四十代からの活け花教室 ※生存院

 恋の病、とはよく言ったものだと思い出しては。
 その「恋の病」を目に見える形にすると可憐で底知れない神秘を覚え、それは恐怖にも似たものなのだと知った。

 ケープ・カナベラルでの乱闘により承太郎は右目を失明し、それでも40代にしては驚異的な回復力で一月少しで退院した。年老い始めても尚、最強のスタンド使いと言わしめた空条承太郎は心身ともに健在なのか。片目を失明しようとも、それに対する不安などは一切口にすることはなかった。
『距離感を掴むのに時間を要するな、便所に行くにも一苦労だ』
 ……まあ、入院中にそういう不便は話していたが。
 そんなこともあり、安心して…そして油断していた。それこそ退院して彼が住まいにしているマンションに一人で帰宅するくらい、難ないと思っていた。だが、そいつは僕の計り間違いだった。
 承太郎は退院手続きをし、病院から出たところをスタンド使いに襲われた。どうやら敵はDIOの残党だったようで、周囲の警備が手薄になる瞬間を狙ったらしい。
しかしそこは戦い慣れた承太郎だ。自力で返り討ちにしては『スタンド使いを捕獲した、担当の者を寄越してくれ』と財団に連絡をしてくれた。
 ちなみに彼のいう担当者とは僕であり、血相変えて車を走らせたものだった。
 そして到着した僕を迎えたのは、スタンド使いらしき男を抱えるように捕獲しているスタープラチナと、何故か右目を花に覆われた承太郎だった。
「大事ないかい承太郎」
「花が咲いた以外、問題ない」
「……咲いた?」
「顔の花だ。そいつのスタンド能力だそうだ」
 確かめるように承太郎の顔に咲く花弁の下に触れてみて、固い茎が柔らかな彼の肌に刺さっているように繋がっていた。これはまるで花が表面に咲いているのではなく、承太郎から直接咲いてるようで、僕は背筋が冷えるようだった。

 財団の施設に戻り、承太郎が受けた能力を問い出せば敵はすんなりと能力について白状した。それは長年様々なスタンド使いを見てきた僕も信じがたい能力だった。
能力自体は難解なものではなく、攻撃を受けた者が恋心を抱いていればそれを示す花が体に咲くというものだった。
 だが問題は咲いてしまう花だった。それは想いが成就するかその恋を諦めると散って消えるというのだが、攻撃を受けた時の恋が続く限り花は枯れることなく成長してゆくという。すなわち長引けば長引くほど花は成長し続け、徐々に体内へ根を伸ばし最終的に体を蝕んでしまうそうだ。花が体を蝕むなんて、まるで冬虫夏草みたいだな。それにしても、
「君に好きな人、いたんだ」
 花が咲いたイコール、そういうことなのだ。40過ぎても浮いた話を聞いたことがなかったが彼もまともに恋をする人間だったのか。しかも、花が咲いて今も尚、変わらず綺麗に咲いているということは。
「そして片想いとはね……」
 承太郎はルックスは勿論、性格も多少の頑固さはあっても申し分ない。最近では年齢相当の落ち着きと誠実さを深め、きっと恋人がいたなら献身的に愛するような気がした。蛇足だが収入も十分にあるし、僕が相手なら断る要素が全く見つからない。
「それにしても承太郎からの告白を受けない子がいるとは信じられないよ」
 承太郎は何か言いたげに目を細める。それはまるで僕の発言こそが信じられないと言うようで僕は疑問に閉口した。彼は自分の魅力について自覚が足りないと常々思うのだが、ここまでとは……。
「私は告白したこともないし、する気もない」
「え……どうして、」
「そういう想いなのだ」
 普段以上に淡々と話す口調は拒絶に似た感覚を覚える。彼は喜怒哀楽の表現が乏しいだけで表現法は露骨であるので、僕が覚えた感覚は全くの外れではないだろう。
 確かに恋愛事に口出しするなんて下世話かもしれないが、承太郎に咲く花のことを考えれば仕方ないじゃあないか。
「これまで忍ぶ恋だったのかもしれないが、想いを遂げなければ花はなくならないんだぞ」
 話題こそ下品だが、そんな話をするのは単純に彼のことが心配なのだ。今すぐ体に影響するわけではないらしいが、いつどうなるかわかったものではない。できるなら早い内に手を打つ方が良いに決まってる。色恋に慎重なのは堅実な彼らしくはあるけど、今回は時間があまりないのだ。
「だが、私が恋を諦めても、この花は枯れてなくなるのだろう」
「ああ、まあ……そうだけど、それは……」
「告げることのない想いだ。いずれは諦めなければならないもので、その時が今来ただけだ」
 彼のような男が諦めなければならないなんて。相手がどんな人物かわからないけど、それはあんまりな気がする。
「お前は気に病むことはない、そんな顔するな」
「……そんな顔って、どんな顔だよ」
「少なくともいい顔ではない」
 彼なりに濁した表現だったのか。それにしても顔に出してしまうとは、承太郎はただでさえ大変だというのに気を付けないと。
「そう長引かせん、気にするな」
「……うん」
 そう承太郎は言うが、彼の顔に咲く花は青白くも瑞々しいまでに咲き誇っていて、どうにもすぐ枯れてしまうようには見えなかった。
 
