日本号のちょい呑み配信3

 
「そっかぁ、長谷部は『日本号のちょい呑み配信』知らなかったんだね」
 朗らかに笑う主に、出そうになった溜め息をぐっと堪えては相槌を打った。
 うちの日本号が「ちょい呑み配信」の日本号である予感を覚えたのは先週のこと。しかし当刃へ馬鹿正直に確認することもできず頼ったのは主で、あくまでもさり気なく帰城報告後に聞いてみたのだった。
 溜め息を堪える俺に違和感を覚えるだろうか。そんな心配はあったが、主は気にする素振りなく話を続ける。内容はつい先日あった共和えの配信であり、調理中に語られた赤すぐりのケーキについて不満を漏らす。話によると赤すぐりは主が育てていた果実であり、大量に採れたのでいくつか小豆にあげたのだという。
「折角ならひと切れくれても良かったのに」
「次回作る際は主へ渡すよう伝えておきます」
「機会があったらお願いね」
 相変わらずにこにこと笑う主を見るに、配信は秘密にしていたものでも同時に特記事項というものでもなかったらしい。
 つまみ作りが高じて博多と組んで配信を始めた。それだけのことなのかもしれない。配信自体特別な資格は要らない、要るのは主の許可くらいだ。
 日本号が配信をやっていても、本丸の運営に影響しなければ問題ない。それについては俺が気付かなかった程だ、うまいことやっていたのだろう。
 日本号が配信をやっていたことについて、納得できないのかといえばそんなことはなかった。次郎太刀が先に料理配信をしていた土台がある上に、それを聞きつけた博多が収益を期待し、日本号へ動画配信を持ちかける流れも想像出来る。加えて主も配信に対し好意的な様子だ。納得は出来ているというのに何か引っ掛かりを覚えるように、腹の中がもやもやする。
 俺の知らないところで配信をしていたからか? いや、それは結果論であり、主は勿論のこと、日本号も博多も内緒で配信活動をしていたわけではない。たまたま俺が知らなかっただけなのだ。
 そう考えるのに、引っ掛かりが解消される気がしない。だが、主を前にそのことばかりずっと考えるわけにもいかず、話題を変えることにする。
「ところで先の連隊戦の編成ですが、いかがしますか」
 坊主も走る師走はもう直ぐ。本丸ではちらほらと冬の連隊戦の話題が挙がっており、皆が今か今かと部隊編成の発表を待っている状況である。俺も編成内容を知りたいひと振りであり、近い内に伺おうと思っていたことだ。
 主はこほんと咳払いをひとつ、記録端末を開く。
「具体的な編成はまだ決めていませんが、今回は第一、第二部隊の二部隊が連隊戦へ出陣、第三、第四部隊は遠征で砥石集めに徹します。編成については遅くとも今週末までには皆に知らせます。……そうだ。連隊戦では薙刀の育成を計画しているので、岩融と巴形の二振りは出陣が決定しています。もし当刃たちから連隊戦について聞かれたら、出陣することだけは決定していること、その他詳細は後日改めて伝えることを教えてください」
「了解しました」
 すると今回は薙刀を主体とした部隊になるのか。果たしてどのような編成になるのかと考えて、薙刀のひと振りである巴形の顔を思い出してと苦い顔になってしまう。顕現間もない時のように時間が許す限り主に付き纏うことはなくなったが、連隊戦で厚遇されていると知ったらと考えると嫌な想像ばかりしてしまう。主に従順な奴だが、過ぎた行動が多いのがいただけない。そのような性分と割り切って接しているが、それでも辛抱ならない時がある。
 だが、こうして主からお願いされて、……いや、巴形と連隊戦の話題にならなければ良いのだ。そうだ。そうすれば良い。決してこれは逃げではない、円滑な本丸運営の手段だ。それに部隊編成が決まったら改めて伝えられるのだ。俺が言わなくても問題はない。
 そうして主と連隊戦の編成について暫し話した後、俺はその場を後にする。
 今回の連隊戦が薙刀が主体ならば攻撃範囲の広い大太刀と組ませ、俺のような打刀は遠征に回るだろうか。だが、矢や投石から薙刀を守る目的で打刀を採用する場合もあるので、連隊戦の部隊に組まれる可能性はまったくないわけではない。
 主はどのような采配をするだろうか。思いつく限りの編成を考えていると、何振りかの男士が大鍋や食材を抱えて庭に歩いていくところを発見する。
「お前達、庭に鍋なんて出してきてどうした」
 男士の中のひと振りである鶴丸が俺の呼びかけに反応して立ち止まると、横を歩いていた大倶利伽羅に鍋を渡してこちらへやってくる。
「この時期に庭へ鍋を出してやることはひとつさ。今年もやってき芋煮会だ」
 芋煮会と聞いて、浮かんだのは小豆長光と燭台切の顔で、鶴丸を一瞥し、そして直ぐに鶴丸と一緒に行動していた男士達を見る。大倶利伽羅に五虎退、謙信景光……一見何の繋がりも無さそうな四振りだが、俺には心当たりがあり、再び鶴丸へ視線を戻す。
「あの、芋煮会か」
 芋煮会とは東北地方各地で行われる季節行事のひとつで、秋に野外で大勢集まって里芋を使った鍋料理などを作って食べる行事である。東北に縁のない俺は刀剣男士として顕現するまで知らなかったが、その地にいた刀剣男士にとってはお馴染みの行事らしい。それだけならば良い。別に芋煮会に限らず各地には季節行事はある。だが、その芋煮会は特別な事情があるのだ。
「なんだいその含みありそうな言い方は。芋煮会は二年前からやっているじゃないか」
 和やかに話す鶴丸は、それでも瞳に宿るものがどこか怪しい気がする。
 ただの季節行事のように話しているが、俺はとある噂を聞いている。それはこの本丸で開催されるようになった芋煮会で、仙台の伊達と山形の上杉が競っているというというのだ。
 なんでも、小豆の作った山形仕様の芋煮を「牛鍋」と燭台切が言ってしまい上杉の反感を買っただとか、逆に燭台切の作った仙台仕様の芋煮を「豚汁」と小豆が言って伊達の反感を買っただとか。又聞きした話のためあくまで噂は噂だと割り切っているのだが、厚が「東京銘菓『ひよこ』みたいなもんか」と合点する様を見て以来、どことなく噂に信憑性を感じてしまっているのだ。
「まあ兎も角。今日は庭で芋煮会だから昼餉は芋煮だ。時間が近くなったら庭へ来てくれ」
「相わかった」
 楽しみにしていてくれ、と軽やかに庭へ掛けていく鶴丸を見送る。その軽やかさは単純に皆を集めて開催する芋煮会が楽しみだからなのか、それとも別の理由があるのか……。刀剣男士の殆どは好戦的なため、芋煮会を通して競えることを楽しみにしている可能性を考えると鶴丸の真意が掴めない。まあ、鶴丸の意図や不穏な噂はどうあれ、こちらは二種類の芋煮を食べることができるのだ。それに伊達には燭台切、上杉には小豆という料理番がいるし、少なくとも食物で遊んだり無駄にすることはあるまい。あまり気にすることはないのかもしれない。
 ならば、昼餉まで自室で時間でも潰しているか。今日はもう任務はない、溜まった仕事もない。
 それなら適当に本でも読んで過ごそうか。最近は日本号のこともあって読書なんて気分にもならなかった。
 ……連隊戦や芋煮会で忘れかけていたというのに、日本号のことを思い出してしまった。そう思うと途端に心地の悪さを覚えて、気を紛らわせるように肩を回す。
 芋煮会に限らず、日本号のことだってあまり気にすることはない。気にし過ぎても俺にとって良いことはないと、仕切り直しとばかりに頬を叩く。
 さてと読書だ読書。庭先で突っ立ってないでさっさと自室へ行こう。自室へ戻り、タブレット端末から書籍を読もうとして……日本号の配信通知が来ていることに気付く。どうして気にしないようにした時に限って配信を始めるのか。
 不満を募らせても配信を始めるのは日本号の都合だ。取り敢えず通知は見なかったことにしよう。
 通知を消そうとして、昼餉に合わせて芋煮会が開かれることを思い出す。これまでも昼から配信を始めて酒のつまみを作ることはあったが、これから本丸で芋煮会を始めることを踏まえると違和感を覚える。伊達と上杉が本丸の面々に二種の芋煮を振舞おうとしているところ、わざわざ別のものを作って飲もうとするようなことはしない筈だ。
 そう考えるととても気になってしまい、動画プレイヤーを読み込んでしまう。
『――…芋だけを入れたら具が浸るより少し多めに水を入れて強火にかける』
 映像中央に火にかけられた大鍋が映る。見る限り鍋料理を作っているようだ。
 これから芋煮を振舞うというのに配信でも鍋料理を作っているのか。
 もしや芋煮会をやるのを知らないのか? 俺も庭へ調理器具を持っていく姿を見て知ったくらいなので、日本号が知らない可能性はありそうだ。それなら教えた方が良いかと悩んでいると、視聴者コメントにちらほらと「芋煮」と出ているのが目に付いた。
『沸騰したら火を弱めて、さっき用意した醤油と酒、茸と長葱、鶏肉を入れて里芋が柔らかくなるまで煮込んでいく』
『ええと。今作りようとは「芋煮」じゃなくて「芋の子汁」じゃなかと? とコメントあったけど、どげんな?』
『岩手や秋田で食べられる芋の子汁であってるぜ。ただ、今回は「芋煮」のひとつとして紹介させてくれ。今日はうちの本丸で芋煮会をやる予定で山形内陸の芋煮と仙台の芋煮が用意されるから、便乗してちょいと変わった芋煮ということで芋の子汁を出そうと思ってな』
 芋煮会については俺の杞憂だったようだが、知っているならどうして鍋を作っているのか。しかも発言から察するに、日本号は芋煮会に合わせた上で芋煮を作っている様子だ。
『東北中心で開催される芋煮会の時期になると、山形内陸で食べられている牛肉を入れて醤油で仕立てた芋煮と、仙台で食べられている豚肉を入れて味噌で仕立てた芋煮のどちらが「本物の芋煮」かと話題になることがあるんだが、他にも北東北辺りに鶏肉入り醤油仕立ての芋煮があるというのに話題に出ないんだ』
『そりゃ芋煮じゃなくて、芋ん子汁ちゅう違う名前やけんかな』
『その可能性はありそうだな。あと、北東北には鶏肉と醤油の組み合わせで有名なきりたんぽ鍋もあるから、芋煮よりそちらに近い料理として認識されているのかもな。……おっと、灰汁が出てきた。こうして灰汁が出てきたらこまめに取ってくれ』
 ぐつぐつと煮える鍋の表面に浮かぶ灰汁をお玉が器用に掬っていく。
『年に一度の芋煮会、より多種類の芋煮を食べ比べられたら面白いだろう?』
 芋煮会を目前に控えたこの時間に配信を始めたことへ違和感を覚えたが、芋煮を拵えて参加するつもりであるなら納得だ。これまで見てきた配信の日本号らしさを垣間見て、少しでも疑ってしまったことに先程とは違う腹の不快感を覚えて堪らずタブレット端末をそっちのけで自室を出る。向かうのは次郎の部屋。日本号と博多が配信をしているだろう厨がある場所でもある。
 行ったところで何をするでもないのだが、少しでも悪い方へ考えかけてしまったことが悔しくて足はどんどん目的の厨へ進む。
 俺の部屋から次郎の部屋は離れていた筈だが、無意識の内に速足で歩いていたようで、あっという間に到着する。そして部屋の扉を叩こうとして、改めて日本号と博多が並んで厨に立っている姿を想像して汗がじんわりと出てきた。
 別に。別に、二振りと対面して何かあるわけではない。主から配信のことは聞いたのだし、何を意識することがある。
 拳を握りしめて仕切り直しと扉を叩く。だが、室内からは反応がない。いつもの厨で配信をしていたのを観ていたので、少なくとも日本号と博多はいる筈だ。もしかして気付いていないのか?それならと少し強めに扉を叩くと小さいながら次郎を呼ぶ日本号の声が聞こえた。
 しかし、それ以上の反応が返ってくることはなかったため、思い切って扉を開けてみた。
「……?」
 開けた室内には部屋の主である太郎次郎の姿はなく、厨がある奥が薄ら明るい。勝手知ったる次郎の厨なのかもしれないが、部屋主不在で配信をしていたということか?親しいとこういうのは普通なのだろうか。そういえばこの間餅や団子を作っていた時も太郎と次郎は居なかったな。
 予想外の状況に驚きつつ、気を取り直して目的地である奥の厨を覗く。
 視線の先に見慣れた料理風景が広がる。だが、見慣れているのは動画プレイヤーで見た映像に限った話であり、厨の中心で鍋を掻き回す日本号の姿に流れた汗が冷たくなってくる。
 勢いのまま来たが、一体どう声を掛けよう。入ったは良いもののまったく考えていなかった。考える余地はあったというのにどうして考えなかったと後悔していると、こちらに気付いた日本号が驚きに目を見開く。明らかに動揺している様子は焦燥を煽るのに十分で、思わず四肢が硬直する。
「あ!長谷部やなかと。どげんしたと?」
 驚く日本号の近くを黄色いものがぴょんと跳ねる。それが博多の頭だと気付いた途端、一気に強張りが解ける。
「あ。ああ、その。芋煮会に出す芋煮を作っていると聞いて。手伝いに」
 咄嗟に出た一言にもっとましな言い訳があっただろうと内心突っ込む。だが、他に思い付くものがない。
 そんな俺の心境に気付いていないのか、驚いた顔のまま黙っていた日本号がぱっと表情を明るくする。
「手伝いとは有難え。それならこの鍋を庭先まで持って行ってくれないか。俺はここの後片付けをしてから会場へ向かう」
 探りを入れず素直に俺の申し出を受けてくれたのは助かる。鍋を受け取りに厨の内部へ入るといよいよ配信内と同じ光景が見えてしまった。配信でいつも使っている調理器具に、目立たないところに屑入れあるのを発見している内に耳の裏からどくどくと音が聞こえてくる。まるで出陣先で敵に見つからないよう偵察している時のような緊張感を覚えていると、横から何かを差し出される。
「鍋つかみならここだぜ」
「鍋つかみ?」
「周りを見渡していたから鍋つかみを探していたと思ったんだが違ったか」
「……いや。探し物はこれだ」
 周囲を気にしていたのはまったく別の理由だが、これは誤解させたままの方が都合が良い。日本号が差し出してきた鍋つかみを装着すると慎重に鍋を持って移動始める。すると撮影機器を片付けた博多が部屋の出入口へ駆けていくと、扉を全開にした。
「扉はこっちで開くるけん、長谷部はついてきてくれん」
「宜しく頼む」
 両手が塞がっているので有り難い配慮だ。そうして博多先導で庭へ到着すると、大きな食卓と椅子が並ぶ横に伊達と上杉の面々がそれぞれ寸胴鍋を囲っていた。その内のひと振りである鶴丸が俺達に気付いて手招きしてくる。
「もしや日本号の芋煮を持ってきてくれたのか」
「ああ」
「それならこっちの空いている携帯焜炉の上に置いてくれ」
 言われた通りに焜炉へ鍋を置くと、早速鶴丸が鍋の中を確認する。鍋を開けた途端に湯気と共に鶏の旨みを乗せた匂いを嗅いで、吟味するように目を細める。
「お小夜から聞いてはいたが、少し場所が変わればこんな芋煮があるんだな」
「小夜?作ったのは日本号だったが……」
「そうそう。小夜から過去に一時期滞在した秋田には醤油仕立ての鶏の芋煮料理があると教えてもらった日本号が、芋煮会に合わせて作ることにしたんだったか」
 東北に縁のない日本号が芋煮の事情を知っていたのは小夜から聞いていたのか。成る程と納得していると、にやにやと含み笑いをした鶴丸がこちらを見つめていることに気付く。
「ところで、きみが日本号の料理を手伝っているとは珍しいな。むしろ初めて見たかもしれない」
 含み笑いの理由はそれか。日本号がいなくて油断していたが、こいつに目をつけられるとは面倒なことになった。だが、それを露骨に顔に出すといよいつけこまれてしまうので、何もない素振りをする。
「昼餉に合わせての催しだろう。遅れては良くないと思い手伝ったまでだ」
 そのようなことはまったく考えていなかったが、何の考えもなしに手伝っていることについて鶴丸が興味を持ってしまうと始末が悪い。無難な返答をしてやり過ごしていると、ちらほらと男士達が集まり始めていた。
 そのことに鶴丸も気付いたのか、手を振りながら周囲へ呼びかける。
「やあお集まりのみんな。芋煮はもう出来ているから、器を受け取って鍋の前に並んでくれ」
 早速食器を手に男士達が並び始め、日本号が作った芋煮鍋の前にも数振りが並ぶ。すると鶴丸がお玉を差し出してきたので、思わず奴の顔とお玉を交互に見つめる。
「日本号の手伝いなんだろう?作った本刃はまだ来ていないから代わりに芋煮を注いでくれないか」
 なんで俺がそんなことをしなければならないのか。そう返す前に鶴丸は俺にお玉を押し付けると「こちらはこちらでやることがある」と一言、離れていってしまった。
 まったく勝手なことを頼んでくる。少し待てば片付けを終えた日本号が来るのだし、俺がやらなくても良いのではないか。とはいえ、鍋の前に列がある上に……先程から向けられる視線が気になって仕方ない。それは俺と一緒にここへ来た博多のもので、堪らず先程までいた厨の方へ視線を向けると日本号がやってくるのが見えた。
 今回ばかりは日本号がやってきて助かった。奴は周囲に軽く会釈すると俺の隣にやってきたので早速お玉を押し付ける。
「お前が作った芋煮を待っている奴がいるぞ」
「ほう。そいつは済まねえな、食いたい奴は順番に器を渡してくれ」
 嫌な顔せずお玉で鍋をかき混ぜる日本号に安堵していると、不意に腰をつんつんと突かれる。腰の近くへ視線を落とせば博多が俺を見上げながらお椀と箸を差し出してきた。
「長谷部もおいしゃんの芋煮食べよ!」
 短刀らしい無邪気そうな笑顔を共に向けられて、素直にそれらを受け取ると服の裾を引っ張られて列の最後尾へ連れてこられる。そこは日本号の鍋に繋がる列で、思わず博多の顔を見返す。
「……もしかして、他に行きたかところがあったと?」
 見つめ返してくる博多は相変わらず無邪気そのもので、俺は半ば反射的に首を横に振ってしまい僅かに後悔する。しかしこちらの心境など知らない博多は俺の腰辺りをぽん、と叩いて笑う。これには毛利藤四郎のような性質を持っていない俺も愛らしいと感じるもので、つい先程感じた後悔の念が薄れていくようだ。
 そう。この列に並ぶのは博多の誘いに乗っただけ、何を意識することがある。列へ引っ張ってきた博多の笑顔に抗えなかったのは本当なのだし、種類豊富な芋煮が振る舞われている催しなのだからいずれ日本号が作った芋煮だって食べるのだ。そう考えるとどうして悔やむことすらあるとも思えてくる。
 そしていつの間にか列の最前は俺になっており、日本号がお椀を催促してきた。
「俺が作ったもんが一番とは言わねえが、上杉や伊達が作った芋煮と肩を並べるくらいには美味い自信があるぜ」
「この芋煮は小夜に教えてもらったのだろう。美味くならない方が難しいんじゃないか」
 自然と出てしまった捻くれた言葉に対し、日本号は口角を上げて笑う。
「そりゃあそうだな。まあ美味いものを食べられるのは良いもんだろう?」
 差し出されたお椀を受け取った日本号は芋煮をたっぷりと注ぐ。それはもうお椀の中心に具の小山が出来てしまう程だ。
「多くないか?」
「そうか?みんなこんなもんだろう」
 受け取った芋煮をようく見た後、周囲の男士の様子を伺う。だが、流石にお椀の中に注がれた芋煮の量は確認できない。
「長谷部?後ろがつっかえとうと、横によけてくれん?」
 ふと博多に急かされ後ろを見ると知らぬ内に数振り並んでいたため、言われた通りに横へ移動する。
「あっち空いとうけん座って食べよ」
 博多が指差す先には誰かが用意した野営用の椅子と食卓が設置されている。昨年も一昨年もいつの間にか設置されていたが、あれも伊達と上杉で用意したのだろう。
 芋煮会の醍醐味のひとつは屋外での食事と言ったのは山鳥毛だったか。いや、燭台切だったか……鶴丸かもしれない。いずれにしても伊達と上杉の誰かだろうと思いながら席について芋煮をいただくことにする。
「美味かあ」
「ああ」
 隣で博多がしみじみと言うのに相槌を打ちつつ、一口食べるごとにじんわりと腹の底から温かくなってくる感覚が心地よい。屋外での食事が醍醐味というのはこういうことなのかと納得しながら箸を進めていると、博多が芋煮を食べながら「ふふふ」と笑い始める。
「むぐ、……どうした博多」
「いや、美味かねぇて思うたら嬉しゅうて」
 そう言って笑う博多は本当に嬉しそうだ。それだけ芋煮が美味いとわかる表情に、これを作った日本号の顔が浮かぶ。その顔は今の博多のように嬉しそうで、腹の温もりが一気に全身へ巡るように熱くなってくる。だが、こちらの変化も知らず博多は満足そうに芋煮を食べるので、俺は黙々と芋煮を食べるしかできなくなってしまった。

