日本号のちょい呑み配信1

 時は二二〇〇年代、刀剣男士の存在は日常の一部となっていた。
『加州清光の闇鍋ラジオの時間がやってきました。この番組のディスクジョッキーは勿論あんたの初期刀、加州清光だよ』
 文机に乗るラヂオから聞き馴染みのある加州の声が聞こえる。だが、この加州は俺が在る本丸の加州ではなく、どこかの本丸の加州清光である。
 こういう音声放送は珍しいものではない。音声放送だけではない、インターネットやテレビジョン、紙媒体でも刀剣男士の姿は多く出ており、見ない方が珍しいほどだ。そして今聴いているのは、とある本丸にいる加州がゲストとして色んな本丸の打刀を呼んで雑談するラヂオ番組だ。半刻ほどの長さのこの番組は基本的にのんびりとゲストの本丸の話をするだけで、多様性を学ぶために作業時など流している。
『――ゲストは山城国の豊前江!』
『来週放送開始するドラマの宣伝にきた豊前江だ』
『ちょっとぉ、それ最初に言っちゃう?』
『目的は早う果たすに限るっちゃ。宣伝したらあとはのーんびり好きに話せるけん』
『まあ、そうだけどさあ……なら、宣伝どーぞ』
 博多とは少し違う豊前の九州訛りに耳を傾けながら支度をしていると、手持ちのタブレット端末から「ぽん」と間抜けな音が鳴る。それはとある通知に設定したもので、飛びつくように端末を取る。そして画面に表示された通知をタップすると、早くも盛り上がり始めているラヂオを消した。
 端末に映るのは動画配信アプリの動画プレイヤーで、一瞬だけ読み込みアイコンが表示された後、台所が映し出された。
 ここ数ヶ月、俺はとある動画配信を見ている。
『……おいしゃん、始まったばい!』
 聞き馴染みある博多弁は博多藤四郎のもので、彼の声を合図にするかのように画面の端から大きな手が出てくる。それは画面越しで見ても俺よりも一回り大きいのがわかり、緊張にも似た心境を覚えて唾を飲み込んだ。
『どうも。今夜も日本号のちょい呑み配信、付き合ってくれよ』
 低く落ち着いた声は日本号のもので、その声を認識すると頭から足の爪先までむず痒くなってくる。視聴者に対しての挨拶なのか、大きな手……日本号の手が画面上でひらひらと振られた。その手に応えそうになりつつ、端末に向かって手を振る自分の姿が過って、落ち着けとばかりに大きく息を吐いた。
 この配信チャンネルの主はどこかの本丸の次郎太刀で、普段は『じろちゃんのおつまみクッキング』という料理動画が配信されている。そんな次郎のチャンネルから不定期に配信されるのが博多藤四郎撮影・日本号主体の『日本号のちょい呑み配信』であった。
 配信内容は日本号が撮影者博多と話しながら『ちょい呑み』に必要な肴を作るだけのもの。映るのは主に調理している日本号の手元だけ、そんな簡素な配信はそこそこ人気のようで、見ている内に閲覧者の数が増えていく。
『今日のつまみは新玉葱のバター蒸しだ。うちの主が新玉葱を大量に購入して有り余っていたのをひとついただいてきた』
 新玉葱とは、確か主も旬だからと沢山買っていたな。
 配信の日本号は慣れた手つきで調理器具と材料を用意すると料理を始める。長く角張った手先が器用に動き、その美しさに頬に感じる空気が冷えてきた。

 俺はこの数ヶ月、とある本丸から配信される『日本号のちょい呑み配信』に愛好の念を抱いている。

 きっかけは昨年成人を迎え、少しばかり酒を嗜むようになった主が好みそうな肴の献立をインターネットで探したことから。当初は次郎太刀の配信が目的だったが、そんな彼のチャンネルに日本号の配信アーカイブを発見し……そこから見事なまでにのめりこんでしまったのである。
『新玉葱は足が早うのに主人はなんであんな沢山買うてしもうたん』
『まあ、うちは男士の数が多いからなあ。目一杯買わねえと足らなくなると思ったんだろう』
『それでも限度があると!』
 声音からも拗ねた様子がわかる博多に日本号が小さく笑う。配信に寄せられるコメントが一気に増えていき、一瞬だけ動画プレイヤーに読み込み表示が出る。明らかな視聴者のざわめきに、俺は内心同意の頷きを繰り返す。
 この配信は日本号が骨格の良い手を見せつけながら料理をするだけではなく、博多との会話があるのだ。主な話題は本丸での出来事が主。特別な話をしているわけではないが、それがかえって魅力となっているのだ。
 それこそ、俺としては非常に、この二振りの組み合わせというのは堪らないのだ。上手い言葉が見つからないが、胸をそわそわとさせるものを覚えるのだ。
 わかっているさ、この愛好の念は少々変な方向へ進んでいることくらい。
『そんで、切り目を入れた新玉葱に有塩バターとお猪口半分ほどの本酒をかける』
『おいしゃん、計量ば』
『洗いもんが増えるだろ……大体大匙一くらいだから、作ろうとしている奴いたら参考にしてくれ』
『匙くらい俺が洗うばい!』
 わいわいやり取りする二振りに微笑ましくなっていると腹の虫が鳴って、誰が聞いているでもないのに羞恥心に腹部を押さえる。もう夕餉もとっくに済ませて寝るような時間帯だというのに、夜の料理配信はどうにも空腹を誘って困る。
 それでも配信を見続けているのだから俺も好き者である。

 翌日の昼餉に大量の揚げ鯖のマリネが振る舞われた。主が張り切って買った新玉葱をいち早く消化するために作ったものらしい。
「薬味に大葉や梅もあるから味を変えてどうか残さず食べてね」
 料理番である燭台切の言葉に男士達は返事をしながらマリネに箸を伸ばす。
 ざくざくもぐもぐ。さくっとした揚げ物に、冷たく酸味あるマリネは美味というものだ。俺もマリネと米飯を口いっぱいに頬張ってその美味しさを堪能する。酸っぱいのはそこまで得意ではないのだが、今食べているマリネは誰でも食べられるように酸味控えめだ。これは米に合う。うまい。
 米飯が早々になくなりおかわりを貰おうと厨へ向かう途中、昨晩聴いた声が耳に入ってくる。
「これは酒が飲みたくなるもんだ。日本酒も良いが、芋で飲んでもいいな」
 声のする方へ振り返ると、俺に背中を向けて座っている日本号と蜻蛉切の姿があった。
「日本号、この後出陣だっただろう。酒に強いとはいえ、飲酒は如何かと」
「わかってるよ蜻蛉、呑むとしても帰城してからだって」
 日本号が蜻蛉切の脇を肘で軽く突きながら笑う。それは配信で聴いた日本号のものに酷似していて、あの笑い方は日本号特有のものなのだと俺は初めて知るのだった。

 刀剣男士がマスメディアに出る条件は難しいものではない。審神者の許可がいる、任務内容の守秘義務。など刀剣男士ならではのものもあるが、基本的に人間と変わりない。
『じろちゃんのおつまみクッキング、今日は炒り鶏を作るよ!』
 とある本丸から配信されている次郎太刀の料理配信は無数ある刀剣男士主体の動画配信の中でも人気のものだ。
『姫竹の水煮が手に入ってさー、―――』
 配信は厨全体を映し、その中心に次郎が立って説明しながら調理する、所謂料理番組でよくある形式だ。長身の次郎太刀と比べても狭く見えない厨は次郎が配信で得た金で拵えたものらしく、電子レンジやオーブンなどといった調理設備がある現代的な造りとなっている。刀剣男士の中には昔からの釜屋を好む者もいるが、この次郎太刀は利便性を優先しているようだ。
『蒟蒻の粗熱が取れたら匙でひと口大に切っていきます。見た目重視にしたいなら手綱でも良いよ』
 俺なら主に出すものでなければ適当に手で千切るな、匙を使うと洗い物が増える。配信を眺めながらそんなことを思っては、先日の日本号の配信を思い出す。
 次郎の料理配信が正道とすれば日本号の料理配信は邪道に近い。衛生面を守って旨いものを作ればそれで良いとばかりに過程が雑なことが多い。そのため配信中に『名人様』からご指導のコメントが投稿されることもあるが、そのいい加減さこそ気軽で良いと評価する視聴者が大半であり、配信の魅力のひとつとなっている。
 日本号といえば呑み取りの槍と同時に、位持ちの槍として有名な刀剣男士だ。砕けた口調ながら気高い印象を持つ大槍、口にする食物に対しても高い理想を持っていそうだと考える者は一定数いるだろう。少なくとも俺はそう思っていたのだが、配信の日本号は最終的に旨いものが出来ればそれで良いという姿勢で拍子抜けしたものだった。
 極端な時は『材料が旨けりゃ良いんだ』とばかりに、筋切りした厚い牛肉を焼くだけの配信もあったものだ。料理には違いないが、それをわざわざ配信する緩さがまた良い。
 そんなことを考えている内に配信の次郎は炒り鶏を完成させていて、改めて作り方の手順を説明しているところだった。
 料理配信とはこういうものだよな。日本号の配信は博多の監修が少しだけ入っていると過去のアーカイブで明かされていたが、博多はどこを監修しているのだろう。日本号もあれだが博多もなかなか大雑把である。
 調理の振り返りを終えて、いつもなら締めの挨拶をするところ、不意に次郎が画面右側に向かって手を振る。それは誰かを手招きしているようで注視していると、右端からまた誰かの手が出てきた。
 それはとても知った日本号の手だとすぐに気付き、注視していた目に力が入るようだった。
 これまで次郎の配信に日本号が出てくることはなかったが、一体どうしたんだ。予想外の展開に配信に投稿されるコメントもざわついている。
『日本号、こっち出ておいでよ』
『いや、俺は顔出しえぬじーというやつでな。ここから失礼する』
『常時展示が顔出し気にするって何さあ? 見られるのは慣れたもんでしょ』
『それとこれは違うんだよ……ええと。この配信終わった二十分後、俺も配信するから時間があればどうぞよろしく』
『枠は終わり次第取るから待っとってねぇ』
 画面下から明るい色の頭髪と小さな手が見える。顔は見えないが博多であるのは一目瞭然で、俺はすぐに対応できるよういそいそと準備を始めた。

◆◆◆

 
『―……博多、もう繋がってんのか』
 動画プレイヤーは日本号の腰回りと手元を映しており、それは『日本号のちょい呑み配信』では馴染みの光景である。
『んー……コメント来たから大丈夫』
『じゃあ日本号のちょい呑み配信始めるか。次郎の枠にお邪魔した日本号だ』
『ええ、と……今日はちょっと変わった始まりだったのはどうしてですか?』
 珍しい博多の標準語に一瞬疑問を抱いたが、どうやら配信のコメントを拾ったらしい。日本号は彼の敬語に追求することはない。
『この後次郎と飲むんだが、その時にお互い配信で作ったもん持ち寄ろうという話になってな。それですぐに配信開始できるよう待機していたんだ』
 日本号の返答に投稿コメントの流れが一気に加速する。その内容の大半は詳細を求めるもので、この配信の視聴者は一般人が多いのが知れる。
 俺はよくわからないが、一般人にとって刀剣男士の交流事情は非常に興味深いらしい。日本号と次郎太刀の酒好きが一緒に飲むなんてどこの本丸でも日常だと思うのだが、そんなありふれたことの何が気になるのだろう。
『次郎はがめ煮だったが、俺は豚肉と姫竹の豆板醤炒めを作る』
『また塩からいもん作るとぉ』
『今夜は姫竹を消費するのと、善醸酒を開けるのが目的だからな』
 姫竹といえば、昨日の夕餉は姫竹の炊き込みご飯が出たな。俺が知らないだけで旬の食材なのだろうか。
『主も主ならその下にいる男士も男士なのかね。山籠りしていた山伏が、足りなくなってはいけないと食い切れないくらいの姫竹を土産にしてくるとはなあ』
『瓶詰めしたら長期保存できるだけ新玉葱よりマシばい、早く食べ切るために三食新玉葱入っている献立だった時は流石に飽いてしもうた』
『料理当番もあれこれ工夫していたんだがなあ』
 そんな会話をしつつ、日本号は使用材料を紹介すると調理を始める。
『――肉に下味をつけたら青椒と姫竹を細切りにする』
 材料を一度大きく切ると、とんとんと軽快な音を立ててそれを細切りにしていく。大きな手は器用なもので、あっという間に細切り具の小山が出来上がる。過去の配信で料理の腕前は初心者に毛が生えた程度と言っていたが、初心者とは到底思えない包丁さばきだ。
 厚めに油がひかれたフライパンに肉を投入し、肉が焼けた頃に残りの材料を入れて炒めていく。
『仕上げに風味付けの紹興酒を少々』
 少々、と言いながらフライパンに投入された紹興酒はそこそこの量で、博多の動揺を反映するよう画面が揺れる。
『よりによって善醸酒をそんなに勿体なか!』
『手間がかかっている善醸酒といっても紹興酒だ。そう騒ぐほどのもんじゃないぞ』
『じろしゃんから二十年もののおいくら万円する良いやつだって聞いとーよっ!』
『次郎のやつよりによって博多にバラしたのか……しかしなあ、この善醸酒のコクと香りは豆板醤に合うもんだぜ』
 紹興酒が入ったことで照りが出た炒め物が皿に盛り付けられる。湯気が立ち上る様に、口内に唾が溜まるようだ。
『紹興酒は常温でそのまま飲むのが美味いが、味の濃いもんが多い時には冷たい烏龍茶と割ったドラゴン・ウォーターもおすすめするぜ。油もんもあるならちょいと檸檬汁を落としてすっきりした口当たりに仕上げると良いかもな』
『カクテルの紹介までして綺麗に終わろうしとるけど、さっきの紹興酒の使い方は会議が必要やねおいしゃん』
 博多が見上げているのか画面が少し上向き、日本号の胸元まで映る。僅かに刀紋が入った首飾りが映り、こいつは日本号なのだと改めて認識するようだ。
『そう言うな。お前さんに香港フィズでも作ってやるから、会議じゃなくて一杯やろうぜ』
『うーん……』
 悩むように唸る博多だが、いくらか明るい声色に満更ではないことに気付いて微笑ましくなる。それは他の視聴者も同様なのか、博多に和んでいるようなコメントが寄せられる。