 それから数週間経って何があったかと言えば、特に何もなかった。
 試しに花を取り除けないかと精密検査をしたところ、花の根が神経に絡まっていて取り除くのは無理だった。どうやっても花は枯れない限り消滅しないようだ。
ふと、仄かに花の香りがして顔を上げると、最近では見慣れてきてしまった花を咲かせた承太郎がそこにいた。相変わらず彼の花は綺麗に咲いていて、柔らかそうな白い花弁が淡く輝いている。
「その花、枯れそうかい」
「まだ暫し、時間を要するな」
「そう、」
 恋心は変わりやすい、なんてある人は言ったようだけど、どうやら承太郎はそうではないようだ。彼もいい歳なのだからそうそう移り気あるとも思えないし、それなりに根深い想いなのだろう。承太郎が動く度にふわふわと揺れる花に触れてみれば、しっとりした感触に生を感じる。とても綺麗で衰えなんて感じさせない様はまるで承太郎のようで、僕は複雑にも花相手に憎らしくなってくる。こんな出会いではなければ、きっと僕はこの花が好きになった。
「……僕にできることがあったなら、どうか頼ってくれよ」
 何ができるかはわからないけど、僕ができることがあるなら些細なことでも力になりたい。彼が苦しむような事態にはなってほしくないのだ。
「大丈夫だ、お前は気にするな」
 気にするな、とは流石に無理な話だ。僕と承太郎は高校時からの友人で実に20年以上の付き合いだ。しかもこの10年程は親と過ごす時間より彼と過ごすことが多くなったくらいだったから尚更思うことがあるのだ。……それは僕だけなのかな、彼はあくまでも自分の問題だと抱え込んでしまうだろうか。
「諦められないのなら、やはり告白すればいいのに」
 きっとその方が早く解決するし、諦めるよりずっと彼が幸せになれると思える。何度も思うが、承太郎の告白を受けない女性なんているのか?
「諦めた方が互いのためだ、そいつはしない」
 先日と変わらず、承太郎が単調な口調で話す。言葉足らずにも変わらず明らかな拒絶につい花に触れていた手を離そうとして、その手を彼に掴まれてしまった。
「だからお前は気にするな、私の問題だ」
 それよりも笑っていてくれないか。言いながら細められた彼の瞳には存外に情けない僕の顔が映っていて、思わず俯きたくなった。片目が失明したことで不安こそ口にはしなかったが不便はあったようで、静かにまごついている承太郎に手を貸す場面は多かった。
今日もまたでかい図体を丸めながらもたもたとデスク上の書類を片付けている承太郎を捕まえては、途中で食料を買い込んで彼の住まいに乗り込んだ。以前から住まいに伺うことはあったが退院してからはほぼ毎日通っている。
「今夜の飯はなんだ」
「今日は親子丼と蒸し南瓜、葱の味噌汁。足りそうかい」
「問題ない、頼む」
 料理ができなくなってしまった彼に代わって、夕飯と翌日の朝食をセットで用意するようになったのはいつ頃か。ケータリングという手もあるが、そうすると承太郎がしっかり食べてくれているのかわからないし……いや、これは建前で、ただただ承太郎が気になって仕方ないのだ。不意に、とん、と背中に何かが触れて振り返れば、承太郎がこちらを見下ろしていた。
「何か手伝うこと、あるか」
「まだないかな。リビングで待っていてくれよ、何かあれば呼ぶ」
「そうか」
 承太郎が口元を綻ばせて花を揺らした。それは明らかに嬉しそうで、僕は疑問に彼を凝視する。
「……何か嬉しいことでもあったのかい?」
「ああ、まあな」
 そうして笑みを深める彼と変わらず咲く花はとても綺麗で、僕は笑みを返したくもうまく笑えなくて、台所へと視線を落とした。