 日本号の芋煮を食べ終えて他の芋煮も取ってくるという博多を見送ると、盛大に溜め息を吐く。幸いにも溜め息に気付く者はおらず、安堵に空を見上げた。青みの少ない空模様は冬によく見るもので、微かに吹く風もどことなく冷たい気がする。
 山の方では雪が降り始める時期なのだから気のせいではなく実際冷たいのかもしれない。そうしてぼんやりと空を眺めていると、不意に後ろから肩を叩かれる。振り返ればそこにはお盆に幾つかの食器を乗せた日本号がいた。
「よう。全種の芋煮はもう食ったのか」
「まだ最初に食べたものだけだ」
「そりゃあ丁度いい」
 言うなり日本号は俺の目の前の食卓へお盆を置く。先程食べたものとは少し違う芋煮がふたつと、お猪口と徳利が乗っている。
「昼から酒とは感心しないな」
「まあまあ。既に飲んでいる連中もいるというのに俺だけ駄目ということはないだろう」
 改めて周囲で食事をしている者を見れば確かに、ちらほらと麦酒や酒瓶を持つ男士がいる。ここから見えるだけでも複数いるのならば、庭全体を見ればもっといるだろう。
「まあ……飲みすぎないように」
「勿論。後片付けもあるから徳利一本だけだ」
 料理とは作って食べて終わりではない。食べた後に食器や調理器具を片付けてようやく終わりなのだと、自分でも積極的に料理をするようになって実感したものだった。
 配信では片付けの様子など見ることはなかったが、日本号もこうして後片付けを意識しているのはどこか新鮮な心地を覚える。良く言えば堅苦しさのない、悪く言えばいい加減な日本号の料理配信だが、やるべきことはやっているのか。
 素直に感心していると、日本号がお猪口をこちらへ突き出してくる。
「あんたも一杯どうだ」
「はあ?何だって俺が……」
「手伝いに来てくれただろう?その礼だ」
「手伝いっていっても鍋を運んだだけだぞ?」
 それも手伝うことが殆どなくなった頃に勝手にやってきたのだ。日本号からすれば顔出しにきたみたいなものだった筈だ。
「鍋を運ぶのだって立派なもんだぜ。博多はあの体格もあって鍋は運べねえし、俺は流しの片付けをしたかったから良いところに来たもんだ」
「……そういうなら、いただこう」
 お猪口を受け取ると日本号が早速徳利を手に酒を注いでいく。ふんわりと日本酒特有の甘い香りがして、思わず頬を緩めそうになる。
 まだ酒の一滴も入っていないというのに気が弛むのが早いと咳払いをひとつ、日本号を睨み上げる。
「その。こういう催しだ。最初の一杯くらいは酌をしよう」
 少しばかり労いの念もあったが、それは口には出さずお猪口を置いて徳利を受け取るため手を差し出す。すると日本号は驚いた様子だったが、すぐに嬉しそうに目を細めると徳利を渡してくる。
「ああ、折角の芋煮会だしな」
 日本号の指が摘むようにお猪口を持ち上げると僅かにこちらへ傾けてきた。慣れた様子に手が止まりかけたが、気にしていない素振りでお猪口にそっと酒を注いでいく。
 とくりとくりと音がする度に香りが強くなってくる気がする。
「結構香りがするものだな」
「少し燗付けしたせいだろう」
 ただ酒を持ってきたのではなく燗付けまでしてきたとはちゃっかりいしている。いや、手際が良いというのか。こういうのをさり気なく用意出来るのは流石は酒呑みといったところなのだろう。
「さて。冷めねえ内に乾杯と行こうじゃないか」
「ああ」
 中身を溢さないよう控えめにお猪口を合わせると、まずは一口飲んでみる。燗付けしたというには結構温めの酒はまったりとした優しい口当たりだ。
「うん。やっぱ人肌で正解だったな」
「人肌?」
「燗付けの温度のことで、今飲んでいるのは人肌程度に温めた人肌燗だ」
 直球な名称だがわかりやすい。人肌程度なら温く感じるのも納得だ。
「それで、人肌で正解とは」
「酒はあまり熱してしまうと香りも味わいも強く出てな。汁物と一緒に飲むなら酒精を控えようと思って用意したんだが、予想通り相性が良かった」
 配信でも作った料理と酒の飲み合わせを語ることがあったが、普段から飲み合わせを考えているのか。日本号という刀剣男士の性質を考えれば造作ないのかもしれないが、配信で聞いてきたことを直接語られるとむず痒い気分になってくる。
 それを誤魔化すようにお猪口の酒を呷る。温かった酒は一気に喉を通るとやけに熱く感じて、堪らず咽せそうになってしまう。
「おいおい、いくら一杯が少ないからって一気飲みしたら酒が回るぞ」
「これくらい飲んだ内に入らん」
 普段なら到底言わないような文句を返せば、日本号は目を丸くした後にどうしようもないと言わんばかりに苦笑した。だが、呆れる様子は一切なく、どこか嬉しそうにも見えて居た堪れなくなってくる。
「へぇ……お前さんがそんなことを言うとはなあ」
「うるさい」
 精一杯の抵抗とばかりにそう言えば日本号はいよいよ声を上げて笑ったので、俺は半ば自棄になって睨みつけるしか出来なくなってしまった。

 
◆◆◆

 
 師走を迎えて連隊戦に出陣するようになった本丸はいつにも増して忙しない。夏にも連隊戦はあるものだが、冬の方が大変に思えるのは季節のせいなのか。そんなことを考えながら、うっすら雪が積もり始める外を眺める。
「そろそろ雪かき当番を組んだ方が良いという意見が出ているので当番を組もうと思っているんですけど、長谷部さんも一緒に考えてくれないですか?」
 本日の近侍である秋田藤四郎が真剣な眼差しで俺を見上げてくる。相談だと、紙を抱えて俺の部屋まで訪問してきたのでどうしたかと身構えたものだが、その内容は毎年冬になると話題に挙がるものだった。
「俺でよければ助力しよう。今日は出陣どころか内番も無くて暇していたところだ」
「ありがとうございます。一応、連隊戦に部隊編成されていない男士を書き出してきたんですけど、この中から選出しても良いですか」
「そうだな。あと、積雪量にもよるが雪かきは力仕事になるだろう。小柄な者同士の組み合わせは避けた方が良いな」
「ふむふむ了解です」
 熱心に手持ちの紙へ書き込む様子に、感心と共に和やかな気持ちになる。部隊編成など戦闘に関したものなら張り切ってやるが、本丸運営については面倒という者はそこそこいるので真面目に取り組む姿を見ると気持ちが良いものだ。
 そうして秋田が当番の組み合わせを書き込むのを傍らで見ながら、時折助言を交えていると部屋の外から秋田を呼ぶ声が聞こえて戸が開く。こちらの返答を聞かず開けるとは無礼な奴だな。一体誰だと視線を移せばそこには日本号がいて、突然の登場に固まってしまう。
「お。包丁の言う通りここにいたか」
「日本号さんどうしました?」
 驚く俺を余所に、片手を挙げていかにも気さくな挨拶をする日本号に秋田が不思議そうに首を傾げる。
「主がそろそろ出掛けるからとお前さんを探していたぞ」
「あ!そういえばそうでした!」
 飛び跳ねるように立ち上がった秋田はそそくさと紙をまとめると、こちらへ深々と一礼する。
「相談に乗っていただきありがとうございました!主君のお供のため失礼します」
 小走りで駆けていく秋田を見送ると、こちらを見下ろしている日本号と目が合う。
「用事は済んだ筈だが」
「まあ、秋田を呼びにきたのもあるがまだ用があってな」
「俺にか?」
「ああ。お前さんに相談だ」
 いくら連隊戦で忙しくても、俺のように非番で暇している者はいる筈だ。それなのに俺のところへ来るとは一体どういうつもりだ。近侍に就いている秋田なら兎も角、日本号はまったく見当がつかない。
 取り敢えず自室の前で立ち話も目立つかと中へ入って座るよう促す。そうして奴が座ったのを確認すると、向かい合うように座った。
「それで、相談とは」
 極めて冷静を装い日本号へ尋ねるが、内心は緊張がじわじわと増している。そんな俺の内心を察したのか日本号は「すまん」と一言、気まずそうに後頭部を掻く。
「その、相談だと言ったが、深刻なことじゃねえ。そろそろクリスマスだろう?だから主へ渡す贈り物を用意しようと思ったんだが、良いのが思いつかなくてな」
「ああ、成る程」
 年末年間近にあるクリスマス。この本丸では大々的な催しはないものの、所属する刀剣男士達がクリスマスプレゼントと称して主へ贈り物をする日となっている。連隊戦で忙しい中でもクリスマス気分を味わいたいと、四年前に数振りの男士達がクリスマスプレゼントを用意して主へ贈ったのが始まりで、今では恒例行事となっている。
「そろそろとは言うが、クリスマスまで一週間を切っているぞ」
「わかってるって。時間がないからこそお前さんを頼りにしてきたんだ」
 日本号が俺を頼ってきたとは。しかも口元を歪めて決まり悪そうにしているのもあり、俺は少し得意な気分になる。特にここ最近はこいつに調子を乱されることがあったから尚更思うところがある。
「まずは参考までに、あんたは主に何を贈るんだ?」
 既に用意しているだろう?そう言いたげに見つめてくる視線に、思わずふふんと鼻息荒く胸を張る。
「今年は石鹸だ。年々贈り物を渡す刀剣男士が増えてきたから消えものが良いと思っての選出だ」
「消えものか。装飾品なんかより好みはわかるし良いかもな」
「酒はどうなんだ。得意分野だろう」
「勿論考えたんだが、今年はちょいと避けたいんだ」
 酒は値が張るものならそこそこの値段がする。そういう意味でも贈り物には良いと思ったのだが、避けたいとは何かあるのだろうか。
「酒は要らないと言われたのか?」
「要らないとは言われてないが先月に混成酒を作って渡したばかりで、続けて酒を渡すのも芸がないと思ったんだ」
「作った?」
「ああ。主が栽培している赤すぐりの実で作ったんだ」
 洋酒にアカシアを漬けて混成酒を作っている配信があったが、それと似たようなものだろうか。つまみだけではなくああいった酒も作るとは、配信で上げていないところで何でもやっているんだな。
「次郎みたいな大酒飲みならどんどん酒を贈っても良いだろうが、主はつまみ好きでも酒はそこまで飲まねえからなあ」
 飲酒はあまりしないのか。思えば食べ物の話はあれど酒の話題はそれ程多く聞いたことがない。こちらからあまりそういった話を振ったことがないというのも多少にあるかもしれないが、飲まないとなると話題自体がないのも頷ける。
 思わぬところで主の新たな情報を知り、これは忘れてはならないと心に留めては、日本号の話を聞きながら思いついたことを口にする。
「つまみが好きというなら、酒に合う食べ物を贈ってはどうだ」
「つまみか。消えものという条件にも合うし、結構良いかもれねえな」
「それに配信でつまみを自作しているお前なら用意も容易いだろう」
 話の流れでそう続ければ、どういうわけか日本号が歪ませていた口元を真一文字に結んだ。俺の一言に反応したようだが、どういった心境なのか。
「なんだ」
「いやね。この間から気になっていたんだが、あんたは俺の料理配信を観ているのか?」
 まさかの返答に今度はこちらの口が真一文字になる。日本号の料理配信について、主がその活動を知っていることや本刃が隠している様子もなかったのもあり、自然と話題にして良いものと思ってしまっていた。
 だが、きっかけがなければ俺もあの「ちょい呑み配信」がこの日本号が活動していると知らなかったのだ。秘密で活動してきたものではないにしても、普段あまり配信の話をすることはないのかもしれない。
「まあ、その。公の場で任務内容をうっかり口にしていないかと、確認程度に数回程」
 まさかアーカイブ動画を欠かさず観ているだけでなく、時間が合えば実際配信も時折コメントを投下しながら観ているなんて言えるわけがない。あくまで本丸運営に支障がないかを確認している名目だと説明すれば、日本号は納得したように破顔する。
「そうかそうか、ははっ。そうなるとあまりいい加減なこたあ出来ねえな」
「ほう。監視の目がなければいい加減なことをしても?」
「いやいや。一応料理配信だ、あまり変なことはしないさ」
 よく言ったものだ。計量を適当にやって博多に咎められているのを何度も見ているぞ。そのやり取りは嫌いではないので揚げ足取りのようなことはしないが、こちらが知らないと思って調子の良いことを言ってくれる。
「さて。贈り物はつまみで決まりとして何にするか。美味いもんより物珍しいもんが好きそうだが」
「折角のクリスマスだ。それにちなんだ食べ物にしてはどうだ」
「クリスマスと言えばケーキや鶏か……」
 日本号は暫く悩むように唸った後、思いついたとばかりに膝を打った。
「どうやら決まったようだな」
「応よ」
 日本号は晴れやかな顔で俺を見下ろした。その眼差しははっきりと見え、いつの間にか日本号と触れそうなほど近くにいることに気付く。
 意識してしまった途端、失せていた緊張が蘇る。どくり、と血の巡りが早くなった心地を覚えて、顔に熱が集まりそうになるのを抑え込む。
 幸いにも顔にはその動揺は出ていないのか、日本号は変わらぬ様子で笑う。
「やっぱ主のこととなるとお前さんに相談して正解だった」
「そうか」
 これが日本号以外の男士が言ったのなら、露骨に浮かれたに違いない。だが、今はただただ時が過ぎれば良いと願うしかなかった。