『配信の最初で話した通り、これから飲みだから今日はこれで終いだ』
『ご視聴ありがとうございましたぁ』

 真っ黒になった画面に俺は大きく息を吐く。
 時間にして二十分程の短い配信だったが、今日もまた良いものだった。可愛いものを見ると癒やされると主が言っていたが、こういうことなのだろうか。
 数分配信の余韻に浸り、そろそろ寝ようかと周囲を片付けていると遠くで誰かの笑い声が聴こえた。
 配信の日本号たちのように、この本丸の酒飲み達も乾杯しているのだろうか。もしかしたら日本号や次郎太刀かもしれない。
 そう考えると満たされていたところに小さな水泡がぽつりと浮き出てきたようで、一瞬片付けの手が止まってしまった。

◆◆◆

 目の前に広がるのは見事な藤。その下では短刀達が歓声を上げながら花を楽しんでいる。
「やっぱり藤の景趣は壮観ね」
 隣に並び立つ主がまるで眩くものを見つめるように目を細める。
 本丸を出れば汗ばむこともある初夏の兆しに、季節の移ろいを大事にする主は藤の景趣を設定した。前日まで庭を彩っていた桜とはまた違う藤の香りは甘ったるくて、俺は思わず言葉を詰まらせる。しかし幸いにも主は俺の異変に気付いていないようで話を続ける。
「陳腐な感想になるけど、この時期に咲く花はどことなく憂いを秘めた色気があって良いのよねえ」
「そうですね」
 そうなのだろうか。藤を見ると何よりも先に思い浮かぶものがあるだけに、残念ながら主の言う憂いや色気はよくわからない。藤というものは綺麗でありながら力強く成長してゆく繁栄の象徴、少なくとも憂いとは正反対な印象を抱いている。
 主に失礼ながら別の話題にならないかと願っていると小さな苗をいくつか抱えた村正がやってきた。
「アナタに頼まれていたカシスの苗、持ってきまシタ」
 カシスというのは彼が手にしている苗なのか、その存在を認めた主は喜びの声を上げる。
「ありがとう村正! わざわざ信濃国までお遣いいかせてごめんね」
「huhuhuhu、お安い御用デスよ。育てるのならば知っていると思いマスが、外来種なので種の扱いに気をつけてくだサイ」
「本丸内で鉢植えの栽培にするつもりだし、桑名にも育成法を相談するから大丈夫よ」
「ふむ。アナタひとりでは不安でしたが桑名江が相談役ならば問題ないでショウ」
 そのようなやり取りをして主は村正から苗を受け取ると、大事そうに抱えてどこかへ行ってしまった。多分に先程名が出た桑名のいる江の部屋に向かったのだろう。
 かつて土壌状態を確かめるために土を食んだ桑名を見て以来、作物関連で主が奴を頼る時は素直に引き下がっている。それに、俺は栽培について助言はできないが手伝うことはできる。そちらの面で主を手助けしていくつもりだ。
「――みんな、そろそろ昼餉ですよー!」
 不意に聞こえた一声に顔を上げると、鯰尾が手を振って藤の下にいる者たちを呼んでいる。ゆっくりと藤を眺めていたら、もうそんな時間になっていたのか。今日は非番だったせいか、何もすることがないと時間の感覚が曖昧になっていけないな。
 ばたばたと俺の横を走り抜ける短刀達の後を追いかけるように食堂へ入ると、既に何振りかの男士が席について昼餉にありついていた。その中には日本号の姿もあって、視線を無意識の内にそらしてしまう。
「今日は天ぷらだから来た奴からどんどん持ってってください!」
「遠征部隊が土産に採ってきた漉油とたらの芽の天ぷらだぜ。早く来た奴には針槐樹の花もついてるぞ……おうい長谷部、突っ立っつないで取りに来いよ!」
 皿を両手に厨から出てきた獅子王が声を上げる。明け方に獅子王率いる第四部隊が遠征に出ていたが、彼らが山菜類を採ってきたのか。
「はい、長谷部。塩は食卓の上にあるけど、天汁が良いなら厨にあるから自分で持って行ってくれよ」
 獅子王から天ぷらが乗った皿を受け取って席へ向かうと、よりによって日本号と対面の席が空いていた。別に離れて座ってもいいが、あまり露骨に避けると悪目立ちするだろうか。それにこれから他の男士も食堂へ集まるのを配慮すれば席を詰めた方が良い。
 食卓を挟んで向かいに座ると、既に殆どの天ぷらを食べていた日本号がちらりとこちらを見た。
「なんだ」
「別になんでも」
 素っ気ないやり取りに、どうしてか俺はいつかの日本号の言葉を思い出す。そして、首の後ろがひやりと冷たくなり、周囲の音が一瞬聞こえなくなる錯覚に襲われた。


『お前見るとたまに折りたくなる……黒田家には義理があるんでな』


 向かいに座る大槍にそう言われたのはいつだったか。どこかの合戦場から帰城する途中だったのは覚えている。世間話の延長のような、普段と変わりない声音で言われたそれは、じっくりと胸元に穂先を刺すように逃れられない恐怖を与えた。
 日本号は「折りたくなる」と言いながら、俺の結論を否定することはなかった。
 いっそのこと突き放してくれたらどれだけ気楽だっただろう。諦めたのか、それとも気を遣われているのか。否定しない彼の意図がわからず、俺は出来うる限り日本号を避けて今日に至る。
 極端に鈍感でもない日本号は俺が避けていることに気付いていると察するだけに、顔を合わせるだけでも気まずい。配信で見る日本号はあれだけ何度見ても大丈夫なのに、我ながら現金なものである。
「お前さん、今日は出陣じゃなかったのか」
 俺は気まずいが日本号はそうでもないのか。まさか会話が続くと思わず、返答に至るまで少しの間を置いてしまう。
「非番だ。そういう貴様も、非番じゃないのか」
「今日は第四部隊で短期遠征だった。七つの頃に出てさっき帰ってきたところだ」
 第四部隊といえば獅子王の部隊、すると今食べようとしている山菜のいくつかはこいつが摘んだものかもしれない。ただ、その話を展開させても話が弾むとは思えなかったので、俺は会話を中断して食事を開始する。
 刀剣男士は持ち主に似てゆくのか、季節のものを大事にする主がいるこの本丸ではよく旬のものが食卓に上がる。それを堪能しているためか、俺は他の本丸のへし切長谷部より季節のものに詳しいと自負している。
 だが、漉油とたらの芽に並んで見慣れない天ぷらを目にして箸を止める。衣を纏ってわかりにくいが、どうやら房状の食物らしい。先端に付く白いのは花弁のようにも見えて、形は藤の花に近いもののようだ。
 箸で切り分けて一口食べてみると微かな青臭さと花の香りを感じ、確かめるようにもう一口。味わいから花であることは確定だが、食用花にしては蛋白なもので食べやすい。本丸内では食用花は育てていないし、これも遠征部隊が採ってきたものだろうか。
 じっくり咀嚼しながら天ぷらを味わっていると、いつの間にか食事を終えた日本号がこちらを見つめていた。
「……なんだ」
「別に、なんでもねえよ」
 先程も似たようなやり取りをしたな。そんなに俺を見て何があるのやら不思議で堪らない。
 もしかしたら大した意味はないのかもしれない。俺が意識しているだけで、向かいに俺がいるから目に入るだけとか、そのような些細な理由かもしれない。
 それならば俺は気にせず食事すればいい。日本号の視線を無視してたらの芽を口に放り込むと食べやすいはずのそれは何故か苦く感じられ、俺は思わず眉間に皺を寄せるのだった。

 腹ごなしに陸奥守と手合せをして自室へ戻るとタブレット端末に通知が来ていたようで、ちかちかと光が点滅している。
 非番の昼間、連絡が来ることは稀であるが誰からだろう。まるで見当がつかないまま通知を確認するとそれは日本号の配信開始を知らせるもので、俺は思わず手にしていた端末を落としそうになる。
 いつもは夜の配信なのに誤信か? そう思いながらも手は素早く動画配信アプリをタップして、間もなく動画プレイヤーが表示される。夜に比べて視聴者が少ないのか、いつもより早く読み込み終えた配信にはいつもの光景が映る。
『……酒は好みのもんでもいいが、初心者は焼酎甲類がいいな。乙類だと仕上がりの味が変わっちまう』
『指南書だとホワイトリカー使うとるのはそのためやね』
『だろうな』
 どうやら酒の話をしているようだが一体何を作っているのだろう。説明を求めてコメントを打ち込むとすぐに何人かの視聴者が反応し、コメント欄に『アカシア酒』の名前が並ぶ。
「アカシア酒?」
 アカシアといえば花の名前だが、花の酒を作っているということか? しかしそんなものを厨で作れるとは思えず、俺は配信を見ながら別の通信端末を手元に引き寄せると『アカシア酒』について調べ始める。
『定番はホワイトリカーだが、今回はウォッカで漬けていく。煮沸消毒した瓶にさっきバラした花弁とウォッカひと瓶分、氷砂糖ひと握り入れる』
『おいしゃんおいしゃん、数値で説明しないと』
『うーん……ウォッカは二リットル、氷砂糖は百グラムだ』
 百グラムの砂糖とはそれなりの量の筈だが、あの大きな手に収まってしまうのか。まさかこのような形であの大槍の大きさを認識するとは。
 そんな驚きがあった間にも空いた手はアカシア酒について調べていて、いくつか指南書が掲載されたページが表示される。指南書を確認すれば作り方は簡単なもので、花を酒と砂糖で漬けて作る混成酒のことだった。
 配信の日本号は大きな手で豪快にアカシアの白い花弁を瓶に投入していく。はて、アカシアとは黄色い花だったようだが記憶違いか? こういうものには詳しいと思っていたが、間違えて覚えているとは……まだまだ勉強不足だな。
『材料を全部入れたら軽く混ぜて蓋をする。これで三ヶ月花を漬けたらそれを取り出し、それから更に三ヶ月以上寝かせたら出来上がりだ』
 そうなると半年? 漬かるのに時間を要するのはわかるが、あまりに長過ぎないか。そんな感想は視聴者も抱いたのか、俺と同様のコメントが流れてゆく。
『時間かけてじーっくり寝かせるのが良かよ』
 撮影しつつもミラーリングしているのか、博多がコメントへ返答する。
『果実酒やジャム作ったことあるならわかると思うが、氷砂糖の分量が多いほど漬かるのが早くなる。できるだけ早く飲みたいなら氷砂糖を多めに入れるといい、二百グラムくらいだったら花を漬けるのは一週間ほどでいい』
 俺は甘過ぎるのは飲めないから時間かける方を選ぶけどな。そう言いながら、これで出来上がりとばかりに瓶を画面全面に出す。
『これくらい作るとまあなかなか無くならねえ、仲間内で飲む時にどうぞ』
 仲間内とは、特別愛想が悪いわけではない日本号ならば盃を交わす飲み仲間はいくらでもいるだろう。なかなか無くならないと言いながらあっという間に飲み切るに違いない。
 そう考えると胸に何か引っ掛かりを覚えて、庭にある藤の香りがやけに気になって仕方がなかった。

