう、なんだ」
『誕生日プレゼントの子猫、いつでもいいから。たのしみにしてるね』
 電話越しに、くすりと笑うような気配がして気まずさに通話を切る。

 俺は人に比べて随分鈍感なところはあると自覚している。それでも、これはあんまりに露骨で見逃せない。そうして、改めて己が軽率な発言をしてしまったことに、あんなに痛かった頭痛は治まってしまった。
 そしていくら昨晩のことを思い返しても、一松さんにされたことに嫌悪はない。それはつまり……あ、うわあ……恥ずか死にそうだ。

 恥ずかしくて恥ずかしくて二日酔いではない目眩がしてきそう。 
 でもこんな感情、どうすればいいかわからない俺は暫しここで蹲るしかできなかった。

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