 日中の緊張が未だ落ち着かないまま迎えた夜。やきもきした気分で自室で明日の遠征準備をしていると、部屋のどこからか「ぽん」と音が聴こえてきた。この音は日本号の配信の通知音で、思わず準備に動かしていた手が止まる。
 連隊戦で忙しい時期に配信か?だが、少し間抜けにも思えるあの音で設定しているのは配信通知だけなので他と間違えようがない。それに忙しいとはいえ、今回日本号は連隊戦部隊に組まれていない。内番や遠征があったとしても少しは酒を楽しむ余裕はあるのかもしれない。そんなことを思いながら仕舞っていたタブレットを引っ張り出して操作する。
 動画プレイヤーが読み込まれていつもの光景が映る。中央には生肉の塊があり、配信が始まって間もないのが知れた。
『さて。年の瀬も変わりなく始まる日本号のちょい呑み配信、付き合ってくれよ』
『今年は俺もおいしゃんも遠征中心で結構余裕あるけんね』
 そういえば博多も連隊戦出陣部隊の中に名前がなかったな。それこそ、明日は博多と同部隊で遠征に出るのだと思い出して口元がむずむずしてくる。
 同じ本丸の日本号と博多がこの配信をしていると知ってからそれなりに経っているのに、いつまでも慣れる予感がしない。だが、そのような予感を覚えながら配信視聴を辞められない辺り、我ながら拗らせていると思う。
 半ば諦めの気持ちに溜め息を吐きながら、いつものように和気藹々とやり取りをしながら料理を開始する日本号を見つめる。
『今日は鶏レバーの時雨煮を作る』
『余ったレバー使うとか言いよったね。使い切れんとね?』
『鶏レバーは別の料理でつなぎに使うために買ったんだが、全部使うと結構多くてな』
 レバーをつなぎに使うこともあるのか。それは一体どんな料理なのだろうと考えている内にも配信の日本号は手を動かしており、鶏レバーを一口大に切り始める。
『今回は既に終わっているが、レバーは余分な脂を切り取ったら冷水につけて血抜きを行うように。水に浸すのは十分程で良いだろう』
『今回はこんレバーしかなかけん差し替えんのやね』
『余ったレバー消費のために時雨煮を作るのに、差し替え用に買い足したら面倒だからな。手抜きで申し訳ねえが、年末くらい許してくれよ』
 年末関係ないだろ。もっと手抜きしていることもあるだろ。と、あくまで茶化した様子の視聴者のコメントが並び、思わず口角が上がる。
『血抜きが終わって食べやすい大きさに切ったら熱湯で三十秒茹でる。湯を熱するのも時間が掛かるから今日の差し替えは熱湯だ』
 配信画面が移動し、既に湯気の立つ鍋を映し出される。鍋は火にかけられると間もなくぽこぽこと沸騰し、レバーが投入された。あっという間に赤みがかったレバーが白くなり、用意された笊に上げられる。
『次に、別の鍋に水大匙二、味醂小匙三、醤油大匙二、酒ひと回し入れて熱する』
『おいしゃん、珍しうしっかり分量言いようて、最後ん酒だけなんでひと回しなんか?』
『なんとなくだ。まあ、あえて量るなら大匙三程か』
『多くなか?』
『そこは好みもあるからなあ。酒と一緒にいただくならこれくらい入れた方が旨い』
『ふうん』
 納得しているのか呆れているのか。どちらとも取れる博多の反応を気にするでもなく、日本号はころりと小さな生姜を握る。いや、生姜が小さいのではなく日本号の手が大きいのか。相変わらず大きな手は器用に生姜を細切りにしていく。とととと……と小気味良い包丁の音と、ふつりと微かに沸騰し始める鍋の音が気持ちが良い。
『鍋の中が沸騰したらレバーと生姜を入れて、八分から十分弱火で煮て完成だ』
 とろり、と見るからに濃そうな調味料の中、白いレバーが小さく揺れる。これが時間を掛けて煮ることで調味料と同じ色になると想像するだけで食欲がそそられる。日本号は酒と一緒に合わせると話していたが、これは米飯と合わせても美味しいだろう。
『さて、出来上がるまで少し時間が掛かるし適当に話して場を繋げるか』
『それなら聞きたかことがあるっちゃけど、レバーばつなぎにするって何ば作ると?』
 まるで顔を伺うように、鍋を映していた映像が日本号の首元へ移動する。すると日本号は口が見える程度に屈むと、唇の前に人差し指を立てた。
『そいつは秘密だ』
 口元が笑みの形になるのが見えたかと思えば、途端に配信が不自然に止まる。そして数秒程動画プレイヤーが黒く表示された後、いつもの配信画面が映し出された。
『……お。戻ったか』
『多分大丈夫ばい。みんな、見えとうよね?』
『そろそろ重くなりやすい時間帯か』
 そんなやり取りをしている傍ら、コメントは配信画面が復旧したことよりも日本号が見えたことで持ちきりだ。普段の配信では一切顔が見えないせいか、先程のように顔の一部が出るだけでも日本号の配信では盛り上がる。いつか配信で顔をじっくり撮影した日にはどうなることやら、そんなことを考えていると不意に見下ろしてくる日本号の姿が過ぎる。それは日中に見た日本号で、耳の裏辺りからどくりと音がした。
『さあて、そろそろレバーを皿へ移すぞ』
 いつもの調子で話す配信の日本号の声に、この部屋で数時間前に日本号と話したことまで思い出してしまう。
 ここに、あの日本号がいた。そのことを再認識したせいか、暑くもないのに額に汗のような湿り気を感じて額に手を当てる。だが、それは錯覚だったのか、触れたところは湿り気なくさらりとしている。それなのに聞こえる音はどんどん早くなってきて、堪らずタブレットを消すと押し入れまで移動して布団を引っ張り出す。そして乱雑にそれを敷くと上へ寝転がった。
 ごろりと横になりながら天井を見つめてみても、日本号のことを紛らわすには至らない。
 どうしてこんなに意識することがある。今日なんてこの部屋で日本号の相談に乗っただけだ。それに日本号が来るまで秋田の相談にも乗っていたというのに、日本号ばかり気にするのは我ながらどうなのだろう。
「……馬鹿馬鹿しい」
 不意に出た一言は何に向けられたものなのか。きっと布団の上で悶々としている自分に対してだろう、なんて他人事のように考えながら俺は固く目を閉じた。

 目を瞑りながらあれこれ考えて晴れない気持ちを誤魔化している内に寝てしまったらしい。目覚めた時には外は薄らと明るくなっていた。
 数回瞬きをして思い切り体を伸ばすと、眠気はすっかり失せて清々しさすら覚える。寝る前はあんな調子だったというのに、睡眠ひとつで結構変わるものだな。
 心身共に身軽な気分で布団から起き上がると、カーテンを開けて外を見る。地平線近くが明るいが、まだ朝日は出ていないようだ。初冬らしい薄暗い朝の風景を暫し眺めていたが、何故か違和感のようなものを覚える。だが、その原因がわからず、取り敢えず着替えをすることにする。
 今日は朝餉が済んだらすぐに遠征に出なければならないので、あまりのんびりしていられない。身支度をして食堂へ行こうと着替えていると、軽く戸を叩く音が聞こえた。
 なんだこんな朝早くに。こちらは遠征の予定もあるから時間はないのだが、そこのところを知っての訪室か。
 ひとつ返事で戸を開けると、そこには不動が立っていた。俺を見上げてくる顔はいつものように赤らんでいるものの、眼差しはやけに真剣さを帯びている。不動といえば今日の遠征で部隊長だが、まさか緊急事態か?それならばこの時間に伺うのも納得だ。
 一体何があったんだと視線を送れば、不動の顔に困惑の色が浮かぶ。
「あの、俺も部隊のみんなも長谷部の姿全然見てないから、具合でも悪いのかと思って来たんだけど……なんか違うみたいだな」
 気まずそうに首を傾げた不動に、嫌な予感を覚えて自室の置時計を見る。表示されている時間を確認すると、即座に不動へ頭を下げた。
「すまん。寝坊した」
 窓の向こうの薄暗い空から、まだ朝の早い時間帯だと思っていた。しかし今は日照時間が短くなった冬の時期、時計は遠征出発の二十分前を表示していた。
 少し前に外を眺めて冬の朝らしいなんて思っていたのが恥ずかしくなって、再び不動へ謝罪すると途中だった身支度を急いで済ませた。朝餉は食べていないが、寝坊だけでなく出発時間に遅刻までしたくない。それに今日の遠征は戦闘がないものだ。そこまで食事を優先させなくても体力は問題ないだろう。
 挽回するのが先だと集合場所へ訪れると、そこには既に俺を除いた部隊員が揃っていた。
「おはよう長谷部。寝坊なんて珍しいじゃん、夜更かしでもした?」
「まあ、そんなところだ」
 部隊員のひと振りである加州へ適当に返すと腕を引かれた。力は然程強くなかったものの、遠征に間に合わせることばかり気を取られていた俺は完全に油断していたのもあってよろけそうになる。そんな体を腰から支える者がおり、体勢を整えることができた。
「不動が呼びに行ってからそんなに経ってないということは、ご飯食べてないでしょ?」
 まるでこちらを見通してくるように目を細めた加州は俺の腰あたりへ視線を移す。自然と俺も同じ場所を見れば、そこには博多が寄り添うように立っていた。
 状況から見るに俺を支えてくれたのは博多のようだと知る間もなく、短刀男士らしい丸い頬が膨らむ。
「やっぱ食事せんやろとなあ思うたばい!」
「そ、それは寝坊したら何かを省かなくては間に合わないだろう」
「時間なら大丈夫だって。任務地への転送まであと八分、おにぎり一個くらい長谷部ならいけるでしょ」
 言いながら加州は小さな紙袋を差し出してくる。受け取って中を確認すれば、そこにはラップフィルムに包まれた握り飯があった。
「こんなこともあろうかと料理番におにぎり握ってもらったんだ」
「さああっち座って食べんしゃい」
 博多に引っ張られ、近くにあった椅子へ座らされる。そして他の部隊員が俺を囲むように並び立つ。今回の部隊編成は俺より背の低い者が多かった筈だが、異様な圧を感じて素直に握り飯を食べることにする。
「ん」
 一口食べてみると黄色い塊が出てきて、思わず声を上げてしまう。
 なんだこれは。咀嚼もそこそこに二口目を食べて、黄色いものはだし巻き玉子であることに気付く。玉子が入っている握り飯は初めて食べたが、これが合わない筈がない。絶妙な甘塩っぱさにどんどん食べ進めていき、あっという間に握り飯はなくなってしまった。
「良い食べっぷりだね」
「さて。長谷部もおにぎり食べたことだし、こんのすけに転送準備お願いしてくる」
 離れていく不動の背中を眺めながら握り飯を包んでいたラップフィルムをくしゃくしゃと丸めていると、加州が顔を覗き込んでくる。
「一個じゃ足りないって顔してるね」
「そいつは錯覚だろう」
「ふうん? 」
 何か言いたげだったものの加州はそれ以上追求してこなかったので、俺は何食わぬ様子で不動の後を追う。
 一個で足りないかと問われたら正直もう一個くらい食べたいところだった。だが、わざわざ用意してもらった手前、そんなことを包み隠さず言うつもりはない。
 それにしても、そんなに顔に出ていただろうか。顔を触って確かめてみたが当然わかる筈もなく、俺は仕切り直しだと口を真一文字に結んだ。

 
 無事に任務を終えて後は帰るばかりというところ、不動がこんのすけへ連絡している傍らで他の部隊員が喋っている。話題はいよいよ二日後に迫ったクリスマスのことで、部隊員のひと振りである水心子が身振り手振りを交えながら主への贈り物について語っている。
「水心子は初めてのクリスマスだっていうのに結構主の好み把握してるんだ」
「ありがたいことに蜂須賀虎徹が教えてくれた上に一緒に贈り物を選んでくれたのだ」
「成る程ねえ。蜂須賀がついているならばっちりだね」
「そういう加州清光、貴方は何を選んだんだ?」
「俺はネイルケアセットにしたんだ」
「ねいる、ケア?」
「ええと、簡単にいうと爪を綺麗にする道具。ちょっと前に俺が日本号に爪の手入れの仕方を教えたって話をしたら主が興味津々でさ。良いタイミングだし、ケアセットをプレゼントして手解きしようと思って」
 突然の日本号の登場に声が出そうになったが、何食わぬ顔を装いながら聞き耳だけは立てる。
 加州が爪の手入れをするのはよくわかるが、そこから日本号へ手技を教えることになる経緯はまったくわからない。確かに日本号は身嗜みに気を遣う方だが、爪まで気にしている印象はない。
 果たして加州から詳細は語られるのか。今か今かと待っていると、不動が集合をかけた。
「もうすぐ転送始まるから忘れ物がないようにね」
「はあい」
 皆が改めて身の回りを確認し始めたので俺も一緒に行う。当然ながら会話は中断されてしまい、その間の悪さに思わず唸りそうになるのを堪えたのだった。
 そんな遠征終わりを経て、本丸に戻った俺は部隊解散の挨拶もそこそこに自室へ戻って配信視聴に使っているタブレットを引っ張り出す。
 日本号の爪の手入れについては加州に聞くのが一番早いだろう。だが、一度落ち着いた話題を切り出すのはまるでこちらが日本号のことを気にしているようにも思えて、取り敢えず過去の配信で奴の爪を確認してみようと考えたのだ。
 ……確認したところでどうするんだといえば特に何をするでもないのだが、加州の話を聞いてしまうと気になってしまったのだ。
 動画プレイヤーが動画を再生し始め、食材を持つ日本号の手が映り込む。丁度良いと一時停止して見てみると、確かに手入れしたのが伺える艶やかな爪だった。こいつの手は形良く規格外の大きさが目立つが、爪も整えているとは隙がないな。
 見れば見るほど綺麗な爪にどうして今まで気づかなかったのか、そんな疑問を覚えていると誰かが自室の戸を叩いた。
 ……遠征の時といい今日は間が悪いな。
 訪問者からタブレットが見えないよう端へ寄せると「どうぞ」と一言、戸を開けて招く。目の前に現れたのは大きな胸板で、藤巴と勝軍草が合わさった紋章が彫られた首飾りがちらりと揺れた。 顔を見るまでもない、日本号の登場にいよいよ間の悪さを痛感する。
「今、ちょいと良いか」
「手短に頼む」
「そこんとこは心配すんな。数分で終わるぜ」
 数分で終わる?伝言なら要件のみ言えば良いし、一体何をしに来たんだ。
 密かに身構える俺に気付くことなく、奴は小さな包みを渡してきた。
「クリスマスに主へ渡すつまみを試作したんだ。味見をお願いしたい」
「はあ」
 主へ渡すつまみとは、先日相談に乗ったものか。心当たりのある話題に思わず気の抜けた返答をしてしまったものの、気を取り直して包みを開く。
 然程大きくない包みから出てきたのは煉瓦色のケーキだった。
「甘味にしたのか」
「いんや。こいつは肉とドライフルーツで作ったテリーヌでな、食べてみればわかるが塩気の利いた味だ」
 テリーヌとは初めて聞いたが、贈り物にするくらいなので頻繁に食べるものではないのかもしれない。こういう小洒落たものは長船辺りから教えてもらうのか、それとも自分で指南書を探して作るのか。前者なら兎も角、後者は大変そうだな。
「薄く切り分けているから、まずは一切れ食べてくれ」
 空いていた手にフォークを押し付けられ、日本号がじっとこちらを見下ろしてくる。突然の圧に睨み返しそうになったが、つい先程自分が「手短に」と言ってしまったことを思い出す。
 手短に済ませるなら、すぐにこのテリーヌを食べて味の感想を述べれば良い。それはつまり、これからこいつの前で実食しないといけないわけだ。
「……少しの間、部屋から出てってくれ」
「?なんでまた、」
「ちゃんと食べて味の感想は伝える。だから出ていてくれ」
 むすっと不機嫌を露わにする日本号に構わず、三度退室しろと伝える。味見はまだ良い、主へ渡すものに相応しいか確認するのは名誉ですらある。だが、日本号に食べているところをまじまじと見られるのは避けたい。
 俺の言葉に渋々といった様子ではあるが、日本号は廊下に出てからこちらを振り向いた。
「入って良かったら呼べよ」
 閉じた戸に一安心しながら腰を下ろす。
 さて、さっさと味見をしてしまおう。食べているのを間近で見られるのも嫌だが、廊下で日本号を待たせてしまうのも気になるところだ。そんなことを考えながらテリーヌを一口食べると、予想外の食感で声を上げてしまう。
 豆腐のように柔らかい食べ応えの中にごろっとした肉とドライフルーツの食感がある。噛み締めるとドライフルーツの甘酸っぱさがじんわりと滲み出て、肉の脂と塩味を引き立てる。見た目こそケーキだが、これは明らかに酒のつまみだな。
 あっという間に一切れを食べてしまい、もう一切れ口へ運ぶ。二切れ食べるだけ、そこまで日本号を待たせることはない。そんな言い訳紛いのことを考えながらテリーヌを味わい、ようやく退室していた日本号へ呼んだ。
「それで、テリーヌはどうだった」
「初めて食したがなかなか悪くなかった。少しずつ切り分けて食べるようにできるのも良い」
 主への贈り物ということで素直に感想を述べると日本号はぱっと破顔する。その変化に一瞬動揺したものの、主のために用意した贈り物が評価されたら俺も喜ぶだろうと思い直す。
「あんたに好評なら主に渡しても問題ねえな。味見してくれてありがとよ」
 ご機嫌な様子で再び退室しようとする日本号に、まだ残っているテリーヌを思い出して引き止める。
「テリーヌ忘れているぞ」
「味見の礼にはならねえと思うが、そいつはあんたが食べてくれよ」
 じゃあなと背を向ける日本号に手を伸ばしたが、評価した手前で突き返す理由がない。仕方なく俺は日本号を見送り、行き先のなくなった手は情けなくも空中を彷徨った。