◆◆◆

 がちゃがちゃと、広間に何やら釣り道具が広げられている。それを手にするのは間もなく遠征へ出る脇差部隊で、通りすがりの俺は思わず立ち止まる。
「骨喰ぃ、保冷箱に釣餌入れた?」
「海老粉なら入れた。磯目は鯰尾が持っている」
「磯目だけ?磯目持つなら釣餌全部一纏めに持ってよ」
「……貴様等、これから遠征だというのに何をしている」
「何って、その遠征準備ですよ長谷部さん」
 そんなこと聞いてどうしたんですか? まるでそう言いたげに見上げる鯰尾を始めとした脇差連中に溜息をつく。
「今回は物資運搬の任務だった筈だ。釣り道具は必要ないだろう」
「物資運搬の帰りに釣りに行くと報告受けていないかい?」
「主さんには前もって許可を貰っていたから、長谷部さんなら知っていると思ったんですけど……」
 顔を見合わせるにっかりと堀川が首を傾げる。
 主には朝一に挨拶をして、その後に談話を交えつつ今日の任務を確認した。その時に脇差部隊が朝餉の後に遠征へ出ることも、しっかりと内容含めて確認したのだ。
「現代遠征だから記録に残さなかったのかもしれない」
 首を傾げる二振りの隣にいた骨喰の一言に暫しの静寂の後、それぞれ納得の表情を浮かべた。
 確かに、これから脇差部隊が出るのは現代遠征であった。それと脇差連中が釣りに行くことが報告されていないことにどう結びつくのか、この本丸にいる男士なら安易に想像がつく。
 現代遠征は歴史遡行する遠征と違い、転送ゲートの手続きや予定滞在時間の報告、本部の荷物検査が不要である。これから脇差部隊が行う現代での物資運搬ならば、本部には部隊構成と運搬物の内容、目的地を報告すれば良いだけだろう。つまり遠征目的を果たせば、帰りに寄り道しようが釣りに行こうが主の許しがあれば自由であり、本部への報告は必要がないわけだ。
「主さん、また記録に残していないんですね」
 ただ、報告の必要はないが、本丸内の記録には残してもらわないと支障が出る場合がある。遠征によっては危険を伴うものもある。想定するより帰城が遅くなった場合、事故や奇襲に遭ったと連想する遠征もあるだろう。だが、それも理由あって時間を要していると予めわかっていれば大事に取らない。そのため、記録だけは詳細をしっかり書くよう主に何度もお願いしているのだが……まあ、遠征に出る前にわかったので良しとしよう。
「記録には俺が書き留めておこう。釣りを行う場所と戻りの時間はどう予定している」
「沿岸部の日向港で釣り、昼七つの頃に戻ります」
「了解した。事故には気をつけて、何かあったら執務室かこんのすけに連絡するように」
「はーい」
 部隊と別れると俺は早速執務室へ向かう。ただいま主は会合のため近侍の太郎太刀と共に外出している。普段主が不在の時は近侍が執務室で業務にあたるが、会合となると護衛のため近侍が付き添う。そのため今は太郎の代理がいる筈だ。
 誰が代理か知らないが、主不在ならば執務室に遠慮なく入ることができる。
「失礼する」
 執務室の扉を軽く打つと、小さく低い声が「どうぞ」と返ってきた。その声は誰のものかわからなかったが、何やら悪い予感を覚えつつ入室する。すると目の前一杯に大きな藤巴が出迎えたので、入室のために進めた足がぴたりと止まった。
 そんな俺に振り返ったのは藤巴を背負った日本号だった。よりによってこいつが代理なのか。奴も訪れたのは俺だと気付いていなかったのか、振り向いた瞬間身構えるよう背筋を伸ばした。
「……あんたか。主も近侍の太郎太刀も不在だぜ。伝言があるなら受け付けるが、直接会って用を済ませたいなら入相の頃に来るんだな」
「遠征記録を修正するだけだ」
 近侍用に設置された文机の上に乗る端末機を立ち上げると、遠征記録を取り扱う項目を選択する。
「おい、無断で弄っていいのか」
「脇差部隊が帰りに釣りに行くというのに記録されていないのだ。後々大事になるより、勝手に書き加えて小言を言われる方がマシだ」
「そんなもんかねえ。本丸に残るお前さんが釣りに行くこと知っているなら、別に問題ないんじゃないか」
「皆が確認できる遠征記録に書き留めておいた方が、何かあった時に脇差部隊の行方をいちいち説明するより手間にならないだろう」
「まあ、そりゃあそうだな」
 小言を言われるとはあったが、主は記録物に関心が薄いので脇差連中とここで会った日本号が何も言わなければ気付くことはないだろう。主にはもう少しだけでも良いから関心を寄せてほしいものだが、細かいことを気にしない大らかな性分がそうさせているのだから仕方ない。
 手早く加筆を終えて端末機の電源を落とすと、退室のため踵を返す。
 目的は達成された、ここには日本号しかいない。急ぎの用事はないが長居して良いことはまずないだろう。しかし日本号はそう思っていないのか、まるで俺の行き先を遮るように目の前に立つ。
「なんだ」
 どけろと言う代わりに見上げると、奴の眼差しは避けるように明後日の方へ向かう。そうして小さく唸りながら顎を擦るので、らしくなさを覚えてしまう。そのらしくなさは俺を足止めさせるのには十分なもので、思わず日本号の次の行動を待ってしまう。
「あんた、ちょいと茶を飲む時間でもあるか」
「茶を飲む時間? 時間があったら何なんだ」
 時間があるかと言われたらある。だが、俺に時間があったところでこいつとどう関係あるのだろうか。そんな疑問からの返答に、控えめに話していた日本号の口が「へ」の字の形になった。
「別に、なんでもない。聞いただけだ」
 なんでもないような口には見えないが。そう言ってやりたくなったが、ここで思うがままに言って話が下手に進展しても退室の機会を逃す可能性がある。幸いにも日本号は「なんでもない」と言っている(顔は何か言いたげだが)ので、会話を終えるには良い場面だ。
 離れるなら今だ。俺は日本号の大きな体の横を通り抜けると、少し歩みを早めて自室へと戻ったのであった。

 
 日付が変わった頃、布団の中でうとうとと眠りの淵を彷徨っていた俺の耳に「ぽん」という音が聴こえた。それは聞き間違えることのない日本号の配信通知を知らせる音で、眠い目を擦りながら暗がりの中でタブレット端末を探す。画面の明るさに瞬きしながら通知を確認すれば、そこには『日本号のちょい呑み配信』の文字があった。
 これまでどんなに遅くても深夜の配信はなかったというのに、どういう風の吹き回しだ。
 布団の上でだらりと寝転がりながら動画プレイヤーを再生すると、いつもとは少々違う光景が映し出される。
『遅くにこんばんは、日本号のちょい呑み配信だよー。撮影者はお眠な博多に代わり次郎さんです!』
『どうも、日本号だ』
 気怠げな日本号の挨拶と共に大きな手が力なく振られる。それはいつもと違って俯瞰から撮影されており、撮影者が博多より随分大きい次郎太刀であるのが知れる。
『それで、今日は何を作りますか日本号大先生』
『俺ぁ大先生じゃなく正三位だ』
『では正三位の日本号さん、今日は何を作るの?』
 この、いつもとどこか違うやり取りは何だろう。深夜配信といい何か違和感を覚えるが、その違和感の正体が掴めない。すると深夜だというのに流れの早いコメントが『酔っ払いか』と突っ込んでいるのに、違和感は酔いから来るものだと気付く。
『今日は豆腐の味噌汁だ。材料は豆腐、出汁、味噌。以上だ』
『出汁と味噌はともかく豆腐だけ? わかめとか玉葱は?』
『呑みの〆にするんなら豆腐だけで十分だ』
 成程、今日は飲んだ後の配信だからこの時間になってしまったのか。そうなると奴等が酔い気味なのも頷ける。
『鍋に適当な量の水を用意したら続けて出汁を入れる。顆粒の場合は水が十分に温まってから入れた方がいいかもな』
 そんな説明をしながら日本号は水の入った鍋に、不織袋に纏められた出汁を投入する。
『これが福岡の茶商が作ったっていう特製出汁?』
『そう。隠し味に八女茶が入っている』
 八女茶とは、輸出品としても人気の高かったあの八女茶だろうか。今の時期ならば新茶も出回る頃、それを隠し味に使うとはなかなかの贅沢品ではないか。
『出汁を三分煮出したら取り出して味噌を溶く』
 贅沢な品であっても出汁は出汁なのか、鍋から取り出された不織袋は小皿に乗せられると端へ寄せられた。
『特製出汁なら煮付けとか、もう少し凝ったものに使えば良かったのに』
『特製出汁だから味噌汁に使いたいってもんだ……次は豆腐を適当な大きさに切る。そこんとこは好みだから大きくても小さくてもいい』
 日本号の手に乗った豆腐は危なげなく均等な大きさに切られてゆく。話しぶりは酔っ払いの片鱗を見せたが、もしかしたらあまり酔いは回っていないのかもしれない。
『豆腐を入れたら沸騰しないように注意しながら温めて出来上がり』
『いやあ、豆腐だけの味噌汁に特製出汁使っちゃうあたり正三位だよねえ』
『褒めたって何も出ねえぜ』
 映し出される味噌汁に、眠気の合間から食欲が顔を覗かせる予感を覚える。まだ夜は肌寒く感じるこの季節、温かな味噌汁は非常に美味いのは明らかなだけにそそられてしまう。
『あるでしょ、とっておきのネタがさ。それ出してくれないわけ?』
 画面が傾き、画面端に一瞬だけ日本号の顔が映る。それは俺が知る日本号と同一のもので驚いたが、刀剣男士なのだから見目の個体差がないのは当たり前だと思い直す。
『とっておきのネタ?』
『この特製出汁、万屋向かいの茶葉販売店で茶葉買わないと貰えない非売品。つまりはお店で茶葉を買ったってことでしょ……どうして茶葉なんて買ったのか教えてほしいなって』
 アンタ、茶を自分で淹れて飲むタマじゃないでしょ?そう続けた次郎の言葉に、日本号が画面外へ引っ込んでしまう。それは誰から見ても「逃げた」とわかる行動で、コメントがざわつくように流れが早くなる。
 確かに日本号は自分で茶を淹れたり、誰かに茶を淹れてもらうために茶葉を購入するような奴とは思えない。茶葉を買う金があるなら、酒瓶一本買うだろう。
 それがどうして茶葉を買ったのか。次郎が疑問に思うのは理解できる。
 だが、それでどうして日本号が逃げることになるのか、コメントがざわつくのかよくわからず、俺は暫くだんまりと端末を眺めていた。

◆◆◆

 
 突然耳に飛び込んできた煩わしい音に苛立ちを覚えると、それは起床時間を知らせるアラームだと気付く。窓を見ればすっかり外は明るくなっている。
 いつ頃寝てしまったのか。すっきりしない頭のまま枕元に投げられていたタブレットを片付けて身支度をする。今日は巳の刻を迎える頃に出陣する予定のため、あまりのんびりはしてられない。
 着替えを終えて洗面所へ向かうと、立派な寝癖を拵えた博多と鉢合わせした。
「おはよう博多」
「おはようしゃん……今日は一緒の部隊やね、ふぁ」
 博多は大きな欠伸をひとつ、目をしきりに瞬かせる。
「眠そうだな。夜更かしでもしたか」
「今日は早かことは決まっとったと。だから早寝したっちゃけど、夜中じろしゃんに起こされてしもうた」
「じろしゃ……次郎太刀か。就寝しているような時に何の用があったんだ」
 博多が寝ているのは粟田口が集まる大部屋、そこから次郎の自室はかなり離れていた筈だ。少なくとも目的がなければ次郎は訪れないに違いない。
「ううん。それが眠うてよう覚えとらんばい」
 いち兄がすぐ追い返してしもうたし。続いた一言に、にこやかな顔のまま次郎を追い返す一期一振が安易に想像出来て、なるほどと納得する。一期のことだ、訪問した理由が急用でない場合は博多の睡眠を優先するだろう。それなら次郎が訪問したのは些細な用件か。
 追求するほどではないかと手早く身なりを整えると博多と共に食堂へ移動する。既に数振りの男士が食事を始めており、その中には本日同部隊になる者もいた。
「おはよう長谷部に博多。今朝は先着二十振り限定で鯵の大葉巻きがあるよ」
 朝餉の当番らしき歌仙が厨から手招きしてくる。限定二十振りとは、百振りを超える刀剣男士が在る本丸の食事にしてはあまりに少ないな。こういうものは稀だが、何か訳ありのものだろうか。
「もしかして昨日釣った鯵と?」
「そうそう。脇差部隊の釣果が良くてね、こちらにもお裾分けが来たんだ」
 脇差部隊と聞いて、釣り具が並ぶ広間の光景を思い出す。脇差部隊が任務帰りに釣りへ行ったこと自体知っていたが、しっかり釣果を出していたのか。そうか、脇差部隊が……それを知ると六振りで自分達の分け前とは別に、二十振りが食べられる程の鯵を釣ったとは大漁ではないか。
 感心に似たものを覚えていると、既に一揃いの食事が乗せられたお盆を渡される。
「はい。冷めない内にどうぞ」
 朝にしては心なしか多い品数に、にやりと口角が上がってしまう。食について興味関心はそれ程あるわけではないが、出陣前の食事が豪華だと士気が上がるというものだ。
 誰だったか、本丸での食事が美味いと言葉ではない激励や労いを感じるなんて話していたな。一体誰が話していたのか思い出せないが、今しがた覚えた心境なのかもしれない。
 成る程と納得しながら席につくと早速食事にする。
 さて、鯵の包み焼きとはどれか。主食と汁物に漬物と見ていき、平皿に乗る大葉に包まれた肉のようなものに目が留まる。肉のようだと思ったが、大葉巻きというからこれが探していた鯵か。
「うまかぁ、旬の走りとは言うたもんばい」
 鯵を食べようとした矢先、隣の博多が声を上げる。
「鯵は年中釣れるんじゃなかったか」
「長谷部ん言う通り鯵は年中釣れるんばってん、初夏から美味うなるばい」
 そうか、旬とはそういうものか。魚によっては秋口が美味いものがあったが、鯵の旬は夏頃なのか。
 旬を意識しながら大葉巻きを頬張る。大葉特有の癖のある風味を感じたかと思えば、魚の臭みと旨みに口元がにやけそうになったので、誤魔化すように米飯を口へ放り込む。
 うまい。どうしてこうも風味の強い食物と魚の組み合わせは美味しいのだろう。茗荷と鰹、鰯に梅干し、臭橙に白身魚……鯖と生姜もいいな。思い巡らすだけで直ぐに色んな組み合わせが浮かび、再び大葉巻きを一口食べる。
「うまい」
 鯵には大葉か、覚えておこう。わざわざ覚えようとしなくても忘れることはなさそうだが、こういうのは意識するのが大事だ。
 大葉巻きを堪能し、ようやく他のおかずに手を付ける。今朝はポテトサラダに青菜と鶏の卵とじ、胡瓜と人参の浅漬けだ。夕餉と比べると控えめだが、毎朝よく用意するものだと感心してしまう。
 食事は好きだが作るとなると別だ。自分が料理番になってもこのような朝餉を作る様は全く想像出来ず、ゆっくりと朝餉を堪能しながらこれからの任務に向けて考え巡らせていった。