 承太郎に花が咲いてから二月が過ぎ、相変わらず花は枯れることはなかった。むしろ当初はひとつだけしかなかった花が今では四つまで増えていた。まだ心身の変化まではないが、近い内に影響が出る可能性を考えるだけで僕は気が気ではなかった。抱えてる恋心を諦める。意志の固い、悪く言えば頑固な承太郎はずっとそう言っているが、最近では本当にそのつもりがあるのか疑問さえ生まれる。花は衰え知らず成長を続け、承太郎もそんな花を邪険に扱うことはせず、逆に慈しみ込めて触れる場面もあった程だった。
 それだけ、恋心を抱く相手が好きなのかい?
 そう、言ってしまいたくなるくらい、僕は切羽詰まって、苦しくなって堪らなくなってきていた。
「散歩、付き合ってくれないか」
 そんな僕の苦悩など知らない承太郎は夕食を終えた後、そう誘ってきた。多分に出歩きたいが夜道を一人でというのは危ないと判断したからだろう。食器を片付けてからならいいよ。と返せば承太郎はひとつ頷いて壁伝いに奥へと移動する。あれは遠近間を掴めないために考え出した移動法だという。彼いわく、いつまでも僕に頼りっぱなしは良くないから、せめて移動くらいは自分ひとりで難なくこなしたいのだという。別に迷惑だなんて、微塵にも思っていないのに。
 洗った食器を水切り場に列べて手を洗っていると、僕のコートを抱えた承太郎が姿を現す。
「ありがとう、承太郎」
「ついでだ」
 コートを羽織ると承太郎の右手を取って外へ出る。夕飯後だけあって周囲は静まっていて、はあ、と小さくついた筈の息の音さえやけに大きく響いた。
「寒かったか」
「大丈夫、君は?」
「平気だ」
 そこから特に会話もなく、時折電柱に接触しそうになってる承太郎の手を引くだけ。普段なら沈黙は気にしないのに、今は何か言ってもらいたくて彼を見上げる。だが彼の横顔は花に覆われていて辛うじて高い鼻先が見える程度だ。きっと僕が見上げているなんてわからないだろうな。そう思うともどかしくて、繋いだ手に少し力を込めた。
「どうした、花京院」
 僕が意識して力を込めたのを察してくれた承太郎に、ほんの少し嬉しく思いながら口を開く。
「想い人に想いを告げる気は、やはりないのかい」
「ああ」
 何度交わされたか。僕の問いに返る答えは変わることがない。
 彼が想いを遂げようとして相手が困ることがあるのかもしれない。しかしそれなら承太郎の命はどうなるんだ? こんなに長い期間諦められないなら、諦めるより承太郎が花に蝕まれる方が先になりそうだから。
「高望みはいけない」
「高望みって、想いを告げることが高望みなんてどうなんだ」
「想いを遂げられずとも、今とても幸せなんだ。それ以上望んで、どうなる?」
「だからって、」
「想いを告げて、今の関係を拗らせたくない」
 そう言われてしまうと、僕は何も返せない。
 今が幸せと断言するくらいだ、それは嘘などではないだろう。そしてそんな幸せをもたらしてくれる相手はとても素敵な人なのだろう。だから今の関係を拗らせたくないと同時に、純粋に相手を困らせたくなくて想いを伝えようという選択はないのだ。