◆◆◆

 連隊戦で忙しかった十二月もとうとう三十日を迎え、本丸内は別の理由で忙しさを見せていた。
「長谷部殿、餅米の次は練り物だっただろうか」
「ああ。長谷部の名で予約している」
 十二月三十日ともなればいくつも寝る間もなく大晦日と元旦がくるもので、料理番はお節作り、その他の男士達は煤払いと買い出しに勤しんでいた。
 そして俺は買い出し当番の一員として町へ出ているところであった。
「こういう時に刀工の名前がついていると良いよなあ。御手杵じゃあ予約するにも偽名は困りますって言われちまう」
「適当に人名を使えば良いじゃねえか。結城とか本多とか、縁ある姓辺りに良いのがあるだろう」
「自分は本多忠勝の槍とはいえ、本多を名乗るのは畏れ多いのだが……」
 そんな会話をしているのは天下三名槍で、その内の蜻蛉切の脇には餅米袋が抱えられている。今年最後の買い出しは荷物が多いからと、買い出し当番には大柄の刀剣男士を選出したようだ。
「餅米、練り物に鶏肉と、後はなんだっけ」
「焼き物用の鰤だぜ」
「前回は鯛だったが今回は鰤か」
「鰤は鮮魚店で購入するのだが、そこで鰤以外にも寿司用の海鮮類も購入する」
「寿司って大晦日に食べる寿司か?」
 御手杵が目を輝かせる。本丸では主の生家に合わせて大晦日に寿司を食べるのが恒例で、御手杵もそのことをしっかり覚えていたようだ。年に一度の事なので忘れている者も多いのだが、そこは本丸内でも健啖家と言われる御手杵というものか。
「そうだ」
「やったあ。大晦日で出る寿司は特に豪勢なんだよなあ」
「買い出し最終日もあって特に荷物が多いな。四振りで間に合うか?」
「練り物は口取り肴の蒲鉾と伊達巻きだから然程多くは買わない。問題ないだろう」
「鶏肉はどうなんだ?がめ煮のほかにも使わないのか」
「料理番からはがめ煮以外で使うという話はなかったな。練り物同様然程大荷物にはならない程だ」
「今回は雑煮に鶏を使わないのか……なら福岡の、いや、雑煮で使う魚も買ってないから……、」
 首を傾げて考える日本号に密かに感心する。俺は鶏肉の用途を聞いても特に疑問を持たなかったが、そこから雑煮へ繋げられるのは流石料理をしているだけあるのだろう。それにしても鶏肉やを使用しない雑煮となるとどこの胴にだろうか。
 思わず日本号のように首を傾げていると、いつの間にか御手杵と蜻蛉切が黙って俺を見つめていた。しかも二対の眼差しはどこか驚いているようで、返答する代わりに見つめ返すと蜻蛉切がこほん、と小さく咳払いをした。
「不快に感じたならすまない。その、長谷部殿にはがめ煮が通じるのだなと思ったらつい」
 蜻蛉切が同意を求めるように御手杵へ視線を移す。
「そうそう。俺と蜻蛉なんて日ノ本から教えてもらうまでがめ煮が筑前煮だって知らなかったぞ」
「そう、か」
 がめ煮とはそうだ、筑前での呼び名だとすっかり失念していた。こちらが身構えることなく話していたためか日本号はまったく気にしていなかったが、二槍の反応を見たらどう思うか。
 恐る恐る日本号を確認すると、首を傾げたまま考え込んでいる様子だった。良かった。どうやら俺達のやり取りは耳に入っていないようだ。
 周囲に気付かれない程度に息を吐くと、これから向かう店に続く道を指差す。
「さあ次の店に向かうぞ。時間に余裕があるとはいえ、混み合っているから予定通りいかない場合がある」
「練り物屋に行けば良いのか?」
「ここからだと鮮魚店が近い。そちらから向かう」
 人混みの中を先導する。三槍揃って人混みからひょっこりと出る頭は非常に目立っており、同行者としては大いに助かる。
「長谷部殿!少々お待ちいただけますか!」
 見えた蜻蛉切は困惑した様子で周囲を見渡している。日本号や御手杵もどことなく余裕のない表情をしていることに疑問を抱いては、人混みを上手く進めないのだと気付く。当たり前だが、目立つからといって人波を進みやすいわけではない。四苦八苦しながら進む三槍を確認しながら、距離があまり離れないようゆっくりと移動していく。そうして鮮魚店に到着する頃には、奴らはすっかり疲労していた。
「なんか買い出し始めより混んでないか」
「昼も近くなり、買い物でより多くの人が出てきたのだろう」
 時間を確認すると間もなく正午を迎える頃。年末に限らず町が混む時間帯だ。避けられない混雑だろう。
「慣れない混雑だが休んでいる暇はない。さっさと目的のものを買おう」
「ちょーっと休んでもいんじゃないか?」
 疲労を主張するように肩を竦める御手杵に、日本号が二の腕を肘で小突く。
「こんだけ人がいるんだ。焼き物の鰤は予約しているから兎も角、良い寿司ネタが買われちまうぞ」
「え?そうなのか?」
 驚く御手杵の横へ蜻蛉切が移動する。
「そうだな。こうして話している内にも買われていく魚はあるだろう」
「えっ、えっ?じゃあ早く買いに行かないと!」
 飛び込まん勢いで入店する御手杵を日本号と蜻蛉切は満足気に眺める。三名槍として特に付き合いがあるだけに、こういう場面での対応に慣れているのか。同行者としては頼もしいものだが、親しい間柄を垣間見たようで、なんとなく胸の内に言い様のない心地を覚える。
 別にこいつ等が親しいからといって何がある。蟠りがないのは良いことではないか。そう考えながら、俺は御手杵を追うように店へと入っていった。

「お。ここ、鮟鱇売ってるのか」
 予約していた鰤を受け取る傍ら、忙しなく寿司用の魚介類を吟味していた御手杵が声を上げる。会計を終えてそちらへ視線を移せば、三槍が大きな図体を屈めながら黒い魚を眺めていた。
 なんだあの魚。魚、なのか? ごつごつした平たい岩に顔をつけたような見た目の生き物はよくよく見れば鰭がついており、珍妙な見た目ながら魚のようだ。珍しい魚だから三槍も揃って見ているのか。だが、見つめてひそひそ話すばかりで一向に購入しようとする様子がない。
「貴様等、買うなら早く買ってしまえ」
「ああいや、買いたいわけじゃないんだ。ただ、こういう鮮魚店なら鮟鱇が売っているんだなあと思って」
 御手杵が話しながらちらちらと黒い魚を見る。
 あの魚は鮟鱇なのか。本丸でも一度だけ食べたことがあったが、それは既に調理済みのものだった。まさかこんな見た目だとは思わなかったが、蛸や烏賊、貝類が食されているなら鮟鱇のような魚も食されていても不思議はないかと納得する。
 三槍が買い物を終えたことを確認して退店すると、空からちらりと雪が降り始めていた。加えて風も強くなっているようで堪らず顔を顰める。
「まだ買い物があるというのに雲行きが怪しいな」
「そういえば今日の天気予報は雪だったぜ。積もる程ではないらしいが、この時期の天気予報はあまりアテにできないからな」
 本丸内の気候はシステムにより調整出来るが町中ではそうもいかない。雪の予報ならば本降りにならない内に買い物を済ませるに限る。
 ここから近いのは練り物屋だからそちらへ行って……とこれからの移動先を考えていると蜻蛉切が挙手した。
「早く買い出しを終えた方が良さそうなので、ここは二手に分かれてはどうですか。確か、残る買い出し先は二店の筈」
「成程」
 残る店はどちらも予約していた食材を受け取るだけだ。鮮魚店の時のように好みの食品を選ぶことはないので、四振り揃って来店しなくても良い。
 日本号と御手杵からも異論はなく早速二組に分かれようとすると、日本号が俺の隣へ移動してきた。なんだと思う間に俺と向かい合う形で蜻蛉切と御手杵が並び、いつの間にか俺と日本号が組んでいる状態になってしまった。
 まさか俺と日本号が組むことになっているのか?いくら早く買い出しを済ませようとしている流れでも俺の意見は聞かないのか?とはいえ、急ぎたい手前「日本号以外と組ませてほしい」と主張する程大人気ないことをするつもりもない。
「……では、行き先を決めるか」
 こほん、と仕切り直しとばかりに咳払いをひとつ話を進める。二振りになるとはいえ町中であるし、時間にしても長くて二十分程だろう。少なくとも気まずくなる場面はないと己に言い聞かせる。
 短い話し合いの結果、蜻蛉切と御手杵は練り物屋へ、俺と日本号は精肉店へ行くことに決まり、それぞれ目的の店へ向かう。
「天気が悪くなっても人が減らねえな」
 日本号が窮屈そうに人混みを進みながら周囲を見渡す。
「今日を逃すと大概の店が閉まってしまうからな。不便のない年末年始を過ごせるよう勤しんでいるのだろう」
「うちの本丸もだが、通販を活用するっていう手はないのかね。届くまでに多少時間を要するかもしれねえが、直接買い出しするより楽だろうに」
「飲み物始め日持ちするものは通販を利用して購入したとのことだが、足の早いものは年末年始の通販業では対応していないので店頭で買うことになったそうだ」
「ふうん。まあ、俺達も三ヶ日までは馬当番以外の内番と任務がないからな。世間も正月は規模を縮小して営業しているってことか」
 二振りになって多少にも身構えていたのだが、思いの外自然に会話ができていることに安堵する。思えば俺ばかりが意識しているだけなのだ、下手なことをしなければ何事もないのかもしれない。
 ほっとしたのも束の間、気が弛んでいた俺は人波に流されそうになる。
「おい」
 流されかけた俺の体を大きな手が掴む。その手は誰と紛うことない日本号のもので、突然の接触に固まる。
 だが、そんな動揺に気付いていない様子の日本号は俺を自身の後ろへ誘導する。
「ここからは俺が先導するから背中に掴まって歩け」
 動揺する気持ちに閉口してしまい、言われるがままに日本号の背中に掴まる。
 掴まって歩けなんて、まるで迷子になった子供にさせるようなことではないか。馬鹿にしているのかと怒りを覚えそうになったが、急いで用事を済ませようとしている場面でそんなことをするような奴ではないと思い直す。
 あくまで善意なのだろう。それにきっと他の誰かが先程の俺と同じようになっても、あの大きな手を伸ばして引き寄せるに違いない。そういうことをやってのけそうなのがなんとも憎らしい。
 掴まったせいで少し歪んだ背中の藤巴を眺めながら歩みを進めていく。手も大きければ背中も大きいもので、前方を確認することができない。歩きながら少し背伸びしてみると辛うじて道のりが見えた。そうして、人混みが変わらず多いのに、人波の勢いが落ち着いていることに気付く。
 疑問に周囲を見渡してみたが特に変化はなく、再び掴んでいる日本号の背中へ視線を戻して……目の前の大きな体が己の盾になっているため歩き易いのだと気付いてしまった。
 まさかこれを見越して後ろへ俺を誘導したのか?まさか、ではなく、確実にそうだ。わかってやっているのだ、この槍は。
 そうとわかった途端、背中を掴んでいた手がさっと冷えてくる心地を覚えてくる。そして、掴んだ衣服の向こうに自分とは別の体温を感じて指先が震えた。
「寒く、なってきたな」
「そうだなあ。人混みで多少紛れているが、流石に雪が降ると身に染みるな」
 震えを誤魔化すよう出た一言に返ってきた反応はいつも通りのものだ。それに安心しつつ、俺ばかり意識しているようで居た堪れない気持ちも顔を覗かせる。だが、背中を掴んだ手はどこにも行き場がなく、暫く俺は悶々としながら日本号に着いていくことしかできなかった。
 ようやく目的地である精肉店へ到着すると、俺は即座に背中から手を離して一歩二歩と日本号から距離を置いた。かなり露骨な行動だったが、日本号は気にする様子もなく上機嫌に鼻歌を歌いながら店頭に並べられている肉を眺めている。どこまでも俺ばかり意識している状況に、意識し続けるのも馬鹿らしいと予約している鶏肉を受け取ることにする。
 ここでの買い物が終わったら真っ先に先を歩こう。俺だって油断しなければそうそう人波に流されることはないし、四振りで行動していた時は俺が三槍を案内していたのだ。三槍に対して出来たのなら日本号だけでも問題ない。
 そうだ。そうしようと意気込みながら鶏肉を受け取っていると、肉を眺めていた日本号が店員へ声をかける。
「この豚肋肉のブロック、ひとつ包んでくれないか」
「かしこまりました。お会計はあちらの鶏肉の方とご一緒で宜しいですか」
「いや、別々で頼む」
 包んでもらっているのはそこまで大きくない肉塊だった。それでも日本号ひと振りで食べるには多いような気がする。
 俺に続き会計を終えた日本号が包みを受け取る。規格外の手に乗ったそれはやはり大きい。
「その肉で良いのか?」
 下手すれば俺の顔まで覆えそうな大きさに思わずそんなことを言ってしまうと、日本号の眉が心外とばかりにぴくりと跳ねる。
「これじゃあ足りないか?」
「むしろ多過ぎないか?つまみか何かで、食べるんだろう?」
 疑問を伝えている内に、複数集まって食べることを想定していなかったことに気付く。
 日本号ひと振りではなく、例えば日本号含めた三名槍で食べると想定したら多いといっても食べきれない量とは思わない。配信で誰かと一緒に飲んでいる話はよく聞くし、もしかしたらそうなのかもしれない。三槍で飲んでいる様子は容易く想像出来るだけに、先程投げかけた疑問は見当違いだったのかもしれない。
「こいつは帰城してから昼餉で食べようと買ったやつだ。お前さんも豚なら食べるだろう?」
「え?」
「なんだ。豚肉は好かねえか」
「別に、好かない訳では……好きか嫌いかなら好きな方だが、俺も食べる、とは?」
「こうして買い物に出ているからお前さんも昼餉がまだだろう?帰ったら一緒に食おうぜ」
 日本号の一言に返す言葉を失う。一緒に、とは、その、どういうことだ?混乱しそうになるが、どうもこうもなくそのままの意味だと、頭の隅でどこか冷静に考える。
 誰かと一緒に豚肉を消費するところまでは想像できたが、その「誰か」に自分である発想が全くなかった。予想外のことに遭遇して未だに口を噤んでいたが、日本号は気にすることなく言葉を続ける。
「年末年始は殺生を禁ずるとかで鶏と魚以外の肉が食えないだろう?今日を逃したら暫く口にできないと思うと買っちまった」
 そういえばそんなことを料理番の誰かが話していたな。だからお節に使えるのは鶏と魚だけだとか、そういう……。聞いた時は鶏と魚は良いのか、と疑問を抱いたものだと当時のことを思い出していると、いつの間にか日本号が店の出入口まで移動していた。
「さて。買うもん買ったし、二槍と合流するか」
 日本号と共に店を出ると待ち合わせの場所へ向かう。前方には既に日本号の背中があり、堪らず溜め息を吐いた。
 精肉店に到着した時には俺が先導しようと意気込んでいたというのに、結局何も言えずに形になってしまっている。
 別に、日本号と昼餉を共にするのは良い。と思う。多分良いのだと、俺は思っている。それなのに何も言えなくなっているのはどうしてなのか。日本号だって同じ買い出し当番だったから俺を誘った、それだけの筈だというのに。何をそんな気にすることがある。
「なあ長谷部。後ろにいるよな」
「ん。うん、ああ」
 不意に話しかけられて、吃りそうになりながら返答する。
「背中に掴まったらどうだ」
「大丈夫だ」
 俺がはぐれてしまうと思っているのか?流石にこの至近距離ではぐれる心配はないだろう。それとも俺が容易く人波に流されてしまうとでも思っているのだろうか。先程は油断していただけだと憤慨しそうになっていると、日本号がこちらへ振り向く。
「俺が大丈夫じゃねえんだ。お前さんの姿が見えないから気になるんだよ」
「……」
 振り返った日本号が何とも言い難い表情をする。眉間に皺を寄せて唇を尖らせている様子はどこか拗ねているようにも見えて、堪らず奴の背中を盛大に叩くと藤巴を握りしめた。
「あて、」
「……掴まったから前を向いて歩け」
 睨み上げると日本号は途端に破顔して前を向いて歩き出す。露骨な程の変わりように芽生えかけた憤慨の念が一気に失せ、代わりのように覚えたむず痒さに空を見上げる。
 相変わらず雪がちらついており、時折頬や鼻先に振り落ちる。その冷たさも、落ち着く様子のないむず痒さも何故か不快ではなく、どこか夢を見ているような不思議な心地だった。