 太陽が頭上高く昇る頃、任務を終えて帰城する。
 今回の任務は厚樫山防塁破壊を計画する時間遡行軍の迎撃。本丸から離れた時間は僅かながら、現地には一週間程滞在する勤務だった。長い任務になると滞在期間が十年を越えるものもあるのでまだ短い方ではあったが、現代の生活に馴染んでしまった俺含む部隊員は本丸に戻ると安堵の溜め息を吐いた。
 刀剣男士という性質上、戦闘に身を置くことに心地良さすら覚えることもあるが、人に近い肉体は快適な居住空間や食事が恋しくなるもので、主へ戦果報告へ向かう部隊長以外の面々は自室や厨へ直行する。そんな姿を見ながら、今回部隊長ではない俺は取り敢えず自室へ向かうことにする。
 これから本丸でどう過ごそうとも、まずは風呂に入って体を綺麗にすることにしよう。任務先では二、三日に体を拭く程度しか身を清めることができなかった。潔癖の気がなくとも体の不潔さを覚えるというものだ。それに、本丸にいれば主と鉢合わせすることもある。報告など優先することがない限りは綺麗な姿で対面したいところだ。
 足早に自室へ向かっていると、不意に鼻に届いた臭いに歩みが緩まる。生臭いこの臭いは魚のようなもので、一体どこからだと周囲を見渡す。しかし今いるところは厨から離れた大部屋が並ぶ廊下、魚と無縁の場所である。
 それなら他に何かあるかと考えても思いつかず、十中八九魚の臭いで間違いないと思うが……いや、この生臭さが魚のものだったとしても少しは気にする者はいないのか。
 刺激臭という程ではないにしてもあまり良い匂いとは思えず顔を顰めていると、一緒の部隊だった博多がやってくる。
「臭か!」
 俺の近くまで来たところで、大きな目を更に大きくして叫ぶ。周囲に誰も居ないので俺ばかり気にしているのかと思っていたが、どうやら博多としても異様な臭いのようだ。
「帰ってきて早々聞くのもあれだが、一体何の臭いか心当たりあるか」
 大部屋の並ぶ廊下というのもあり、粟田口の大部屋もすぐ近くにある。少なくとも俺よりは臭いの原因がわかるかもしれない。そんな考えで尋ねれば、博多は思い当たるのかすぐに「ああ」と声を上げる。
「この臭いはきっと鯵の味醂干しばい。出発前にずお兄が味醂に漬けた鯵ば干すて言いよった」
「鯵、」
 出発前に鯵を食べたことを思い出す。あれは確か脇差部隊が釣ったものをお裾分けしてもらったと聞いた。すると自分達で調理して食す鯵もあるということで、自室の軒先下に干される鯵を想像して合点がいく。
「もし粟田口の部屋で鯵が干されていたら、よく換気するよう伝えてくれ。干すこと自体は良いが、廊下まで臭うのは近場の者に迷惑だろう」
「そうやね。よう言うとくばい」
 部屋へ向かう博多を見送り、徐々に薄まる魚の臭いを感じながら自室へ戻ると手早く着替えを用意して浴室へと移動する。そうして念入りに洗身して湯浴みを終えると任務での緊張が解けてきたのか、眠気を覚えて欠伸が出てしまった。
 任務中も体調に支障が出ない程度に休息を取っていたのだが、本丸で休むのに比べるとどうしても疲れが溜まりやすいのだろうか。任務終わりもあってこれからの予定はないので自室へ戻り次第寝ようかとも思ったが、あまり早い時間に寝ると後々調整が面倒だ。早く寝るにしても夕餉時にした方が良いな。
 浴室から廊下へ出ると空を仰ぎ見る。陽は西側へ傾いているが、まだ空は青くて昼と断言して良い明るさだ。丁寧に湯浴みしていたが然程時間を要していなかったのか。
 さて、そうするとどうやって眠気を誤魔化そうか。ならば読書でもするかと一瞬考えて、腰を落ち着けて静かにするより手合せで体を動かした方が確実に眠気が飛ぶと判断し、踵を返して手合せが行われている道場へ向かう。
 毎日道場には誰かしらいるものだが、今は誰がいるだろうか。道場に居そうな男士の予想をあれこれ考えながら道場に到着すると、鶯丸と大包平の古備前二振りが向かい合って床に座り込んでいた。その内の鶯丸は俺に気付いたのか、ひらりと片手を振ってくる。
「やあ長谷部、手合せに来たのかい。どれ、休憩している俺達は除けるから遠慮なく使ってくれ」
「それが相手がいなくてな。誰か居れば手合せ願おうと思ってここを伺ったんだが、どちらか俺の相手をしてくれないか」
 申し出に二振りが顔を見合わせた後、大包平がすくりと立ち上がる。
「ならば俺が相手になろう」
「休憩中にすまない」
「なに、この大包平は手合せなどでそうそう疲弊しない。労りから油断するなよ」
「配慮はすれど、遠慮する気はない」
 にやりと笑った大包平に、先程までの眠気が覚めて周囲が静かになったような気がした。俺は備え付けの木刀を手にすると、大包平から少し離れた位置でそれを構えた。
 太刀と打刀、武器としての性能差はあまりない。戦い方は俺とそう変わらないだろう。三日月や鶴丸のようにひらりと舞うよう剣を振るうものもいるが、以前大包平と同部隊になった際はそのような動きはしていなかった筈だ。
 床を強く蹴り、大包平が飛び出してくる。木刀の先はこちらに真っ直ぐ向かっており、容赦なく急所を突こうとするそれを薙ぎ払う。反動で揺れる木刀に、びりりと腕に痺れを覚える。刀装なしでこれほどの力が出せるとは流石は太刀といったところか。俺が「へし切」といえど力での真っ向勝負は不利だな。一歩引いて間合いを整えると利き腕を狙って木刀を振るう。それを大包平は飛び退いて避けると、間を取ることなく胴を狙ってきた。
 かん、かん、と木刀がぶつかる音の合間に足が道場の床を擦る音が混じる。戦場では聞くことのない音にこれはあくまで手合せと実感するというのに、向かってくる大包平の気迫は凄まじい。奴の性分を考えると手合せだからと加減するつもりがないのは承知している。だが、これは眠気覚ましにしては刺激が強すぎる。
 いつの間にか俺は本来の目的を忘れて無心で手合せをしていると、誰かが俺と大包平を呼んだ。その声に一気に緊張は解け、どちらともなく木刀を下ろす。すると耳の裏から首筋へ汗が流れる感覚があり、自分が汗をかいていることに気付く。
 呼んだのは鶯丸で、その手には茶碗が乗ったお盆がある。道場に来た時はなかったものなので、手合せ中に持ってきたものだろう。
「手合せを始めて二十分は経っているが、まさか休みなく木刀を交えていたのか」
「多分」
 曖昧な返答をする大包平についらしくないと突っ込みそうになったが、自分もまさか二十分近くも絶え間なく動いていた感覚がなかっただけにだんまりを決め込む。実戦ではそれだけ長く動くことはあるが、手合せでは長期戦を想定しない限りなかなかないだろう。
 しっとりと汗で濡れてしまった衣服に不快感を覚えていると、鶯丸が茶碗を差し出してきた。
「熱心なのは感心だが一息つこうじゃないか。八十八夜の頃に摘まれた八女の玉露だ」
「玉露とは……茶の一種か」
「そうだ」
 茶については普段用意されたものを飲むばかりで詳しくない。八女茶は知っていても、玉露などと言われても一体どういうものなのやら。それを察してくれたのか、鶯丸が玉露について手短に説明する。
「茶といっても栽培や製法が違ってな。玉露というものは栽培に手間をかけた茶なんだ」
「ほう」
「そしてこれは湯の温度も玉露に合わせた自信の一杯。手合せに熱中するのも良いが、励むものこそ休み休みにやる方が集中できるというものだ」
 大層な理由で手合せをしていたわけではないが、鶯丸にはそう見えてしまったのか。大包平の気迫を見てしまえばそれも仕方がないか、なんてことを思いながら差し出される茶碗を受け取って一口飲む。普段飲む茶に比べて温く思えたそれは、苦みが少なく口内を潤してするすると喉を通っていく。汗をかいていたためか、喉も乾いていたのかもしれない。仄かな茶の香りと共に水分がじんわりと体に染み渡るようで、ほっと息をつく。
「この茶は苦みが少ないな。玉露の特徴なのか?」
 俺と同じ感想を持った大包平が鶯丸に尋ねる。
「ああ。茶の苦みも味ではあるが、苦みが少ないことで茶葉が持つ旨みがわかりやすい」
「ふむ。旨みとはよくわからないが、どことなく香りが違うような気がするのはそのせいか」
「よくわからないと言いながらようくわかっているじゃないか。旨みは香りにも影響していて、良い玉露は青海苔に近いものになるんだ」
 青海苔のような香りと言われ、半分ほど残っている茶の香りを嗅いでみる。確かに青海苔のような香りがしなくもないが、少ないのもあってかわかりにくい。だが、近くで茶を堪能する鶯丸は満足そうに香りを嗅いでいるので、これは良いものなのだろう。
 また一口飲んでみる。美味いには美味いが、普通のものと何が違うのかと考えてみても、苦みが少ないから食事と合いそうくらいしか感想が持てない。
 まあ、幸いにも茶を提供してくれた鶯丸が感想を求めてくるわけではないから気にすることでもない。美味いものは美味い。それだけでもわかるだけで良いじゃないか。
 そんな開き直りのようなことを考えながら、茶をもう一口飲んではほっと息を吐くのだった。