そんなに想う人がいるんだ。
 諦めようとしても諦めきれなくて、そして相手を何よりも想っている。ずっとずっと承太郎と一緒にいたのに、そんな人がいたなんて知らなかった。
胸がもやもやして、頭がぐるぐるして、落ち着かなくなってくる。どうしてどうして。どうして僕の知らない内に、そう心惹かれる人に出会ってしまったんだ。
「どうして、そんなに好きになってしまったんだ」
「絆された、だろうか。たくさんありすぎてわからん」
 たくさんある? それだけ長い付き合いなのか……僕だって、たくさん君と一緒にいたのに。 それこそ人生の半分以上は一緒だったのに、どうして。
「……僕じゃあ駄目なのか」
 つい、歩みが止まる。いや、承太郎が止まったから僕も歩みを止めてしまったのだ。
「どういうことだ」
 承太郎がこちらを窺おうと正面に立ち、かさりと、花が僕の前髪に触れた。
「僕なら、君の想いに応えられるのに」
 承太郎が相手を想う気持ちには敵わないだろうけど、彼が僕を選んでくれたなら誰よりも愛し、絶対に幸せにする。
 ねえ、承太郎。どうして僕がこんな歳になってまで結婚どころか恋人すら作らなかったと思う? 君と過ごすだけでとても心満たされたからなんだよ。だから君がこんな経緯で命の危険に曝されるなんて嫌なんだ。そんな承太郎を見ず知らずの人物のために…。
「僕は、承太郎……君が好きなんだ」
 友情としてのか、それ以上の、所謂恋愛的な好きなのかはまだよくわからないけれど、手放したくないほど好きなんだ。
 無理ならせめて相手の代用品でいい。こんなことで君を失いたくないんだ。
「好き、なのか?」
 そんな承太郎の言葉と共に前髪に何かが落ちる。それが何なのか僕からはよく見えない。
「好きだよ。好きなんだ、」
 好意を寄せていた自覚はあったけど、告白するようなものではないと思っていた。こんな不明瞭な好意を伝えても、きっと承太郎は困るだけだと。
しかし、今なら包み隠さず伝えられる。誰かに想いを寄せたまま花に蝕まれてしまうくらいなら、僕が想いを遂げてしまえ。
 そんな想いは僕のエゴでしかないのはわかってる。でも、そうするしか僕は考えられなかった。ぽとり、とまた何かが落ちてきて、今度はコートの襟へと入り込んだ。なんだ、と摘まんでみると、それは見慣れた白い花で僕は承太郎を仰ぎ見る。
 すると彼の顔が近づいてきて、触れるだけの口付けをひとつされた。
唖然とする僕にそれはすぐに離れて、またひとつ花が地へと落ちていった。見れば承太郎の花はもうひとつしか残っておらず、それも今にも散ってしまいそうに萎れていた。とても憎らしかったけれど、弱ってしまった姿に僕はつい花に触れてみると手の甲を滑るように落ちてしまった。
 指先には久しく見てなかった承太郎の右目で、それは痛々しい傷痕を残して潰れている。

「好きだ、花京院」

 聞き慣れた心地好い声音でそう囁かれて、僕の花も落ちてしまった気がした。