 二槍と合流して帰城すると早速日本号は豚肉を手に厨へ向かう。そして俺は何もせず日本号の用意した昼餉をいただくのも気が引けて、手伝いを申し出て厨へ同行していた。
 昼を過ぎた厨は空いており、見渡しても鍋を抱えた小豆長光がいるのみ。それなのに甘い香りが漂っており、空腹を覚え始めていた俺は食欲を刺激される。
「よお小豆。ちょいと飯作りたいんだが、一角借りても良いか」
「えんりょなくつかってくれ。わたしは栗金団をうつわにうつしてなべをあらうだけだから、もうすぐおわるところなんだ」
「栗金団作りとは年末だなあ」
 甘い香りは栗か。鍋というと甘味ではあまり使わない印象があるだけに結びつかなかったが、あの中に栗金団が入っているらしい。
 用意された器に向けて小豆が鍋を傾ける。とろり、と少しゆるめに作られた栗金団が注がれていくのを見ている内に、とうとう腹が鳴ってしまった。
 人体とは憎らしい。時折こちらの意識が届かない行動を起こす。隠すように腹を押さえると、日本号と小豆が顔を見合わせて笑う。
「おなかがすいているようだね」
「だな。空腹のところあまり待たせるのも良くねえから早速調理を始めるか」
 二振りはそれ以上腹の虫について口を出すことはなく、それぞれの作業を再開する。
「ところで小豆、昼餉の米飯って残っているか」
「さんごうほどおひつにのこっていたとおもうよ」
「三合か。少しばかり足りない気がするが……まあ、その分肉食ってもらうか」
「きみと長谷部、ふたふりいがいにもだれかたべるのかい?」
「俺達以外にも手杵と蜻蛉がいる」
「御手杵だけでなく蜻蛉切もいるとはなしがかわってくるかな。かれらはよくたべるからもういちごうくらいほしいね」
 鍋を洗っていた小豆は二槍の名前を聞くと苦笑を浮かべる。
「御手杵は兎も角、蜻蛉切も結構食べるのか」
「そうだね。槍のみんなはしょくよくおうせいでよくたべるよ」
「槍で括ってくれたが俺はそこまで食わねえぞ」
 普段の食事は把握していないが、配信で調理している量を考えるとごく普通だったと思い出す。博多も作る量が多いことを気にしても、少ないと言うことはなかったように記憶する。
「たしかに日本号はたべるりょうがすくなかったね。せんじつきた大千鳥もよくたべるものだからついまとめてしまったよ」
 大千鳥十文字槍は今月中旬に顕現したばかりの刀剣男士だ。まだ軽くやり取りをした程度しかないが、結構な食欲の持ち主らしい。
 すると槍の中でも少食だという日本号はどうやってあの巨漢を維持しているのやら。刀剣男士は人間のように痩せることはないが、食事を怠れば栄養失調による体の不調は出てくる。だが、日本号の戦いぶりは他の槍と遜色ない。もしかして酒で栄養を補っているのか?まさかそんなことあるのか。いや、しかし他の槍より多く摂取しているのは酒だし……なんてことを考えている内に小豆は鍋を片付け終えており、日本号と俺へ改めて声をかけて厨を出ていった。
「さあて。口だけでなく手もどんどん動かさねえとな」
 肉を置いた日本号は調理器具を用意し始める。
「ところで何を作るんだ」
「やきとりにする。精肉店で扱っているだけあって結構良い肉だから簡単な味付けでいただくのも美味いと思ったんだ」
 程良く焼かれて塩胡椒で味付けされた豚肉を想像してごくりと唾を飲み込む。食べる前から絶対美味いとわかるだけに一切の異議はない。
 それにしてもやきとりか。調理工程は簡単だと思うのだが、本丸の食卓では滅多に見ることがない一品だ。最後に食べたのはいつだったか思い出せないが、少なくとも外食だった筈だ。
「俺は下処理をしているから、お前さんは付け合わせか汁物を用意してくれないか」
「……付け合わせ?汁物?」
 予想してなかった日本号の指示に、奴の顔を見上げたまま固まってしまう。
 付け合わせも汁物も流石にわかる。調理練習で付け合わせ料理と呼ばれるものや汁物を作ったりもした。多分、簡単なものなら作れるだろう。だが、具体的に何を作れば良いのだろう。日本号の想定した付け合わせや汁物とは。
 俺が次の行動に移らないせいか何やら察した日本号は少し考える素振りを見せた後、口を開いた。
「ああ。じゃあ……中華風スープ作ってくれないか。冷凍庫のもやし、乾物まとめているところにあるわかめと白胡麻持ってきてくれ」
 それだけで良いのかと思いつつ、何も浮かばない状況なので素直に従おう。
 冷凍庫を開けて中のものを確認すると、奴の言った通りに袋に入った冷凍もやしが出てくる。よくも冷凍庫の食べ物を把握しているな。少し感心していると裏側に『日本号』と名前が書かれているのを発見して、本刃が予め入れていたものだったと知る。
 以前冷蔵庫から日本号の漬物を発見したが、こうやって日頃から食物を備蓄しているのだろうか。配信以外でもつまみを作っているようだし、すぐに何か調理できるように用意しているのかもしれない。
 こういうまめさがあるから料理ができるのか、それとも料理をしてきたからこそ培われたものなのか。そんなことを考えながら指定された材料を日本号のところへ持っていくと、大所帯の本丸では滅多に見ない片手鍋が用意されていた。
「鍋に半分くらい水を注いだら、今用意した材料を全部そこに入れて沸騰するまで中火にかけてくれ」
 手元は動かしながら、ちらりとこちらを見た日本号は手短に指示を出す。その小慣れた様子に博多と会話をしながら調理している配信を思い出す。
 やはり、あの配信の日本号はこの日本号なんだな。別にその事実が受け入れられないというわけでもないのに、配信で見てきた日本号がこんなに身近にいることが不思議に思う瞬間がある。どこか遠くの別本丸から配信されたものと勝手に思っていたせいかもしれないが、我ながら拗らせてしまったものだ。
 凍って袋に貼り付いたもやしに苦戦しながら、言われた通りに材料を鍋に投入して火にかける。
「じゃあ次は調味料の準備だ。醤油と胡椒、鶏がらスープの素、胡麻油を頼む」
「鶏がらスープの素、とは」
「ああ。ええと、冷蔵庫のドアポケットを探してみてくれ。そういう名称の調味料がある筈だ」
「了解」
 冷蔵庫のドアポケットというと市販のドレッシングや刺身用の醤油が収納されていた記憶がある。意識してみたことがなかったが、調味料を置く場所とされているのだろうか。教えられた場所を探してみると、日本号の言う「鶏がらスープの素」を発見する。そうして指示された調味料を持ってくると、日本号が切り分けた豚肉に串を打っていた。
 肉を切るだけとはいえ日本号の手早さに内心驚きつつ鍋を確認すると、沸々と煮立ち始めていた。
「煮えてきたが火を止めれば良いか」
「吹き零れの心配がないなら弱火にするだけで良い。そこに醤油ふた回し、鶏がらスープの素三摘み入れてくれ」
 具体的な分量を教えてくれ。そう言おうとして、配信で博多が分量を伝えるよう日本号に何度も指摘していたことを思い出して閉口する。
 またもや配信のことを思い出してしまったのは仕方ない。なにせ連想させるものが多すぎる。そうわかっているとはいえ、そわそわむずむずと落ち着かない気分になってくる。もしもここが自室だったら、床に転がっていたかもしれない。
「……計量スプーンでいうと、どれくらいだ」
「なんだお前さん、博多みたいなこと言いやがって。ううん、と……、醤油が大匙二で、鶏がらスープの素は小匙二だな。多分」
 最後の「多分」が気がかりだが、ひと回しより確かだ。早速計量スプーンを取り出して醤油とスープの素を量る。醤油が大匙二、スープが小匙で二……そういえば日本号は最初、スープの素を三摘まみと言っていたな。するとあいつのひと摘まみは小匙半分より多いのか。
 これまでも大きい手だと感じる場面は何度もあったが、まさか計量してその大きさを再認識するとは。調味料を鍋に投入しながら、串を打つ日本号の手元をこっそり確認する。
 日本号の手に乗る豚肉はごく普通の大きさに見えるが、あの手から離れたら結構大きいのかもしれない。自分が持ったらどう見えるのか。皿に乗ったらどう見えるか。そんなことを想像していると、突然日本号がこちらの顔を覗き込んできた。
「お前さんもやってみるか?」
「なにをだ?」
「串打つの。やってみたいんだろ」
 鍋の方は俺が見てるから、とまだ串に打たれていない肉が乗った皿と串を差し出してくる。あまりまじまじと見ないようにしていたが、どうやら日本号が勘違いする程度には手元を見つめてしまったらしい。
 別にやきとりの方は日本号に全て任せて良かったのだが、お前の手の大きさが気になって見ていた、なんてことも言えず、黙って差し出されたものを受け取る。
 受け取ったは良いが、残る肉は数切れで殆どの肉は串に打たれている。日本号の手早さならこうしてやり取りしている時間で全ての肉を打てたのではないか。それなら俺の視線など無視してやってしまっても良かったのに。
 そう思いながらも一度受け取ったものを突き返すのも違うような気がする。取り敢えず手を洗うと残り少ない肉の一切れを手にする。想像した通り肉は厚く大きく、やきとりでこの大きさはどうなのだろうと思う程だった。まあ、食べるのは俺と三名槍だけだし、大きいと咎める者はいないだろう。寧ろ御手杵辺りはこの大きさは喜びそうだ。
 かちん、と日本号が鍋の火を止めた音に意識が引き戻される。いかんいかん、手を動かさなければ。
 手に乗せたままだった肉に串を打っていく。大きいだけあって思ったより串は打ちやすいが、曲がらないよう細心の注意を払いながら残りの肉を打っていく。
「よし」
 集中していた時間は数分程だったというのに、最後の一本を打ち終わると少しばかり疲れを覚えてふう、と息をついてしまった。
「お疲れさん」
 笑い混じりの声がかけられて視線を隣に移すと、日本号が大きなフライパンに火をかけていた。
「焼き網ではなく、フライパンを使うのか」
「ああ。焼き網も良いが準備や片付けを考えるとフライパンが楽だからな」
 そういうものなのか。焼き網で調理している様子は数える程度しか見たことがないが、俺の知らない手間があるのだろう。主体となって調理するのは俺ではないので、ここは日本号に任せてしまおう。
「辛いの苦手だったりしないか」
「大丈夫だ」
「それなら味付けは塩胡椒で大丈夫か」
 肉の表面に塩胡椒を振るう。そして温度を確かめるようにフライパンの上へ手を翳すとその上へアルミホイルを敷いていった。そして再び手を翳すと「よし」とひとつ頷き、肉をアルミホイルの上へ乗せていく。小さくじゅわ、と音がして肉の水分が湯気として立ち上る。
 湯気と共に仄かに豚肉独特の臭いがして、思わず凝視してしまう。
「気になるか?」
「少しだけ」
 正直に答えると日本号は小さく笑い声を上げるとフライパンに蓋をした。
「じっくり見ているところ悪いが、蒸し焼きにしないと火が中まで通らなくてな」
「必要な過程なんだろう。俺のことは気にするな」
 日本号の方を見上げながらそう返すと奴はまた笑う。
「楽しげだな」
「そりゃあまあ楽しいもんだぜ。なにせお前さんと一緒に料理をしているんだからな」
 笑顔と共にとんでもないことを言い出したので、俺は咄嵯に目を逸らす。
 俺と一緒に料理をするのが楽しい?多少覚束ないところがあったが、楽しさを覚えるような珍妙なことはしていない筈だ。それなのにどこで楽しさを見出したのか。
 疑問と混乱に目を逸らした俺に日本号がどう思ったのか知らないが、返す言葉が見つからないのでフライパンを凝視する。
「さて。そろそろひっくり返すか」
 無言の俺を気にすることなく、日本号はフライパンの蓋を開けてやきとりをひっくり返す。綺麗な焼き色のついた肉と脂の匂いにごくりと喉が鳴る。小さく油が弾ける音を聞きながら俺は再び視線を上げて、やきとりを焼いている日本号の横顔を眺める。
 相変わらず口角を上げて調理する様子に胸がそわそわと落ち着かない。しかし先程とは違い、配信のことを思い出したからではなかった。
 どうしてこんなに落ち着かないのか。よくわからないが、日本号の顔に笑みが浮かんでいるのがひとつの要因であることだけは、なんとなくだがわかっている。だが、日本号が笑顔でどうして俺が落ち着かなくなるのか、どうにもそこが繋がらない。
「お!良い匂いだなあ」
 肉の焼ける音ばかりだった厨に元気な御手杵の声が響き渡る。反射的に厨の出入口へ視線を向けるとそこには御手杵と蜻蛉切が立っていた。やきとりが出来上がる頃合いだと厨を訪れたのか、二槍が立ち並ぶ姿に自然とほっと息を吐いた。
「早いお出ましだな。出来上がるまでもう少し時間がかかるから、取り敢えず椀と箸だけ用意してくれないか」
「応よ」
 颯爽と準備にかかる二槍の様子に、ふと米飯の存在を思い出す。
「米飯はどうする。温めるか」
「そういや忘れていたな。米櫃に入っているっていうから各自食べる分を器に盛って温めれば良いんじゃないか」
「なあなあ日ノ本と長谷部で何作ったんだ?」
「匂いからして、先程買った豚肉を使ったものだろう?」
 椀を抱えた二槍が俺の頭越しにフライパンを覗き込む。日本号だけでも大きいと感じる場面があるというのに、三槍に囲まれる形になれば圧迫感が凄まじい。俺だって決して小さいわけではないのだが、このでかい図体が並ぶと自分がとても小さい存在だと感じてしまう。
「献立はやきとりと中華スープだ。日本号はまだやきとりを焼いているから、貴様らは俺と一緒に器を食堂へ置きにいくぞ」
 三槍に取り囲まれたような今の状況でなければ、あの規格外の図体も多少気にならないだろう。食堂へ移動しようとすると、何故か日本号除く二槍が不思議そうに互いの顔を見合わせている。
「どうした」
「いや。聞き間違えじゃなければ『焼き鳥』と言っていた気がして、」
「聞き間違えも何も、俺はやきとりと言ったが……」
 俺の返答に二槍は相変わらず不思議そうにしている。なんだ、やきとりが何か良くなかったのだろうか。
「なんだ。お前さんがた、豚のやきとりは好かないか」
「豚も焼き鳥も好きだが、その」
 蜻蛉切は日本号を見て、そして俺へ視線を移すと首を傾げた。
 日本号が焼いているやきとりは塩胡椒で簡単に味付けしたものだ。決して凝った料理ではないが、それ故にある程度の旨さは約束された一品だ。
 もしかしてやきとりの気分ではなかったか。だが、蜻蛉切も御手杵もそんなことで文句を言う質とは思えない。
「……まあ、焼き鳥と中華スープか!楽しみにしてるぜ」
 首を傾げていた蜻蛉切の隣、御手杵がわざとらしいくらい大声でそう言うと米櫃を探し始める。そんな様子に蜻蛉切は一瞬固まっていたが、すぐに御手杵に続いた。
「変な反応しやがってどうしたんだ」
「他に食いたい豚肉料理があったんじゃないか?」
「そんなことで……しかし、他に心当たりがあるかっていえば何もないからな」
 先程の蜻蛉切のように日本号が首を傾げる。二槍の反応には日本号も引っかかるらしいが、やはりはっきりした原因がわからないようだ。
 気になるところだが二槍はこれ以上の話す様子がないようなので、取り敢えず俺はスープを食堂へ持っていくとしよう。何か伝えたいことがあればあの二槍なら後々言ってくれるだろう。
 適当な器にスープを注いで食堂へ持って行くと、箸を並べていた御手杵と目が合う。
「なあ長谷部。変なことを聞くかもしれないが、鶏肉の串焼きのことは焼き鳥って言うよな」
「ああ」
「じゃあ豚肉の串焼きはなんて言う?」
「やきとりだろう」
「豚肉でも焼き鳥って言う?」
 あらかじめ前置きされたが、確かに変な質問だ。やきとりはやきとりだと思うが、もしかして先程様子がおかしかったことと関係するのだろうか。
「それはそうだろう。鶏であっても豚であっても串に打って焼いた料理はやきとりだろう」
 どういう意図があっての質問かわからないが素直に答えると、御手杵は「成る程!」と声を上げる。
「そうかそうか。いやあやっぱそっかー」
 何やら納得したように何度も頷く御手杵にいよいよ俺は訳がわからずに内心戸惑っていると、米飯を盛った椀を手にした蜻蛉切がやってきた。
「蜻蛉。長谷部に聞いたんだけどさ、串焼き肉は鶏や豚関わらず『やきとり』なんだとさ」
「もしやと思ったがそうだったか。所変われば言葉も変わるものだが、そんな違いがあるとは面白いものだな」
「……どういうことだ?」
 着地点のわからないやり取りに堪らず疑問を溢せば、二槍は少し申し訳なさそうに苦笑する。
「悪い悪い、こっちの話でさ。俺も蜻蛉も焼き鳥というと鶏の串焼きだけを指した料理と認識していたから、長谷部も日ノ本も豚の串焼きを『焼き鳥』って言うからなんかおかしいなあと思ってて。あんた等は串焼き全般を『やきとり』って言うんだな」
「長谷部殿と日本号が違和感なく口にした辺り、『がめ煮』と同じく筑前での呼び名なのでしょう……先程は行き違いが生じて至らない返答をして申し訳ない」
「いや。言葉の違いはよくあることだ、気にすることはない」
「そう言ってくれたが、本当は気を害しているのではないですか」
 じっとこちらを見下ろしてきた蜻蛉切はどこか心配そうに眉の端を下げる。どうしてそんなに気にすることがあるのか、そう返そうとしたところにやきとりが盛られた大皿を手にした日本号が食堂へ現れた。
「待たせたな。三振りとも突っ立ってないで早く食べようぜ」
 日本号の一言にはっとした俺を含む三振りは席につくと食卓の中央にどん、と大皿が置かれる。
「さあ。話はこれで終わりにして食事にしようではないか」
 言葉なんて同じ国に在っても違いがあったり、時代によっても変わってしまうもの。琉球刀なんて未だに言葉が通じないことがあるが、その都度説明はしても謝罪なんてしてする者はいない。お互い違いを知ったのだからそれで良いではないか。
 そんな俺の意図を汲んだのか、蜻蛉切は小さく一礼すると食卓へ視線を向けた。
「頂きます」
 食べ始める二槍を傍らに俺も食べようとすると、不意に日本号が俺の顔をじっと見つめていることに気付く。見られると食べにくいのでやめてほしいと睨みつけると、あろうことか奴は俺の前髪を掬い上げた。そして指の腹でひたりと額を撫でてくると、僅かに顔を歪ませる。
「顔が赤いぞ。熱でもあるんじゃねえか」
 言われて咄嗟に頬を抑えると、確かに普段より熱い気がする。意識すると熱が上がったようで、堪らず頬を抑えていた手で仰ぐ。だが、そんな細やかな風で冷めるような熱でもないらしい。
「暑い。気がする」
「ん。こんな冬に暑いって大丈夫か長谷部」
 ごくり、と食べ物を飲み込んだ御手杵と蜻蛉切がこちらを気にするように視線を向けてくる。三槍の視線が揃うといよいよ心地が悪くなってきて、抵抗の念を込めて額に触れていた日本号の手を振り払う。
「やきとりの熱気に中てられただけだ」
 やきとりを手に取ると思いっきり齧り付く。しっかり焼かれた肉はまだ熱く、はふはふと口内に空気を送り込む。
 まだこれだけやきとりは熱いのだ。俺の顔が赤らんでしまうのも仕方ない。他に理由なんてない。
「……なんでもねえなら良いが、取り敢えずゆっくり食べろ。火傷しちまうぞ」
「むぐ、」
 口一杯に肉が入っているせいで上手く返答出来ず、口元を押さえながらなんとか短く返事する。日本号はまだ何か言いたげだったが、それには気付かないふりをして、ひたすら無心になって目の前のやきとりを食らい続けた。