 本日二度目の湯浴みで手合せでの汗を流してさっぱりした頃、地に近い空は朱色に変わり始めていた。湯上がりで火照った肌を緩く撫でる風は少しひんやりとしていて、夜が間近であることを実感する。
 ようやく寝ても良い時間帯になったかと欠伸をかみ殺していると腹が盛大に鳴る。その音に驚きつつ周囲を見渡し、誰もいないことを確認すると腹を摩った。早めに寝るからと食事を摂っていなかったせいかすっかり腹が減ってしまったようだ。
 夕餉まで待つか、小腹を誤魔化す程度に食べ物を摘まむか。若しくは空腹を我慢して布団に入ってしまうか。あとは寝てしまうだけなのでどちらでも良いのだが、さてどうしようか。
 自覚すると一気に空腹感が増したようで、何か食わせろとばかりに再び腹が鳴る。
「おう。腹の虫が元気だな」
 腹が鳴り終わる間もなく聞こえた声にぎくりと肩が跳ねる。しかもこの声は間違えようのない、よく知った声なのもあり、腹を摩っていた手が不自然に固まる。
 頭上近くへ大きな影が近付き、俺の顔を覗き込む視線とぶつかった。
「……日本号、何の用だ」
「近くを通ったら呼ばれた気がしたんだ」
 呼ばれたとは暗に腹の音が大きいという皮肉か。なんて言い返しそうになるのをぐっと堪えて顔を逸らす。声を掛けてきた日本号にどんな意図があろうとも、ここで反応したら俺にとって良くない展開になる予感がしたのだ。
 だが、そんなことはお構いなしに日本号は俺の胸元に何かを押し付けてきたので視線を落とすと銀色の丸い塊があった。何だこれはと思うより先に、あろうことかそれを押し付けていた日本号の手が離れてゆく。
 落ちる。と思うと同時に俺の手は素早く塊を捕まえると、見た目に反して柔らかく温かい。予想していなかった感覚に塊を落としそうになる。すんでのところでそれを持ち直していると、いつの間にか日本号はこちらへ背を向けていた。近付いて何かを押しつけてきたかと思えば背中を見せる、こいつは一体何がしたいのか。
 先程の皮肉のような一言もあり、顔が不機嫌に歪むのが抑えられない。不機嫌が広がり銀色の塊を握り潰しそうになっていると、背中を向けていた日本号が片手を挙げる。
「腹減ってんだろう? その余ってる握り飯で良ければ食えよ」
 握り飯? そんなものあっただろうか、と一瞬考えて、持っている塊のことを思い出す。食べ物とは縁遠い色合いと光沢を持つ銀色に金属の類いかと無意識下に思っていたがこれはアルミ箔に包まれた握り飯か。すると金属にあるまじき柔らかさと温かさも納得できる。成る程と握り飯へ視線を注いでいる内に、日本号の姿はすっかり見えなくなっていた。
 現れるのも突然だったが去るのも突然だな。気まぐれに振り回されているようで面白くないと思ったものの、下手に長々と構われるよりは良いかと息を吐く。
 さて、と改めて握り飯を見る。空腹のところ食べ物を貰うなど日本号に借りを作ったような気もするが、アルミ箔の中に温かな食べ物があると思うと口内に唾が溜まってくる。不満に近いものは多々あるが食べ物に罪はまったくないのだし、これは素直にいただいてしまおう。
 足取り早くあっという間に自室へと到着すると、文机の前にどっかりと座る。そうして机上に握り飯を置くと両手を合わせて一礼する。日本号から貰ったものというのは気掛かりだが、食べ物に罪は無い。ぺりぺりとアルミ箔を取っていくと、混ぜ込みご飯で作られた握り飯が現れる。途端に鼻に届いた美味しそうな魚の匂いに、思いっきり齧り付く。米と濃いめに味付けされた魚の味わいを想像していたところに、梅干の酸味ががつんと襲ってくる。どうやら魚の臭み消しも兼ねて梅干が入っていたようだ。思わずぎゅっと眉間に皺を寄せて酸味に耐えつつ、もう一口二口と食べていく。
 出陣前に魚を食べて実感したことだが、薬味と魚の相性は良いものだな。もぐもぐと絶えなく咀嚼を繰り返しては、組み合わせの美味さも噛み締める。
 それにしても……と、改めて今食べている握り飯を見つめる。結構食べ進めた筈だというのにまだ片手で持つには余る大きさの握り飯は兎に角大きい。それもあって日本号から言われるまで食べ物だと気付かなかったくらいだ。料理番がいつも握ってくれるものは適度な大きさなので、これは別の誰かが握ったのだろう。それは誰かと考え、即座に日本号の顔が浮かぶ。あの日本号の大きな手なら納得の大きさな上に、これをくれたのは日本号だ。だが、納得する反面、認めたくない自分がいて咀嚼する口が止まる。だが、それはすぐに再開し、ごくりと飲み込むとまた一口頬張る。
 美味い。美味いからこそ面白くない。握り飯は具材が美味しければほぼ確実に美味しいものになる分、他のものより簡単だといっても、あいつの手によって美味いものが出来て、その美味しさを堪能している自分がいるのがこそばゆいような、どことなく落ち着きのない心地を覚えるのだ。どうしてそのような心境に陥るのか、上手く説明できないのもあり、胸の奥がもやもやしてくる。
 そんな自分の心境とは裏腹に口はしきりに動いており、あっという間に握り飯はなくなってしまった。
「ふう」
 心境はどうあれ美味しかったと一息、文机の周囲を見渡す。いち早く食べようと自室へ直行してしまったが、飲み物も欲しかった。それこそ、魚と梅干の握り飯だったら手合せの時に飲んだ玉露がとても合うに違いない。あの玉露の良さはよくわかっていないが、この濃い味付けの握り飯には合うと断言しよう。
 そんなことを思いながら俺は握り飯を包んでいたアルミ箔をくしゃくしゃと丸めて屑籠へそれを放り投げる。
 あいつが作った握り飯にせよ、美味しくいただけたのであればそれで良いではないか。余り物を持っていたところ、偶然にも腹を空かせた俺と遭遇したので渡した。それだけじゃないか。
 変に意識することはない。そう自分に言い聞かせながら俺はそそくさと寝る支度をすることにした。

 
◆◆◆

 この本丸の近侍は日替わりで交代される。それは顕現順で行われるため、主が私用のため殆ど本丸にいない日にぶち当たることもある。
 今日は不幸にも夕餉後にならないと主がこちらに戻らない日で、俺は一通りの業務を終えてぼんやりと文机へ向かっていた。
「おーい大将! いるかー?」
 そんな憂鬱な気分を吹き飛ばすが如く執務室の扉が開け放たれ、紙袋を抱えた厚藤四郎が入ってきた。
「……声をかけて反応があってから扉を開けるものじゃないか」
 呆れた様子の俺に、厚はそれすらも気にしないとばかりにからから笑う。
「悪い悪い、今日は長谷部が近侍か。大将は席を外しているのか?」
「ああ、今日は夜まで戻らないぞ。伝言で済む用件なら俺が聞こう」
「大将の許可をもらわなきゃならないからまた夜に来るよ」
 主の許可がいる用件といえばかなり限られてくる。特別任務に就いている者ならば色々あるだろうが、現在特に何も任されていない厚ならば外出許可といったところだろう。
「粟田口の連中と遊びに行くのか?」
「まあな。来週、弟たちと他の何振りかで釣りに行こうと計画しているんだ」
「近場の外出ならば俺が代わりに許可をもらってもいいぞ」
「申し出は有り難いけど、もらうもんはちゃんと顔見せてもらわないとな。許可の意味がないだろう?」
「それもそうだな……ならば主が戻ってきたら連絡を入れよう。今夜は夜戦も出ない筈だったな」
「そうしてもらえると助かるけど良いのか?」
 じっと見上げてきた眼差しについ笑ってしまう。呼び出すことくらい大した労力でもないというのに、何を気にすることがあるのか。
 そう言う代わりに厚の頭をかき混ぜるよう撫でる。
「急ぎの業務もないから問題ない。夕餉が終わる頃に主が戻る予定だ、その時間帯はすぐ対応できるようにしておいてくれ」
「へへ、了解!」
 歯を見せて笑う姿は短刀ならではのあどけなさがあり、日本号の配信を視聴している時の心境に似たものを覚える。
 それが何だか気恥ずかしくて手を離すと、厚が「そうだ」と一言、胸元に抱えていた紙袋から何かを取り出す。厚の小さな手の上に乗るのは天辺を捻って巾着状にされた白い布巾で、中に何か入っているようだ。
「クッキー貰ったからお裾分けだ」
 クッキーが入っているという布巾を受け取ると、仄かな温かさと共に香ばしい焼き菓子の匂いがする。それに惹かれて天辺の捻りを解くと、平たく丸いよくある形のクッキーが数枚出てきた。
「これは……」
「美味そうだろう? 休憩する時にでも摘んでくれよ」
 じゃあ宜しくな。そう退室する厚を見送ると貰ったクッキーを文机の端に置いて、執務室の窓へ視線をやる。
 外の陽は少し西に傾き、時間にすると夕刻を迎える頃だろうか。今できる業務はやってしまい主はまだ帰る頃ではない、休憩を取るなら今が一番良いかもしれない。そうなれば厨で茶の一杯でも淹れようかと考えていると、懐に入れていた携帯端末が震えた。
 この時間帯に通知が来るとは合戦場の部隊か主かか。すぐさま端末を取り出して画面をタップすると、そこには部隊でも主の知らせでもなく、日本号の配信開始を知らせる通知が来ていた。
「あ、」
 時折明るい内に配信をすることもあるが、まさか近侍を務める時に限って配信をするとは主不在にしても今日はとことん不運だ。普段から配信はアーカイブで残るので、夜にゆっくり見返しできるが……これから俺は休憩するところで、執務室には主もいない。
 連絡や来訪者があってもすぐ対応できるよう、配信の音量を調整して視聴すれば問題ないのではないか?
 携帯端末で動画プレイヤーを読み込んでも咎める者はいない。間もなく繋がった配信画面を見ながら、なんとか聴こえる程の音量に絞る。
『呑むにはあまりに外が明るいが始まったぜ。日本号のちょい呑み配信、付き合ってくれよ』
 いつもの低く落ち着いた声と共に、大きな手が挨拶するようにひらひらと振られる。
『おいしゃん、今日はどうして早う始めたかまず説明ばしよ!』
『応よ。今日作るもんは呑みの前に用意するにはちぃとばかり時間がかかるんでな、この時間に配信することになった』
『やけん、いつもより長かお付き合いお願いします』
 今日の配信は長いのか。いつもは四半刻もないが長いとなると半刻程か、そうなるとここで配信を観るのは厳しくなってくる。これは時間を見て、途中で切り上げなければならないかもな。
 それにしても時間がかかるものとは、煮付けや蒸し物だろうか。
『今日は塩昆布チーズクッキーを作る』
 どん。と画面一面に小麦粉が映し出される。
 はて、日本号のちょい呑み配信は題名にある『ちょい呑み』のお供の肴を作るものだ。それがクッキーとは、番外編みたいなものだろうか。
『初めての焼き菓子やね、甘かっちゃ?』
『いんや、砂糖は隠し味程度の塩辛いクッキーだ。大般若から教えてもらったアイスボックスクッキーを参考にしたもんだが、こいつはぬる燗に合って良いぜ』
 説明しながら材料を並べてゆく。小麦粉にほんのり緩くなったバター、少量の砂糖が並び、それに続いて粉チーズと塩昆布が出てくる。
『まず材料を混ぜる前にオーブンを熱しておく。この過程は焼き菓子ならではだな』
 日本号が画面上から消えて微かな電子音が響く。その後すぐに戻ってきた彼は調理器具を手にした。
 木箆で切るように材料が混ぜられ、見る限り粉気なく柔らかくなってきた頃、粉チーズと塩昆布が投入されてゆく。この様子ではどうやってもクッキーの魔改造にしか感じられず、視聴者のコメントも賛否が分かれるものになっている。クッキーといえば甘いものという印象が強いだけに、まるで想像がつかない。
『生地ができたら筒状に固めて冷凍庫に半刻程入れて凍らせる』
 半刻? まさかその待ち時間があるから時間がかかるというのか? まさかそれは流石にどうなんだと思っていると、今まで用意していた生地が端に寄せられて、既に筒状になったものが画面中央に引き寄せられる。
『料理番組といえば差し替えばい!』
『前もって凍らせておいた生地があるから、今回はそいつを使っていくぜ。こいつを均等な厚さに切っていく。厚さが違うと仕上がりにむらができるから気をつけろよ』
 流石に半刻待たせることはなかったか。
 俺がほっとしている内に、配信の日本号は生地を包丁で切ってゆく。さく、さく、と粉物の生地を切っているとは思えない音がしたが、切られたそれは綺麗な円型となっていた。
『切った生地を天板に並べて十七分から二十分焼く』
『ここは差し替えなか、焼けるまでしばらくお待ちください』
 ここは待つのか……半刻待つよりは大分短いがそれでも長いな。待つ間は日本号と博多で喋り続けて場を持たせるのだろうか。
『待っている間は適当に話しているから、便所行きたい奴は行っとけ』
『良かったら話のネタ投下してほしか!』
 突然の振りに視聴者のコメントが動揺したように流れが早くなる。それでもすぐに質問や話題を振るものが増えて、そのどれも興味そそられるものだった。流石同じ視聴者、気になることも共通するというわけか。
『大般若長光とはよく飲むんですか? クッキー教えてもらったのは大般若しゃん言うてたけど、そこはどうなんか?』
『まあそれなりに。よく飲むようになったのは最近だなあ。あいつも料理をやるクチらしい、聞けば色んなつまみを教えてくれるぜ』
 いつかまた大般若考案のつまみ作るかもな。日本号がそう続けると、今後の配信を期待するコメントが多く寄せられる。その中にちらほらと日本号の交流について問うものがあり、俺は思わずそれらに注目してしまう。
 この配信の日本号も俺のところにいる日本号も社交的な印象がある。だが詳しいところはよくわからない。それは主に俺が日本号を避けているせいなのだが、気になるものは気になる。
 博多が次にどのコメントを拾ってくれるのか。これからどんな発言があるか配信に注目していると、突如ノック音が聴こえきた。
 いけない。ここは自室ではなく執務室、誰が来てもおかしくないのに熱中してしまうとは。
 頬をぱん、と軽く叩いて気持ちを切り替えると、動画プレイヤーを閉じて来訪者を迎える。
「……主、お早い帰城で!おかえりなさいませ」
「ただいま長谷部、留守番ありがとう! 用事が思ったより早く終わって――」
 主が戻ってくれば執務室に通知が来る筈だが……もしかして配信に熱中して気付かなかったのか? 気をつけていた筈が何たる失態、俺は申し訳なさに深く頭を下げた。
 その頃には貰ったクッキーの存在を忘れており、文机の包みに主が気付いた時にはすっかり冷え切ってしまっていた。

