梅雨時の巻き込み事故にご用心

 街中でカラ松と一松がふたり連れ立って、一本の傘を差していた。
 梅雨明け間近とはいえ降り注ぐ雨は大粒で、傘を持つ一松の外側の肩と腕がぐっしょりと濡れている。そんな光景を見てしまったのはドラッグストアで傘を購入していたチョロ松で、瞬きを繰り返しては目を擦り、そうして器用に自らの頬を叩いては再度ふたりを見た。
 見つめられているふたりはドラッグストアに用があったのか徐々にチョロ松のもとへ近づき、弟の姿に気付いたカラ松が片手をあげる。
「ようチョロ松、奇遇だな」
「そっちこそ」
 それも、相合い傘して。僕が知らないだけでいつの間にか天変地異でも起こったのか?
別に相合い傘したっておかしなことはない。男同士は珍しいといってもカラ松と一松は兄弟なのだし、容姿がそっくりなため、他人からすれば仲の良い兄弟としか見えないに違いない。
 しかし松野兄弟からすればこのふたりが相合い傘をしていることは珍事中の珍事であり、チョロ松は内心動揺していた。
「いつも使っている整髪剤がなくなってしまってな、マザーも今日はもう買い出しに行かないというから自ら赴いたんだ」
「それで、一松は?」
「煙草」
 成程、整髪剤も煙草もドラッグストアに行けばある……いやいや成程、と終わらせるわけにはいかない。視線の先にある、カラ松と一松の肩が触れ合いそうなくらい近くて、チョロ松はいよいよ視線を黒い空へ向けた。
 なんだろうこの距離感は。いつもそんな近かったか? むしろカラ松が近づこうならば一松が一歩二歩程度離れるくらいだった気がするのに。
 カラ松も少なからずいつもと違う距離感を認識しているらしく、表情にも、話す声にも上機嫌な色を乗せていて、チョロ松はじわりと居心地の悪さを感じてきた。
「あのカラ松、」
「先に煙草買ってくる」
「おう」
 チョロ松の言葉を遮るように一言、一松はカラ松に傘を押し付けると店内へ入って行く。
「どうしたチョロ松」
 首を傾げたカラ松に、ほんの少しだけ後悔の念を覚えたチョロ松は、それでも聞きたかったことを口にする。
「機嫌良さそうだけど、なんかあった?」
 カラ松の頭上に揺れるのはどう見ても紫の傘で、チョロ松の背中を痒くさせる。それを助長させるようカラ松の口元が笑みの形に歪んでは、柔らかく目が細められる。
「顔に出てしまうとは、その……一松が、良かったら一緒に買い物行こうと、誘ってくれたんだ」
 そんな答えにチョロ松はほっと息を吐く。これで一松と相合い傘できて嬉しいなんて言われたらどんな顔をすればいいやらと少しだけ身構えていただけに安心した…しかしドラッグストアという色気のない場所とはいえ、わざわざ一松が声を掛けるなんてやはり天変地異は起こっていたのだとチョロ松は確信した。
 そして相合い傘の謎は未だ解けてない。
「気紛れとはいえ、嬉しいんだ」
 それは誘ってくれたことに対してか、はたまた相合い傘に対してなのか。もしかしたらどちらともかもしれない。カラ松からならまだしも、こんなことを一松からカラ松へしてくるなんて、記憶にないくらい珍しいことなのだから。
「あのさ、カラ松、」
「こんなことで浮かれてるなんて情けないのは承知だ」
「いや、そうじゃなくて、まず情けないなんて思ってないから」
「そう言ってくれるな。わかってるんだ」
「わかってねーよ」
 きょとん、と目を丸くするカラ松に思わずチョロ松は溜め息をつく。
 わかってるって何をわかっているのか。本当に一松が気紛れでカラ松を買い物に誘ったり、相合い傘したりするのならば、チョロ松が天変地異の可能性を考えたりしない。松野家の兄弟は六人もいるのだ、カラ松以外に四人も兄弟がいる一松がわざわざ彼を選んで買い物へ誘って相合い傘までする理由はきっとある。それに特に理由がないのなら、なにかと一緒に出掛けることの多い十四松を誘う方が一松としては気を遣わなくて良いのではないか。と思うのだ。
