「ふーん。あなたがからまつの恋人のいちまつね」
珍しくカラ松を外に誘い出すことに成功して散歩デートに興じていた僕とカラ松の目の前に現れたのは10歳に満たないような幼い女の子で、その子は、
「あたし10年後、からまつと結婚してあげるいちこっていうの」
なんてとんでもないことを言った。
いちこという少女とは初対面だったが、その存在はカラ松から聞いていた。それも「会う度に熱烈な告白をしてくるリトルカラ松girl」という肩書きを添えられて。
いちこに限らず、厨二めいた、良く言えばロマンの富んだ振る舞いをするカラ松に想いを寄せる少女は多い。しかしそれはあくまでも「少女」と呼ばれる年端もいかない女の子ばかりで、本人は女性にモテているという自覚はないらしい。そのためか、カラ松は告白されたところで少女たちと距離を取るようなことはしなかった。加えて好意を寄せる少女を邪険に扱えるような性分ではない彼は、恋人がいるから君の想いには応えられないと極力優しく告白を断ったのだ。
確かに断る理由としては正統なものだし、相手を傷付ける要素は少ないだろう。でも恋人が女だったらまだしも、相手が男の僕だってことまで馬鹿正直にいちこに伝えてしまったそうだ。
嘘にしたってもっと言い様があっただろう、だからあんたはいつまで経ってもクソ松なんだよ。
そんな話をカラ松から聞いたのは数日前、だから近い内にそのいちこと会うだろうとは思っていた。だって、面と向かって告白してくるような行動力ある少女だ。
「どうも、いちこちゃん」
意識する限りの優しい声で挨拶すれば、いちこは社交的なものではない笑みを顔に交えた。威嚇してやるのもいいが、行動力があるだけに凄んだところで易々と怯むような子ではあるまい。それならまず、低姿勢で様子を窺うのもいいだろう。
膝を折って彼女の目線の高さへ合わせて笑いかければ、女王様のように小さな胸を張った。思ったよりも好戦的な子だ。でもあんまりそんな態度するとカラ松がいい顔しないよ、あいつ結構平和主義者だから。
「いちこちゃんっていうくらいだからピアノ弾くの? それとも歌?」
「え?」
「なじゃなじゃのいちこちゃんじゃないの?」
途端にいちこが驚きに声を上げ、傍にいるカラ松が疑念を示すように口をすぼめる。あんた知らねーのかピアニストの一子。
「そう!なじゃなじゃのいちこでね、ピアノとか、あとね、ジャズもやってるの!」
目をぱちぱちと瞬かせ、白くて柔らかそうな頬は興奮でわずかに上気している。
ジャズもやってんの、今時のカラ松girl洒落てんな。
「僕ナジャナジャの一子好きだよ。可愛くて、でもすごい大人っぽいよね」
「でしょ? おかあさんがすっごいすきであたしもおっきくなったらなじゃなじゃなるの!」
「僕は生まれた時からも好きかな」
「あたしはあれきらい!」
「こわい?」
「うん、こわいからなじゃなじゃじゃないと嫌なの」
それが彼女の名前の由来になった一子という人のひとつのウリなんだけどなあ。多分、お母さんは僕が挙げた曲も大好きだろう。
「そうだ。これから猫カフェに猫見に行くんだけどいちこちゃんもどう?」
「あたし、おかねないわ」
「お金の代わりに君の話を聞かせてよ」
「いいわよ!」
いちこちゃん、あんた小さいからってね、そんなほいほい誘いに乗ったらいけないよ。僕が変態ロリコン野郎だったらどうすんの。もしかしたらカラ松経由で拗らせカラ松boyであるのがバレてるのかもしれないけど、もう少し警戒すべきだよ?
「いちこね、からまつと結婚したら毎日からあげいっぱいつくってあげるの」
カフェで頼んだケーキを頬張りながら、少女はフォークを振り上げる。結婚を計画しているだけに結婚生活についても明確なヴィジョンがあるらしい。こちらが相槌を打つ度にいちこは盛り上がってゆく。
「でもね、からあげだけじゃ栄養バランスがよくないからやさいいためとかサラダとかもつくるのよ」
「カラ松の健康をしっかり考えてるんだね、まだ結婚前だっていうのにそこまで考えてるなんてすごいじゃん」
我が家だったら唐揚げにトンカツをセットに出したりするけどなあ。この子ん家はちゃんと飯作ってんだろうな。
「カラ松が羨ましいな。こんな可愛いくて自分のこと考えてくれる子がお嫁さんになってくれるなんて」
嫌味になりそうなくらいの誉め言葉だったが、彼女は年相応に素直らしい。上機嫌に笑いながら頬を赤らめる。
「結婚したらいちまつもあそびにきていいわよ」
「その時は僕もいちこちゃんのからあげ食べたいな」
「いいわよ!」
それから猫カフェで一時間話をし、店を出る頃にはいちこは僕の隣にいた。
「ごめんなさいからまつ……あなたを運命のひととおもったけど、どうやらちがうみたい」
そうして申し訳なさそうに目を伏せた彼女にカラ松がぽかんとした。どうしよう、笑っちゃいけないのに笑いそうだ。
唐揚げの件から彼女を褒め倒した後、顎についたクリームをすかさず拭ってやって笑いかけてからすっかり僕にべたべたである。
恋心は変わりやすい。それが幼い少女なら尚更、そうは思うのだが、こんなに呆気なく僕へ鞍替えしてしまうとはちょっと罪悪感が湧く。
次にまた会う機会があればまた別の誰かを好きになっていればいいけど。そう思ってならない。
「なんてことしてくれるんだ」
辛さを演出しようと涙を拭う素振りを見せながらいちこと別れ、その小さな姿が見えなくなった途端にカラ松がそう呟いた。そうして非難の嵐が始まった。
「ごめんね、あんたの婚約者取っちゃって」
「謝るのは彼女にだろ? どうするんだ、彼女の眼差しは本気だぞ」
「結婚する」とまでは言わなかったが、カラ松より僕に運命を感じてしまったらしい彼女はきっと鳥手羽先と野菜炒めのメニューを考えてるかもしれない。それともサラダかな。
結婚の話を出せばカラ松ではなく僕と結婚すると言うかも。
「すぐ忘れるよ」
一月ほど彼女と会わなければ今日の出来事なんて記憶の底に埋まってしまう。それに小さな彼女はこれからなのだから、結婚できる年頃になればニートの僕なんかよりずっといい人に出会える可能性あるんだし。
「子供を見くびるんじゃないぞ」
「見くびってたらこんなことしない」
「いーや、お前は見くびってる。十年以上片想いしていた子がいるじゃないか」
カラ松の指先が僕の胸元をつつく。そして煽るようにゆっくり円を描くと、くすりと笑った。
「……そういやいたね、そんな奴」
「だろ。彼女がお前のそんな子になったらどうする?」
「かつてのあんたに今の僕はいなかったけど、今の僕にはあんたがいるじゃん。あんたがなんとかしてよ」
「ひどい奴だ」
「じゃあ今度はもっときっぱり断って」
ひどい奴だって言うならあんたも少しはひどい奴になってもらわないと。せめて期待持たせる振る舞いはやめてほしい。
あんたはとても魅力的で。そんなあんただから僕は惹かれたわけだけど、そんなのは僕だけで充分だ。