◆◆◆

 
「ねえお願い!」
 突如主の叫びが耳に飛び込んできた。それはよく通り、俺を含む数振りの男士が手を止めて声が聞こえた方に視線を向ける。
「一度だけだからさあ」
 主が背伸びをして隣の巨漢、日本号へ訴えかける。奴は渋い顔をしながらも強く出られない(主に強く出るなど俺が許さないが)のか、逃げることも突き放すこともせずに頭を掻いている。
「そう言われてもなあ……」
「日本号の腕なら簡単でしょ?」
「いやな、好き勝手やるのとある程度の指定があるのでは結構違うもんだ」
 主が何かを頼んでいるようだが、日本号は受けるつもりはないようだ。他の男士が居る場で話す要望など、そこまで難解なものでもないだろうに何故あいつは受けようとしないのだ。あいつが受けないなら俺が代わりたいくらいだが、主の話し振りから察するに日本号だからこそ頼みたい用件のようだ。
 そうなると、俺は違う方法で主の願いを叶えるとしよう。
「貴様、主命を受けないつもりか」
「……よりによってあんたか」
 よりによって、とはなんだ。俺に対して良い印象を持っていないのは知っているが、ここまで露骨であると不愉快を超えて清々しい。思わず鼻で笑ってしまえば、奴の口は「へ」の字のように歪んだ。
 その口は以前にも見たな、こいつの癖なのだろうか。幼い容姿の短刀ならば兎も角、強面の部類に入るこの大槍がやるとどこか間抜けだ。当の日本号は自分がそのような顔をしていると気付いているのだろうか。
「俺が来て都合が悪いことでもあるのか。ああ、位持ちのくせに主命のひとつもこなせないと知られるのを恐れたか?」
 殿様が持つと格下でもつけあがるってな。
 初めて日本号と同部隊になった時の一言を今でもよく覚えている。あれはきっと俺から黒田家の話を引き出そうとしたものだろうが、同時に正三位を誇る奴の一面が見えた。
 御物であったこともあるのだ。日本号について理解が深いわけではないが、己が誇ることを馬鹿にされて黙って引き下がる性分ではないのはよくわかる。
「なんだって?」
 情けない形をしていた口を通し、地の底から聞こえてきたような低い声が発せられる。そして、困惑の色が強かった表情に怒りのものが混じったのを認めると、俺は内心「よくやった」と拳を固めた。
「主が懇願しているというのに、それに応えられないとは貴様もまだまだ未熟だな」
「は、長谷部……何もそこまで言わなくても……」
 日本号の隣にいた主がどこか戸惑った様子で俺を見上げる。日本号の変化に気付いて俺を止めようとしているようだが、あと一歩で貴方の望みが叶うかもしれないのだ。ここは俺に任せてほしい。
「主、そんな「受けてやろうじゃねえか」
 俺の声を遮った日本号のそれは凄みが増していて主は困惑の色を深めるが、俺は待っていたとばかりににやりと笑ってしまう。
「この正三位にできねえことはない。ちぃとばかり時間はもらうが、ばっちり期待に応えよう」
 胸を張って大きな体を更に大きく見せる日本号は階位持ちとしての顕要より戦場に立つ大槍の勇ましさを覚える。そんな日本号に主は唖然としながら俺を見た。どうやら俺がこれを狙ってやったものだとすぐに気付いたようだ。
「遅くとも来月頭にやる。しっかり確認しておけよ」
 主に人差し指を差してそう一言、日本号はどこかへ歩いて行く。その足取りはあまりに颯爽としていて、主も俺も黙って見送ってしまう。そしてすっかり姿が見えなくなった後、奴が主にとんでもない無礼をしたことに気付く。
「あいつ、主を指差すなど……っ」
「気にしないで、貴方が日本号を焚きつけてくれたお陰で上手くいったわ」
 やはり主は俺が意図するところを理解してくれたのか。その事実に花吹雪と共に日本号の無礼な態度が念頭から吹き飛び、俺は喜びに破顔してしまう。
 そしてついに、主が日本号に何を頼んでいたのか聞くことは無く、俺は歓喜いっぱいに主へ一礼するのだった。

 
『今夜も始まった日本号のちょい呑み配信、今回は飲み相手がよく食う奴だから二品作るぜ』
 そんな挨拶から始まった配信に、過去に配信で一度だけ二品作ったことがあったことを思い出す。あの時は確か……誰が一緒だったか。
『御手杵と同田貫やね』
 そうそう、御手杵と同田貫だった。あの二振りが集まるとつまみがあっという間になくなるから食い応えのあるものをいくつか作るくらいが良いと話していた気がする。
『確かに二振りは大食いやけど、そげん食べるん?』
『食うなあ。あいつらは酒で腹が膨れる質じゃないし、米や麺くらい用意した方がいい』
『すると、二品目はご飯にもなるもん?』
『ああ。そういうわけで今日は牛と豚のソーセージと、烏賊の塩辛焼きそばを作る』
 画面にはボウルに乗った挽肉と無数の香辛料、蒸し麺に塩辛が並べられる。具材になりそうなものは三点だけだが、香辛料の多さが目立つ……見てわかるくらいでも四種ほどあるか。味付けは簡単なものが多い日本号の料理としては珍しい。
『牛と豚の合挽肉に細かく砕いた麝香草と肉荳を小匙ひとつずつ、塩小匙みっつに胡椒数振りして粘りが出るまで混ぜる』
『今日は珍しか量るんやね』
『香辛料は分量で味わいが結構変わる、味がブレないためにちゃんとやらねえとな。辛いのが好きなら、胡椒は粗挽きで小匙半分くらいでもいい』
 ボウルに香辛料を投入すると、大きな手が豪快に材料を混ぜる。
『タネができたら細長い形にする。あまり太くすると火が通りにくくなるから細い方が良い』
 手付きは相変わらず手慣れていて、長い筋張った指が握るように肉の形を整えてゆく。その動きは何故か性的な印象も抱き、何かいけないものを見ている気分になってくる。これは俺が悪いのでなく、配信の日本号の指が魅力的なせいだ。不可抗力だ仕方ない。
『フライパンに薄く油を敷いたら転がしながら焼いていく。肉の油が出てくるから使う油は少なめにするように……すまねえ博多、皿用意するの忘れたから取ってくれないか』
『はいよ!』
 博多の返事と共に画面が揺れて、木箆を手にフライパンに向かう日本号を映して止まる。これまで彼の横顔が一瞬覗かせることはあれどじっくりその容姿を確認できるほど映ることはなかっただけに、やけに落ち着かなくなってくる。
 どう見ても彼はそこらの本丸にもいる日本号だというのに、頭皮から背中にかけてざわつくようなものを覚える。他の視聴者も何か思うところがあったのか、一気にコメントが流れると読み込みが始まって配信が止まってしまった。
 映っていた時間は数秒だったが、それでも配信の日本号の姿を確認するには十分な時間。読み込み画面を見ながら、自然と先程の日本号の姿が頭の中に浮かんでくる。
 別に特別な見た目はしていなかった。癖のある髪と無精髭、首から胸元にかけての逞しさは俺が知る日本号と同一のものだった。きっと他の本丸で顕現された日本号も同じであるのに、緊張に似た心境すら覚える。
『――…―回復したか?』
 動画プレイヤーにいつもの光景が映り、日本号が確認するように手を振る。
『いけた! 待たせてごめんしゃいねぇ、なんでか急に重くなっとう』
『たまにあるよな。原因がわかれば対処できるんだがなあ……』
『そこは勉強するけん、暫し大目に見てほしいばい』
『そして回復待っている間にソーセージが焼き上がっていたぜ』
 皿に盛り付けされたソーセージが全面に出される。それは出来上がって間もないことを伝えるよう、時折ぱちりと油が弾ける。きっと一口噛んだら油と肉汁が溢れるに違いない、想像するだけで美味いとわかるものに唾を飲み込んだ。
『続いて塩辛焼きそばに取り掛かる。まずはフライパンに蒸し麺、水を麺にかけるように入れて中火で蒸し焼きにする。水から先に入れると底が水っぽくなるから気をつけろよ』
 フライパンに蓋をすると、日本号の手が端から香辛料の入った小鉢を引っ張ってくる。
『蒸し焼きしている間に大蒜と唐辛子を切っていく。大蒜は微塵切り、唐辛子は輪切りだと混ぜやすい』
 大蒜の皮を剥くと、荒く刻んだ後に包丁の切っ先を押さえながら更に細かくしていく。料理慣れしている者なら大したものではないのかもしれないが、数える程度しか包丁を持ったことがない俺には真新しい技に見える。
『蒸し焼きにした麺を軽く解したら油と大蒜、唐辛子を混ぜて炒める。加熱で大蒜の臭いが強まってきたら塩辛を入れて少し炒めたら完成だ』
 大蒜に唐辛子と塩辛、合わせたことはないが美味いのだろうか。海産物の臭み取りのために唐辛子を入れた漬物もあるが、いまいち味の想像ができない。
『ペペロンチーノやったっけ、味は焼きそばよかあれに似とうかな』
『参考にしたのはそれだからな。油が絡みやすい蒸し麺と塩辛を使うことでつまみ向きの味わいになる』
 皿に盛られた焼きそばがソーセージの横に並べられる。油に照る二品はつまみにするには重たい組み合わせだが、よく食べる者が一緒の場合はこれくらいが良いのだろうか。
 見栄え良く皿を並べ直すと、その近くにグラスが置かれる。
『香辛料使う料理は面倒なこともあるが、酒に合うもんも多いから今後も作りたいやつだな。麝香草と牛を合わせて塩で焼くだけでも美味い』
『おいしゃん、少食の割に肉好いとうよね』
『肉、というより油が好きなんだな。油と酒の組み合わせで外れるこたぁねえ』
 油を使った料理というと真っ先に揚げ物が浮かぶ。天麩羅に唐揚げ、油揚げに薩摩揚げ……確かにどれも酒と一緒にいただくと美味しそうだ。考えるだけで食欲が湧き、今にも腹が鳴りそうである。
 食欲をそそられるのはいつものことなのに慣れないな。お腹を擦っていると、配信の日本号が小さく咳払いをする。
『さて、今日の配信はこれで終わるが最後に告知だ……明日の同じ時間、配信をする』
 コメントがざわつく。それも無理はない。基本的に日本号の配信は突発的に行われ、事前に配信時間を知らされることはとても珍しい。
 それがこうして告知されるとは、何か特別な配信なのだろうか。
『時間あればお付き合い宜しく』
『明日はうちの主人のリクエストで焼き菓子作るけん、ちょっと変わったもん期待しとってね』
『そういうことで主、明日のこの時間絶対見ろよ。この正三位にかかりゃあ酒に合う焼き菓子くらいお手の物だ』
 そう言って画面に向かって人差し指を差す日本号に既視感を覚える。だが、それは似たような場面を見ただけで気のせいだと、日々の予定が書き込まれた手帖を懐から取り出す。
 確認すると明日は現代での遠征、帰りは夜になるからアーカイブでの視聴になるな。即時視聴できないのは残念だが、帰城後に楽しみが待っていると思えば悪くない。
 俺は日本号の配信を手帖に書き込んで懐に仕舞うと、己に念を押すよう胸元を軽く叩いた。