 だがカラ松はそこまでの考えに至らないのか、相変わらず不思議そうに目を瞬かせるばかりでチョロ松は再び空を仰ぐ。
「……あ、」
「なんだ?」
「あーあ、雨止んでるし……折角傘買ったのに」
 雨が止むのを我慢出来ずに傘を買ったのは何分前だったか。確かふたりに会う直前だったから10分くらい前だろうか。仰ぎ見た空からは雨は降っておらず、微かに明るさを見せる。今日は風も穏やかで雲の流れも緩やかだ、今の内に走って帰れば濡れずに済むかもしれない。
 チョロ松が手にする傘は500円払ってお釣りがくるようなとても安いものだったが、家に帰れば愛用の傘があると思うと無駄遣いした気分になってくる。
「……――まだ話してんの」
 げんなりした気持ちにのし掛かるような声色に視線を落とすと、そこには小さなビニール袋を手にした一松が立っていた。
 もう買い物を済ませたのか早いな、と思いつつも煙草だけを買うならむしろ遅いくらいだと思い直していると一松がビニール袋をカラ松に押し付けた。
「……?」
「あんたがいつも使ってる整髪剤。見かけたからついでに買ってきた。レシートも入ってるから、帰ってから金ちょうだい」
「おう。ありがとう一松」
 ついでねえ? 一松が買っただろう煙草はレジに行けば買えるのに、わざわざ整髪剤のコーナーに行ったのか? そう突っ込んでやりたい気持ちを押し込める。一松がついで、といえばそれはついでなのだ、それでいいじゃないか。
 心の中でうんうんと頷いていると、一松が一歩二歩とこちらから離れて行く。
「買い物済んだし、先帰ってるから」
「なら俺も、」
「チョロ松兄さんと話してる最中ならチョロ松兄さんと一緒に帰ったら」
 そんな言い分に、俄に悪意を感じてチョロ松は唇を鳴らす。
 だってわざわざ誘うくらいだから、きっと一松はカラ松と共に買い物したかったに違いない。それがドラッグストアでチョロ松と会ってしまい、自分を放っておいて店前で話しているとなれば気分が悪くなるんじゃないか。
 そしてそんな不満を口にできるほど素直ではないのが一松だ。勿論、自分が誘ったんだから自分と帰れ、なんて、思っても言えないだろう。
特に鈍感でもないチョロ松は「そうだ」と、まるで今しがた何か思い出したように声を上げる。
「買い忘れたものあったの思い出した……時間かかりそうだし、ふたりこそ先帰りなよ」
「そうか。じゃあなチョロ松」
 カラ松の顔に安堵の色が混じったのを見てしまい、チョロ松はそそくさと店内に避難する。
 買い忘れなんてない。このドラッグストアに寄ったのは傘を買いたかったからであったから、それ以上の用事はなかった。
 ちらり、とチョロ松が外を窺えばこちらへ背を向けて離れて行くふたりの姿。そんなふたりの間には閉じられた紫の傘があって、何度目かわからない溜め息をついた。

 僕は超人ではないからあんたたちのために雨を降らせることはできない。ただ、ふたりの気持ちをある程度汲み取って、こうして不要な買い物をするくらいはできる。

 窓越しに見上げる空はどんどん明るくなってきており、そうそう雨は降りそうにない。
チョロ松の買った傘も、カラ松が持つ傘も、暫く出番はない。それならばわざわざ一松の間に隔てるよう傘を持つ必要はないのに、どうしてカラ松は傘を持つ手を換えて彼との距離を詰めないのだろう。
 どうして一松は「これはおれの傘だから」と、カラ松の持つ傘を引ったくって手を繋ごうとしないのだろう。相合い傘ができるくらい、カラ松が濡れないようひっそりと肩を濡らすことをしたなら、手を繋ぐくらいわけないだろうに。

「そういやなんで相合い傘することになったんだろう」
 手も繋げないふたりがどういった経緯で相合い傘ができたのか。距離を詰められないふたりの背中を見てもまったく想像できなくて、取り合えずチョロ松はあてもなくドラッグストアで買い物をすることにした。