「後片付けは俺と蜻蛉に任せていいぜ」
 食後、いつもは茶を飲んで一服していることの多い御手杵が片付けを申し出てきた。どうやら食事前から蜻蛉切と示し合わせていたようで、二槍は空になった皿を集めていく。
「片付けなら俺もしよう」
 厳密にいうと俺は手伝いをしていただけで調理らしい調理はしていない。共に片付けようと立ち上がると蜻蛉切に止められる。
「いえ。長谷部殿も日本号と同じく調理をしていたではないか。ここは自分達に任せてくれ」
「それが、主体となってやっていたのは日本号で、俺はその手伝いをしていただけだ」
「そんなこと言ったら俺と蜻蛉なんて一切調理に関わってないんだぜ。ここは俺達の顔を立てるつもりで任せてくれよ」
 言いながら背中を押され、厨ではなく食堂の出入口へ促される。少々強引な気がしたが、奴等なりの気遣いなのかもしれないと思い直して片付けを任せることにした。
「じゃあ、申し出に甘えて後は任せるぜ」
 日本号が二槍に手を振ると、こちらへ視線を移す。
「行こうぜ。長谷部」
「何処へ」
「何処へって、別に……互いの部屋で良いんじゃねえか」
 日本号が何処かへ俺を連れ出そうとしているわけではないのはわかっているが、なんとなく突っかかってしまう。そんなことをすれば気まずい思いをするのは自分なのは承知しているので、それ以上何も言わず食堂を出ることにする。
 そんな俺の隣へ日本号が続く。
「思いつきでやきとりを作ったがなかなか良かったな」
「まあ、悪くはなかった」
「口に合ったようで何よりだ」
 ふふん、と得意げに笑う日本号は見るからに上機嫌だ。もっと素直な言葉を用いて感想を伝えてもらった方が嬉しいだろうに、こいつは俺の捻った返答でも嬉しそうにする。配信での話を聞く限り、料理を褒められる場面はそれなりにあるのが知れるが、もしかして自身の料理に対して評価が低いのだろうか。
「なあ長谷部」
 思案しているところ、不意に名前を呼ばれてはっとする。返事の代わりに名前を呼んだ日本号へ視線を向けると、つい先程まで上機嫌に笑っていた顔は何故か神妙なものへと変わっていた。
 まさかそんな顔をしていると思わず、動揺に足が止まりそうになる。
「あの。明日の夜、何か予定はあるか?」
「明日?年越し蕎麦を食べたりするが、予定は無いに等しいな」
 明日は大晦日。除夜の鐘を撞きに出掛けるような男士もいるが、俺は夕餉が終わったら自室で寛いで過ごすつもりだ。年越し蕎麦にしても年越し間近に振る舞われるものなので、起きていたら食べに行こうくらいのものだ。
「そうか。なら、あのな。あんたが良ければなんだが……明日、部屋に遊びに行っていいか?」
 予想外の申し出に俺は奴を見つめたまま固まってしまう。
 部屋に遊びに行っても良いかと俺に尋ねたか。俄に信じられないが、聞き間違えるような内容とは思えない。
 年末年始はゆっくりすべきだという主の方針で大晦日から三が日まで任務が一切ない。その上主は元旦の夕刻に新年の挨拶に訪れるので、実質それまでは自由に過ごして良いということだ。仲間内で集まって夜更かしするのも一興、日本号が誰かの部屋に遊びに行くという発想自体もわかる。
 しかし声を掛けたのが俺となると別問題だ。どうして俺なんだ?日本号ならば他にも大晦日を過ごす奴は居そうだが。それこそ次郎太刀だったり、同室の御手杵や蜻蛉切だったり……。
「都合が悪いなら、断ってもいいんだぜ」
 じっと見つめていた日本号はふい、と視線を前方へ向ける。向けるというより、逸らされたと言った方が適当に思えるのは気のせいか。だが、こちらから見える横顔にはすっかり笑顔が失せてしまい、俺は焦燥感に似た心境を覚える。
 何か言わなくてはいけない気がする。それは何かはわかっているが、開けた口からはなかなか言葉が出ない。一旦口を閉じて咳払いをすると、息を大きく吸う。
「……あまり羽目を外さないなら、構わない」
 言えた。言葉数は少なかったというのに、どっと疲労感を覚える。
 俺に声を掛けてきた理由は謎だが断る理由もない。それに先程昼餉にも誘われたばかりだ、大した理由はないのかもしれない。
 そう。大した理由はないと思って申し出に応じたのだ。それなのに日本号はこちらへ向き直るとぱっと破顔したものだから、俺は再び固まってしまった。
 断られるより受けてもらう方がずっと良いとは思う。だが、そんな露骨に顔に出す程か。誤った判断はしていないのに気まずい思いをしている俺に気付いていないのか、日本号は嬉々としながら明日について話す。
「酒はあるし、食いもんも……まあ、そこそこあるか。明日はいつ頃なら部屋へ行っても大丈夫だ?」
「別に、予定はないに等しいから適当な時間に来ればいい」
「りょーかい」
 鼻歌まで聴こえてきそうな日本号は髪の毛先まで楽しげに揺れている。俺の部屋に来たところで何もないというのに、一体どうしてこんなに楽しそうなのやら。
 わけがわからない。理解が出来ないせいなのか、俺の気持ちはそわそわと落ち着かない。

◆◆◆

 日付が変わって三十一日の深夜帯。俺はこっそりと厨へ訪れていた。
 日本号の申し出を受けてしまったが、来客の予定がない部屋には飲食物が一切なかった。日本号が酒やつまみを持ってくると話していたが、出迎えるこちらも何か準備しておいた方が良いと考えて厨へやってきたのだ。とはいえ、厨にあるのは大晦日から三が日にかけて食べるものばかり、安易に手を出してはいけないものが大半だ。流石にそれは承知している俺は、常備されている保存食を目当てにしている。保存食といっても様々だが、本命は魚や肉の缶詰。あれは薬味と合わせるだけで美味い。
 さて。何があるかと収納棚を開けて確認すると目的の缶詰が数個出てきた。こいつは良いと思ったのは一瞬で、缶詰のひとつにとある刀剣男士の名前が書かれているのを発見してしまう。もしかして……残る缶詰を確認していくと、その全てに名前が書かれていた。
 そうそう簡単にことは進まないか。仕方ないと他の保存食を確認してみたもののこれだと思うものが見つからない。こういうことなら普段から自分用に何かしら備蓄しておけば良かったと思うが、後悔先に立たずといったところだ。明るくなったら買いに行くか?近場で大晦日も開いている店といえば二十四時間営業の万屋くらいか。缶詰自体は売っているのは確実だが問題は中身である。
「……」
 目当ての缶詰がなくても店に行けば何かしらある。最悪、菓子でも良いかもしれない。つまみを自作する日本号にとって少々物足りないだろうが、何もないよりはずっと良いと、思いたい。
 こんなことなら断れば良かったのかもしれない。断れば、こうして深夜に厨へ来て戸棚を漁ることも悩むこともなかった。
 そう思うものの上機嫌で笑う日本号を思い出すと断るのも違うような気がして、俺は夜が明けてからの行動を計画することにした。

『今宵も始まった日本号のちょい呑み配信。宜しく頼むぜ』
 今年最後の夕餉を終えて、料理番を数振りいるだけとなった厨の片隅。火や水が飛ばない程度に離して置いたタブレットから再生されるのは日本号の料理配信だ。流石に大晦日に配信はなく、これは過去に配信されたものだが、今の俺はこの過去配信内容を目的としていた。
『今日は土鍋でおぼろ豆腐を作る。普通は大豆をふやかすところから始めるが、これから作るのは店でよく売られている豆乳を使う簡単なもんだ』
『最近すっかり寒うなったけん、温かかもんなよかね』
 夜が明けて朝餉もそこそこに万屋へ行った。悪い予感ほど当たるもので、魚や肉の缶詰は無かった。そうして代わりに見つけたのが「ドリンクコーナー」と掲示された棚に陳列された豆乳だった。
『用意するのは豆乳、にがり、塩。これだけだ』
『シンプルやね』
『だろう?まさにちょいといくには良いもんで、材料を混ぜて熱するだけで出来上がるから調理も簡単だ』
 この配信を覚えていたのはこの手軽さだった。これくらいなら出来そうだと、調理練習していた時も試しに作ってみた一品だ。
『まずは全ての材料を鍋に入れて軽くかき混ぜる。なめらかに仕上げたいなら、泡立てないように』
『おいしゃん。材料はどれくらい入れとうか数で言うてくれんか?』
『ああ。ううんと。あれだ。豆乳は四百竓、にがりは小匙いち、塩は……小匙半分。くらいか』
 いつものやり取りに思わず笑いつつ、動画を一時停止して手を洗うと小さな土鍋を焜炉へ乗せる。厨には少人数向けの土鍋がなかったので、わざわざ次郎太刀のところへ借りに行ったものだ。借りる際やけににやにやと笑っていたが、既に酒が入っているようだから酔っ払っていたのだろう。
 早速紹介された材料を量って鍋へ投入して静かに数回混ぜた後、動画を再生させる。
『鍋を弱火にかけて、表面がふつふつするまで加熱させる。一気に熱を入れるとぼろぼろになるから面倒でも少しずつ温めるのがいい』
 説明通り弱火にかけて熱されるのを待つことにする。動画では雑談が始まっているが、俺はこの待機時間で調味料を用意する。
 厨には一揃い調味料が常備されている。これを仕切り皿に用意するだけで少しは凝った演出ができる。些細なことだが、おぼろ豆腐以外用意しないのでこちらに力を入れるのが丁度良いだろう。
『おいしゃん、お鍋がふつふつ言うとうよ』
『そろそろ良い頃合いか』
 そんなふた振りのやり取りが耳に入ったので、こちらの鍋を確認すると豆乳の表面がふつりと揺れていた。
『こうなったら火を止めて蓋をする。そしてそのまま十分ほど放置して出来上がりだ』
 日本号の説明通り蓋を閉めると、博多が『楽しみやね』と言ってくれて少し得意な気分になってくる。楽しみだというのは動画で作られたおぼろ豆腐であるというのに我ながら調子の良いものだ。
 もう少し観ていたかったが、今はいつ日本号が部屋へ来るかわからない状況だ。動画プレイヤーを消して準備に掛かる。鍋と調味料に取り分け用のお玉、そして取り皿に箸……皿と箸は俺と日本号のものだけで良いんだよな?他に誰か来るのであれば、昨日の話の段階で日本号から伝えられている筈だ。
 自室で日本号と二振りで過ごすとは、何度も思うことだがとんでもない事態だ。別に日本号と一緒で何があるでもないのだが、むしろ何もないから問題とも言えるか。いや、ないわけではないが、それは……。
 浮かんだものはひとつで、喉の奥に引っ掛かるものを感じる。
「お。部屋に戻ったと思ったらここにいたのか」
 背後から聞こえた声に、引っ掛かりが一気に取れたように喉が鳴る。
「……日本号」
 こちらがその名を言うのが先か、隣に日本号が立つ。噂をすれば影とはいっても何もこんな場面で来なくても良いではないか。しかしここは共同部である厨だ。用事があって訪れることだってあるだろう。それに数分もすれば自室で顔を合わせる可能性だってあったのだし、それが少し早くなったのだと割り切ろう。
 至って何事もないように隣を見れば、少し大きめの丸盆へ複数の小皿を置いているところであった。
「丁度良かった。持っていこうと思っていたつまみを用意するんだが、苦手なもんはあるか」
「相当不味いものでなければ大丈夫だ」
「はっはっは、なんだその答えは。まあ、特に苦手なもんはねえってことだな」
 日本号は冷蔵庫から複数の密閉容器を出してくると中身を小皿へ盛り付け始める。漬物に梅水晶、酒盗、チーズといった軽くつまめるものが続々と盛られていく。流石に夕餉を終えたばかりだと腹に溜まるものは避けたか。すると、おぼろ豆腐は悪くなかったかもしれない。日本号があまり腹の余裕がないなら少々多いかもしれないが、余った分は俺が食べればいいだけだ。
「ところで、お前さんも何か用意していたのか?」
「おぼろ豆腐を」
「おぼろ豆腐か。こっちは冷たいもんばかりだから丁度良いな」
 そういえばそうだ。大晦日でも安易に材料が手に入ったからと作ったものだったが、結果として良かったようだ。
 それぞれ用意したものを盆に乗せると厨を出る。どこかで誰かが大声で歌っている。普段なら大声の主を探して一喝するところだが、今日は大晦日ということで無礼講だと目を瞑ろう。
「結構盛大に騒いでいるが何も言わないんだな」
「今日から三が日までは思いっきり羽を伸ばしても良いんじゃないか」
「ふうん。あんたもそんなこと言うんだな」
「しばらく出陣や遠征もないのだから多少は良いと思っただけだ。流石に誰かの迷惑になる状況なら話は別だが、そこまでいけば他の奴が黙っていないだろう」
「それもそうか」
 徐々に遠くなっていく声を聞きながら自室へ到着すると、日本号は丸盆を室内の食卓へ置いて酒を取りに行く。図体に似合わぬ早さで取りに向かう背中を見送ると、自然と口からは溜め息が出てしまった。
 部屋へ来ることを了承したのは俺だが、いざその時になると緊張してしまったらしい。それでも部屋へ移動するまでの会話は特に違和感なかったので、あの調子で話せば良いかもしれない。ならば先程の大声のくだりもあるし、話題作りが出来る環境があるともっと良いな。
 とりあえずタブレット端末でラヂオを流すことにする。五月蠅くない程度を心掛けつつ、沈黙が気にならない程の音量に調整していると大きな紙袋を抱えた日本号が戻ってきた。
「大荷物だな。一体何を持ってきたんだ」
「酒だぜ。猪口や酒燗器も入っているからちょいと大袈裟になっちまった」
 酒やお猪口は兎も角、シュカンキとは聞いたことのない名称だ。興味をそそられながらも荷物が置けるように食卓の上を整理する。日本号はすぐにそこに置いても良いのだと察してくれたのか、食卓の前に膝を折ると紙袋の中身を置いてゆく。複数の小瓶にお猪口、徳利が並べられて、最後に見たことのない器具が出てくる。一体何だと疑問を抱いて間もなく、これがシュカンキであると気付く。
「このシュカンキはどう使うんだ」
 底の深い器のような形をしており、側面に電源スイッチらしきボタンやレバーがついている。大きさは両手の平に乗る程度のあまり大きくないものだが、見る限りでは使用法がよくわからない。
 食卓を挟んで日本号に向かい合うように座って伺えば、奴は小瓶の一本を開けて徳利へ注いだ。
「こいつは器みたいに窪んでいるところに徳利みたいな酒器を入れて使うんだ」
 窪みに徳利を入れると小さく電子音が鳴る。それを確認した日本号はどっかりと胡座をかいた。
「燗付けするまで一分ばかり要するから待っていてくれ」
 シュカンキとは酒燗器ということか。使用法がわかれば腑に落ちるもので、こんな便利なものがあるのかと素直に感心する。
「お前のことだから熱燗を作るなら湯煎でしっかりやるのかと思っていた」
「なんだその印象は……まあ、美味いもんにありつけるなら手間を惜しまねえが、手間を省いた上で美味いもんがあるならそっちを選ぶもんさ」
 皿や箸を並べ終えると共に酒燗器から何かを知らせる音が鳴る。仕様なのか日本号は慌てる様子なくスイッチを切る。
「準備も出来たし乾杯するか」
「まだ酒が温まってないんじゃないか」
「もう上燗くらいにはなってるぞ。熱燗も豆腐も冷めねえ内に頂こうぜ」
 ほれ。と手前に置かれたお猪口に徳利の酒が注がれる。慌てて持ったお猪口はほんのりと温かく、日本号の言う通り燗付けが終わっているのがわかる。一分ばかりでできると話してくれたが、比喩ではなくそのままの意味だったのか。
 これは俺でも酒燗器を選ぶなと感心していると、日本号が自身が使うだろうお猪口へ酒を注ごうとしていた。
「待て。今日くらい俺が酌をする」
「……ほう?」
「言っておくが、一杯目から手酌させるほど俺は無愛想じゃない」
 我ながら恥ずかしいことを言っている気がするが、口から出てしまったものは仕方ない。流石に手が届く範囲だというのに手酌させるのも意地が悪いと思っただけだ。
 最低限のマナーみたいなものだと徳利を受け取ると、日本号は途端にふにゃりと笑ってお猪口を差し出してきた。
 ご機嫌に笑う場面ではあるだろうが、酒も入っていない内にそんなに満面の笑みを見せるものなのか。まさかそんなに上機嫌な反応をされるだなんて想定してなかったのもあり、お酌をする手が震えそうになる。それをぐっと堪えながら酒を注ぎ終えると、徳利からお猪口に持ち換える。
「今年もお疲れさん」
「お疲れ様。この一年、主のために良い働きはできたか」
「まあそれなりに貢献したと思うぞ。それにしても乾杯の場面で主が出てくるとはあんたらしいぜ」
「刀剣男士の性分として主の存在は外せない」
「はっはっは、それもそうだな。そういうお前さんは……聞かなくてもわかるか」
「なんだ。それは褒めていると判断して良いか」
「そりゃあ勿論」
 お猪口へ酒を注ぐとどちらともなくそれを掲げる。今年最後の乾杯はとても静かに交わされた。二振りでは流石に盛り上がらないものかと思いつつ、決して居心地の悪くない静けさにお猪口へ口付ける。つん、とした刺激があったのは飲み始めだけで、程良く温い熱燗はするりと喉を通っていく。
「飲みやすいな」
「だろう?がつんと応えあるもんも良いが、一杯目はこれくらいが丁度良いと思ったんだ」
 果実酒のような爽快さがありながら確かな日本酒の味わいがある一杯は、美味いというより不思議という感想が真っ先に来る。酒気の強くなる熱燗だというのにすいすい飲めてしまい、あっという間にお猪口の酒がなくなってしまった。
「鍋の蓋も開けていないのに早いんじゃねえか。まだまだおかわりがあるとはいえ、加減して飲まないと潰れちまうぞ」
「わかっている」
 流石に日本号を前に飲み過ぎることはない。と思いつつ、会話がなくなったら場を繋ぐために飲んでしまうかもしれない予感も覚える。しかし沈黙以上にこいつの前で酔い潰れる方が後々のことを考えると避けたい事態なので、ここは何があっても程々を努めよう。
 仕切り直しとばかりに、今まで放置されていた土鍋の蓋を開ける。ほわりと微かな湯気が立ち、中身の豆乳は液体にはない張りを見せていた。そこそこ時間を置いていたのでしっかり固まっているようだ。
「早速よそっていいか?」
「ああ」
 お玉で掬うともったりとゆるい豆腐が現れる。まさに朧気な豆腐の出来栄えに安堵していると、豆腐が盛られた皿を渡される。
「冷めねえ内に食べようぜ」
 いただきます。と律儀に手を合わせて日本号が豆腐を食べ始める。
「美味い。普通の豆腐も良いが、このとろけるおぼろ豆腐はまた格別だな」
 熱して固めただけの簡単な調理法だが、美味いと褒められると悪い気はしない。こそばゆい気持ちを覚えながら俺も続くように豆腐を食べる。時間が経って程良い温かさになった豆腐は口内で舌を動かすだけでほろほろと崩れていく。
「お。お前さんが用意してくれた胡椒味噌と合わせるとまた絶品だ」
「胡椒味噌は豆腐百珍で見かけて参考にさせてもらった。同じく味噌を使うもので山葵味噌もあったが、こちらの方が断然美味い」
「豆腐百珍の品は何かと葛が出てくるから使い所が迷うんだが、こういうのもあるのか。今度読み返してみるかね」
 気に入ってくれたのか、日本号はまた胡椒味噌を豆腐に乗せて食べる。調味料は調味料でも、一手間加えてみようと用意したものだったが好評らしい。豆腐百珍の料理は調理練習でいくつか作ってみたが、しっかり成果があったようだ。
 その後も案外に会話が弾み、気付いた頃には食べ物や酒が残り僅かとなっていた。加減しようと思っていたが、こればかりは用意された食べ物と酒が美味いのがいけない。なんて弁解しながら、ふわふわする頭を動かすと日本号が覗き込んでくる。
「そろそろ年明けだが蕎麦食いに行くか?」
「流石に腹がいっぱいだ……」
「それもそうか。俺も蕎麦食う程の余裕はねえな」
 どっかりと俺の横に座った日本号はラヂオが流れるタブレットへ耳を傾ける。それに倣うように耳を寄せれば、ラヂオでは年越しカウントダウンを行っていた。
「あと、何分で年が明けるんだ?」
「十分切ったとだけは聞いた」
「もうそんな時間か」
 どうも眠いと思ったらそんな時間だったのか。てっきり酒が入っているせいかと思ったが、そいつは仕方ないと床へ寝転がる。
「おいおい。寝るなら布団入った方がいいぞ」
「少し寝転がるだけだ。少しだけ」
 日本号もいるし寝るつもりはない。少しだけ寝転がって寛ぐだけ。
 布団に比べて硬い床はそれでも気持ち良くて伸びをしていると、日本号の大きな手が頭をぐしゃぐしゃと掻き回してきた。髪の毛が一気に乱れてしまったが、掻き回す手の動きが気持ち良い。
「布団は押し入れに仕舞ってんのか」
「ん?そうだが」
 手が離れていき、隣の日本号も立ち上がって離れていく。もしかして夜も遅いから部屋に戻るつもりか。それなら見送ろうと起き上がれば目の前に布団を突き出された。
「布団出してきたんだが、適当に敷いて良いか」
「?ああ。ここは俺の部屋だ、好きに敷くといい」
「じゃあ端の空いているところに敷かせてもらうぞ」
 日本号も結構飲んでいるというのに、酔いを感じさせない動きで布団を敷いていく。俺はもう頭がぼんやりしているというのにすごいもんだ。すっかり感心していると、日本号が布団へ移動するよう言ってきたので素直に従う。
 押し入れに仕舞われていた布団は少し冷えていたが酔って熱った体には丁度良い。顔を埋めるように寝転がると大きく息を吐く。
「やっぱり寝るなら布団の方が良いだろう?」
 頭上から日本号がそう言う。寝るつもりはないが、寝転がるには床より布団の方が断然気持ちが良くて反論できない。ここは素直に認めてしまおうと掛布団に包まると、存外近くから笑い声が聞こえた。
 ちらりと上を見れば、こちらを覗き込む日本号と目が合う。奴は笑みを浮かべてとても楽しそうだ。
「なんかあったか」
「なんかって、どうした?」
「楽しそうに笑っているから」
「ううん。まあ、楽しいというより嬉しいから笑ってた」
「嬉しい?新年を迎えるからか?」
「まあ、それもある」
「そうか」
 新年を迎えるのはめでたいので嬉しいことかもしれないが、そんなに笑顔になる程なのか。そんなに新年を重要視しているとは思わなかったが、これまで態度に出していなかっただけかもしれない。
 そうか。嬉しいのか。ふわふわと心地が良いせいか、日本号が嬉しいと感じている事実に俺も引っ張られるように嬉しくなってくる。思わずふふ、と笑うと、日本号がまた髪の毛を掻き回してきた。
「この酔っ払いめ。酔ったらいつもこうなのか?」
「こうって、どういうことだ?」
「その……こうやって寝転がって無防備にされるがままなのかと……」
「無防備とは合点がいかないが、眠くなりやすいから早々に部屋に戻って寝ることは多いかもしれん」
「ふうん。まあ、部屋に戻るなら良しとするかね」
 何を良しとするのか。先程までにこにこと笑っていた日本号が神妙な顔をしている。今の会話にそんな顔をする要素はあっただろうか。考えてみても思い当たらず、代わりのように欠伸が出る。
「布団の上だし、眠いなら寝ちまったらどうだ」
「んん。それも良いかもしれないな……」
 目を閉じてみると一気に意識は眠りへと引っ張られていく。どうやら自分で思っていた以上に眠気を覚えていたようで、頭に触れる日本号の手の心地良さも合わせてどんどん深みへと落ちていく。
 そういえば食器を片付けていなかったが大丈夫だろうか。そんなことが少し気に掛かったが、眠りの世界へすっかり落ちてしまった俺は目を開けることができなかった。