 辺りは暗く、足を進めると時折足裏を地に刷る音が響く。その音に紛れて誰かの溜息が聞こえ、俺もつられて溜息を吐きそうになった。
 戦闘はなかったものの、丸一日費やす任務は体力自慢ばかりの男士たちも疲労の影が見えるというものだ。
「戦うことはまったくなかったというのに疲れるものだね」
 部隊長である蜂須賀がその顔に笑みを浮かべる。その笑顔の柔和なこと、疲労とは違う安堵の溜息が漏れては……腹の虫が盛大に鳴った。
 咄嗟に腹を押さえるが鳴った音は止まらず、五対の眼差しが俺へ向けられる。
「そういえば、お腹空きましたね」
「食べるもんなあんも持ってこなかったもんな」
 物吉と太鼓鐘が顔を見合わせて腹を擦る。俺ばかりが卑しく飢えているかと思えば、他の部隊員も空腹を覚えているらしい。そんな事実にまた俺は安堵しながら転送装置の起動を待つ。
 帰ったらすぐに食事にありつきたいものだが、すぐに食べられるものはあるだろうか? 食材は何かしらあるが、調理しないといけないとなると面倒である。
 夕餉の残りがあれば良いが、あまり期待はできない。そんなことを考えていると、周囲が仄かに光ってこんのすけが現れた。
『――お待たせいたしました。間もなく転送を開始します。忘れ物はございませんか』
「すべての確認は終えている」
『では第二部隊、転送します』
 視界が歪み、足が地から離れたような浮遊感を覚える。かと思えば、すぐに足の裏がどこかに落ち着いて、周囲は見慣れた本丸内になっていた。
「本丸に到着しました。任務お疲れ様でした」
「こんのすけも夜遅くまでお疲れ様」
「労りのお言葉ありがとうございます。帰城の知らせを受けて、食事を用意している最中だと博多藤四郎から報告がありました」
 博多だと? 料理番でもない彼の名が出たことに、俺を含む全員が不思議そうに顔を見合わせる。だが、自分たちが知らないだけで彼も料理をするのかもしれないと考えたのか、誰も疑問を口にすることはない。
「少し時間を要するので、先に湯浴みを済ませていただきたいそうです」
「了解した。上がったら食堂へ向かえば良いだろうか」
「はい、宜しくお願いします」
 こんのすけに見送られた俺を含めた六振りはまるで烏の行水の如く早々に湯浴みを済ませて食堂へ向かう。
「博多って何作るんだろうな」
「博多といえば明太子……は料理じゃなく加工品だし、そう都合良くあるものではないし何だろうね」
 博多と縁ある筑前国は食物に恵まれていたのもあり美味いものは期待できそうだが、彼が料理をする姿は想像できない。俺も、きっと他の部隊員も作ってもらう手前、博多から何を出されても文句を言うつもりはないだろう。だが、それとは別に気になるというものだ。
 口々に予想を立てながら食卓へ入ると、そこには飯櫃を食卓に置く博多がいた。
「おかえりんしゃい、遅か時間までお疲れ様! 今おかずさんも持ってくるけん、お椀と箸ば出しててほしか」
「はあい」
 食器を用意する傍ら、部隊員の一員である愛染が飯櫃の中を覗く。そこには六振りが食べるには十分な米飯があり、愛染は「よしっ」と小さく拳を固めた。料理番が俺たちの分を寄せていてくれていたのか、米飯があるなら食うに困る事態にはならないだろう。そうなると副食が気になるところだが、果たして博多は何を出してくれるのか。
 米飯を椀に盛って席につくと、大きな盆を持った博多が厨から出てくる。
「功労者には特別ご飯、長茄子の初物たい」
 目の前に置かれたのは焼き茄子で、その横には時雨煮が並ぶ。別々に食べても美味しいが、組み合わせて食べたら絶品間違いない二品に誰かが声を上げた。わかる、夕餉後に帰ってきてこれを出されたら感動しない方がおかしい。
「博多、これってもしかして仙台長茄子か?」
「そうそう。さっすが太鼓鐘、よう分かったね」
「そりゃあ勿論さ。いっただきまーす」
 仙台長茄子とは名称からして伊達に縁がある茄子なのだろうか。食に関心が薄いわけではないが、こういった地域特有のものはあまりわからない。もしかしたら縁があるどころか深い関わりがあるのかもしれない。
「いただきます」
 手を合わせて一言、早速焼き茄子に箸を入れてゆく。嫁に食わせたくないほど秋茄子は柔らくて美味しいと言われるが夏茄子はどうなのだろう。茄子はこれまで何度となく食べてきたが、未だに違いがわからない。
 箸が差し込まれた焼き茄子は容易く皮まで切り分けられ、今にも溶けてしまいそうに柔らかく形を歪めた。その上に時雨煮を置いて口へ放り込むと、甘辛い牛と野趣的な茄子の味を覚えて、それを追いかけるよう米飯を一口頬張る。
「はふ、」
 焼き茄子は存外に熱く、口内に空気を送り込みながらそれを味わう。
「うまあ!」
「これは美味しいね」
 口々に出る称賛の言葉に頷く。これは茄子嫌いでなければ旨いものだ。焼き茄子も、時雨煮もそこまで手の掛かるものではない筈なのだが、こういう美味しさとは時間を掛ければ良いものとは限らないのか。
 用意してくれた博多に感謝しながら食べていると厨の奥から博多とはまるで違う男士が平皿を手に現れる。
「食っているところ邪魔するぜ」
 仄かに酒の匂いを纏わせて現れたのはどこからどう見ても日本号その槍であり、思わず咀嚼途中の米飯を飲み込んでしまう。
 何故こいつがこんなところにいるんだ。一瞬そう思ったがここは誰もが利用する食堂であり、厨だって開放されている場所だ。奴がここに用があって訪れたとしてもおかしなことはない。それこそ皿を持つ辺り、酒のつまみを用意していた可能性だってある。
「日本号さんはこれから晩酌ですか?」
「まあな。お前さんがた、茄子と時雨煮だけじゃあ腹が膨れないだろう。足しにするには物足りないかもしれねえが、土佐醤油で漬けた胡瓜でもどうだ」
 手に持っていた平皿が食卓に置かれ、そこには濃口醤油と鰹節を和えた胡瓜が盛られていた。いかにも酒のつまみという品に、既に誰かの箸が伸びている。
「……貴様が食べるやつではないのか」
「俺が食う分は別に寄せている。なんだ、遠慮しているのか?」
 にやりと笑みを見せる日本号になんだか小馬鹿にされたようで睨んでやると、奴は喉の奥で笑った。何がおかしい? 俺は遠慮などしていない、当然の疑問を言ったまでだ。
「そんなことはない」
「まあ、そうだよな」
 相変わらず笑顔のままの日本号を直視していると落ち着かなくなってくる。何がそんなに笑えるのやら、俺が食事をしている姿がそんなに珍しいか。
 気にせず食事を再開しよう。今度は時雨煮を米飯の上に乗せて一口、肉と米飯の組み合わせはどうしてこうも合うのだろう。
 油断すると顔が弛みそうになるのを堪えながら味わっている最中にも、平皿に乗る胡瓜が徐々に少なくなってくる。
「長谷部、胡瓜も美味しいから食べなって」
「今のを食べたらな」
 正しくは、日本号がここから離れたらな。あいつが見ているところで食べるのは気が引ける。これで旨かったら気まずさが募るばかりだから。
 だから早くつまみを持って離れてくれ。そんな思いで再び日本号を睨みつけたが、奴は相変わらず上機嫌で笑うばかりで、俺はどうすれば良いかわからず咀嚼を繰り返すのだった。

 食事を終えて部隊解散すると、俺は歯磨きのためそのまま洗面所へ向かう。これから布団で寝転がりながらのんびりと日本号の配信のアーカイブを観る予定、寝る支度は済ませておくに限る。
 それにしても焼き茄子と時雨煮は旨かったなあ……あと、胡瓜の土佐醤油漬だったか、悔しいながらあれも悪くはなかった。料理をする男士となると料理番の面々が浮かぶが、博多と日本号も料理をするのか。日本号に関してはそれこそ、他本丸の彼が配信でつまみを作っているだけに、元より料理をする質なのかもしれない。
 歯磨き粉の香料が口内に広がる中でも、先程食べた品々を思い返してしまう。これまでだって旨いものを食べてきた筈なのに、空腹に勝る調味料なしといったところなのか。
 もう、あの味は口にできないだろうな。あのニ振りならば頼めば気軽に作ってくれるだろう。だが、俺の心情がそれを許してくれない。
 寝る支度をして布団に収まると、俺はアーカイブ視聴を始める。今日は主の要望により焼き菓子を作ると予告していたな。酒に合うと言っていたし、以前作ったような塩味あるクッキーのようなものだろうか。うちの本丸で焼き菓子を作る男士がいるがそのどれも甘いもの、とても想像がつかない……いや、以前主が見ていたアニメーションで鰊のパイなるものがあった。パイならあるかもしれない。
『よお、始まったぜ日本号のちょい呑み配信』
『こんにちは、撮影の博多藤四郎ばい! おいしゃん、今日は何作ると?』
『今日は「ケーク・サレ」というやつを作る。日本語だと「塩のケーキ」、どんなもんかわかりやすいだろう?』
 パイではなくケーキとは。ケーキといえばクリームや果物をふんだんに使った、甘味といえばこれというお手本のようなもの。それが塩味とは味の想像ができない。
『ケーキというと難しい気もするが、これはケーキ生地に副食になりそうな食物を混ぜて焼く簡単なもんだ。入れるもんは塩味に合うもんだったらなんでもいい』
 画面に出されたのは人参、胡瓜、玉葱に小ぶりの茄子、オリーブの実にチーズ。そして昨日配信で作っていたソーセージだった。
『この茄子、仙台長茄子なん?』
『応よ。食材買いに青果店へ行ったら売っていたんだ。痛みやすいのもあって漬物で有名な茄子だが、皮が柔らかくて新鮮なもんなら焼いて食っても旨い』
 仙台長茄子とは先程食べた茄子と同じものだな。初物と説明していたし、季節のものなのだろうか。
『それにしても仙台長茄子なんてよく知っていたな。俺なんか燭台切に教えてもらって知ったもんだぞ。』
『そりゃあ仙台長茄子の原種は博多の長茄子やからね。仙台長茄子もよかけど、博多茄子もアクがなくて旨かもんだからオススメたい』
『博多だと夏と秋なら、秋の方が旨いかね』
 そんな話をしながら日本号は野菜を細切りにしていく。それを手早く纏めると鍋へと投入していく。
『そのまま生地に入れると生焼けになることがあるからな。少し水を加えて蒸し焼きにする』
 鍋の蓋を閉めると、端からボウルと木箆を引っ張ってくる。
『小麦粉と膨らし粉に油、卵に牛乳を混ぜて生地を作る』
 ボウルにどばどばと大量の油が入ると、博多が小さな声を上げた。
『油、そんな要るん?』
『焼き菓子でこれくらいなら少ないもんだ』
『うへぇ』
 かしゃかしゃと音を立てて混ぜられる生地は徐々にとろりとした液状になってゆく。
『材料と生地を混ぜたら型に流し込んだら、オーブンで三十分焼く』
 オーブンの用意をする日本号にコメントがざわつく。これまでの時間は五分少しと短いものだが、これから三十分待たせるのか?
『流石に三十分場繋ぎば厳しいので……差し替えるけん』
 いつかのクッキーと同様に、用意した生地が寄せられて具がたくさん入った麺麭のようなようなものが出される。
『前の配信で差し替えたものはどうしとるか意見あったけど、この後ちゃあんと食べとるから心配せんとってね』
『前回のクッキーは粟田口に分けたが、今回はどうするかね』
『今日のも欲しか!』
『じゃあ包んでおくから持っていけよ』
『おいしゃんありがと!』
 画面に映らないというのに、博多が満面の笑みを浮かべているのがわかって首の辺りが熱くなってくる。そして布団の中がやけに暑く感じられて掛布団を蹴っては、ごろごろと寝返りを打った。仲が良いとはわかっていたが、改めてそれを見せつけられるとは不意打ちを食らった気分だ。
 そうか、日本号の作るものは飲み仲間以外にも振る舞われることがあるのか。そしてそれはきっと、博多のように日本号と仲の良い者に限られるのだろう。
「……」
 その中に、へし切長谷部はいるのだろうか。
 博多藤四郎、日本号と揃っていて、へし切長谷部がいない本丸は稀だろう。そこの主の方針によっては顕現されていない場合もあるかもしれないが、彼らの話を聞く限りではごく普通の本丸なのでその可能性は低い。多分だが、話題に出ないだけで彼らの本丸にもへし切長谷部はいるだろう。
 話に出ないだけで、仲が良かったら……どうなのだろうか。画面の向こうのニ振りと他愛ない話をするへし切長谷部、だがそれは自分であって俺ではないのだ。
 同じ本丸にいる者同士。仲が良好であれば良いとは思うのに、それを想像すると胃の上の辺りに不快感を覚えてくる。