◆◆◆

 ふと、目が覚めて体を起こす。酔ってきたところで日本号が布団を敷いてくれて、そこに横になったらあっという間に寝てしまった。薄らとする記憶の中でもそれくらいはしっかりと覚えていて、我ながら自制が利かないと反省する。いくら酒や食べ物が美味くても加減することはできたというのに。
 こればかりは酒の席に慣れていないのもあるのだろうか。そもそもとして日本酒を飲み慣れていないのもあるし……等と反省点を出していきながら布団から出ようとすると、横に大きな塊があることに気付いて戦いた。しかもあろうことか塊は日本号であり、大きな図体を丸めて寝ている。
 俺も寝てしまったが日本号もここで寝てしまったのか。記憶する日本号は酔っている様子はなかったが、見た目に出ていなかっただけで酒が回っていたのかもしれない。寝てしまったのは俺だけではないことに安堵の念を覚えつつ、起こさないようにそっと布団を出ると日本号へ布団を掛けてやる。いくら室内は寒くない程度に調整されているとはいえ、冬場でそのまま寝るのは体を冷やすに違いない。ここで寝てからどれくらい経ったかわからないが、ずっと何も掛けず寝るよりはましだろう。
 飲み食いしたままの食器を片付けようと食卓へ視線を向ける。すると卓上には全ての食器が片付けられており、飲み干して空にした酒瓶まで無くなっていた。寝落ちるまでの記憶がある俺は片付けた覚えがない。つまり傍で丸まって寝ている日本号が片付けたということで、何から何までこいつの世話になってしまったらしい。
 いくら俺と比べて飲みの席に慣れているとはいえ手際が良過ぎやしないか。それとも酒呑みは皆こういうものなのか?
 アルコールが入るとどうしてもだらけてしまう俺には想像できないと首を傾げていると、部屋の外から誰かが呼びかけてくる。
「へし切、起きているか」
「げ」
 この本丸で俺をそう呼ぶ男士は日光一文字ひと振りだけで、起きがけ間もないのにげんなりとした気分になる。
 日光の奴何の用だ。正確な時間を把握していないが、一眠りしたから元旦の朝辺りだろう。あいつは確か年越しは一文字の山鳥毛と南泉と過ごすと風の噂で聞いたのだが……。すぐに応答する気になれず黙っていると、日光は再び俺を呼んだ。
 来訪した理由が何にしても、居留守を使う程ではないか。それに任務もない状況での用件など些細な場合が殆どの筈だ。軽く髪と服を整えて対応すれば、予想違わずそこには日光がいた。
「謹賀新年、明けましておめでとうへし切」
「お、おう。明けまして、おめでとう」
 突然の挨拶に半ば反射的に返せば、一文字に引き延ばされていた日光の口が僅かに笑みの形になる。どこか満足そうな反応に、いよいよこいつが来訪した理由がわからなくなる。疑問に次の言葉が出ない俺に気付いていないのか、日光はきょろきょろと室内を見渡す。
「日本号もここにいると聞いたんだが、もう部屋に戻ったのか」
「日本号?あいつなら布団で寝ているが、用事でもあったのか」
「勿論。俺がここに来たのはお前と日本号に新年の挨拶をするためだからな」
 こんな時にと思ったが、元旦だからここへ訪れたのか。新年の挨拶なんて食事などで顔を合わせたついでに交わしても良いだろうに、こうしてわざわざ部屋に来るとはいかにも日光らしい。流石にこれは日本号も起こすべきだと布団へ向かう。
「日本号、起きろ」
「…………うううーん?」
 声を掛けながら布団を揺すると、非常に眠そうな声と共に布団が大きく波打つ。そしてのっそりと起き上がると日本号は欠伸をしながら大きく伸びをした。その姿はまるで大型のネコ科動物のようで、堪らず口元を押さえて密やかに笑う。
「……にっこう?」
 寝起きで頭が働かない中でも日光の存在は目立つのか、日本号はすぐその姿に反応する。
「お早う日本号。そして明けましておめでとう」
「お?うん……明けましておめでとう、ございます」
 眠いなりに姿勢を正すと日本号は頭を下げて挨拶をする。俺もそうだったが、日本号も自然と挨拶を交わしている辺り、福岡の博物館での生活が刀剣男士になっても染みついているのだと気付かされる。もしかしたら日光がこうして挨拶に来るのも、博物館で毎年新年明けて間もなく互いの姿を見るからかもしれない。そう思うと少々恐ろしくも思えて、隠していた口元が歪みそうになる。
「今年も変わらぬ活躍を期待して、お前達にはお年玉をやろう」
「お年玉?」
「流石に金銭を渡すわけにはいかないが、代わりになるものをお頭からいただいている」
 言いながら懐から出されたのは小さな紙袋。金銭ではないという情報があるので身構える心配はないが、一文字の頭は日光へ何を渡したのやら。
 眠くても多少にも気になるのか。もたもたと日本号は立ち上がると、俺の横へ並ぶようにして日光の方を伺う。じっと見つめられたところで動揺する様子のない日光は袋の中身を確認している。
「口を開けろ」
 口を開ける?またどうして、と疑問ながら日本号と一緒になって口を開けると、日光が口内に何かを放り込んできた。
「うぐ、」
 驚きに口を閉じると途端に口内に甘酸っぱい味が広がり、放り込まれたものが食べ物らしいことを知る。
「んん、ん……これ、飴か?」
「玉は玉でも飴玉だ。市場にあまり出ないものだからしっかり味わうように」
「それは良いが渡し方ってもんがあるだろ」
 ころころと口内で飴を舐めているのか、日本号が頬を動かしている。流石に飴を口に放り込まれたら眠気も覚めるようで、先程のようなぼんやりした様子は失せている。
「粟田口の部屋で同じように厚と博多に飴玉をやったら喜んでいたぞ」
「俺も日本号も短刀ではないぞ」
「それはそうだ。お前は打刀で、日本号は槍だ」
 だからどうしたと言わんばかりの日光の様子に日本号と顔を合わせる。こいつとは顔を合わせると緊張することが多いが、今ばかりは顔を見ずにはいられない。
 日光にとっては小さな短刀であっても大きな槍であっても等しく弟分なのだろう。全くとんでもない奴だ。
「お前達にもお年玉を渡したから、残るは左文字のところだな」
「くれぐれも小夜には俺達みたいなことすんなよ」
「何故」
「小夜が驚くのは勿論、あいつの兄貴達が許さねえと思うぜ。渡すなら手渡しにしろ」
「そういうことならそうしよう」
 日本号の説明に顔色変えず了承する辺り、あまり重要そうだと思っていないな。こいつは時折抜けているので扱いが難しいな。
 かろころと飴を舐めながら日光を見送ると、隣から盛大な溜め息が聞こえた。
「年が変わってもあいつは変わらねえな」
「まったくだ」
 俺も日本号も我が強い方だが日光はそれを上回る。見る者がみれば清々しい奴なのかもしれないが、弟分とされてしまった俺としては堪ったものではない。日光の姿が見えなくなったことを確認すると、部屋に戻って床に座り込んだ。
「そういや昨日はそれなりに飲んでいたが二日酔いは大丈夫か」
 続くように隣に座った日本号の一言に、昨晩片付けもせずに寝落ちてしまったことを思い出す。日本号としては純粋に気に掛けてくれたのかもしれないが、日光のペースに呑まれた矢先に聞かれるにはなんとも微妙な話題である。
「……飲んだ酒が良かったのか、二日酔いは一切無い」
「それなら良かったぜ」
 捉えようによっては酒の選択を褒められたとも思える返答だったせいか、少しばかり得意げに胸を張る。その間にも口元は飴を舐めていてもごもごと動いている。これが短刀ならば微笑ましいのだろうが、日本号がやると面白さが勝ってしまう。笑いを誤魔化すように飴玉を囓ってみると、飴の中からとろりと果汁と砂糖を煮詰めたようなものが出てきた。こういう飴もあるのか、ぼりぼりと咀嚼しながらその濃厚な味わいを堪能する。
「どうした変な顔して」
「変?」
「笑いと怒りの中間みたいな顔してるぞ」
 笑うのを我慢していたので笑い顔に近いものになるだろうが怒りも混じっている?我ながらおかしな顔していると想像しては、ついに「ふ」と笑ってしまった。
「……そんな可笑しいことでもあったか」
「こちらの事情だ、気にするな。ふふ」
「気にするなと言われても笑われると気になるもんだぜ?」
 珍しく苦笑している日本号はやっぱり飴が気になるのか時折不自然に動いている。そんなに大きな図体をしているのに飴玉ひとつ食べるのに時間を要することが、どうしても面白く思えてしまって仕方ない。もしかして俺の笑いの沸点が低くなっているのか?
 再び出てしまう笑いに口元を押さえる。
「まあ……兎も角。言い忘れていたことがあるんだが、明けましておめでとう」
 やれやれと頭を掻きながら伝えられた一言に、そういえば日光に挨拶しただけでお互いにはしていなかったと思い出す。
「こちらこそ明けましておめでとう。今年も主のため共に精進しようではないか」
「昨年に引き続きお前さんは主か。らしいっちゃらしいが……お互い実りのある一年にしよう」
 今の主は一緒だ。といつかの日本号は言った。その一言に俺は悩むと共に救われた瞬間があった。俺が長政さまへの思いを持て余していても、日本号は同じ主の下にいてくれる。その事実が嬉しくて、それで良いのだろうかと葛藤することもある。それでも主のためと言った俺に応えてくれたことに、何故か口内に残る飴の甘さがつんと鼻を刺激するのだった。