 これはきっと食べすぎて腹を悪くしたのかもしれない。我ながらそんな間抜けなことを考えながら、蹴り飛ばした掛け布団を引き寄せてそれに包まるのだった。

◆◆◆

 いつもと変わりない平日だというのに、今日はどことなく本丸内が騒がしい気がする。そう感じたのは馬当番に一区切りつけて食堂へ訪れた時だった。昼は何を食べられるのかと厨を覗くと、そこには普段より大勢の刀剣男士が集まっていた。
 昼は大半の男士が任務で不在なのもあり、朝夕に比べ少なくなるのだが何かあったのか?それとなく伺っていると、料理番のひと振りである歌仙が声をかけてきた。
「昼食を取りにきたんだろう? 僕の方で用意しているよ」
「ああ。ところで歌仙、いつもより厨が賑わっているようだが今日は何か催しがあるのか?」
 思ったままのことを訊ねれば、歌仙はすぐに思い当たったように「ああ」と声を上げる。
「今日は土用の丑の日でね。昼餉を用意している傍ら夕に食べる鰻を捌いているんだよ」
「成程」
 梅雨も間もなく明ける予感を覚えるこの頃、暑い日もあると思っていたがそんな時期だったのか。
 本丸に居る男士の数を考えると、昼頃から下拵えを始めないと間に合わないに違いない。鰻の捌き方は知らないが、到底簡単なものではないのはわかる。少なくとも野菜をぶつ切りにしていくのとは訳が違う筈だ。
「そういうことで、昼も土用の丑の日仕様だよ」
 どうぞ。と渡されたのは赤と緑の具材が見栄え良く盛られた饂飩だった。
「これは、梅干しと胡瓜か」
「土用の丑の日といえば鰻が真っ先に挙げられるけど、本来は鰻に限らず「う」のつく食物を食べてこれから迎える夏の暑さに備えようというものだからね。梅干しと瓜、饂飩の今日ならではの一品だよ」
 鰻ばかりでは味気がないからね。言いながら歌仙が胸を張るので、奴が考えた品なのだろう。確かに塩分補給になる梅干しに、体の熱を下げる効果があると言われる胡瓜、軽い食べ応えの割に腹持ちの良い饂飩、と考えると夏を迎えるに相応しい組み合わせと思える。考えると納得できるが、いざ自分が献立を考えるとなると出てこない組み合わせだ。流石は料理番のひと振りといったところなのだろう。
 素直に感心しつつ饂飩を受け取り、食堂の席へ移動する。厨は賑やかだったが食堂自体は空いており、数振りが食事を摂っているのを横目に少し離れた席について饂飩を口にする。梅干しと胡瓜という組み合わせはすっきりとしており、つるりとした饂飩も相俟ってとても食べやすい。
 夜は鰻というから、食べ口が軽いくらいで丁度良い。黙々と饂飩を啜っていると視界の端に誰かが来たのが見え、隣の空いている席に座ったようだ。
 席は結構な数空いているのにどうして俺の隣に来たんだと思っていると、隣の奴は俺の肩を叩く。
「お疲れ様です長谷部さん」
 肩を叩かれると同時に呼びかけられた声に振り向けば、そこには鯰尾がいた。奴は俺と目が合うと、鼻先間近に何かを突き出す。
 途端に醤油が焦げたような香ばしい匂いがして、返答のため開きかけた口が閉じる。そうして少し顔を離して匂いのもとを探れば、鼻先に出されたものは蒲焼きであることに気付く。
 十中八九、香ばしい匂いはこの蒲焼きだろうが、何故鯰尾は俺へ蒲焼きなど突き出してきたのか。
 そんな慰問は顔に出ていたのか、鯰尾はどこか気まずそうに笑った。
「すみません急に。今日は土用の丑の日ということで鰻の代用品で蒲焼きを作っていて、食堂にいるみんなに味見してもらっているところなんです」
「何かと思えば味見か。差し出すなら差し出すで、説明してからじゃないとわからないぞ」
「へへ。結構好評で、これなら長谷部さんも喜ぶかなあと思ったら先に手が出ちゃいました」
 鯰尾の説明に、少し離れたところで食事をしていた面々をちらりと窺う。すると皆は揃って美味そうに蒲焼きを口にしているところで、何も悪意があっての行動ではないのだと息を吐く。
「それにしても夕餉に鰻が出るというのに、わざわざ代用品で蒲焼きを作ったのか」
「長谷部さんの言うように鰻が出るんですけど、ひつまぶしとして出されるんですよね」
「あまり好きではないのか」
「大好きですよ。ひつまぶしにはまったく文句はないんですけど、それとは別に蒲焼きは蒲焼きでがぶりといきたいなあということで同志を集めて蒲焼きを作りました」
 同志とはまた大層な連中がいたものだ。鰻を美味しく食べられるのであればひつまぶしでも良いではないかと思うのだが、鯰尾始めとした「同志」は別口らしい。
「まあ、貰えるものは遠慮なく貰おう。ただ、味の感想は期待するな。美味いか不味いかくらいしか言えないぞ」
「それで十分です。むしろ美味い不味いの二択の方がわかりやすくて良いと思います」
 美味いものは美味い。不味いものは不味い。確かにわかりやすく、俺が作り手だったらあれこれと言葉を連ねた感想をもらうより良いかもしれない。
 そんなことを考えていると歌仙と光忠の顔が自然と浮かぶ。料理番の中でも凝り性である二振り、特に歌仙はあまり良い顔はしないかもしれないと思いながら鯰尾から蒲焼きを受け取って食べ始める。
 見た目はまったく違和感がない蒲焼きは鰻より身が崩れやすかったが、それ以外は鰻とほぼ同じ味わいで確かめるようにすぐに二口目を食べる。代用品というのでもどき料理のようなものを想像していた。だが、これは予め言われないと鰻ではないと気付かないのではないか。
「美味いな」
「でしょう? 下処理が結構大変でしたが、頑張ってやった甲斐がありました。じゃあ俺は他の男士達にも配ってくるんで失礼しますね」
 軽やかに去っていく鯰尾を尻目に俺はまた一口蒲焼きを食べる。下処理をする代用品というからには鰻と同じく魚なのだろう。しかしながら白身で鰻と味わいが似ている魚はまったく思いつかない。
 ……まあいい。いくら鯰尾であろうと食べて問題ないものを代用しているだろうし、美味いのであればそれで良いではないか。そう思いながら最後の一口を食べては、満足感に唸ってしまった。

 
 馬当番の仕事を終えて汗を流した俺は、厨の横を通って自室へと向かう。厨近くからは既に香ばしい匂いが漂っており、間もなく食べられるひつまぶしへの期待が高まる。鯰尾のいう通り蒲焼きのみで食べるのも魅力ではあるが、色んな具が入ったひつまぶしも俺としては同じく好ましいものだ。それに、今日のように特別な日には普段以上に凝った料理を提供してくれるのがうちの料理番だ。
 ひつまぶしの他に何が出るだろう。そんな楽しい予想をしながら自室へ入ると、文机の上に置いていたタブレット端末がチカチカと光を点滅させていた。これは日本号の配信を知らせるものだが、今回はまた早い時間帯にやっているな。もしかしたら夕餉に合わせてつまみでも作るのだろうか。動画配信アプリをタップして、間もなく動画プレイヤーが表示される。そうして配信画面が出てくると、既に料理が始まっていところであった。
 今回は魚料理なのか、フライパンで白身を焼いているところだ。だが、それだけでは何を作っているのかわからず、緩やかに流れる視聴者のコメントを眺める……土用の丑の日の話題がよく見られるので、今日にちなんだ料理のようだ。それなら鰻を焼いているのだろうか。
 ただ、そう判断するには些か情報が足りないように思えて「鰻の白焼きを作っているのか」とコメントを打ち込む。するとすぐに複数のコメントが反応して、これは鰻ではなく鯰で、鰻の代わりとして鯰を使用して蒲焼きを作っているのだと教えてくれた。
 鯰とは、あの鯰か。鯰尾の顔が一瞬浮かび、そして時折川で見掛ける魚の鯰を思い出す。魚であることは当たっていたが、まさか鯰とは予想していなかった。
 そもそも鯰が食用魚である認識がない。とても珍妙な顔をした魚であるのを知っているが、あいつ食べられるのか。
 その認識は俺だけではないのか、コメントの中にちらほらと鯰の味を質問する内容が入り混じる。
『鯰ば食べたことなか人多かみたいなあ。下拵えん良し悪しにも左右さるばってん味はあまり癖んなかば美味い白身ばい』
 コメントのやり取りを見ていたのか、撮影者の博多がすかさず答えてくれる。
 すると見た目は兎も角、比較的食べやすい川魚といったところのようだ。
『今使っている鯰は養殖ものだから問題ないが、天然ものは一週間程泥抜きをしないと食べるのを躊躇する程泥臭いからなあ。それに泥抜きの必要のない養殖ものでも、表面のぬめりをしっかり取らないとそれなりに臭い。俺も今日にちなんで鰻の代わりのもので蒲焼き作ろうと提案されなかったら、鯰なんて食おうなんて思わなかったぞ』
『そういやあ皆して流しでぬめり取りばしとったね。鰻でもやる下拵えばってん、大変そうだったばい』
『ああ。美味く食べるのに必要な処理だが、面倒なのもあって昔から鯰を食している地域じゃなけりゃああまり食べないだろうな』
 言いながら日本号は焼いている鯰をひっくり返す。程良く焼かれた鯰からは脂が溶け出したのか、じゅう、とフライパンから大きな音が出る。
『白身側からじっくり焼いたので、皮側は三、四分くらいでも良い。くれぐれも焦がさないように』
『コメントから質問ばい。蒸し焼きにせんのはやはり西ん焼き方に拘っとるんと?だって』
『そういえば鰻だと東西で焼き方の違いがあったな。俺は西の日本号なんて呼ばれているが、今回蒸し焼きにしなかったのは単純に好みの問題だ』
 鰻調理の知識はまったくないが、どうやら東西で焼き方の違いがあるらしい。やり取りで察するに、東では蒸し焼きにするようだ。
『ふわふわと柔らかい食感になる蒸し焼きも良いが、そのまま焼くと表面が香ばしく仕上がる。酒のあてにするならこちらが良いと思っての選択だ』
『すると、柔らこうしたか蒸し焼きが良かと?』
『そうだな。どちらも美味いから蒸し焼きの方が良いと思うならそちらでも良いだろう……さて、程良く鯰が焼けたようだし、先程用意したたれを塗っていく。より鰻の蒲焼きっぽいもんを食いたいなら、市販で売っている鰻の蒲焼き用のたれを使うのが良い』
『おいしゃんがわざわざ市販のもん使え言うの珍しかね』
『市販のやつには旨味を出すためなのか鰻の成分が入っているものがあるんだ。今回、鯰で蒲焼き作ろうと提案した薬研が教えてくれてな』
『薬研兄そげんことば知っとると?意外ばい』
『兄弟でも意外という感想なのか。俺もまさか料理番でもない薬研からそんな情報もらうとは思ってなかったぜ』
 薬研か。奴とは織田で一緒だったが、食に関心が薄い印象があった。まあ、刀剣男士として受肉したのをきっかけに食への関心が出て、そこから得た知識なのかもしれない。
 たれを塗られて美味しそうに照る蒲焼きが皿に乗せられる。それは言われなければ鯰だとはわからない程に鰻の蒲焼きそのもので、夕餉前も相まって食欲がそそられる。
『これで完成だ。下拵えが結構手間なのを除けば焼いてたれをつけて食べる簡単なものなので、鯰を食べる機会があれば試してほしい』
『というわけで今日は夕食もあるけん失礼するばい。ご視聴ありがとうございました!』
 蒲焼きの横で振られる日本号の手に応えかけそうになる気持ちを抑えつつ動画プレイヤーを閉じる。
 途中からだったのもあり配信を観ていた時間はあまり長くなかったものの、満足感に大きく深呼吸しているとタブレット端末の時刻が目に入る。
「……、…おっと」
 間もなく夕餉の時間だ。遅れて咎められることはないが今日は鰻が出る特別な日、少し早めに食堂へ行かなければ混雑にぶつかる可能性がある。配信で食欲を刺激された俺の足取りは早く、端末もそのままに自室を飛び出す。すると両手に大皿を持った日本号と鉢合わせしてしまった。
 突然の日本号の登場に前のめり気味だった体はのけ反り、体勢を崩しそうになるのを堪える。
「そんなに急いでどうした、こんな夕刻にゃあ主命もないだろう」
「別に、急いではいない。そろそろ夕餉の時間なので食堂へ向かおうとしていたところだ」
 察しの通り主命ではないのだが、食堂の混雑を避けたくて急いでいたと日本号に知られるのはどことなく気まずく、下手なりに誤魔化す。幸いなことに日本号が追求することはなく、代わりに「そうだ」と一言、大皿を差し出してくる。
「食堂に行くならこれ持っていってくれないか」
 俺の視線近くまで下された大皿には沢山の蒲焼きが乗っており、思わずそれと日本号の顔を交互に見つめる。
 いくら今日が土用の丑の日とはいえ、配信の日本号だけでなくうちの日本号も蒲焼きを持っているとは、言い様のない心地にそわそわしてくる。
「……なんだこれは」
「なんだって見た通り蒲焼きだぞ。鯰尾からお前さんにも味見してもらったと聞いたが、昼に食べなかったか?」
 不思議そうに首を捻る日本号に、すぐに昼餉の最中に食べた代用品で作ったという蒲焼きを思い出す。
 なんだ、鯰尾がくれたあの蒲焼きか。好評だというから夕餉に合わせて追加で焼いたのだろうか。配信とは別の心当たりに気付いたせいか、納得と共に落ち着きを覚える。
「そうか、あの蒲焼きか」
「? まあ、まだ食堂へ持っていく分があってな。行くならついでに持っていってくれると助かる」
「それくらいならば引き受けよう」
 大皿を受け取ると香ばしい蒲焼きの匂いが強まり、日本号の登場で薄まりかけた食欲が復活する。料理番のひつまぶしでも満足とはいえ、それとは別に昼に食べた美味い蒲焼きがあるのは嬉しいものだ。
 ついつい口角が上がるのを堪えていると、日本号が「なあ」と声をかけてくる。返答する代わりに見上げると、一瞬だけ奴は目線を他所に向けた後、どことなく伺うような様子で俺を見つめた。
 ただならぬ雰囲気に、先程とは別の意味で口角に力が入る。
「昼間食べた蒲焼き、味はどうだった?」
 一体何が起こるんだと身構えていたところに、日本号の質問に脱力しそうになる。改まって何かと思えばそんなことか。
 日本号が蒲焼きを運んでいるということは、鯰尾が昼間話していた「同志」のひと振りなのだろう。同志としては評価が気になるといったところか。
「味はどうかと言われても具体的には答えられないが……まあ、鰻の代用品という割には悪くなかった気がする」
 鯰尾の時と同様に美味いと簡潔に答えれば良いところ、口は変に誤魔化すようなことを言ってしまう。日本号から明言されていないが、奴が蒲焼き作りに少なからず関わっていることを察してしまったせいか、面と向かって「美味い」と言い難い。
 我ながら捻くれ者だと、日本号の反応を待たず食堂へ向かう。別に反応を見たくないからではないし、奴に捻くれた返答をすることは今に始まったことではないので気にしていない。別に。大皿に乗る蒲焼きが冷めるから食堂へ持っていこうと考えただけだ。
 それだけだ。そう思いながら、思い続けながら、俺は食堂へと向かうのだった。