 
◆◆◆

 雪深い二月、鬼退治を終えた本丸は久々の落ち着きを迎えていた。それも関係しているかわからないが、新年を迎えてから暫くして日本号は俺を飲みに誘うようになった。誘われるといっても十日に一回程と他の飲み仲間と比較して少ないようだが、ほぼないに等しいところからのこの数と思うと非常に多いと感じる。理由はわからないが、大晦日の誘いを了承してくれるのであれば、普段も飲みに付き合ってくれると考えたのかもしれない。
『今日も始まったぜ。日本号のちょい呑み配信、よろしく頼むぜ』
 そんな大きな変化があったものの、俺は相変わらず日本号の配信をひっそりと観ている。こればっかりはずっと前からやってきたので仕方ないと、半ば開き直っているところがある。
『今日はちょっと早めん配信で番外編、鮟鱇ば捌くばい!』
『というわけで、解体とかそういうのが苦手なやつは観るんじゃねえぞ』
 鮟鱇とは魚だったか。過去の配信も観てきたが、生物の解体を配信で流すのは初めてではないだろうか。ここにきて初めて見るものなのかと興味を惹かれていると、コメントへいくつか収益についての質問が流れていく。
『内容が内容だからこの配信では一切の収益を切っている。魚を捌くのを見るのは面白いが、倫理的な問題はどうしてもあるからな』
『そこはしょうがなか。ばってん配信ば始めてそれなりに長うなったけん、少しテコ入れしたかったばい』
 テコ入れの意味は知らないが、話の流れとして新しい試みをしようとしているのか。日本号の配信について飽く瞬間はないが、たまにはひと味違うものを見たい気持ちもわかる。
 一通りコメントに答えた後、画面中央のまな板の上にどかりと鮟鱇が置かれる。
『この鮟鱇は鮮魚店で売られていたもんだから、臓が確認できるよう予め腹の一部が切られている。鮟鱇は腸以外は食えるからこうやって中身まで良い鮟鱇だって見せているんだ』
 腹の辺りに丸く皮が切り取られている。そこから器用に手を突っ込むと、包丁を使いながら腸を切り取っていく。
『胃袋と腸は特に注意して取り外すように。腸は勿論だが、胃袋は中に捕食したもんが入っているとかなり臭う』
『胃袋は食えるんじゃなかと?』
『食えるには食えるが、しっかり洗った方が良いな』
 話ながら流れるように包丁が動いていく。そうして切り取った腸を容器に移すと、包丁を変えて鰓の部分を切っていく。
『鮟鱇は骨が柔らかいから包丁で切れるのが良いよな……よっと』
 鰓を外された鮟鱇がひっくり返され、虎挟みのような歯が目立つ口の周りへ切り込みを入れていく。そして取っかかりを付けると、一気に皮が剥がされていく。茶褐色の皮が取れていくとつるりとした肉が現れる。その特徴的な見た目からどうやって食べ物らしいものになるのかと疑問だったが、皮がないだけで食肉に近い形に見えるので不思議だ。
『やっぱまな板だと皮を剥ぐのが少し難しいな。こうしてやってみると、つるし切りがいかに効率的な捌き方かって実感するぜ』
『そういえばおいしゃん、捌くならつるし切りでも良かったんやなかと?』
『吊すところが無くてな。用意した鮟鱇もそこまで大きくなかったし、今回はまな板で捌くことにしたんだ』
 つるし切りといえば野外で行う印象があるが、この本丸の庭を思い出せば確かに吊す場所がないと納得する。屋根や庭先の木に紐を繋げば出来るかもしれないが、後片付けを考えるとまな板の方が楽に違いない。
 つるし切りで豪快に捌く様も面白そうであるが、それはまたいつかの機会に見てみたいものだ。
『皮を剥いだら次は歯を切り取っていく。鰓と同じように包丁で切れるが、歯は鋭いから捌くときは注意してくれ』
 絵に描いたようなギザギザの歯が叩き切られていく。鮟鱇は殆ど食べられるというが、流石にこの歯は食べないよな。とても食えたものではないと思うが、この鮟鱇という魚自体とても奇妙な見た目だというのに食されているので、もしかしたら……?
 どんどん捌かれる様子に見入っていると、不意に誰かが自室の戸を叩いた。集中していたところに突然の音に文字通り飛び上がる。慌ててタブレットの動画プレイヤーを切ると、間が悪い来訪者を出迎える。
 引き戸を開ければそこには珍しいことに御手杵がおり、挨拶とばかりに片手を挙げた。
「今時間あるか長谷部」
「……少しなら」
「じゃあ日ノ本が鍋作ってるから一緒に食べないか?」
「日本号が、鍋?」
「そうそう。俺がどぶ汁食いたいって言ったら作る流れになってさ。長谷部も誘いたいって日ノ本が話してたからどうかなと思ってきたんだ」
 さらっととんでもない料理名が出てきたが、日本号は配信で鮟鱇を捌いている最中だ。それなのに鍋を作っている?日本号の料理配信は予め収録されたものを流すことはなく、今日もライブ配信を行っていた筈だ。
 この場で済まない用事は断るつもりだったが、この矛盾は見過ごせない。一つ返事で誘いに乗ると、御手杵に同田貫の部屋まで案内された。
「よう」
 通された部屋には同田貫と骨喰が居り、空いている座布団へ誘導される。この三振りが連んでいるところはよく見るが、俺が関わることは部隊編成で一緒になること以外ではないので新鮮だ。
「誘ってもらい感謝する。御手杵の話だと鍋を食べると聞いたが、どんな鍋なんだ」
 配信のことが気になったが、この場では関係のないことだ。鍋のことも気になったのでまずはそちらを質問してみることにする。
「日ノ本が作っているのはどぶ汁っていって、俺も在った茨城でよく食べられている鮟鱇料理だ」
 鮟鱇料理と聞いてようやく合点がいく。成る程、配信で鮟鱇を捌き、それを使ってこれから皆で食べる鍋を作るということか。鮟鱇だって捌いて終わりではなく、調理して食べるものだ。考えるとまったく矛盾がない。
 疑問は呆気なく解消されて、今度はどぶ汁という料理が気になってくる。
「先程から気になっているんだが、どぶ汁とは食べ物の名前としては大層なものだな。どんな由来があるんだ」
「ああ。どぶ汁っていうのは鮟鱇の肝と味噌を使ったもんで……」
 そんな郷土料理の話を皮切りに決して口数の多くない四振りの会話が開始する。味噌の色がどぶの色そっくりだからどぶなのだと知り大丈夫かと顔を歪ませる同田貫に、どぶ汁ほど美味いもんもそうそうないと豪語する御手杵、肝和えが美味いと少しずれた主張をする骨喰。そこからそれぞれが知る鍋料理の話になり、これが美味いあれが美味いと話している内に、誰かの腹が盛大に鳴った。
「鍋を作っているといっていたが遅くないか?」
「確かにちょっと遅いよなあ」
「鍋作りに行く時に下拵えに時間掛かるって話してただろ。元々調理に時間が掛かるもんなんじゃねえか?」
 同田貫の言い分に配信で鮟鱇を捌いていたことを思い出す。とても手際良く捌いていたが、最初から切り身になっているものを調理するよりずっと時間がかかる筈だ。そう考えると手伝いが必要かもしれないとその場から立つ。
「何か手伝いが必要かもしれない。少し見てくる」
 それなら頼む。と三振りに見送られ、調理をしているだろう次郎太刀の部屋へ向かう。数回程度しか訪れたことがないが、配信を観てきた者にとっては俗っぽく言えば「聖地」というものでしっかり覚えている。迷うことなく目的の部屋へ到着すると、入室のため戸を叩いた。
「はあい、どなたかなーって、長谷部じゃん!どうしたの?」
「日本号がここで調理しているだろう。用事があるのでお邪魔しても良いか」
「別に良いけど。へえ、日本号に用事?」
 にやりと笑った次郎太刀に嫌な予感を覚える。昨年末に土鍋を借りに行った際にも似たような反応をされたが、俺が日本号に用があってどうして次郎が笑うことになるのやら。
 非常に気になったが次郎は特に俺へ何を言うでもなく、部屋の奥にある厨へ通してくれる。室内には仄かに味噌の香りがして、どぶ汁が作られている様子が窺える。配信は終わっているよな?時間を考えると終わってそうだが念のため静かに厨へ入ると日本号と博多の後ろ姿が見えた。二振りは会話しているようだが、配信の時と比べてとても密やかに話している。これは近付いても大丈夫そうだと声を掛ける。
「調理中失礼する」
「「長谷部?」」
 二振りの声が重なり、まるで示し合わせたかのように揃ってこちらを振り返る。
「御手杵に鍋を食べないかと誘われたんだが、時間が掛かっているようなので見に来た。手伝いは必要か?」
「今は特に……御手杵に誘われたって?」
 どこか驚いたようにも見える日本号は視線を右往左往させる。珍しい反応に違和感を覚えたところ、博多が俺の傍へ駆け寄ってきた。
「お鍋はもうすぐできるけん、携帯焜炉とお玉持っていってほしか」
「了解した」
 博多と準備をしている傍ら、かちりと火を止める音が聞こえる。博多の言う通りに鍋は出来上がる直前だったらしい。これならもう少し待っていても良かったか。とはいえ鍋以外の持ち物があるので、俺がいることで一手間くらいは省けたかもしれない。
「俺がドア開けてくけん、おいしゃんと長谷部は着いてきんしゃい」
 焜炉を持った俺と鍋を持った日本号、どちらも両手が塞がっているのでかなり助かる。的確な博多のサポートであっという間に同田貫の部屋へ到着すると、部屋に待機していた三振りは食器や飲み物を用意しているところであった。
「遅いぞ日ノ本」
「鮟鱇捌くから時間掛かるって言ったろう」
「ええ?あんたのことだからぱぱっと捌けるんじゃないのか?」
「まさか。俺はまだ二回くらいしか鮟鱇捌いたことがないんだぞ、時間が掛かるに決まってる」
 あの手際の良さで?魚を捌いた経験はないが、あれだけ捌けるのなら御手杵が誤解するのも俺としてはわかるぞ。
「いただきます!」
 部屋の中央に置かれたちゃぶ台を囲むように、日本号、御手杵、同田貫、骨喰、博多、そして俺が座ると鍋の蓋が開けられる。鍋にしては香ばしさのある匂いに中を覗き込むと煮込まれた鮟鱇や野菜が味噌色に染まっていた。どぶ汁なんて名前としてどうかと思ったが色合いは確かにどぶである。それでも湯気と共に届く匂いは鮟鱇の旨みを十分に伝えてきて、食欲が減退するようなことは一切無い。
「んんん!やっぱうめえな」
 御手杵が希望したどぶ汁は口に合ったようで、一口食べた瞬間跳び上がらんばかりに叫ぶ。
「どぶっていうから身構えてたんだが……うまいな」
 感心したように眉の端をぴくりと動かす同田貫の様子を横目に俺もどぶ汁を食べ始める。御手杵からの事前情報や味噌の匂いから、よくある味噌汁の味を想像していたが、一口目から肝の風味がかなり強い。汁というより煮込みのような濃さは白飯が欲しくなる。だが、ここにはないため、とりあえず用意されていた瓶麦酒を頂くことにする。
 肉のような弾力のある鮟鱇の切り身を味わい、きゅっと麦酒を飲み下す。こってりしたどぶ汁を麦酒が程良く軽くしてくれる。
 いかにも酒のつまみという味わいに日本号を見れば、既にぐい呑みを手に一杯始めていた。
「もう酒を飲んでいるのか」
「そういうお前さんだって既に麦酒で始めてるじゃねえか」
 用意されたものは遠慮なくいただく。それに明日は午後まで出陣はない。瓶麦酒の一本くらい楽しむのも良いだろう。
 一応自分の中で上限を設けながら麦酒を楽しんでいると俺の隣に座っていた博多が「ふふ」と笑う。酒も入っていないのに機嫌良さそうにほんのりと頬を赤らめているものだから俺も釣られて笑ってしまう。
「楽しそうやね長谷部」
「博多こそ。何か良いことでもあったか?」
「まあねえ」
 ふふふと、笑顔の絶えない博多はその外見もあって愛らしい。俺がそう思うのであれば兄弟から見れば尚更愛らしいのか、これまで黙々と食べていた骨喰が博多の頭を撫でる。その行動に博多は喜ぶものだから、俺だけでなく周囲の皆はすっかり和んでしまった。

 鍋が空になり、同田貫と骨喰が洗い物をしてくると退出する。残るのは俺と日本号、そして程良く酔っ払った御手杵と博多だった。食べ始めに見た無邪気な博多は酒に顔を赤らめて、笑い声の代わりとばかりに「うーん」と唸った。
「今日の配信、良かと思うんやけどもういっこなんか欲しいばい」
「まあ、あんまり魚捌いてばかりいると悪い意味で目を付けられるかもしれねえからな」
 俺も御手杵もいるというのに、日本号と博多は配信の反省会を始めている。しかも内容は今日行ったばかりの配信のもので、極力興味がない振りをしながら耳は二振りの会話に集中してしまう。主公認の活動のため隠すようなことではないのかもしれないが、動画プレイヤーで見ていた配信の裏側を無防備に明かす様にこちらが緊張してしまいそうだ。
「出来ることはあらかたやってしもうたけんなあ。いっそ料理以外も考えると?」
「そこまでいくと本末転倒じゃねえか。元々は次郎の活動あっての俺の活動だ」
「そうやねえ」
「なあなあ。魚捌くだっけ?料理するならそれくらいするのに、そればかりだとなんで駄目なんだ?」
 ちゃぶ台に突っ伏していた御手杵も二振りの話を聞いていたのか、さり気なく会話に加わってしまう。配信の反省会に第三者が加わって良いのか?身を乗り出しそうになるのをぐっと堪えながらも気になって仕方ない。
「見方を変えれば魚を捌くって、魚を殺めている行為だろう?数回程度なら食育の一環とされるが、あまり頻回にすると殺生を見せもんにしていると思われちまう」
「へえ~。みんなに見られながら料理するっていうのも大変なもんだな」
 御手杵とまったく一緒の感想を抱いてしまったことが気がかりながら、配信を観ているだけではわからない苦労があるのだと知る。日本号の配信はとても緩い雰囲気だが、それでも収益を上げているものだ。明かされないだけで規約というものがあるのだろう。
 これはここぞとばかり皆が皆配信をしないわけだ。と納得していると、御手杵がとんでもない事を言う。
「それならさ、ゲストみたいなもん出したらどうだ?長谷部とか」
 突然自分の名が出され、肩がびくりと跳ねる。いや、名前自体出されるのは良いが、その前になんて名前を言った?ゲストは番組のようで良い案だと思うが、どうしてそこで俺の名を出した。
 そう主張したかったが、これまで会話に無関心を貫いていた手前でどう切り出せば良いかわからずに固まってしまう。そんな俺とは対照的に博多が跳ねるように立ち上がった。
「そればい!さっすが天下三名槍!大名さま!殿様ん槍!長谷部ば出すとは良かね!おいしゃんひと振りのところ長谷部が並んだらすごか絵になるばい」
「おいおいおい。当刃がいるっていうのにほったらかしで話を進めようとするんじゃねえ」
 鼻息荒く話していた博多を宥める日本号にようやく俺は落ち着きを取り戻す。これは日本号がくれた良い機会だと、あくまで御手杵から名前を出されて気付きましたという体で会話に参加する。
「お、俺がゲストとか話があったが、一体……」
「良くぞ聞いたけん。俺たちは動画配信しとうっちゃけどご新規ば呼び込もうと計画しとうところなんや。そいで色々考えるばってん、どうにもしっくり来んやったちゃけど……長谷部がゲストで動画配信に出るんいける!と思うたばい」
「ゲストを頼むなら他にいるのではないか?それこそ、この本丸には大勢の刀剣男士がいる」
「いんや!長谷部が良か!ね、おいしゃん?」
 勢いのある博多に呼ばれて、日本号は背筋をぴんと伸ばす。まさか自分に話を振られると思っていなかったのか、明らかな動揺を見せる。
「ま、まあ。長谷部が了承してくれるなら、その方が、いいと……」
 柄にもなく言葉尻を濁した日本号は、それでもはっきりと俺を選んだ。御手杵も博多も、それに日本号も何故俺を挙げるんだ。日本号の配信のゲストなんてこれまで次郎太刀くらいしか見たことがない、新しい顔触れがほしいなら俺に限定しなくても良いだろ。
 再び動揺する俺の横で御手杵がころころと笑う。
「日ノ本のやつさあ、年明けてから何かにつけて長谷部と一緒に年越しした話するから適任だと思うんだけどなあ」
 年越しの話?思わず日本号の方へ視線を向ければ、これでもかという程顔を赤らめていた。こいつ、いくら酒を飲んでもそんなに顔が赤くなったことがないというのに、今の話でそんな反応をしたのか?それは御手杵が話していたことが嘘だから怒って……ではないか。嘘なら嘘だとはっきり否定すれば良いだけのところ、日本号はそんなことをせずに狼狽えているだけ。
 その事実を知った途端、自分の顔も一気に熱を持ち始める。
 年越しの時なんて最終的に俺が寝落ちてしまったので大したことはなかった筈なのに。むしろ客を放っておいてと不満は抱きそうだが、御手杵の話し振りからそのように思っているとは考えられない。
「ええと。その……あのな。長谷部」
 未だに顔を赤らめている日本号に呼ばれる。らしくない様子はこちらを煽るのに十分で、掌がじんわりと汗ばんでくる。
「おまえさん、俺が料理の配信しているの知っているだろう。それで、気が向いたらで良いんだが……一緒に出てくれないか?」
 頬を掻きながら控えめにこちらを伺ってくる。普段はどこまでも自信に満ちているというのに、それだけ年越しの話題を持ち出されたことが響いているのか。どうしてそんなに動揺するのか疑問で堪らないが、あの一晩のことが日本号に大いに影響しているのだけは痛いほどわかってしまった俺は頷くしかできなかった。

◆◆◆

『どうも。今夜も日本号のちょい呑み配信、付き合ってくれよ』
 低く落ち着いた声は日本号のもので、何を隠そう私の本丸にいる刀剣男士のひと振りだ。日本号は他の本丸にもいるからその言い方だと語弊があるって?いやいや、今流れている配信に出ているのは私の本丸にいる日本号なのだ。お小遣い欲しさに始めたらしいこの「日本号のちょい呑み配信」はなんだかんだで二年近く活動しており、私も審神者の仕事や学業がない時に視聴している。撮影者の博多と共にお喋りしながらのんびりとお料理をする配信なのだけど、最近ちょっとした変化があった。
『今日はゲストであるへし切長谷部もアシスタントとして参加している』
『へし切長谷部だ』
 簡潔な挨拶と共に、画面端にひらりと手が振られる。日本号より少し細いその手は長谷部のもので、視聴者コメントに長谷部の名前が連なる。
 変化というのはゲストとしてへし切長谷部を呼ぶようになったことだ。主となる審神者以外の人間には基本的に無愛想な長谷部がゲストとして配信に登場するだけでも面白い試みだというのに、ゲストと謳いながら月一で配信に出演しているのだ。そのせいもあり視聴者からは準レギュラーのような扱いをされ始めており、日本号と共に人気を確立していっている。
『今日のつまみは馬鈴薯を使って韓国風肉じゃがを作る。うちの主が大量に購入して有り余っていたのを何個かいただいてきた』
『青くならん内に使い切りたいって料理番が苦心しとった。まったく、主人は油断するとすぐ沢山買うてしまうばい』
『主も考えがあっての購入なのだろう。それならば俺達はその思いに答えるまでだ』
 すかさずフォローする長谷部に日本号が笑いながら画面中央の馬鈴薯を手に取る。その少し離れたところでは長谷部と思しき手が調理器具を準備する。

 決して大きな盛り上がりはないものの、穏やかに、時折何かを言い合いながら料理をするこの配信は巷ではほんの少しだけ人気になってきている。